プロローグ:草むしり探索者、ラング
◆ ◇ ◇
俺の名前はラング・シュバイツァー、辺境の村出身の探索者だ。
俺は、俺の名前の響きが好きだった。
ラングという、かっこよくもどこか悪役っぽさを感じる名前も。
シュバイツァーという、まるで物語に出てくる騎士のような苗字も。
とても、大好きだった。
ゆえに、俺は『強い生き様』というものに憧れた。
深き業を背負った、ダークヒーロー。どれほど後ろ指を差されようと、ただ非力な者のために戦う影の勇者。
強く、気高く、潔く。常に主のために振舞い、必要とあらば命を賭してでも主の間違いを正す、最高の騎士。
そして何より、探索者。時に魔物を打ち倒し、時にダンジョンに潜ってお宝を探し、罠を華麗に掻い潜る姿に憧れた。特に、最高の探索者と呼ばれる『勇者』アグロスの話が大好きだった。
本で読んだ、それら物語の登場人物に憧れ―――いつの間にか、俺は探索者を志していた。
強い探索者になり、幾つものお宝を手に入れ、誰にも負けない名声を得る自分の姿を空想していた。
十八歳になり、成人した俺は村を離れ、王都へと飛び出す。空想の中の自分を、現実のものとするために。
……そして、今。
かつての夢は完全に潰え、俺は万年Fランクの草むしり探索者と成り下がってしまった―――。
◇ ◆ ◇
「……これが報酬の銀貨一枚です、お納め下さい」
「どうも」
事務的で平坦な声と共に、カウンターへ粗雑に置かれる一枚の銀貨。それをパッと握り取ると、そそくさとその場をあとにする。
受付嬢の顔は、見ない。見なくても、分かる。
侮蔑と嫌悪の色。彼女に浮かんでいるのは、間違いなくそういう類の表情だ。
そしてそれは、なにも受付嬢に限った事ではない。
「おい、また『草むしり業者』が来てんぞ」
「どうせ、今日もソロで薬草採りだろ?」
「ま、そうだろうなぁ。ヒャハハ、パーティも組めないとか可哀そう~」
「ははっ、じゃあお前がパーティ組んでやれよ」
「『レベル上がんない病』がうつるからヤダね」
「だろうな、ハハハ!」
「………」
わざわざ俺に聞こえるように、声を大きくして話す他の探索者達。まあ、全部事実だから言い返す余地も無いんだけどな。
俺が探索者になって、はや二十年。三十八歳になり、数多の魔物を倒してきたはずの俺のレベルは、未だに3で止まっている。体質なのか、どうも俺は他の奴よりレベルが上がりにくいようなのだ。
ただし、俺の場合はそれが半端ではない。レベル1から探索者生活をスタートさせた同期組が、現在軒並みレベル50を超えていると言えば、その上がりにくさを分かってもらえるだろうか?
そのせいで、最初に加入したパーティを追い出され……しかも、その追い出され方が良くなかった。
白昼ギルドのど真ん中、カウンターの前でリーダーから『レベル上がんない病の奴とは、もうパーティは組めない。うつる。出ていけ!』と大声で罵られ、他のパーティメンバーからは『足手まといが居なくなってせいせいするよ』『荷物持ちにも使えないゴミは消えて』『何度、ダンジョンに置いてこうと思ったか』と辛辣なお言葉。それを、周りにいた同業者達に聞かれてしまったのだ。
おかげで、今日も俺はソロで薬草採り。こんな生活を、もう十八年は続けている。
……誰に語ってんだろうな、俺。馬鹿にされすぎて脳みそ狂ったか、ハハ。
「………」
無言のまま、探索者ギルドを出る。目指すは、俺が贔屓にしている安宿―――銅貨一枚で泊まれるボロ宿だ。
◇ ◇ ◆
聖アリエスタ王国、王都グラ。
王様が住む城を中心に、街の最外郭を高い石壁が真円に囲む。その間は異国の料理ピッツァのように、十二本の大通りで等しく放射状に区切られている。
更に、その大通りは真北を十二番とし、そこから時計回りに一番、二番、三番……の順に番号が割り振られている。おかげで王都に慣れていない人でも、目的地まで簡単に辿り着けるようになっているのだ。
「ねぇママ~、あの人なんか変」
「しっ、見ちゃだめ。さ、帰るわよ」
「………」
陽は大きく西に傾き、八番通りに人は少ない。
……だからこそ目立ってしまう、俺の姿。
泥だらけの服に、ツギハギだらけの皮鎧と皮のブーツ。鞘入りの鉄剣を腰に下げ、それら全てが薬草の汁でベタベタになっている。さらに、今日はゴブリンとコボルドも討伐したので、緑色の返り血まで付いてしまっている。
一応、王都の法律では抜き身の刃を晒さない限り、罪に問われる事はない。だが、その怪しすぎる格好も相まって、剣を差した俺に近付く者は皆無だった。
ギルドから八番通りを下ること、およそ十分。特に何も起こらないまま、俺は目的の安宿に辿り着く。
それは、『宿だ』と言われなければ宿屋として認識できないようなボロ家。木の壁は蔓草に覆われ、掲げられた看板は盛大に傾き、屋根は所々ひび割れ―――しかし雨漏りは決してしないという、魔訶不思議な宿。一泊一食付きで銅貨一枚という、商売する気が感じられないような安さが魅力の宿だ。
そして、銀貨一枚は銅貨十枚と等価だ。これで十日……とまでは言わないが、五日はひもじい思いをしなくて済む。
「……戻ったぞ」
いつものように、ギイィと音がする扉を開けて中に入る。
「………」
そこに不愛想なオヤジ店主が居て、顎だけでボロいカウンター上に置かれた木籠をしゃくるのも、まあいつもの事だ。
だから、俺もいつも通りの行動をとる。距離はそこそこ離れているが、そこは俺も慣れたもの―――懐から銅貨を取り出し、狙いを定めて指で弾く。
まるで吸い込まれるかのように、ブロンズの輝きが籠へと入っていった。
「………」
それに一つ頷くと、店主はまた視線を虚空に揺らし始める。それを確認してから、俺は半ば間借り状態となっている自室へ向かった。
建付けの悪い扉を開け、部屋の中へと入る。それなりに整った布団と棚が一つずつ……それ以外には微々たる荷物しかない、質素な部屋の真ん中にどっかと座った。
そして、愛用の鉄剣を鞘から抜く。村を飛び出す前から、もう二十五年来使い続けた相棒だ。ずっと砥石で磨いてきたからか、だいぶ厚みが減ってきてはいるが……よし、まだまだいけそうだな。
砥石と水を荷物から取り出し、丁寧に磨き上げていく。魔物の血や草の汁でくすんだ色合いが、徐々に輝きを取り戻していくたび―――何とも言えない充実感が、俺の心に広がっていく。
剣の後は、当然鎧とブーツだ。解れた箇所は裁縫し直し、汁と血は丁寧に落とす。これを怠ると、すぐダメになるから手は抜けない。
夢破れ、万年Fランクの草むしり探索者と成り果てた俺の、一番の楽しみ。それが装備の手入れなのだ。初めて剣を握った日から、一日も欠かした事は無い。
俺は、日が落ちて辺りを闇が支配するまで、延々と装備を直し続けた。
『……いつも、ありがとう』
なんだか、そう言って貰えてるような気がした。