第6話:ゴセット峡谷中層域
本話から、毎週土曜日12時に更新日を変更します。
◆ ◇
「……ふわぁ……んぅ……」
……俺の背後で、ソレが可愛らしい声を漏らす。布団の中でモゾモゾと動き、その度に手やら足やらが、優しく俺の背中を叩く。
その衝撃で、はっきりと目が覚めた。テントの中は暗く、まだ陽は頭すら覗かせていないようだ。起きるにはいささか早過ぎる時間ではある。
「……ふぁぁ、よく寝たぁ……って、あれ?」
……と、ソレは自分の状況に違和感を覚えたらしい。目の前にあったであろう、俺の背中にペタペタと触れて―――
「―――!?!?」
それが何であるかを理解したようだ。弾かれたように布団を飛び出していき、ソレ―――ジゼルが顔を赤くしながら、叫び声をあげた。
「な、ななななな、なんで私、ラングさんと一緒の布団の中に!?」
「……なんか、気付いたら入ってきてたぞ? びっくりするぐらいの早業だったな」
「……(じーっ)」
薄闇の中、翡翠色の双眸が仄かに輝き……その中に、俺の姿がはっきりと映り込む。もちろんやましい事は何も無いので、普通に見つめ返した。
……しばらくそうしていると、ジゼルの顔の赤みが徐々に増してきた。
「う、ううぅぅぅ……どうやら本当みたいですね。し、しかも……」
やがてリンゴのように顔を真っ赤にして、ジゼルの方から視線を逸らした。それでもチラチラと俺を見ては、なにやらブツブツ呟いている。
「……よく寝れた……温かかった……でも……」
「……ジゼル?」
「まるで………みたいに……ああ、もう!!」
「!?!?」
いきなり大声で叫んだかと思えば、赤みの残る顔でキッとこちらを睨みつけてきた……うん、全く怖くない。
「……夜の事は忘れて下さい、一切合切忘れて下さい、ラングさんは何も見なかったし、何も聞かなかった、何も知らない、いいですね? いいですよね? いいって言ってください!」
かと思えば、もの凄い勢いで捲し立ててきた。最後のほうが懇願口調になっていたのは……多分、聞き間違いじゃないだろうな。
「お、おう……」
……ここまで必死だと、なんだかいたたまれない気分になってきた。よく分からんが、この事は俺の胸の内だけに留めておこう。
「じゃ、じゃあ俺は外で準備してくるから」
装備一式をひっ掴み、逃げるようにテントを出る。やはり陽は昇っていないようで、照明の無い外は暗かったが……感覚を頼りに装備を身に付けていく。
まあ、ボロ宿では散々やってたからな。特に手間取る事なく、準備を終える事ができた。
「……あ」
ふと顔を上げると、岩場の隙間、遠くの空に流れ星が瞬いた。それは、一瞬で夜空の向こうに消えていったが……今祈れば、間に合うか?
……今日も一日、俺とジゼル共に無事過ごせますように。
◇ ◆
ゴセット峡谷・中層域。ワイバーンだけだった浅層とはうってかわり、ここからは森特有の魔物が姿を現し始める。
例えば、フォレストウルフ。群れでの狩りを得意とし、連携が非常に巧みな事で知られている。個々の強さはDランクと言えど、群れとなればCランク相当の実力になる強敵だ。
例えば、レッドベアー。ベアーなどとは比べ物にならないほどの怪力と耐久力を併せ持ち、Cランクでも上位に食い込む実力を持っている。
そして、マーダーベアー。ワイバーンすら殴り殺すほどの豪腕と音にも驚かない胆力を兼ね備えた、中層最強最悪の魔物。万が一出会ってしまえば、並の探索者では命は無いだろう。
ここにワイバーンを加え、中層域に現れる魔物の全てが揃う。そのワイバーンも、浅層より巨大で頑強な個体が数多く出現するらしい。
「グルルルル……」
「ガルルル……」
「ギシャアアァァアァァ!」
そう、だからフォレストウルフの群れと相対している最中に、ワイバーンが乱入してきてもなんらおかしい事ではない。ワイバーンは何でも食べるので、空腹の時は動くものに過剰なまでの興味を示すのだ。
……だからって、初っぱなからコンボで来なくてもいいだろ!? いや、マーダーベアーとかじゃないだけマシだけどさ!?
森の中、ちょっと開けた場所に出た途端コレだよ!
「ガウッ!」
「グルルルル……ガウッ!」
「バウッ! ガルルル……」
「うおう……」
俺達を取り囲む、三十匹ほどの森林狼―――茶色の毛並みを持つフォレストウルフが牙を剥き出しにして、口々に吠えたててきた。そのうち半数ほどは、空を悠々旋回するワイバーンに向けて威嚇している。
「グギャアアァァアァァ!」
応じるように、ワイバーンも大きな声で威嚇し返してきた。出たばかりの朝日に照らされて、ワイバーンの鱗が鈍く灰色に輝いている。
……まずいな、早めに片を付けないと魔物が集まってくるかもしれない。浅層のワイバーンより体がデカい分、威嚇声も数割増しにデカい。
「撃ち抜け、『アイスショット』!」
ただ、俺からすれば危機的な状況であっても、ジゼルにとってはそうではないらしい。
朝方のアレを全く感じさせない、凛とした掛け声と共に―――無数の氷の礫が現れ、フォレストウルフの群れとワイバーンに向けて殺到した。
「ガウッ!」
初弾、ほとんどのフォレストウルフが避けた。さすがは狼だけあり、敏捷性はかなり優れているらしい。
「ガッ!?」
「ギャン!?」
……だがワンテンポ遅らせた二波目は避けられず、どこかしらを撃ち抜かれて次々と倒れていく。続く三波目が過ぎ去る頃には、見える限り全てのフォレストウルフが倒れ伏し―――氷に体を覆われ、身動き一つ取れなくなっていた。
「すごいな……」
「まだです!」
「ギシャアアァァアァァァァ!!」
轟くワイバーンの咆哮に、思わず空を見上げる。
……浅い傷は負っているものの、致命傷には程遠い。水属性は効きづらいのか、あまりダメージを与える事はできなかったみたいだ。
「ギシャッ!」
そのワイバーンが、急降下攻撃の予備動作―――翼を小刻みに羽ばたかせつつ、頭を斜め下に向ける挙動を見せた。この体勢から翼を折り畳み、重力に任せて降下しながら加速、地面スレスレで滑空しつつ超高速攻撃を繰り出すのがワイバーンの基本攻撃パターンだ。開けた場所ではほぼ必ず使ってくる、速度に優れた厄介な技である。
……だが、それは昨日見ている。予備動作の段階でちょっかいをかけられれば、簡単に体勢を崩してしまう事も含めて。
「墜ちなさい、『ダウンバースト』!」
浅層でも使った一手―――ジゼルが魔法で、強烈な下降気流を発生させた。直接傷を負わせない魔法であれば、耐性に関係なく通用する。
―――ゴオォォォオォオォォ!
「ギシャッ!? ギシャアァァァァァ……」
―――ズシィーン!
体が大きい分、浅層のそれよりも良く効いたようだ。空中で完全にバランスを崩し、錐揉み状態で頭から広場のど真ん中へと墜落してきた。
……この時点で、既に勝負は決まっていた。首があらぬ方向に折れ曲がり、小刻みに体を痙攣させるワイバーンは誰がどう見ても瀕死だった。そんな状態でも生きているあたり、ワイバーンの生命力はやはり侮れない。
「ラングさん」
「ああ」
鉄剣を抜き放ち、まずはワイバーンの目を抉ってトドメを刺す。五度目ともなれば、この生柔らかい感触にもいい加減に慣れてくる。
……続けて、倒れ伏すフォレストウルフに目を向けた。
「……すげぇな、全部生きてる」
足やら首やら胴体やら、撃ち抜かれた場所はまちまちだったが……そのどれもが急所を外れ、体に張り付いた氷が三十匹近いフォレストウルフをことごとく無力化していた。
その中で、最も大きな個体―――おそらくは群れのボスであろう狼に近づいていく。その狼は腹に風穴が空き、血を流しながら横向きに倒れていた。
「ヴゥゥゥ……」
だが、死が目前に迫っていると言うのに……犬歯を剥き出しにし、血走った目を見開いてこちらを威嚇してくる。もう動く事もままならないだろうに、それでも群れの長として、弱々しい姿を見せまいとしているかのようだ。
「………」
その誇り高さに感服しつつ……心臓に向けて、剣を突き立てた。
―――ズブリ!
「!」
ビクリと体を跳ねさせ……しかし一切の声を上げる事なく、ボス狼は息絶えた。後は、他のフォレストウルフへ順番にトドメを刺していくだけだ。
「ギャン!?」
「ガフッ……」
他のヤツには、さすがにそこまでの気概は無いらしい。威嚇も反撃も何もなく、無抵抗に心臓を貫かれて次々と絶命していく。
その数が三十四を数えた時……広場で生きている者は、俺とジゼルだけとなった。
『レベルが6に上がりました』
ゴセット峡谷へ来て、もう三度目になる天の声が響く。
……だが、そんなのはどうでもいい。俺の視線は、今しがた仕留めたボス狼の死体へ釘付けになっていた。
「三十四匹ですか、かなり大規模な群れでしたね」
「……なあジゼル、頼みがあるんだが」
「何でしょう、ラングさん?」
「このフォレストウルフの死体、持って帰れないか?」
フォレストウルフは、毛皮と犬歯が優秀な武具の材料になる。毛皮は耐火性能に優れたマントに、牙は強靭でしなやかな短剣に加工され、それぞれCランク探索者の武装として通用するほどの性能を発揮する。個体の強さは、あくまでDランクの域を出ないのに、だ。
……それに、死の間際にあれほどの気迫を見せた個体なのだ。死体がこのまま朽ち果てていくのを、黙って放っておくのはなんだか嫌だった。
「容量は……まだ大丈夫そうですが、丸ごとですか?」
「ああ、それで頼む」
「分かりました、では……『フリーズ』!」
―――ピキピキ……ガキン!
辺りを凍てつくような空気が包み込み、フォレストウルフの死体が巨大な氷に閉じ込められる。その氷塊に、ジゼルが魔法のポーチを押し当て―――次の瞬間にはそれが消えていた。どうやら、そうする事でポーチの中に収納できるようだ。
「これは……?」
「魔法のポーチは確かに便利ですが、中に入れた物の時間は経過してしまいますので……良い状態を保つのであれば、氷漬けにしないといけないんです」
「なるほどな、だから食品もシンクウパックを利用していたのか」
保存の利かない食べ物や、未処理の魔物の死体なんかを入れて放置してしまうと大変な事になる……と。
「そうなんです……はぁ」
ジゼルが小さく溜め息を吐いた。
……この反応を見るに、どうやら既にやらかしてるっぽいな。大量に物が入るからこそ、中身の管理はきちんとしないといけないわけか。魔法のポーチも万能じゃないんだな………っと、そうだった。
「それより、早くここから離れないとマズくないか?」
このワイバーンの咆哮は、かなり遠くまで聞こえていたはずだ。音を聞きつけた魔物どもが、大量に集まってこないとも限らない。
「いえ、大丈夫です」
……そう思っていたのだが、しかしジゼルは自信満々に言い切った。
「……根拠は?」
「声の主が、巨大なワイバーンだからです」
ちらりと、今しがた倒したワイバーンを見る……確かにかなり大きい。最初に見た小ワイバーンの、ざっと二倍半はある。
「魔物も馬鹿ではありません。後から乱入されたのでもない限り、自ら強者の前に出てくるなんて愚かな真似はしませんよ。それは同族も然りです」
「同族?」
「私の見立てでは、そのワイバーンは中層でもトップクラスに強力な個体です。それが咆哮していた場所に、他のワイバーンが近付いてくる事はまずあり得ません」
―――ガサガサ! バキ! バキバキバキ!
―――ドスン、ドスン、ドスン、ドスン……
「……でもまあ、もしかしたら」
そこで言葉を切り、ジゼルは音のした方へと振り向いた。
「そのワイバーンより強い魔物は、呼び寄せてしまうかもしれませんが」