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夏至の庭  作者: 西東行
第2章 真珠の櫛
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1

「最近、王都の魔術師組合があれこれさぐってくるんだけど、君のところはどう?」

 シノニムは長椅子に身をもたせかけ、頬杖をついて尋ねた。ほかの者がすれば、だらしなくなるところだが、彼がするとそんな姿勢も絵になった。

 まだ朝もはやかったが、すでに気だるい暑気の気配があたりに満ちつつあった。木下闇は青く、花も眠たげに見える。

「あれこれって?」

「ヴァラだよ。それと、ヴァラの側近のレートのことも。くわしく知りたがってる」

「彼女たちが寝てたかってこと?」

「それもあるけど、ほかにもどんな交友関係があったとか」

「ああ、私のところにも来たわ」

 ペリは袖や裾に透かし織をあしらった夜会用の衣装を着ていた。ゆたかな胸が、大きくあいた襟元から文字どおりこぼれそうになっている。いかにも朝帰りらしく、髪を適当に結いあげているのが少しばかりしどけない風情だが、彼女の見た目の無邪気さには似合っていた。

「同じことを尋ねたわね。ヴァラとレートのこと。ふたりの交友関係とか、行った場所とか」

 オレクタンテはほそい指を額にあて、記憶をさぐる。

「私のところには、魔術師組合も、その界隈の人もきていないわ」

「君のところは、某子爵様のせいでちょっと騒がしかったからね。落ちつくのを見はからっているのかも」

「それで、魔術師組合の狙いはなんなのかしら」

 オレクタンテは、ふたりに魚貝の熱い粥をだしつつ、尋ねた。粥の上には、香草をまぶしてかりかりに焼いた海老をのせている。

「どうも、魔術師組合はヴァラになにかを探すよう依頼してたみたいだね。ところがヴァラが死んで、探していたものが回収できなくなっているとか。レートが、ヴァラの遺品のなかから探すってことになってたらしいんだけど、そのレートもつい最近、王都からいなくなったそうだよ」

 オレクタンテは動きをとめた。

「レートはヴァラの故郷に遺品を納めてから、自分の故郷に帰るって言ってたわ。王都をでたんじゃないの?」

「それが、違うの。旅の手形がまだどの門にも――ん!」

 ペリは粥を一口食べ、目をぱっと見開いた。

「おいしい! 二日酔いと寝不足の体のすみずみに、しみわたっていくようよ」

 シノニムも目をほそめてうなずいた。

「まったくだ。自分の館に帰ったら、召使いが朝食をだしてくれるんだけどさ。でもきみのところの朝食がおいしいから、つい朝帰りの途中に立ちよってしまうんだよね」

「わかるわ。私もなのよ。気持ちよく二度寝できそうよね」

「それはよかったわ。ほかに氷菓と濃いお茶もあるわよ」

 かつて主だったサフィレット伯爵は、食事と酒は最高のものを用意して客をもてなすべしと、くりかえし言っていた。そうすれば自然と人が集まり、情報も集まると。

 サフィレット伯爵にはいまだ暗い感情を捨てきれぬオレクタンテだが、この教えだけは忠実に守っている。

「それで、レートが行方不明になった話のつづきだけど――組合は、なにを探しているの?」

「自信を持って言えるわけじゃないけど……ただ、かなり深刻な印象があったんだ。だからもしかすると黒魔術師のことかな。今はほかに、組合の利益を損なうようなことも特にないし」

 黒魔術師とは、魔術師組合に登録していない魔術師のことだ。彼らの多くは呪術師や死霊使いなどとも呼ばれ、見つかれば厳しい罰を受けた。

 実際のところは、邪悪な術を使う者ばかりではなく、人の治療に携わるなど、善意の者も多い。組合に登録すればさまざまな制約が課されるのだが、それを好まない術者がいるのだ。

 だが術師が使役する精霊は、たとえ下等なものでも、創世の奇跡の力をそなえた神秘の存在であることにかわりはない。人間にとっては畏怖と脅威の対象であり、その力を厳しく管理し、取り締まろうという風潮は根強かった。

 北の国ティンブクトゥは神秘の国と称され、その王都には大陸でもっとも多くの魔術師が集まっている。そこでは組合に属さない「黒魔術師」さえ、比較的自由に生活できた。だがそれは例外的なことで、黒魔術師は多くの土地で嫌悪され、怖れられた。

「古王国フィリグラーナの王都で黒魔術師が暗躍――とくれば、用心すべきは王族や貴族に対する呪殺ね」

 オレクタンテは、どうでもいいという気分でつぶやいた。シノニムも軽い調子で答える。

「つねに需要のある仕事だからね。けどそんな事件が起これば、魔術師たちへの締めつけが厳しくなるのが必至だ。組合も見すごすわけにはいかないさ」

「ともかく、レートが無事で、はやく見つかれば言うことなしね」

 突然、ペリが会話を切りあげてオレクタンテの背後を見やった。

 彼女の視線の先を見ると、ルーザ=ルーザが廻廊の柱の影に立っていた。なにか言いたげな表情でオレクタンテを見ている。

「彼がこんな時刻にここにいるって珍しいね。休日かい?」

「ええ、月に一度の全休の日なの」

 オレクタンテは立ちあがると、長い裾をひいてルーザ=ルーザのところへ歩みよった。

「どうしたの、ルーザ=ルーザ? 用があるなら声をかけてくれてよかったのよ」

「いや。朝はやくから客人がきたなら、大事な話なのかと思って」

 彼らは朝がはやいのではなく、夜遊びの朝帰りなのだが、説明は省くことにした。

「大丈夫よ。それよりなにかしら。今日は一日お休みだから、お母さんと市場へ行くんじゃなかった?」

「ああ。だから、なにか入り用のものがないかあんたにも聞いてこいって、ラーレに言われたんだ」

「私は特にないわ。でもお母さんは食器や香辛料をほしいって言ってたから、重たい荷物は持ってあげてね。そうだわ、クーもつれていくの? あの子、荷物を運んでくれるのかしら」

「うん。ラーレをクーにのせて、俺が荷物をかついでもいいかなと思って」

「――待って」

 オレクタンテは急いで自室にむかい、財布を取って戻ってきた。そしてを硬貨を数枚、ルーザ=ルーザにわたす。

「お母さんには椅子駕籠を手配してあげてほしいの。王都の市場や広場ではどこでも、安い駕籠屋がたくさん客待ちをしているわ」

 少しためらって、つづけた。

「……お母さんは、あなたの馬ならのるかもしれないけど、でも本当は馬が苦手なの。お母さんは、馬に蹴られて足を悪くしたのよ」

 ルーザ=ルーザは目をみはった。オレクタンテは目を伏せる。あの日のことは思いだしたくなかった。幸いにも、ルーザ=ルーザは詳しい事情を問おうとはしなかった。

「クーはとても賢くて、頼りになる馬よ。お母さんも、それは理解できるはずだわ。でもやっぱり、馬のことが怖いの。気を悪くしないでほしいんだけど……」

「気を悪くなんて、するもんか。教えてくれてありがとう」

 そう言うと、オレクタンテの手に硬貨をかえした。

「でもこれくらいなら、俺が駄賃を払うよ」

 オレクタンテは、硬貨をさらにおしかえす。

「いえ、私のお母さんのことだもの、私がお金をだすわ。あなたは自分のものを買いなさい。剣をさげる革帯の金具だって、このあいだ壊してきたじゃないの」

「ああいうのは、壊れるものなんだよ」

 うるさそうに言うものだから、オレクタンテもつい声を荒らげた。

「あなたは壊したまま、ほったらかしにしてるのが問題なのよ! ほら、これで新しい丈夫なものを買ってきなさい! そしてお母さんを待たせないで!」

 オレクタンテは硬貨を増やして、むりやりルーザ=ルーザにおしつけた。気圧されたか、ルーザ=ルーザはおとなしく母の家へむかう。

 両の腰に手をあててそれを見送ると、オレクタンテはひとつ息をついた。それから廻廊をめぐって友人たちのもとに戻る。まだ彼らの給仕をしなければならない。

「中座してごめんなさい。それよりさっきの黒魔術師の暗躍の件だけど――」

 そこで言葉をきった。

 シノニムとペリが、まるではじめて会う人間を見るような目で、オレクタンテを見あげていたのだ。

「……どうしたの、ふたりとも? お食事に、なにか不都合でもあったかしら」

 ふたりはそろって、ほほえんだ。

「なんでもないわ。おいしくいただいてるわよ」

「寝不足のせいで、ちょっとぼんやりしてしまったかな」

 いぶかしく思いながらも、オレクタンテは長椅子に腰をおろす。

 まさか、今のルーザ=ルーザとの会話を聞かれたわけではあるまい。そんなに大きな声で喋っていなかったはずだ。

(……たぶん)

 オレクタンテは目をそらし、中庭を見やった。日差しが強くなり、まぶしさを増した中庭は、どこか脳天気なまでに明るく見えた。




 シノニムとペリが去ると、夏至館に客人はいなくなった。今日は特に予定がないから、ほかに客人が来るとしたら、夜会にでかける前に誰かがふらりと立ちよるくらいだろう。夏至館を待ち合わせ場所に使う人々は多かった。

(今日は暑くなりそうだから、葡萄酒を冷やしておけばいいかしら。それとなにか食欲のわきそうな軽食を……)

 庭園も廻廊も、しんとして人の気配がない。ひどく静かだった。

(今日はルーザ=ルーザの夏の服を縫わなくちゃ。すぐによごすし、破くんだもの)

 ふと、足をとめた。

 庭園のおくに、誰かいる。花々や木々に隔てられてよく見えないが、長い金髪や体つき、翠色の衣装から察するに、若い女のようだ。

(誰かしら?)

 夏至館の女使用人なら、髪は結いあげているはずだ。客人が残っていたのだろうか。だとしても、なにをするでもなく庭園にたたずんでいるというのがわからない。

 女は、ひどくひっそりと立っていた。息をひそめているような静けさが、オレクタンテには痛ましく感じられた。まるで女が世界中から拒絶され、女もそのことをわかっていて、隠れひそんでいるような、そんな気がしたのだ。

「どなた?」

 オレクタンテは声をかけて庭園に足を踏みいれた。

 花壇と植えこみをまわりこみ、女がいた場所にでる。

「あら?」

 だが、そこには誰もいなかった。

(どこに行ったの!?)

 オレクタンテはあたりを見わたした。庭の木にさえぎられて、女の姿がつかの間見えなくはなったが、広い庭ではない。歩き去ったなら、足音なり気配なり、オレクタンテにも感じとれたはずだ。

 ふと、気づく。ここは先だって、エルドニア子爵がオレクタンテを襲った場所ではないか。

 日ざかりの庭園にいるのに、オレクタンテはふいに寒気に襲われ、身をふるわせた。逃げるようにその場を立ち去る。

「誰かいる?」

 呼ぶと、小間使いがあらわれた。

「お呼びでしょうか、オレクタンテ様」

「お客様がまだ誰か、夏至館に残っているのかしら。でなければ出入りの商人か、ほかの外の人間がいるのか。すぐに執事とサウラにたしかめてちょうだい」

 小間使いはたしかめに行き、すぐに戻ってきた。

「今はどなたもいらっしゃいません。お客様以外の者も、いないとのことです」

「そう。ありがとう」

 深く考えるのはよそうと思った。おそらく気のせいだ。日差しが眩しすぎて、なにかを見間違えたのだろう。そう自分に言い聞かせ、母の家へむかおうとふりかえった。

「きゃ……」

 小さく悲鳴をあげた。

 二階の、使用人たちの部屋につづく狭い階段のうえに、女が立っていた。

 窓も灯りもないせいで、上半身は暗がりに隠れている。だが色褪せた金髪が腰のあたりにまでとどいているのは見えた。病的なまでに青白い手は、だらりと両脇に力なくたれていた。

 指先だけが、鉤爪のようになにかを求めて曲げられている。

 その禍々しさにあてられて、オレクタンテは動くこともできなかった。

 翠色の衣装の袖口や裾には、紅色で花模様の刺繍がほどこされている。けれどその紅色は、血のよごれにも見えた。

 先刻の、庭園の女だ。オレクタンテは直感で悟った。

 だが誰かを呼ぼうとようやく口を開けたそのときには、女の姿は消えていた。

 オレクタンテはふるえながら、荒い息をつく。

 なにかの見間違いか。あるいは幻を見たのか、わからなかった。そもそもが影のような、薄い気配だった。

 わかっているのは、立ちつくす女の姿の、言いようのない不気味さだけだ。

 オレクタンテは母の家に行くのをやめた。母もルーザ=ルーザもいない部屋で、ひとりですごす気にはなれなかった。かわりに、すぐに人を呼べる夏至館の広間で、オレクタンテは母とルーザ=ルーザの帰りを待った。



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