第1話:薬草採りの依頼
◆ ◇ ◇
俺の朝は、すこぶる早い。子供の頃から早起きで、いつも陽が昇る前に起きては、無我夢中で木剣を振っていたものだ。
その習慣は、三十八歳となった今でも変わらない。暗いうちから起き、愛用の鉄剣片手に宿の庭へ出て、お天道さんが顔を覗かせるまで振り込む。そして、その後にギルドへ『薬草採り』の依頼を請けに行くのだ。
ちなみに、そんな俺の姿をなぜか宿の主人はずっと見ている。理由は教えてくれなかったが、一切口出ししてこないので気にしない事にしている。
「……はい、それでは薬草採りの依頼、受注を確認しました。いつものように、よろしくお願いします」
「ああ」
カウンターにて、受付嬢と短くやり取りを交わす。長くギルドに居る必要も無いので、そのまま入口へと向かった。
「へっ、あのオッサンまた『草むしり』しに行くみたいだぜ?」
「割のいい仕事だよな~、半日地面這いずり回って銀貨一枚なんて」
「探索者のプライドってもんが無いのかねぇ? あ、あれ探索者じゃなくて『草むしり業者』だったわ、ギャハハ!」
「………」
嘲りの言葉に聞こえていないフリをし、ギルドを出て東へ進む。
目指すは、三番通りの先にある東門。そこを出てすぐの所に、『ジャクラの森』という薬草がよく採れる森があるのだ。
これまた二十年愛用している皮鎧の具合を確認しつつ、先を急ぐ。あまり遅くなると、東門に人がごった返してしまうからな。
◇ ◆ ◇
「はい、ラングさんねどうぞどうぞ」
「ああ」
鉄の胸当てと槍を装備した、顔馴染みの門番に探索者カード―――探索者ギルドから発行される身分証を見せた。こいつが新人門番だった時から、かれこれ十六年近い付き合いになる。
だからなのか、ここ数年は対応も適当だ。まあ、こちらを蔑むような視線は感じないから気楽でいいが。
「今日も薬草採りか?」
「ああ」
「ま、お互い頑張ろうぜ」
二言三言、言葉を交わしてからその場を離れる。ふと見れば、その門番は既に別の所へ対応に行っているようだ。
東門は、王都で一番出入りが多い門だからなぁ……あまり長居して、変なのに絡まれないとも限らな―――
「……うわ、『草むしり業者』を見ちまった。幸先悪いなぁもう」
「小汚いオッサンです。運気下がりそうです」
「なあ、アレここで燃やしちゃってもいいか? すっごく目障りで不愉快なんだけど」
「ちょっと、やめなって。あんなでも王都民なんだから、人殺しになんてなりたくないわ」
「ちっ……」
「………」
依頼帰りと思しき探索者パーティと、目を合わせないようにすれ違う。ボソボソと何か言っているが、幸いこちらに危害を加えるつもりは無いようだ。
……確か、あれは最近売り出し中の四人組探索者パーティ『雷明』だったか。若いながらも実力があり、メンバーの探索者ランクは全員がC以上らしい。
特に、リーダーのアツシ。異世界から来た人間ともっぱらの噂で、強力な光属性の剣を扱うんだとか。探索者ランクも堂々のBと、ここ十年で一番の有望株とみなされているらしい。
……後は、他のパーティメンバー三人が美女美少女ばかりだってところか。ハーレムってやつだろうか、俺はとうの昔に、そういう夢とか欲とか枯れ果てちまったからな……何が良いのか、よく分からん。
「……ま、いいか」
後輩に追い抜かれて悔しい気持ちが無い、と言えば嘘になるが……できない事を高望みしても仕方がない。俺は俺、あいつらはあいつらだ。
俺は、生きるために今日できる事をする。一人の探索者として、できる事を黙々とする。ただ、それだけだ。
◇ ◇ ◆
街道を東に十分ほど進み、そこから道を離れて北に進むこと、さらに十分。
俺は、ジャクラの森へとやってきた。相変わらず青々と草木が生い茂り、視界は殆ど無いに等しい。
……だが、俺は知っている。ここには、魔物達の行き交う獣道がある事を。
「よし、あったあった」
草むらを少し掻き分けてみれば……ほらあった、多分ベアーでも通ったのだろう。幅広く草が倒され、道が森の奥までずっと続いている。
「~~♪~♪~~♪~~」
ベアーはEランク相当の魔物だ。Fランク探索者でも十分倒せるが、最低六人は必要になる。俺としては避けたい強敵だ。
でも、あいつらは音に敏感で、かつ臆病なので大きな音を出し続ければまず遭遇しない。本当は音の鳴る魔道具でもあればいいんだが、アレ高いからなぁ……。
なので、盛大に口笛を吹きながら獣道を進んでいく。この方法で、俺はこの十年間一度もベアーに遭遇した事はない。
「~~♪~♪~~♪~~っと、薬草発見♪」
そんな道中に、ひっそりと生えている薬草(正式名称はケガナオール草。もう少しマシな名前は無かったのか……?)をせっせと採取していく。場所が良ければそのまま引っこ抜けるが、どうしても無理な時は根元で切って背負い袋に入れていく。切ると汁が飛び散るから、あまりしたくはないが。
あとは獣道を三十分も歩けば、背負い袋は薬草で満タンになるだろう。よし、今日は魔物も居なくて順調だな―――
「ギャッギャッギャッ!」
―――東門の時もそうだったけど、こういうのをフラグって言うんだろうな。今後、余計な事は一切考えないようにしよう。
……なんて下らない事を考えている間に、獣道へ一匹の魔物が躍り出てきた。
茶色の肌に、醜悪な顔つき。薄汚れた草蓑を腰に巻き、鋭い爪を立ててこちらを威嚇する小柄な魔物。
Fランクモンスターでも最弱級、ゴブリンが俺の前に立ち塞がった。
「………」
腰鞘から、愛用の鉄剣を引き抜く。いくら万年Fランクのレベル3とはいえ、ゴブリンに後れをとるほどヤワじゃない。むしろ、武器の損耗を考えて相手できる程度には余裕がある。
ゆっくりと屈み、手近にあった石を左手で拾う。先が尖っていて、当たればかなり痛そうだ。
「……ふっ!」
「ギャブゥッ!?」
そのままゴブリンの顔面目掛け、石を投げる。利き腕とは逆だが、そこは宿でのコイン弾きで慣れたもの。投擲はお手の物だ。
見事、鼻っ面に石が直撃し、ゴブリンはフラフラしながら後ずさる。その隙を逃さない。
「……はっ!」
一息で駆け寄り、狙うは心臓。ゴブリンは身体構造が人間に似ていて、内臓の位置や骨格も人間とほぼ同じ。正中を支える骨は特に丈夫で固い。
だからこそ、首なんぞ刎ねたら剣が欠けてしまう。刃を寝かせて心臓を突く方が、圧倒的に楽で武器も損耗しない。
未だに鼻を抑えるゴブリンに肉薄し、小さく突きを繰り出した。
―――ズブリ!
嫌な音と生々しい感触を残し、鉄剣が深々とゴブリンに突き刺さる。びくりと体を震わせたゴブリンへ、追い打ちをかけるように少し剣を捩じった。
そして、ゆっくりと剣を引き抜く。断末魔の悲鳴を上げる事も無く、ゴブリンは仰向けに倒れ込んだ。緑色の血を噴き出し、ピクリとも動かない。
「……ふぅ」
辺りを見回し、他に魔物が居ない事を確認して息を吐いた。背負い袋に巻きつけた布を取り外し、剣に付いたゴブリンの血を拭き取る。
……口笛を吹き続ける関係上、ベアー以外の魔物は音でおびき寄せてしまう。ただ、ジャクラの森にはベアーより強い魔物がおらず、それ以外は俺一人で倒せる程度のモンスターしか居ない。そして獣道は毎日ルートが変わるので、薬草が尽きる心配も無い。
まさにここは、俺のために誂えられたような場所ってわけだ。
「……よし、~~♪~♪~~♪~~」
口笛を再開し、さらに獣道を奥へと進む。
それからは魔物と遭遇する事も無く、背負い袋は薬草で一杯になった。さて、それじゃあグラへ帰還―――
「―――とはならないんだよな、これが」
来た道へは戻らず、そのまま獣道の奥へと進む。
獣道は毎日ルートが細かく変わっていくが、行きつく先はいつも同じ。その場所こそ、ジャクラの森の最深部であり……今では、俺がこの森へ足繁く通う最大の理由ともなっている。
さて、それじゃあ行こうか。
……小さな小さな、森の泉へ。