第7話:殺人熊の悲哀
タイトルでネタバレ? いえいえ。
多分、皆さんが思っているよりもエゲツない事やらかします。オッサンが。
◆ ◇
ジゼルにつられて、俺も大きな音がした方を見る。
「グウゥゥゥゥゥ……」
真っ黒な体毛、小ワイバーンより一回り大きい体に、丸太のような腕と大木のような胴回り。額に×印の傷跡が入り、眼は赤く爛々と輝く。爪と牙は獲物を引き裂き噛み千切るためか、先は鋭く根元は太い。
ソレは重低音の唸り声をあげ、口からダラダラ涎を垂らしながら―――森の奥より、二足歩行でその姿を現した。
「マーダーベアー……!!」
Bランクモンスター、人殺しの異名をとる中層最悪の強敵が現れた。
……って、オイオイちょっと待て。こんな簡単に遭遇できちまうもんなのかコイツ? まだ中層を探索し始めて、半刻も経ってないんですけど……。
「グオオオオオオオォォォォォォ!!!!!!」
「っ!!」
胸を思い切り反らせ、中層最大級ワイバーンに勝るとも劣らない声量で黒熊が猛る。
……くそっ、足が震えてやがる。ワイバーンの時は平気だったのに……ああ、単純に距離が近いせいか。それともジゼルの言う通り、さっきのワイバーンよりもコイツの方が強いからか―――
―――ドスン!
「!!」
マーダーベアーが両前足を、力強く地面に落とした。姿勢をグッと低くし、足の筋肉を大きく隆起させ、爪と牙を凶悪に煌めかせ―――
「―――貫け、『アイスジャベリン』!」
恐怖に支配された場を塗り替えるように、ジゼルの澄んだ声が響き渡る。
それに呼応して、俺達の頭上にマーダーベアーとほぼ同じ長さを持つ氷槍が六つ出現した。その底冷えするような切っ先は、今まさに飛びかかろうとする黒熊を捉えている。
……幾分、気持ちが落ち着いたようだ。足の震えも止まっている。
―――ゴッ!
黒熊が大地を蹴り、巨体が宙を舞った。
―――ヒュンッ、グサッ!
その強靭な両前足を、高速で飛来した氷槍が一本ずつ貫いた。
「グアウ!? グアアアアァァァ!」
氷槍は勢いそのままに、黒熊の足を地面へと縫い付ける。痛々しい姿で咆哮を上げながら、どうにか抜け出ようともがくマーダーベアーだが……氷槍はまるでビクともしない。
風穴の空いた前足から、ドクドクと朱色の血液が溢れ出し―――氷槍の冷気に当てられて、ガッチガチに凍り付く。それはちょうど枷のように、マーダーベアーの前足から抵抗力を奪い去っていった。
―――ヒュンヒュンッ、グサグサ!!
今度は、後足に一本ずつ氷槍が突き刺さる。噴き出した血が、一瞬の内に氷の枷へと姿を変えていく。
「グア!? ガアア!?」
うつ伏せで磔にされ、四本足へ血の枷を嵌められたマーダーベアーにもはや成す術はない。残りの氷槍も致命傷とならない部位に撃ちこまれ、マーダーベアーから大きく抵抗力を奪った。
……ジゼルがスタスタと黒熊の横合いまで近づいていく。さすがのマーダーベアーも格の違いを感じとったのか、遂に大人しくなったようだ。
「さあ、ラングさん」
ニコリ、とこちらに向けて微笑みかけてくる。
……あっと言う間に勝負が決まったな。Bランクって、そんなに楽な相手じゃないはずなんだが……まあ、今更か。ジゼルだしな。
「おう」
それでも、決して油断はしない。動きを封じたとは言え、爪や牙や巨体というマーダーベアーの武器が、消えて無くなった訳じゃないのだから。
……相手が死ぬまで気を抜くな。自分より強い相手とはまともに戦うな。逃げる事は恥じゃない、むしろそれに全力を尽くさなければ死ぬぞ。
村にいた頃、剣の師匠が授けてくれた金言だ。これを愚直に守り続けたからこそ、この年まで俺は大した怪我も無く、冒険者でいられている。
「……でけぇな」
マーダーベアーの横っ腹まで来た。
……近くに来ると、そのデカさが際立って見えるな。横たわってる状態ですら、肩の位置が俺の目線よりも高い。つくづくBランクのモンスターは規格外だと思い知らされる。
「確かに、これはマーダーベアーの中でも相当大きな個体ですね。速さも力もかなりのものでしたし」
「へえ、あのワイバーンの威嚇に怯まなかっただけはあるな」
……まあ、そんな怪物をジゼルは軽々制してしまったワケだが。彼女は更に上のランク―――Aランクや、『天災級』とも呼ばれるSランクのモンスターを相手取った事もあるんだろうな。
だからこそ、マーダーベアーごときに心を乱される事は無いってか。それが、俺にとってはすごく頼もしい。
「……うん? 固いな……」
マーダーベアーに触れてみる……黒毛はふんわりしているが、その下の皮はめちゃくちゃ固い。筋肉の鎧とでも言うべきか、分厚い筋肉が体幹全体を覆っているようだ。とてもじゃないが、鉄剣では刃が通りそうもない。
……かと言って、顔に近寄るのは論外だ。牙は折れてなかったし、ワイバーンの時のように意識が飛んでるわけでもない。万が一噛み付かれてしまえば、俺なぞ一発でお陀仏だ。
うーん、どうするか……。
………。
………。
……あ、そうだ。
「………」
ちっと下世話な話だが、マーダーベアーも生き物である以上はアレか、あるいはアレが付いているはず。そういう部位は大抵、その生き物の急所となっている。
だからきっと、後足の間に……あ、付いてるな。こいつは雄か、ならば遠慮なく。
「ほっ! はっ! らぁ!」
―――ブシュッ、ブシャッ、ブシャァ!
筋肉で守りようのないソレを、二回三回と斬りつける。その度に鮮血が噴き出し、周囲を赤く染め上げていった。
「グオォォォォオォォ!?」
体をビクビクと震わせて、マーダーベアーが甲高い悲鳴を上げる。しかし、後足は氷の枷のせいで微かにも動かない。だから俺は、構わずソレに向けて鉄剣を振るい、徹底的に切り刻み続けた。
……うん、そりゃ痛いだろうな。俺も男だからよ~く分かる。
だがこれは、生死を懸けた戦いだ。相手の弱点を見つけたならば、徹底的にそこを突かねばならない。俺みたいな力無い探索者は特にだ。
「ヴ………グォ………」
攻撃回数が二十二回を数えた所で、マーダーベアーは小さな呻き声を上げ……遂に、ピクリとも動かなくなる。後足の間には、真っ赤な血の海ができていた。
『レベルが7に上がりました』
天の声で、マーダーベアーが死んだ事を確信する。
……規格外の大きさと言えど、やはりコイツも生き物。雄の宿命には抗えなかったのだ……。
「ラングさん、終わりまし―――キャア!?」
駆け寄ってきたジゼルが、目を丸くして悲鳴を上げた。
なんだなんだ、新手か? ジゼルが驚くなんて、よっぽど強力なモンスターが……って、何も居ねえじゃねえか。
「ラングさん、真っ赤ですよ!? 大丈夫ですか!?」
「ん? ……うお!?」
今更だが、自分の状態を見て驚く。剣はもちろんのこと、皮鎧やブーツの中までもが真っ赤な液体でベタベタになっていた。
……全然気付かなかった。マーダーベアーに気圧されて、やや我を見失ってたのかもしれない。
「いや、マーダーベアーのキ○タ○斬ったらこうなって………はっ!?」
慌てて口をつぐんだが、遅かった。俺の言葉は、バッチリとジゼルに聞こえてしまったようだ。
「キ、キン……」
……朝の出来事から察するに、ジゼルはその手の話題に耐性が無い。現に俺が○ン○マと言っただけで茹でダコのように顔を赤くし、視線をあちこちに彷徨わせ、頭から煙のようなものまで吐き出し始めて……ってオイィ!?
「ふにゅうぅぅぅ……」
―――バタン
「ジゼル!?」
ちょっ、勘弁してくれよ!? ここ中層のど真ん中じゃねえか、ジゼルに倒れられたら死ぬって!?
おい、おーーーい!!
◇ ◆
「………」
「………」
「「………」」
……き、気まずい。めっちゃくちゃ気まずい。
初日と同じ場所で野営するために、もと来た道を歩いて戻っている所なんだが……会話が一切無い。もう半日近く、互いに沈黙状態が続いてる。
なのにジゼルは、たまにチラリとこちらを―――正確には俺の体の下半分あたりを見ては、顔を真っ赤にして目を逸らすのだ。気にならないはずがない。
……結局、あれから数分でジゼルは目覚めたが。その数分間、本気で生きた心地がしなかった。
それから、巨大ワイバーンとマーダーベアーの死体を凍らせて回収。クリーンで俺の体に付いた返り血を落として貰い、微妙な雰囲気のまま探索を再開した。
その後は夕方まで中層を歩き回り、ヨクナール草を大量(これで背負い袋が満タンになった)、フォレストウルフを二十八匹、レッドベアーを二体、ワイバーンを四体倒した。これでワイバーン討伐数は九体、依頼数は二十体なので、あと十一体。ようやく先が見えてきた。
そして、俺のレベルは9まで上がった。同じワイバーンが相手でも、大きい個体はどうやら経験値も多いらしい。
……それでも一桁台から脱せていないあたり、レベルの上がりにくさは予想よりも深刻なようだ。
「着きましたよ、ラングさん」
そんな感じで、現実逃避気味に考え事へ没頭していたら。野営したあの岩場へ、いつの間にやら到着していた。
半日ぶりのジゼルの声を聞きながら、魔物の気配が無い事を確認して岩場の下へ滑り込む。
「………」
一息つける場所には到達した。
……だが、今回は全く気が休まらない。
―――ゴソゴソ
「……(チラリ)」
「………」
「……(プイッ)」
理由は単純。聖域発生装置を起動させ、野営の準備を進めるジゼル―――顔を少し赤くしながら、まともに目を合わせてくれない。なのに、やっぱりこちらをチラチラと見ては、プイッと顔を逸らしている。気になる、すごく気になる。
……ええい、ままよ! 気になるならば、聞いてみればいいじゃないか! ここはいっちょ勇気出せ、俺!
「なあ、ジゼル」
「……なんでしょうか?」
筒形空調照明装置を出すその手を止めて、ジゼルがこちらを見る……が、すぐに顔を逸らされてしまった。しかし、その目線が一瞬下の方へ行ったのを俺は見逃さなかった。
「なんか、ジゼルの視線がちょくちょく下の方に行ってる気がしてな……気になる事でもあるのか? 顔も赤いし、体調が悪いなら無理しなくていいぞ?」
「!?!? い、いえ、違います! け、決して体調が悪いわけでも、ラングさんのアレを見てたわけでもありま……あっ」
「……!!??」
言ってしまった、そんな感じの表情を浮かべてジゼルが固まる。
アレって……もしかしなくても、アレの事だよな……? 下の方にぶら下がってるアレ、マーダーベアー討伐の時に散々攻撃したアレ、男の象徴たるアレ……。
「もしかして、見てた……のか?」
「………」
「……お、おい、大丈夫か?」
「…………う」
「う?」
ジゼルの目尻に、大粒の涙が……って!?
「うっ、うぐっ……うええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
「!?!?」
ちょっ、泣き出しちまったぞ!? そういうのに耐性無さそうだとは思ってたけど、それほどか!? くそっ、朝から色々ありすぎだろ!
と、とりあえず泣き止んでくれ! これじゃあ俺、女の子を泣かせた最低オッサンになっちまうじゃねえか!
いや、もう手遅れだけどもな!