赤木哲也
二千十六年、十二月三十日。
警視庁刑事課の刑事、赤木哲也は機嫌が悪かった。また、今年の年末も、家に帰ることができそうになかったからだ。
赤木は毎年、嫁や子供に、どこかに連れて行けとどやされているが、今年もその夢は叶いそうになかった。
赤木は妻と娘と三人で暮らしていた。
娘は思春期に入ったということもあり、赤木に対して、とても冷たかった。娘の下着の洗濯物を赤木の洗濯物と一緒にすると怒ったり、先に赤木がお風呂に入ると怒るなど、定番なものはもちろん、赤木に対する言葉使いも年々酷くなっていった。
娘が突拍子もなく「最&高」なんて言うものだから、赤木はさりげなく「それどういう意味?」と聞いてみたことがあった。
娘から返ってきた言葉は「うるせー!糞じじい!」であった。もはや訳が分からない。
最近、娘が赤木に会った時に言う台詞はいつもお決まりであった。
「お小遣いちょーだい」
赤木は最近、娘からこの言葉以外を聞いた記憶がなかった。赤木が一か月ぶりに、自宅に帰ってきても、この台詞だ。赤木はふと、自分の存在意義が一体全体、何なのか分からなくなりそうになった。
赤木は現在、都内某所で発生している連続失踪事件の担当だった。現在行われている、捜査会議では、捜査員が現在の捜査状況の報告をしている。
「現在行方が分かっていないのは、村本秀樹さん、川口昇さん、内山竜彦さんの三名。いずれも失踪したと思われる現場では、争った形跡があり、何者かに拉致された可能性が極めて高いと思われます。今回の被害者三人は、一年前に品川区で起きた、強盗殺人の容疑者で、起訴もされていましたが、証拠不十分により、不起訴処分になっています。品川区の強盗殺人の容疑者は、もう一人おり、品川区在住の田村健太。田村健太が次の標的になるとして捜索していますが、数日前から、行方が分かっておりません。そして、今回発生している失踪事件ですが、品川区の強盗殺人の被害者の夫である、橘圭吾の自宅に行ったところ、犯行で使われたと思われる、凶器が残っており、凶器から被害者の血痕が見つかり、重要参考人として指名手配で現在捜索中ですが、こちらもいまだに消息はつかめていません」
赤木はここ最近寝不足のせいか、あまり話が入ってこなかった。赤木が眠気と戦っている間に捜査会議は終わっていた。
赤木が会議室を出ようとした時、後輩の木下が近づいてきた。
木下はまだ刑事歴、三年目の新米であった。赤木の娘の悩み相談は、年齢が若い木下によく相談に乗ってもらっていた。
「赤木さん、さっきの会議寝そうになってましたよね。ほんと冷や冷やしましたよ。」
「うるせぇ。余計なお世話だ。そんな事より、橘の居場所はつかめたのかよ」
赤木がそう言うと、木下は呆れた顔して言った。
「赤木さん、ほんとに何も聞いてなかったんですね。橘の実家とか友人関係、職場関係者の聞き込みしていくって、さっき言ってたじゃないですか。僕と赤木さんは、以前、橘が務めてた会社の人達に聞き込み行くんですよ」
赤木は木下の話を聞きながら、喫煙所に向かい、タバコに火をつけて言った。
「以前の職場?って事は、橘はその会社を、もう辞めてるってことか?」
タバコを吸わない木下は咳き込みながら答えた。
「そうですね。資料では一身上の都合となってますが、何か、原因が分かれば橘の居場所が分かるヒントになるかと。とにかく、僕は下で車回してきますから、赤木さんもそれ吸ったら早く来てくださいね!」
木下はそう言うと、喫煙所を出て行った。赤木もタバコを消し、コートを着て、木下の待つ車へと向かった。
新宿にあるオフィス街、大きなビルのロビーのソファーで、赤木と木下はある男を待っていた。橘圭吾が以前、働いていた会社の橘の上司にあたる男に、赤木と木下は会いに来ていた。
「おい、木下。見たか、あのビルの前に停まってた車。ポルシェだぞポルシェ。俺もあんな車乗りてぇなぁ」
「僕たちの安月給じゃな無理ですよ。火野でしたっけ。きっと彼の車ですよ。相当儲けてるみたいですね。あっ来たみたいです」
約束した時間から十分程待ったところで彼はやって来た。
銀縁の眼鏡をかけた長身のその男は、サラリーマンというにはいかつめな姿をしていた。彼は早口で自己紹介を始めた。
「遅れて申し訳ない。初めまして。火野と申します。」
「こちらこそ、お忙しいところ申し訳ない。私、警視庁の赤木と申します。こいつは部下の木下です」
赤木がそういうと木下は軽くお辞儀し、要件を話し始めた。
「早速で申し訳ないんですが、今日は橘さんの事で、いくつかお話をお伺いしたいんですがよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんですよ。私も今朝ニュースを見て、驚きました。まさか橘君がねぇ」
「それにしても、もう年末なのにお仕事なんて大変ですねぇ」
赤木が言うと火野は笑いながら返した。
「それはそちらも一緒でしょう。ありがたいことに、役職がつくと、この時期でもやる事がたくさんありましてね。まぁ、でも、明日からはちゃんとお休み頂いてますから」
木下が「そうですか」と相槌を打ったところで赤木は本題に入った。
「橘圭吾さんなんですが、どのような人物だったんですかね?資料では、この会社で六年も働いていたみたいですが」
「大人しい奴でしたよ。仕事も真面目に取り組んでいたし。とても、あんな事する度胸がある奴だったなんてびっくりですよ」
「なるほど。資料では一年前。そう、あの強盗事件があった少し後くらいですかね。一身上の都合で退職となっていますが、やはり、あの事件のショックが大きかったということですかね?」
「まぁ、そうでしょうね。あれから彼は、余計塞ぎ込んでしまったし、事件の事情聴取とかで会社にあまり来なくなってしまったし、それで容疑者は不起訴でしょ?ほんと、可哀そうですよ。今回の事件はやはり彼の復讐なんですかね?」
「まぁその可能性が高いかと。何処か、彼が行きそうな場所で、心当たりとかありますか?」
「いや、ないですね。彼とはあまり、プライベートな話はしなかったもんで」
「そうですか。分かりました。ありがとうございます」
木下はそういうと赤木にアイコンタクトを送った。他に聞くことはないか、木下なりの確認だろう。
「今日はお忙しいところ、わざわざありがとうございました。また、何かあれば、ご連絡さして頂くかもしれません。その時はまた、よろしくお願い致します」
赤木はそう言うと席を立った。
「あまり協力出来ず、申し訳ない。また何か思い出したら、連絡させて頂きます」
火野はそう言うと「それでは」とオフィスに戻っていった。
「あまり頼りになる情報は得られませんでしたね。他、当たってみましょう」
木下が話しかけても赤木は反応しなかった。しばらく赤木は黙っていると思えば、急に話し始めた。
「木下、悪いんだけど調べて欲しいことがあるんだけど、頼めるか」
木下は一度不思議そうな顔をしたが、赤木の話を聞いて、了承してくれた。