第2話:オッサン・ミーツ……?
ブックマークばかりか、評価まで頂けるとは……本当に、ありがとうございます。
◆ ◇ ◇
『精霊の泉の物語』。グラで子供の読み聞かせによく使われる、おとぎ話の一種だ。
善行を積み上げ、心を綺麗に保つ事の大切さを説き。悪行を積み重ね、心が黒く染まる事の悲惨さを訴える内容が含まれている。一般向けには優しく改変されているが、原作はかなり内容が重いと評判の物語だ。
勧善懲悪もの、とでも言うべきか。最後に主人公が精霊の力を借りて、悪人を倒すシーンなど原作ではなかなかエゲツない表現が盛り込まれている。腕が吹っ飛んだり、足が千切れたり、串刺しにされたり……。
心が綺麗って何だろうな、と思う事うけあいだ。だからなのだろう、そのシーンは一般向けでは、かなりホンワカとした内容に書き換えられている。
……もちろん、これらは全て空想の中の話だ。決して現実に起こった事ではないし、精霊なんて居るわけがない。
それでも、目の前にある小さな泉を見ると信じてしまいそうになる。
おとぎ話の中の精霊―――純真な心を持つ者に力を与えるという、超常の存在を。
◇ ◆ ◇
俺がその泉を見つけたのは、だいたい三年くらい前の話だ。
たまたまその日は薬草の集まりが悪く、獣道を奥へ奥へと進んで……気付けば、後ろにあったはずの道が綺麗さっぱりと消え失せていた。
あの時は、さすがに焦ったな。ベアーという明確な脅威が居る森に、一人取り残される恐怖……しかも、今まで足を踏み入れた事が無いほどに深い場所。ベアーより強力な魔物と遭う可能性も、無いとは言えなかった。
そんな中、震える口で口笛を吹きながら獣道を進み……綺麗に澄んだ、この小さな泉を見つけた。
広さは俺の部屋くらい、一周歩くのに三十秒とかからないほどの小さな泉。周囲はなぜだか開けており、水が微かに光を放っていて神秘的な雰囲気がする場所だった。
さらに、泉のほとりには小さな祠らしきものが。その時はだいぶ朽ち果てていて、ほとんど原型を留めていなかった。
……ここで、不思議と俺は『祠を直さなくては』と思い立った。森の木を切るのは忍びなかったので、町で木材を買い……森に持ち込んでは、少しずつ祠を修繕していった。元の形が分からなかったので、そこは俺の村にあった祠を参考に直した。
そうして泉に通い詰める事、三年。祠の修繕は済み、泉の水で毎日拭いているからか新品同様の煌きを放っている。
「よっと……」
老け込むにはまだ早いが、それでももう三十八だ。屈んで小さな祠一つ拭くのも、結構キツイものがある。
……だが、ここ三年ほぼ毎日続けてきた事だ。今更やめようとは思わない。
清潔な布を泉に浸し、祠を丹念に磨いていく。観音開きに三角屋根、壁に土台に梁に屋根裏と、光沢が出るまで徹底的に磨き上げていく。
―――ガサガサ……
「……ん?」
草揺れの音……魔物か!?
―――ガサリ!
「!!」
とっさに振り向き、剣を引き抜き……音の正体を見て、剣を収める。
……すごい美人が、そこに立っていた。
肩口で揃えられた金髪には、緩くウェーブがかかり。翡翠色の瞳はまるでエメラルドのよう。やや幼げな顔立ちながら背は高く、出るとこはそれなりに出て、引っ込むところはきっちり引っ込んだ見事な体躯。背負った長槍は淡く白銀色に輝いているように見える。
そして何より目立つのは、先が尖った一対の長耳。
そう、その美人は人間族ではなかった。
長寿と魔法と美の種族―――エルフ族だった。肌が白いので『ホワイトエルフ』と呼ばれる種だろう。
「………」
そのホワイトエルフの女性が、無言のまま歩み寄ってくる。
そして、俺の前で立ち止まったかと思えば……俺の下から上までを、その宝石のような眼で嘗め回すように見つめてきた。普通ならムラムラするとこなんだろうが、残念ながら俺はとうの昔に枯れ果てて、そういう欲望なんぞ跡形も残っていない。美人からの熱視線も、ただくすぐったく感じるだけだ。
「……なるほど、そういう……」
そう呟いた後、エルフ女性はうーんと唸りながら考え込み始めてしまった。
「……あの~?」
「……う~ん……」
「もしも~し?」
「……う~ん……」
「お~い?」
「……う~ん……」
……ダメだこりゃ、完全に自分の世界へ入り込んでやがる。目は開いてんのに、目の前で手を振っても全く反応してくれやしねえ。
はあ、これはしばらくほっとくしかないか。いきなりなんだってんだよ、ったく……。
◇ ◇ ◆
「申し訳ありません、あれは私の癖でして……直したいとは常々思っているのですが、つい」
あれから十分ほど、うんうん唸っていたエルフ女性だっだが……唐突に我に返ると、申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「いや、別に、構わないぞ。特に、害が、あったわけでも、ないしな……っと」
屈んで祠を磨きつつ答えを返し……一通り終わったので出来映えを確認することにした。
……よし、なかなか良い感じだ。これで今日のお務めは終わりだな。
「……俺はラング・シュバイツァー。王都グラで、しがないFランク探索者をやってる。あんたは?」
立ち上がり、彼女と向き合う。
……見れば見るほど、不思議な眼だ。魂の根底まで見透かしそうな、神聖な雰囲気さえ感じる。
「私は、ジゼル・レアンドルと申します」
「ジゼル……?」
なんか、どっかで聞いた事あるような名前だな……どこだっけか? うーん、思い出せん。
「……まあいいか。それで、ジゼルは何の用でここに?」
「泉の様子を見に来ました」
「泉……もしかして、これのことか?」
後ろの泉を指差す。泉は変わらず、淡く輝く水を湛えて……ん? 今、少しだけ光が強くなったような……?
「あれ、泉のよう「うわぁ、祠がすごく立派になってます!」すが……」
だが、その疑問は目をキラキラさせたジゼルによって遮られた。彼女の視線は、今しがた拭き終えてピカピカな祠へと向けられている。
「……あ、ああ、これか? だいぶ朽ちてて気になったんで、俺が直しておいた」
「それ、いつぐらいの事ですか?」
「ん~、三年ぐらい前かなぁ……それからは、ずっとここに通い詰めてる。来れない日もあるが、ほぼ毎日な」
「それで……」
祠を見ていたジゼルが、こちらへと振り向く。
「あの、ありがとうございました」
……びっくりするほど混じりけの無い、純粋な笑顔を浮かべて。
「……は? え、俺か?」
「私とラングさん以外、ここには誰もいませんよ?」
「いや、まあ、そうなんだが……ど、どういたし、まして?」
「ふふっ、顔が赤いですよ?」
「!?!?」
そりゃそうだ。ここ十何年と、心からのお礼を言われたことが無かったからなぁ。そうか、人に感謝されるってこんなにも……。
「嬉しい事、だったのか……」
正直、忘れかけてたよ。薬草採るのはいつも一人、ギルドでも外でも、向けられるのは嘲笑と嫌悪ばかりだったから。
「………」
「……ふふっ」
いや、ニコニコしてるとこ悪いが……俺は泣かないぞ? 涙も欲望と同じく、とうの昔に枯れてるからな。
ただ、嬉しい事には違いない。随分と久しぶりに、人の善意に触れられたのだから。
「むうぅぅ……まあ、そういう事にしておきましょうか」
ジゼルが、やや不満げに頬を膨らませる。その様子が、なんだか妙に可笑しくて―――
「……ぷっ、あはははは! な、なんだそれ、子供かよ! 頬プクゥとか本当にやるヤツいたのかよ、しかもエルフで、あは、あはははは!」
「あっ! ちょっと、笑わないでよ! 私はこれでも真剣なんだから!」
「あはははは……ひぃー、ひぃー……ぷっ、あはははははははは!」
「やーめーてーよー!」
プンスカと頬を膨らませたジゼルの横で、腹の底から大声で笑う。
……ああ、こうして楽しい時間を誰かと過ごすのも、何十年振りだろうな……。