人生を取り戻せ
二千十六年、十二月三十日、早朝。
佐田俊介はなんとかスーツを着た男二人から、逃げ切り、廃病院がある山の茂みに身を隠していた。
佐田俊介は辺りを警戒しながら、黒いバッグの中身を改めて見直した。中には佐田が見たことない、大量の札束が入っていた。
佐田は笑いが止まらなかった。まさか、自分がこんな大量のお金を手にするなんて最近まで考えられなかったからだ。
佐田は中に入っている札束の枚数を数えた。一束、百万円だとして、一億円がバッグの中に入っていた。お金を数え終えた時、佐田は腰を抜かしそうになった。
佐田はお金の使い道を考えた。まずは、ギャンブルで増えていった借金の返済。そして、当面の生活費。しばらくは遊んで暮らせるだろう。さらに、ギャンブルで使ったお金以外にも借金があった佐田はその返済の事も考えた。
そして、この一億円があれば、妻と娘も戻ってきてくれるはずだと佐田は考えた。
佐田は娘に、今までろくな物を買ってあげられなかった事を後悔していた。このお金で娘の欲しい物を何でも買ってあげようと考えた。佐田の未来に希望が見えてきた。
「惨めなアルバイト生活ともおさらばだ」
佐田はにやけながら、そう呟いた。
しかし、その時、佐田の左足に激痛が走った。佐田は木から飛び降りた時に、左足を負傷していた。もしかしたら折れてるのかもしれないと、佐田は思った。
佐田は冷静になって、考えた。まずは喜びに浸る前に、奴らから逃げ切るのが先だと。
佐田はこの左足では、歩いて逃げることは難しいと考えた。なんとか右足は使えるので、車で逃げることはできないか。
そして、佐田は思い出した。廃病院の前に自分の車を置きっぱなしだという事を。佐田の額に冷や汗が湧き出た。
何とかして、自分の車を取り戻しに行かねばと佐田は考えた。しかし、それにはいくつか問題があった。車を取り戻すという事は、またあの廃病院に戻らなければいけないのだ。もちろん、まだあのスーツを着た男二人が待ち伏せしている可能性も高い。
考えていてもしょうがないので、佐田は一か八か廃病院に戻ることにした。
佐田は左足を引きずりながらも、なんとか廃病院の近くまでたどり着いた。想定していたよりも時間が掛かり、時間はお昼の十二時を回っていた。
佐田は近くの茂みに隠れながら、自分が車を駐車した場所を確認した。すると、まだ停めていた場所に佐田の車はあった。
しかし、佐田の車とは別にもう一台の車も停まっていた。まだ奴らがいる。佐田はそう確信した。
車の周辺には人の気配はなかった。佐田は一か八か、ゆっくり忍び足で自分の車へと近づいた。
何とか、無事に自分の車に乗車した佐田は、すぐさま車を走らせた。
「やったぜ!ざまぁみろ!」
佐田は喜びの余り、車内で大きな声で叫んだ。佐田はとにかく、遠くへ逃げようと考え、車のスピードを上げた。
しかし、そううまくもいかなかった。
佐田の運転する車は山を下りて、しばらく走った場所でエンストしてしまった。
「ふざけんな!」
佐田は思わず、車のハンドルを思いっきり叩いた。
佐田は一旦、車から降りて、途方に暮れた。とりあえず、自分を落ち着かせるために、ポケットから煙草を出し、火をつけて、煙を肺に吸い込んだ。
これからどうしようか。佐田は必死に考えた。時間は午後の三時を回っていた。辺りを見渡しても、右側には海と、左側には山があるだけだった。
佐田の車が走っていた、この大きな道路も他の車が通る気配は全くなかった。しばらく考えた佐田は車は諦めることにした。
佐田は一億円の入った大きな黒いバッグを持ち、海沿いの道をひたすらに歩いた。
佐田は歩いている間に、自分の人生を振り返り、悲観していた。
佐田俊介の実家は街で小さい工場を営んでいた。
両親は真面目で働き者であり、お金はなくとも、佐田の家族は幸せに暮らしていた。
しかし、佐田が中学生の頃、たびたび実家の工場に借金の取り立て屋が押し入ってくることがあった。佐田の実家の工場には借金があったのだ。
中学生の佐田は自分の両親が取り立て屋に頭を深々と下げ、返済の期間を待ってほしいと頼み込む姿を何度も目撃した。
佐田はそれを見て、とても心が痛んだ。いつか自分が働けるようになった時に、沢山お金を稼いで、家族を少しでも援助しようと、その時、佐田は誓っていた。
それから佐田は必死に勉強をした。いい大学を出て、大企業に就職する為、佐田はただ、ひたすらに勉強をした。
そして、佐田は高校三年生になり、大学受験へと挑んだ。
しかし、佐田は希望の大学に落ち、受験は失敗した。
佐田は思い知った。努力は必ずしも、報われるわけではないという事を。佐田はそれでも滑り止めで受けていた大学には入学した。
佐田は大学四年生になり、夢だった大企業とはいかなかったが、無事、就職が決まった。
大学の卒業式の日、佐田が自宅に帰ると、両親の姿が見当たらなかった。
不思議に思った佐田は自宅と一緒になっている工場に両親を探しに行った。
両親は自宅の工場で首を吊っていた。佐田はその場に、膝をついた。
佐田は後に知ったが、佐田の両親は佐田を大学に行かせる為に、さらに借金を増やしていた。
両親が首を吊っていた現場の足元には、小さい紙切れが置いてあった。そこには「ごめんね」と一言だけ書いてあった。
佐田は両親の残した借金も背負うことになってしまった。
あまりに多額な借金に、当初の佐田は自殺も考えた。しかし、両親が大好きだった佐田は、両親が苦労して育ててくれた自分の身体を粗末にはできなかった。
佐田は精一杯生きることにした。どんな事があっても、生きて、天国の両親を安心させてやりたいと思った。
佐田が就職して、しばらく経った時、現在の奥さんと出会った。
佐田の会社で事務職をしていた彼女とはとても気が合い、付き合うことになった。
付き合って、数年が経ち、いよいよ結婚となった時に、佐田は悩んでいた。それは、彼女に両親が残した借金の事を打ち明けるべきかどうか、悩んでいたのだ。
結果、佐田は彼女に借金の事を打ち明けた。彼女は意外にも、それでもいいと言ってくれた。
佐田は涙した。絶対に拒絶され、彼女は離れて行ってしまうと思っていたからだ。むしろ、それどころか、彼女は一緒に支え合って借金を共に返済していこうとまで言ってくれた。佐田は彼女の為にも精一杯、働こうと思った。
それからしばらくして、二人はめでたく結婚した。子供にも恵まれ、幸せだった。借金のせいで、貧乏だったが、それでも佐田は幸せだった。まるで両親が生きていた頃の、佐田の家庭そのものであった。
しかし、その幸せは一瞬にして、崩れ去ってしまった。そう、二千十六年、佐田の勤めていた会社が倒産したのだ。
佐田はすぐに転職活動を始めたが、結果は無残にも全滅であった。佐田は仕方なしにアルバイトを始めた。
妻はそれでも一緒に乗り越えようと言ってくれた。しかし、佐田が少しでもお金を増やそうと、人生で初めて、パチンコや競馬に手を出してしまったのが間違いだった。
佐田はギャンブルで負けても負けても、お金をつぎ込んでしまった。そう、完全にギャンブル依存症になってしまったのだ。
それを見かねた妻は、ついに佐田に対して、愛想をつかせてしまった。
妻は娘を連れて家を出て行ってしまった。唯一、佐田が大切にしていたものまで、ついに失ってしまった。
佐田は海沿いの道をひたすら歩きながら、自分の人生に悔いが沢山あると再確認した。
そして、絶対、この一億円で失ってしまった大切なものを取り返すと、心に誓ったのであった。
佐田は、五時間ほど歩いたであろうか。何もなかった道沿いに、食堂が一軒ぽつんと建っているのが見えた。
佐田の空腹と喉の渇きは限界であった。佐田はその食堂を見つけた途端、すぐさま駆け込んだ。
佐田は店員に奥の席を案内された。
佐田はメニューを見て、一通り、食べたいものを店員に頼んだ。
しばらくすると、沢山の料理が佐田の待つ、テーブルいっぱいに並べられた。佐田はそれらの料理を凄い勢いで食べ始めた。
佐田が料理を堪能していると、男に話しかけられた。見上げると、その男は佐田が追われていたスーツを着た男であった。