第10話:黒き翼の竜
リアルが忙しかったため、少々短めです。
ご了承下さい。
◆ ◇
ライトの魔法に照らし出された、黒き翼―――ブラックワイバーンの口が、大きく開いた。その喉奥に、赤い何かが集まってくる。
……凄まじく、嫌な予感がした。
「―――跳んで!!」
切羽詰まったジゼルの声に、反射的に横へと身を投げた、その瞬間―――
「ガアァ!」
―――ゴウッ!
―――ドガアァァァン!!
黒翼竜の口から、灼熱の火球が吐き出された。それは、正確にさっきまで俺が居た所を射抜き―――爆発。そこにあった聖域発生装置を、猛烈な爆炎で包み込んだ。
……肌がチリチリする、恐ろしい熱量だ。あんなものが直撃したら、一発で丸焦げの死体が出来上がってしまう。
「くっ……あいつ、火球も吐けるのか!?」
火属性の魔法は、速度は遅いが威力はダントツに高い。
そしてこの火球、おそらくは岩傘を割った一撃だ。その証拠に、周りに散らばる岩の塊、その表面がことごとく焦げ付いている。
……そして、この一撃でよく分かった。
あいつは―――ブラックワイバーンは、ワイバーンやマーダーベアーなんぞとは桁違いの強さを持っている。ちょっとでも意識を逸らした瞬間、魂の欠片まで焼き尽くされてしまいそうだ。
それほどの存在感、それほどの威圧感、それほどの恐怖感。マーダーベアーの時以上に、足がすくみ上がる。
これが、Aランクの魔物。本当の意味での『怪物』と呼ばれる、トップクラスの魔物の強さ―――。
「………」
……スッ、と俺の前にジゼルが立った。ちょうどブラックワイバーンとの間を塞ぐように、華奢な背中が俺の視界に映る。
「すみません、先ほどは取り乱してしまって。ですが……」
金糸のような髪がフワリと揺れ、翡翠色の瞳がこちらをチラリと覗き見る。その横顔には、薄っすらと苦笑いが浮かんでいた。
……彼女の背中が、今はやけに大きく見えた。
「もう、ここからは大丈夫です。私がブラックワイバーンを仕留めますから」
「ああ、任せるよ」
だから、彼女に任せよう。さすがにこいつは、俺の手に負える相手じゃない。
……まあ、ゴセット峡谷で俺の手に負える魔物なんて、一匹たりとも居ないんだけどな。
「ふふっ、了解です。任されました」
―――この時、俺はテンパっていて気付かなかった。
周りに散らばる岩の欠片。黒く焦げたそこに、細かな傷が大量に付いていた事に。
◇ ◆
ジゼルとブラックワイバーンの攻防は、一進一退だった。
普通に戦えば、ジゼルの圧勝だっただろう。だが自由に飛び回れるブラックワイバーンと違い、ジゼルは後ろに俺がいる。度々飛んでくる闇球や火球を防がなければならず、彼女の位置は俺のごく近くに縫い付けられていた。
それでも、彼女は接近戦をこなせる魔法士である。
「『フラッシュレイ』!」
ジゼルの両手に一つずつ、眩い光を放つ珠が現れる。それはどんどんと光度を増していき―――やがて臨界点を超え、白く輝く二条のレーザーがそこから放たれる。
ブラックワイバーンの弱点である、光属性魔法。しかしそれを読んでいたのか、ブラックワイバーンが闇球を二連射し……闇球を貫通したレーザーは、どちらも明後日の方向へと曲げられてしまった。
続けて、三連射の火球が飛来する。
「『ウォーターフォール』! 『ダウンバースト』!」
それを圧倒的水量を誇る水の壁で掻き消し、次いで強烈な下降気流を発生させる魔法を重ね掛けするが……。
「……う~ん、効きませんか」
僅かに体勢は崩しているものの、ブラックワイバーンは変わらず空に居た。激しく渦巻く乱気流の中、紫色の瞳が爛々とこちらを見据えている。
忙しなく動く二対四枚の翼は、どうやら単なる飾りではないらしい。恐ろしいほどの空中姿勢制御力だ。
「これだけ上級魔法を放っているのに効き目が薄い、か。まさか『特殊個体』? 埒が明かないわね……」
俺を背に、ジゼルが忌々しげに呟いた。
……何か、俺にできる事は無いのだろうか?
今の俺は、置石どころかジゼルの枷だ。本来なら楽勝であろう相手に、無用な苦戦を強いている。何か、何か……。
「……仕方がありません。本来なら使うつもりは無かったのですが……」
「……? どうしたんだ?」
「天級魔法を、解禁します」
天級魔法。それは世界で十数人しか扱えないという、上級より一ランク上の魔法。噂ではAランクモンスターを一撃で仕留め、Sランクにすら有効打を与えるほどの威力があるらしい。
……まあ、ジゼルなら使えそうな気はしていたが。ただし……。
「この場で詠唱できるのか?」
詠唱に最短五分はかかり、どちらかと言えば戦略兵器といった趣が強いと聞いた事がある。入念な下準備と十分な護衛、そして放つタイミングを見極めてこそ、それは輝くのだと。
そういうわけで、天級魔法の使い手はほぼ全員が軍所属。軍に在籍しているだけで、存在そのものが他国への牽制になるんだとか。
天級魔法とは、それほどの代物だ。それをこの状況で使うなんて……そんなこと、できるのか?
「はい、できます」
「どれくらいかかる?」
「五秒あれば使えます」
「五秒か……え?」
五秒……五秒!?
「嘘だろ!?」
「こんな状況で嘘吐けるほど、私は図太くありませんよ?」
「そりゃ、まあ……そうだろうけど……」
ジゼルが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
……本当に五秒で使えるのなら、こういう状況でも確かに有効だろう。
それでも、詠唱中は完全に無防備になる。いくら五秒とは言え、Aランクモンスター相手に致命的な隙を晒すと言うのは……。
「………」
……仕方ない、な。
不肖、Fランクの底辺探索者だが、ここが男の見せ所ってか。
「……なら、せめて俺が囮になろう。それで少しは時間が稼げるはずだ」
ブラックワイバーンは、魔物にしてはかなり賢い。ここまでのやり取りで、ジゼルの強さは十分に理解しているだろう。俺という枷込みでなければ、勝ち目が薄いだろう事も含めて。
だから、俺がジゼルから離れたならば。ブラックワイバーンは、おそらく弱者である俺を狙ってくるはず。詠唱を始めたジゼルを見て、どう判断してくるかがイマイチ読めないが……まあ、それでも俺を狙う可能性が高いと踏んでいる。
ワイバーンは、動くものに対して強く反応するからだ。それは多分、ブラックワイバーンも同じだろう。チョロチョロと軽く挑発してやれば、こちらへ意識が向くに違いない。
「……危険ですよ?」
「もちろん、危険を承知で言っている。それに、勝算が無いわけでもないしな」
火球や闇球は、威力が高い代わりに予備動作が分かりやすく、弾速もそれほどでもない。Fランクの俺が、予兆を見てから十分避けられる程度でしかない。ついでに、この乱気流の中なら急降下攻撃という選択肢も外せる。回避できる可能性は十分に高い。
……それでも、ジゼルは俊巡している。守ると言った手前、俺を危険に晒す事を躊躇しているのかもしれない。
「俺も、見てるだけってのは嫌なのさ。情けない中年男だが、少しは良いカッコさせてくれ」
「……それが、一番良さそうですね……分かりました」
渋々といった様子ながら、ジゼルが頷いた。
……さて、それじゃあ興じるとしようかね。
Aランクモンスターとの、命を懸けた鬼ごっこに。