パーカーのフードを被った男
二千十六年、十二月三十日の夜九時。
木場武志達は遊園地を満喫し、遊園地近くのレストランで夕食をとっていた。
「いやー、今日楽しかったね。思ってたより空いてたし」
勝平は嬉しそうにステーキを食べながら言った。
「そうね、それにしても見てよ。この写真の竜司の顔。でかい図体して、みっともない」
奈々はジェットコースターが落ちる時に撮る、記念写真を眺めながら言った。
「あっ、お前いつの間に、その写真買ってたんだよ」
竜司は照れくさそうに言った。
「見て見て、こんな感じ。こんな感じ」
明日香はそう言いながら、ジェットコースターで落ちるときの竜司の顔マネをしていた。皆はそれ見て、爆笑していた。しばらく談笑していたら、奈々が言った。
「ねぇねぇ、この後、どうする?」
「そうだなぁ。皆どうせ年始まで、スケジュール空いてるんだろ?」
竜司がそう言うと、皆、頷いた。
竜司が「どっか行きたいとこあるか。」と聞くと木場が一番最初に提案した。
「俺、温泉行きたい!温泉!」
「おっ、いいね。温泉。」
「行きたい、行きたい」
皆、賛同したが、明日香だけ別の提案をした。
「ねぇ、温泉もいいけどさ、この辺に心霊スポットあるの、知ってる?」
「心霊スポット?知らない、何それ」
「大きい廃病院なんだけどさ、本物のお化け出るんだって!今、若い子の間で有名らしいよ。行ってみない?」
明日香は楽しそうに言った。
「さっき、お化け屋敷なら遊園地で行ったじゃないか」
お化け屋敷で一番怖がっていた勝平が言った。
「馬鹿ね、あんた!あれは作り物で、こっちは本物!全然違うの!」
「でもさ、この真冬にお化け屋敷って、時期じゃなくない?」
「違う違う、それがいいんだって。この時期なら逆に空いてそうじゃない?」
「空いてそうって、お前。遊園地じゃないんだから。」
木場は冷静につっこんだ。
木場含め、他の三人は内心で思っていた。明日香のこの感じは、もう何を言っても聞く耳を持たないだろうと。
「よし、じゃあ、まずその心霊スポットに行って、その後、温泉行こう。それでいいだろ?明日香?」
竜司がそう言うと、明日香は嬉しそうに頷いた。勝平だけは、あまり納得がいってないみたいだった。
「よーし、そうと決まったら行くか!」
五人は車に乗り込み、噂の廃病院へと向かった。
木場達五人を乗せた車は、廃病院の近くの山道を走っていた。廃病院の近くの山道は不気味という言葉をそのまま実写化したかの様だった。
「ひぇー、やっぱりやめとこうよ」
情けない声を上げながら勝平が呟いた。明日香はそんな勝平のお腹を、たぷたぷ揺らしながら叫んだ。
「男でしょあんた!情けないこと、言ってんじゃないの!」
「勝平はちんちんついてないもんな」
木場は笑いながら言った。
「違うわ!お腹の肉で見えないだけだから!」
勝平は恥ずかしそうに言った。
「あんた達、本当さいてー」
奈々がそう吐き捨てた時に、竜司が声を上げた。
「おいおい、どうやら、先客がいるみたいだぜ」
竜司がそう言うと、四人は前方を確認した。廃病院の入り口に、車が停まっているのが見えた。
「うわぁ。なんか薄気味悪いね」
奈々が言うと勝平が続いた。
「これは流石にやめておいた方が良いんじゃない?ほら、本当に世の中怖いのは、幽霊じゃなくて人間だって、よく言うじゃない。帰ろ帰ろ」
「大丈夫だって。ほら、いざって時には、竜司がいるし」
明日香は能天気にそう言った。
「明日香、この筋肉はな、大学時代のアメフトの為に鍛えたものであって、喧嘩する為につけた筋肉ではないぞ」
竜司は口ではそう言ったが、木場にはなんだか嬉しそうに見えた。
「まぁ、確かに、やばそうだったら、逃げればいいか。行ってみるか」
明日香に煽てられたからかは分からないが、竜司は乗り気だった。木場も危険な感じはしたが、変に非日常を体感してしまっているせいか、恐れよりも好奇心のほうが勝っていた。木場は社会人を何年も経験していくうちに、薄まってしまっていた、若かった頃の気持ちを思い出して、なんだか嬉しくなっていた。
そんな事を考えているうちに、木場達の車はどんどんと、廃病院の入口へと近づいて行った。
車を停めて五人は、廃病院の入り口に向かって歩いた。止まっていた車の中は、カーテンがしてあり、よく見えなかった。
「うわぁ、不気味だぁ」
勝平の唾を飲む音が聞こえる。木場は廃病院に続く道を見て、顔が険しくなっていた。すると、竜司が木場に「どうした、珍しくびびってんのか」と言うと、木場は「お、おう。と何か考えている様だった。
「いこいこ」
勝平とは反対に、明日香はどんどん廃病院へと、進んでいった。それに連れられるように、他の四人は明日香の後ろを歩いた。
明日香が廃病院のドアを開けようとした瞬間に、木場は明日香の手を掴んで、言った。
「ちょっと待って」
急に木場が声を出したので、四人はとても驚きながら、振り向いた。
「急に大きな声出すなよ。びっくりしたじゃん」
「びっくりしたー。何、どうしたの」
「入り口から病院までの道なりを、よく見てみて。あの停まっていた車から、何かを引きずった跡が見えない?」
木場がそう言うと、奈々はスマートホンの懐中電灯の機能で、道なりを照らした。
「ほんとだ。しかも、跡が二つもあるね」
奈々がそう言うと、木場は続けた。
「あの車に乗ってきた人も、肝試し目的だとして、そんなに荷物が必要かな?それにもう一つ気になったことがあるんだけど、肝試しって俺らみたいに、普通、何人かで来るよな?でも、足跡が俺らが歩く前の道に、一つしかなかったんだ。何か、おかしくないか」
「まじか、なんか怖くなってきた。てか、お前よくそんな事気づいたな」
竜司が言うと奈々が続けて言った。
「ねぇ、やっぱりやめとく?何か危ないような気がしてきた。それに、中にいる人が面倒臭い人だったら、大変だし。」
すると、明日香が機嫌悪そうに言った。
「えー!せっかくここ来たのに!もういい!一人でも行ってくる!」
そう言うと明日香は、ドアを開けて、一人で中へと入って行ってしまった。
「おいおいおい」
木場は呆れながら言った。
「流石に女子一人で行かせるわけにはいかんな。おう、皆行くぞ」
竜司が明日香に続けて入っていった。それに続くように、他の三人も渋々と廃病院の中に入って行った。
木場が中に入ると、明日香は病院のロビーをきょろきょろ散策していた。
「うわー本当にこんな所あるんだねー。おーい!お化けさん、いるなら出ておいでー!」
明日香は機嫌良さそうに、声を上げた。
「当たり前だけど、さっきの作り物のお化け屋敷と違って、やっぱりリアルだね。気持ち悪い」
奈々は明日香とは真逆に、不機嫌そうだった。明日香はそんな奈々の反応に、気にせずどんどんロビーの奥に進んでいった。
「ほら!皆!もっと奥も見てみようよ!」
明日香はまるで、小さい子供が、はしゃいでいる様だった。明日香と竜司がどんどん先に進んでいく中、他の三人は後ろの方でくっつき合い、誰が一番後ろになるかで、揉めていた。
「ちょっと、あんた達、男でしょ!ちょっとは女の私を守ろうっていう気はないわけ?」
奈々は怒りながら言ったが、勝平と木場も譲る気はさらさらなかった。
「出た出た。いっつも女子は男女平等とか言うくせに、こういう時は女子優先だもんな!そうはいかないぞ!」
勝平は奈々にしがみつきながら叫んでいた。
「おい、お前らうるさいぞ」
そう言って竜司が振り向いた瞬間、後方を歩いていた三人の後ろから、コーンと、何かが落っこちた音が聞こえた。その瞬間に、後方の三人は悲鳴を上げて走った。
「ぎゃあああああ!」
そのまま後方にいた木場、奈々、勝平はあっという間に、明日香と竜司を抜き去り、置いて行ってしまった。
木場達は咄嗟に、奥にあった階段を駆け上がってしまい、明日香と竜司とはぐれてしまった。五分ほど無意識に叫びながら走ると、木場が我に返り、言った。
「やばい、竜司と明日香、見失っちゃったよ」
木場がそう言うと、勝平が続けた。
「ここやばいよ。早く帰ろうよ。とりあえず来た道を戻れば、竜司達と合流できるんじゃない?」
「そうだね。戻ろう」
奈々がそう言うと、遠くにある部屋から、人のうめき声の様な音が聞こえてきた。
「ねぇ、何か人の声聞こえない?」
「まさか、聞き間違いでしょ。いいから戻ろうよ」
勝平は早く帰りたそうに言った。しかし、うめき声は鳴りやむ気配はなかった。
「もしかして、竜司と明日香じゃない?」
奈々はそう言うと、部屋に小走りで近づいて行った。
「奈々!危ないって!」
木場は奈々を止めようとしたが、奈々はすでに部屋のドアを開けてしまっていた。
「竜司ー?明日香ー?」
奈々はそう言いながら、ドアを開けて、部屋の中を恐る恐る覗いた。
すると、奈々は何かを見たのか、悲鳴を上げ、硬直してしまった。
木場と勝平はすぐさま奈々に駆け寄り、部屋の中を確認した。薄暗い部屋の中には、紐で縛り付けられている、二人の人らしき影が見えた。
木場は持っていたスマートフォンの懐中電灯の機能で、影を照らした。
縛り付けられていた二人は、見たことのない男達だった。二人とも口をテープでふさがれ、手足はロープで縛られていた。
「ど、どういうこと?これ?」
勝平は怯えながら、言った。
「わからない。あの停まっていた車の人達かもしれない。とにかく、助けないと」
木場がそう言って、男達に近づこうとすると、奈々が木場の腕を掴み、止めた。
「ちょっと、待って。これさ、先に警察に電話した方が、良いんじゃない?」
奈々が言うことも、一理あると、木場は思った。
木場がスマートフォンで、警察に電話しようとした、その時、通路の奥から人の鼻歌が聞こえてきた。
すると、縛られている男達の様子が変わった。急に暴れだし、何かを伝えたい様だった。
木場は思った。それにしてもこの曲、どこかで聞いたことがある曲だ。木場は思い浮かんだ曲が咄嗟に口でた。
「え?星に願いを?」
そう言って木場が振り返り、通路の奥を見るとパーカーのフードを被った男が、こちらに向かって歩いて来る。男の手には大きな銀色のシャベルが怪しげに光るのが見えた。
木場は咄嗟に思った。逃げなければ、奴にやられてしまうと。
奈々と勝平も男に気づいた様だ。二人はパニック状態になっていた。
「おいおいおい、何このシチュエーション。完全にホラー映画じゃん」
木場は冷静さを取り戻す為、そう呟いた。それを聞いた奈々は、大きな声で言った。
「あんた馬鹿!こんな時に、何、呑気な事言ってんの!」
「うわあああ!南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏!」
勝平に関しては、急に念仏を唱えだすという、よく分からない状態になっていた。
そんな事を言ってる間に、木場達とパーカーの男の距離は、どんどん近くなっていた。
その時、パーカーの男の後ろから、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
パーカーの男が振り返ると、誰かにタックルされたのか、そのまま仰向けに勢い良く、倒れた。その瞬間、竜司の大きな声が聞こえた。
「みんな!逃げろ!抑えとくから!」
「竜司!」
竜司はパーカーの男の腕ごと、必死に抑えていた。その後ろには、明日香が呆然とした表情で立っていた。
「みんな!行くぞ!」
木場の声で、勝平と奈々は一斉に走り出した。
奈々は立っている明日香の腕を掴み、通路の奥まで走った。木場は、明日香と奈々と勝平に向かって「先に車に戻れ」と言った。
少し不安そうに、そのまま三人は階段を下りて行った。階段を下りる前に、木場は振り返って、竜司を確認した。パーカーの男は動けないようだった。木場は、竜司に向かって叫んだ。
「竜司!お前も逃げるぞ!」
「おう!後で絶対行くから、先に車に戻れ!」
「馬鹿!置いていけるか!」
「じゃあ、ちょっと待っとけ!」
竜司はそう言うと、しばらくの間パーカーの男と揉み合い、拳を大きく振り上げて、パーカーの男の顔面に直撃させた。
パーカーの男はひるんだ様だった。その隙をついて、竜司はこちらに向かって、走ってきた。
「武志!走れ!」
竜司がそう叫ぶと同時に、木場は階段を駆け下りた。そのまま木場と竜司は、振り返ることなく出口へと走り、病院を出た。
病院を出て、車に向かって走ると、車の前で待つ、明日香達三人の姿が見えた。車に近づき、竜司は叫んだ。
「乗れ乗れ!乗れ!」
竜司はそう言いながら、車のキーを出し、運転席へと乗り込んだ。他の四人もすぐさま車に乗り込んだ。竜司はすぐに、車を走らせた。
「やばい、やばい、やばい。とにかく、山を下りて遠くに逃げよう」
竜司は荒い息を立てながら言った。皆もパニック状態なのか、一斉に喋りだした。
「てか、全然状況が整理できないんだけど!さっきの何?」
「男の人が縛られてた!二人!」
「てか、あの男!シャベル持ってたよね!殺されるとこだった!」
皆が後ろの席で騒いでいる中、木場は助手席で何かを考え込んでいた。竜司はそれを見て、木場に話しかけた。
「武志、どうした?」
「いや、さっき話したさ、病院の前に、何かが引きずられた跡が、二つあったじゃん。あれは、パーカーを着てた男があの縛られた人達を引きずって、あの部屋まで運んだのかなって」
木場がそう言うと竜司は神妙そうな顔で返した。
「その縛られてた男二人っていうのは、俺見てないんだけど、顔は見たの?」
「顔は暗くて、よく分からなかった。でも、あの状況から考えるに、あのパーカーの男に拉致されたと考えるのが、可能性としては高いよね」
「そうだな。今はとりあえず、遠くに逃げて、落ち着ける場所に着いたら、警察に連絡しよう」
竜司が車のスピードを上げた。
すると、奈々が木場と竜司に話しかけた。
「私、思ったんだけどさ、あの拉致されてた人達って、もしかして、今朝話してた誘拐事件で誘拐された人達じゃない?」
奈々がそう言うと、明日香は身を乗り出して続けた。
「てことは、あのパーカーのフード被ってた奴が犯人?」
「まぁ、その可能性が高いな」
木場は鼻をこすりながら答えた。明日香は興奮しながら続けた。
「てか、あの人シャベル持ってたよね?あのシャベルで誘拐した人を殺して埋めてるってことじゃない?こうしてる間にも殺されてるかも!急いで連絡したほうがいいよ!」
「わかってる。でも今は安全な所に逃げるのを優先しよう。まだあいつが追ってきてる可能性もゼロじゃない」
木場が答えると、勝平は不思議そうに聞いてきた。
「そういえば、あのパーカーの男は?どうなったの?」
「竜司が顔面パンチを直撃させて、その隙に逃げてきた。まじで焦ったわ。あの時、竜司が来てくれてまじ助かった。今更だけど、ありがとな」
木場がそう言うと竜司は照れているのか、自分を落ち着かせるためか、運転しながらタバコに火をつけた。
「あれ、この車、禁煙車じゃなかったっけ?」
「今は緊急事態だから、いいんだよ。それより山は抜けたぞ。人通りの多い場所にまで行こう」
竜司はそう言うと、車のスピードをさらに上げた。しばらく、人通りの少ない道なりを走っていると、後方からパトカーがサイレンを鳴らして走ってきた。
「まずい。スピード出し過ぎたか」
竜司はそう呟いたが、明日香が嬉しそうに言った。
「でも、警察じゃん!警察!通報する手間が省けたね!」
「助かったー。ほんとさっきまで、死ぬかと思った。このまま保護してもらおうよ」
奈々が安心したように言うと、竜司は道路脇に車を停めた。
しばらくすると、パトカーも木場達の車の後方に停まり、パトカーから二人、警官が降りて、こちらに向かい、歩いてきた。
警官は運転席の窓をノックしてきた。竜司は窓を開けて聞いた。
「スピードですよね?すいません」
警官はあっさりと認める竜司に、若干驚きながらも「おっ、話が早いね。免許証出して」と続けた。
明日香は早く言いたくて、しょうがないのか、運転席に身を乗り出して言った。
「お巡りさん!そんな事より大変!私達、さっき山の奥にある廃病院に行ったんだけど、誘拐の現場に遭遇しちゃったの!犯人に殺されかけたんだから!すぐに警察向かわせて!」
明日香は凄い早口で、まくし立てた。
あまりに明日香が凄い形相で話し出すので、警官達は一瞬、目を丸くさせた。警官達はお互いに顔を合わせた後、冷静な口調で話し出した。
「本当なら、それは大変だね。君達は何で、そんな場所に行ってたのかな?」
その質問に対して、明日香はイライラした口調で返した。
「今、そんな事はどうでもいいでしょ!今にも誘拐されてた人達が殺されちゃうかもしれないんだよ?早く警察を向かわせて!」
明日香がそう言うと、警官たちは困った顔をしていた。
その時、木場はふとバックミラーを見た。後ろから、車が凄いスピードで、こちらに向かって、走って来るのが見えた。木場は嫌な予感が体中を巡り、咄嗟に叫んだ。
「危ない!」
その瞬間、木場達の車の横にいた警官達は、後方から来た車に、吹き飛ばされた。
警官たちを吹き飛ばした車は、木場達の乗っていた車の右横すれすれを通った為、木場達の乗る車の右バックミラーも一緒に吹き飛ばした。その瞬間、木場達の乗る車に衝撃が走った。何が起こったのか、木場達は理解をするのに時間が掛かった。
「え・・・?」
竜司達は絶句していて、固まっていた。
警官達を吹き飛ばした車は、木場達の車の少し前方に止まった。しばらくして、その車の運転席から降りたのは、あのパーカーを着た男だった。
パーカーの男の手には、あの銀色のシャベルがあった。
パーカーの男は吹き飛ばした警官達の所に歩み寄り、そのシャベルを大きく振りかぶり、下ろした。その時の余りに生々しい重低音に、木場は鳥肌が立った。パーカーの男は何度も何度も、シャベルを振りかざした。
突如目の前で起きた、ショッキングな出来事に、木場達は身動きが取れず、固まってしまっていた。
パーカーの男は倒れている警官の腰辺りをまさぐり、何かを奪っていた。それに気づいた木場は大きな声で叫んだ。
「あいつ、銃を奪ったんだ!竜司、すぐ車を出せ!」
竜司は我に返り、すぐさま車のエンジンをつけた。パーカーの男はこちらに向かって銃を向けて、歩いてきた。
「みんな!頭を下げろ!」
木場がそう叫んだ瞬間に、車は動き出し、パーカーの男は銃を発砲した。運転手の竜司を狙ったのか、弾は車の前方部分に当たったが、特に被害はなかった。そのまま木場達の車は、パーカーの男の横を、スピードを上げて、通り抜けた。後方から銃声が二発程聞こえてきた。しかし、弾は外れたみたいだ。
「やばいやばいやばい」
竜司は珍しく、かなり動揺していた。
「え、撃たれてない?私撃たれてないよね?」
明日香も自分の体を確認しながら騒いでいた。
「大丈夫、血は出てないから。」
そんな明日香を勝平がなだめる。すると、竜司は心配そうに言った。
「追ってきてる?追ってきてる?」
他の四人はすぐさま振り返り、後方を確認した。すると、先程、警官を吹き飛ばした車が物凄い勢いで追ってきていた。四人は声を揃えて叫んだ。
「お、お、お、追ってきてるー!」
「ひゃあー!」
竜司は聞いたこともない声で悲鳴を上げていた。車の車間距離は、どんどん迫ってきていた。
パーカーの男が運転する車は木場達の車の後方に何度も車体をぶつけてきた。ぶつかる度に木場達の車は大きく揺れた。
「殺される!絶対、殺される!」
奈々が疳高い声で叫ぶ。
「ホラー映画の次はカーアクションか!」
木場は思わず叫んだ。
でもすぐに奈々に「うるさい!」と一喝された。
木場はふと、横目に竜司を見た。竜司は吹っ切れたのか、彼の目にさっきまでの怯えはなかった。竜司は片方の手で自分で自分の顔をビンタした。
「うっし!飛ばすぞ、おら!」
竜司はそう叫ぶと、車のスピードを更に上げた。道路はカーブに差し掛かり、車は大きな弧を描いて曲がった。
みんな「うわぁ」と叫ぶ中、木場は一人、今日遊園地で乗ったジェットコースターを思い出していた。こんな命が掛かった大事な時に、木場はそんな呑気な事を思い出している自分にちょっと驚いた。
今のカーブで、パーカーの男の車との距離が大分開いたみたいだ。竜司は直線の道になっても、さらにアクセルを踏み込み、どんどん差を開いていった。
しかし、しばらく走ったところで、先の道路に、大きなバッグを持った男が突然、飛び出してきた。男は大きく片方の手を振り上げ、車を停めてほしい様だった。
「うわ!なんだあいつ!」
竜司は大きく声を上げて驚いた。驚いたと同時に、車のブレーキをかけた。車は大きく揺れながら飛び足してきた男の前に停まった。
「頼む!追われてるんだ!車に乗せてくれ!」
その男はそう言うと、後部座席のドアを開けようとしてきた。木場達は突然の事でかなり動揺していたが、木場達には考えている時間はなかった。
「なんなんだよ!俺たちも追われてるっつーの!とにかく、入れてやれ!」
竜司がそう叫ぶと、端に座っていた奈々がドアを開けた。
すると男はすぐさま、車に飛び乗った。男が車に乗ったことを確認した竜司は、すぐさま車を走らせた。
男は車に入るなり、大きな黒いバッグを大事そうに体に丸め込んだ。
竜司がバックミラーを確認すると、パーカーの男の車との距離は、かなり近づいてしまっていた。
竜司はすぐさまアクセルを踏み、スピードを上げた。
「助かったよ、ありがとう」
乗り込んできた男は荒くなった呼吸を落ち着かせて、言った。乗り込んできた男は持っている黒いバッグを大事そうに身体に抱き込んでいた。
「誰に追われてるの?てか、あなた誰?もう色々とパニックなんだけど!」
明日香が勢いおいよく、まくし立てた。
「俺の名前は佐田俊介。このバッグを狙っている奴らに、追われているんだ。とにかく、今は遠くに行ってほしい」
佐田と名乗るその男は、タバコをくわえながら話した。すかさず竜司が会話を遮った。
「おいおいおい、ただでさえ面倒ごとに巻き込まれてるんだ。これ以上、面倒ごと増やされるのはごめんだぞ。それに、この車は禁煙車だ」
佐田は竜司にそう言われると、タバコを箱に戻した。
木場は竜司に対して、自分はさっき吸っていたくせにと思ったが、言うのはやめた。
その時、奈々が後方に振り向きながら言った。
「あれ?あのパーカーの奴の車の他に、もう一台車が近づいてきてる!」
「えっ?」
木場が後方を確認すると、さっきまでこの車を追いかけてきた車とは別の車も、こちらに近づいてきていた。木場が佐田の方に目をやると、明らかに先程と様子が違っていた。
「もしかして、佐田さんを追ってる人達?」
明日香が不安そうに、佐田に尋ねた。すると、佐田の口が開いた。
「奴らだ・・。最悪だ。しかもよりよって、君らあのパーカーのフードを被った男に追われているのか。くそっ!あんな廃病院に逃げたせいで、余計な事にも巻き込まれちまった」
佐田の身体は着信のあった携帯電話のように小刻みに震え、顔面の色はミルクのように白くなっていた。落ち着きのない佐田は、自分自身の指の爪をギシギシと音を立て、噛んでいた。
「奴らって誰だよ!しかも、佐田さん、あのパーカーの男知ってるの?」
全く、佐田に気を遣う気がないのか、イライラしながら明日香が大きな声を上げている。
明日香のイライラはピークに達したのか、前の運転席をドンッと音を立て、蹴り上げていた。その衝撃で運転席に座っている竜司が低い声で唸った。
佐田は震える声で話した。
「俺にも奴らが何者かは分からないが、スーツの男達は恐らく堅気じゃない。パーカーの男に関しては何もわからん。ただ、廃病院で会っちまっただけだ。なのに、あいつ、急に襲ってきたんだ」
佐田の堅気じゃないという言葉に、奈々が反応した。
「えっ?てことは、ヤクザってこと?」
「なんでヤクザって思うんだ?」
竜司が運転しながら話を続けた。
「奴ら、銃を持ってたし、顔つきを見れば、お前たちにも分かるだろう」
佐田が神妙な面持ちで言う。
「なんでヤクザが佐田さんのそのバッグを狙うわけ?」
勝平が泣きそうな声で佐田に問いかけた。
「それは・・・」
佐田の言葉が詰まった。何か訳がありそうなのは、一目瞭然だった。木場は佐田の顔をじっと見つめた。
「佐田さん、今は緊急事態だ。こっちだって追われてる身だし余裕がない。何か事情があるんだろうけど、隠し事はなしでお願いしますよ」
木場の言葉に佐田はしばらく沈黙した。その沈黙を打ち破ったのは、意外にも竜司だった。
「やばい!行き止まりだ!」
木場は竜司の叫び声に反応して、前方を確認した。前方には鍵のついた大きな柵が見えた。続いて木場が後方を確認すると、二台の車がもうすぐそこまで近づいてきていた。どうしたらいい。そんな考えが木場の頭の中をぐるぐる回っていた。
「突っ込めー!」
そんな時、明日香が大きな声で叫んだ。
「えええー?」
木場含めた、明日香以外全員が同じリアクションをした。竜司には考えてる時間がなかった。
「もう知らんぞ!全員、シートベルトは着けたか?」
竜司はそう叫ぶと、アクセルを全開に踏み込んだ。木場達を乗せた車は大きな音を立て、柵へと突撃した。車は鍵を破壊し、柵を突き破り直進した。車内は凄い衝撃で皆の身体は宙に浮いた。
「うわああ!」
車内には全員の叫び声が響いた。
車は薄暗い工場跡地の様な場所へと入っていった。木場は辺りを見渡したが、車が抜けられそうな道はなかった。
木場が後方を確認すると、二台の車も工場跡地へと続けて入ってきた。
「このままじゃ逃げきれない!一旦、車から降りて走って逃げた方がよくない?」
木場がそういうと奈々が続けて言った。
「そうね!私警察に電話して助けに来てもらう!」
奈々はそう言うとスマートフォンを取り出し、警察に電話をかけた。
「繋がった!事件です!人殺しとヤクザに追われているんです!警察の人も二人やられて!場所は・・・」
奈々が言いかけたその時、後方からパンッパンッと銃声音が聞こえた。その後、すぐに車から大きなバンッっという音が続けて聞こえてきた。弾は車体に当たってしまった様であった。それに動揺した竜司は手元を狂わせ、ハンドルを凄い勢いで切っていた。
「しまった!」
竜司がそう叫ぶと竜司達を乗せた車はぐるっと回転して、入り口近くの柵に衝突して止まった。
「いてぇ」
木場達は意識が朦朧としながらも、早くこの場所から逃げないという危機感に襲われていた。木場達はふらついた身体を互いに支えながらも、車から降りて、工場へと走った。
木場が後方を確認すると、スーツを着た二人組も車から降りて、こちらに向けて拳銃らしき物を向けている。もう一台の車は、少し離れたところで駐車していた。木場にはこちらの様子を窺っているように見えた。
「奴ら、銃を持っている!みんな身体を低くしろ!」
後方から銃声が聞こえてきたのは、竜司の叫び声とほぼ同じタイミングだった。木場達は工場の建物内へと入って、隠れられそうな場所を探した。
工場内に人気はなく、何かの部品をつくっているであろう、いくつかのレーンがあるだけだった。反対側には出口らしきドアが見えたので、木場達は出口に向かい必死に走った。
黒いバッグを持った佐田と名乗る男は左足を引きずりながら走っていた。どうやら左足を負傷しているみたいだ。
「もう・・だめ・・」
勝平が荒い息遣いで弱弱しく言った。勝平の体力は限界の様だった。
「止まると死ぬぞ!走れブタ!」
明日香が勝平のお尻を叩いて言った。こんな危機的状況なのに、木場は可笑しくて笑いそうになったのを、ぐっとこらえて走った。
出口を出た工場の建物の裏側は一面海岸だった。
「どこに逃げる?」
「建物の裏をぐるっと周って、車に戻ろう!まずは人気のある所に逃げないと。走って逃げるのは、この辺には建物や家もなさそうだし、危険だ」
竜司の意見に反対する人は誰もいなかった。木場達はすぐさま車に向かって走り始めた。
「あのスーツの男達が待ち伏せしてたらどうする?」
心配性な勝平が息を切らせながら言った。
「その時はその時!」
奈々が逞しさを込めて言った。
木場達は建物横から自分たちの車を覗き込んだ。車周辺にはスーツ姿の男二人の姿はなく、木場達の車の他にスーツ姿の男たちが乗っていた車が止まっているだけだった。
もう一台、パーカーの男が乗っていた車は、何処かに行ってしまったのか、辺り周辺には見当たらなかった。
「あいつら、まだ工場の中だ!チャンス!走るぞ!」
木場の叫び声と同時に、皆は車に向かって走り出した。あともう少しで車にたどり着くというところで、後方から銃声が聞こえた。
木場が振り返ると、スーツ姿の男二人が、工場の真正面からこちらに向かって走ってきていた。手には拳銃を握りしめて、こちらに向かって何度も発砲している。
「急げ!」
竜司が大きな声で叫んだ。
木場達は車にたどり着き、すぐさま車に乗り込んだ。しかし、スーツ姿の男達もすぐ近くまで迫ってきていた。
竜司は運転席に座り、全員いることを確認すると、急いで車を発進させた。バックミラーにはスーツ姿の男達の姿がどんどん遠ざかっていくのが見えた。その姿は木場にはとても情けなく見えた。
ひとしきりスーツ姿の男たちが離れたタイミングで、木場は助手席から振り返って言った。
「みんな怪我はないか?」
木場が言い終わる前に、後部座席の真ん中に座っていた明日香が「キャー!」と叫んだ。明日香は木場から見て、右隣に座っている佐田を震えながら見ていた。
木場が佐田の方に目をやると、佐田は黒いバッグを相変わらず大切そうに抱きしめていた。しかし、薄暗い車内で木場が目をよく凝らすと、黒いバッグには佐田のお腹辺りから出ている血らしき物で真っ赤に染まっていた。
「撃たれたのか?」
木場は震える声で佐田に問いかけた。
木場が問いかけると、佐田は「ゴフッ」という鈍い音をたてて口から血を噴出した。木場は慌てて叫んだ。
「き、救急車!誰か救急車を呼べ!」
木場が叫ぶと、奈々が慌ててスマートフォンを取り出した。スマートフォンを持つ奈々の手は震えていた。
「待て」
遮るように佐田が言った。佐田は荒ぶる呼吸を抑えながら、自分のスマートホンを取り出して続けて喋った。
「この携帯電話の連絡帳に、佐田晴美という女の番号がある。俺の女房だ。そいつに、このバッグを渡してくれないか。俺の最後の頼みだ。頼む」
佐田はそう言うと、目をつむり、喋らなくなった。しばらく車内を沈黙が支配した。
「さ、佐田さん?」
明日香が恐る恐る佐田の身体を揺らす。しかし、佐田から返事はなかった。
「死んだのか?」
木場のその一言に皆は静まり返った。
「嘘だろ。くそっ!」
「何がどうなってるんだ!」
竜司が車のハンドルをたたきながら叫んだ。
生まれて初めて直面する、人の死というものに、皆ショックを隠し切れなかった。
「もうやだ。怖い」
奈々が泣きながら言った。隣に座る勝平が奈々の背中をさする。
「俺達じゃ手に負えない。警察に連絡しよう。佐田さんには申し訳ないが、佐田さんの頼みに関しては後回しだ。まず俺たちがこの状況を脱しないと。奴ら、まだ追ってきてるか?」
木場が後部座席の勝平にそう言うと、勝平は後方を確認した後、振り返りながら答えた。
「後ろを走る車は見当たらないよ。奴ら、まだ追いかけて来てないみたい。」
それを聞いたそれを聞いた木場が警察に電話しようと、スマートフォンを取り出そうとすると、車はプスンッと音をたてて減速していった。
「最悪だ」
竜司が呟くと、木場はその言葉の意味を察した。
「うわ!ガス欠かよ!」
木場が叫ぶと、しばらくしないうちに、木場達の乗る車は完全に止まってしまった。
「とりあえず、一旦、降りよう」
竜司が言うと木場達は次々と車から降りた。
佐田の持っていた黒いバッグは竜司が持つことになった。
車内には、佐田の亡骸だけが残された。車の周りは海岸沿いの道で、辺りには相変わらず何もなかった。
「最悪の一日だ」
竜司はそう言いながら、ポケットから煙草を取り出し、口にくわえた。
「どうやら最悪の一日は、まだ続いてるらしいぜ」
木場が走ってきた方向を見て、呟いた。竜司はポカンという表情を浮かべながら、木場の視線の方向を見ると、さっきのスーツ姿の男たちが乗っていた車が、こちらに向けて接近してきていた。
「ああっ!もう!」
何とも言えない声を出しながら、竜司は吸っていた煙草を地面にもみ消して言った。
「とにかく、逃げるぞ!」
木場達は走って竜司の後に続いた。
しかし、人間の足が自動車に勝てるわけもなく、その差はどんどんと縮まっていった。このままでは追いつかれると思った木場は、咄嗟に辺りを見渡した。
木場達の走る右方向には小さな崖が見えた。その下には海があり、崖の高さはそれほど高くもなかった。
木場は考えるよりも先に、身体が動いていた。木場はその崖をめがけて走った。
「あの崖に向かって走れ!」
木場がそう叫ぶと、皆きょとんとした顔をしながらも、木場の後に続いた。
「おい、まさか。嘘だよな、武志?」
崖に向かって走っている途中で、木場の意図に気づいたのか、竜司の表情が険しくなっていった。
「海に飛ぶぞ!」
木場のその一言に竜司の悪い予感は的中した。
「ええ!?」
木場以外の全員が裏返った声を出した。しかし、皆は木場の真面目な顔つきを見て、木場が本気で言っているということを、皆悟った。
崖の端にたどり着いた五人は、一旦止まり、崖の下を覗いた。
「無理無理!死んじゃう!」
奈々が大きな声で叫んだ。
しかし、スーツの男達が乗った車は崖の近くに止まり、男達はこちらに向かって走ってきていた。
「考えてる時間はない!助走を着けて飛ぶぞ!」
木場の掛け声で皆は五歩ほど後ろに下がり、海に向かって一気に駆け出した。
最後の一歩を踏み出したところで、木場の後方で「キャッ!」という悲鳴が聞こえた。木場が後ろを見ると、明日香が靴紐に足を引っかけ、転んでいる光景が一瞬だが見えた。
「明日香!」
木場の叫び声は海の波音にかき消され、勢いよく飛び降りてしまっていた明日香以外全員はそのまま海へと落ちていった。
木場達は叫びながらも、海に着水した。木場はすぐさま海から顔を出して、明日香の名前を何度も叫んだが、明日香の姿は見えなかった。
木場は必死に海岸側に泳いで戻ろうとしたが、思いとは反対に身体はどんどんと波に流されてしまっていた。
海岸から木場達が離れていくと共に、木場達は海水を飲んでしまい、意識が朦朧としていった。そして、暗闇で激しく揺れる波は木場達を勢いよく飲み込んだ。