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夏至の庭  作者: 西東行
第1章 白花
7/16

7

 月の夜の宴からしばらくは、なにごともなくすぎた。

 ルーザ=ルーザに言われたとおり、外出しなかったおかげだろう。親しい客人は毎日のように訪れたが、面会は最低限に控えた。それ以外の時間は荘園の管理をするか、新入りの小間使いに礼儀作法や家事を教えるなどして過ごした。

 ルーザ=ルーザは毎日、はやめに帰ってきた。オレクタンテはルーザ=ルーザが帰ってくる頃に、母の家に移る。そうしてルーザ=ルーザが家のまわりの仕事をしているあいだ、母と一緒に縫い物をしたり、ルーザ=ルーザの食事の支度をした。

 ルーザ=ルーザは市場が開いている時間に城内に戻るので、帰りのついでに買い物を頼んだこともあった。

 王都で評判の美少年が訪れて、市場はちょっとした騒ぎになったらしい。おまけをいっぱいもらって、頼んだ以上の食糧を持ってかえってきたルーザ=ルーザを見て、オレクタンテと母は不覚にもときめいてしまったものだ。

 むしろ、穏やかで楽しいと言えるほどの数日だった。狙われているということを忘れそうなほど。

 だが、危険を忘れるわけにはいかないし、人間が生活している以上、家に引きこもってばかりもいられない。なにしろオレクタンテは社交界で生きる高級娼婦なのだ。ことわりきれないつきあいもある。

 とりわけことわりにくいのが、葬祭をはじめとする儀式だ。

 火葬から半月を過ぎれば、占いで日を決め、遺骨を聖堂の地下にある墓所に入れなければならない。オレクタンテのもとにも、ヴァラの納骨の日取りがさだまったと、ヴァラの片腕だったレートから連絡がきていた。

 葬祭にかかわる儀式はよほどのことがないかぎり、欠席などできない。

 オレクタンテは、ルーザ=ルーザの帰宅を待ちかまえるように馬屋に行って、相談した。

 だが意外にも、ルーザ=ルーザはオレクタンテが葬祭にでることに反対しなかった。

「死者はちゃんと弔わないとだめだ」

 かえって、すすめるように言った。

「ええ、それはもちろんだけど……」

 ルーザ=ルーザは、馬のクーの世話をしていたが、その手をとめてオレクタンテを見た。

「むこうがあんたを狙ってるなら、当然、あんたの外出時を狙ってくる。たしかに危険だが、そんなことを言ってたらあんたはなにもできない。だからある程度は覚悟を決めろ。なんなら、俺があんたと一緒に行くよ。それなら安心だろ?」

 オレクタンテは一瞬、返事をためらった。

「それはもちろん、一緒にきてくれるならとても心強いわ。もっとも、あなたの都合が悪ければ――」

「今日明日に出陣するってわけでもなし。調練をするだけだ。都合なんてないよ」

 ルーザ=ルーザは世話が終わった合図に、馬の首を軽く叩いた。馬は感謝を示すように、ルーザ=ルーザに鼻面をすりよせる。

「ディアマンティーナの墓所って、川の対岸だっけ」

「ええ、そうよ。アフラでも同じかしら?」

「ニヴァリスみたいな大河じゃなかったけど、深い峡谷の吊り橋をわたった先にあったな」

「まあ、吊り橋?」

 ルーザ=ルーザは笑みを見せた。

「すっごい高いんだぞ。風が強いとゆれるし」

「そんなところを葬列がとおるの? だって棺も運ぶんでしょう?」

「棺は使わないなあ。遺体を板にのせて、赤い布をかけるだけで」

「そうなのね」

「でもその布が風で飛ぶ飛ぶ」

「だめじゃない!」

 馬の世話を終えたルーザ=ルーザとつれだって、夏至館の廊下を歩く。

 途中で、魔術師のサウラにあった。

 ルーザ=ルーザを相手に、はしゃいだ声をあげていたことをきまり悪く感じて、オレクタンテは言い訳をしたい衝動にかられた。が、先にルーザ=ルーザのほうがあたふたと弁解する。

「ごめん、すぐにラーレのところに行くよ」

 自分の持つ護符が、夏至館の結界を破ったことをまだ気にしていたらしい。サウラは慇懃に、目を伏せた。

「お気遣いありがとうございます。ですが、意識的にその護符の力を使おうとなさらないかぎり、それほど問題ではありません」

 ルーザ=ルーザは少し困惑した様子で、護符のある胸のあたりをおさえる。

「でもこれ、べつに誰かの術を破るための護符じゃないんだけどな。神に恥じることなく戦えるようにっていう、戦士に心構えをうながすための護符だ」

「ですが、火神は破魔の神ですから。おまけに護符をお持ちのルーザ=ルーザ殿は、火神官の修行もおさめられたとのこと。その覇気が、弱い精霊にとっては近寄りがたいものになるのでしょう」

 サウラは庭園のほうへ目をむけた。

「先日の夜会で、エルドニア子爵様相手に剣を抜かれたときに、戦士の護符の力が働いたようですわ。庭園を中心に気が乱れていて、精霊をとらえにくくなっております」

「本当にごめん」

 ルーザ=ルーザが謝ると、サウラはあわてて視線を戻した。

「失礼いたしました、そういう意味ではないのです。むしろ子爵様が残された負の想念をその護符が少しおさえているので、ありがたく思っているのですわ」

「……まあ。子爵様の?」

 オレクタンテが聞きとがめると、サウラはうなずいた。

「はい。オレクタンテ様というよりも、殿様への恨みが強く残っております」

 サウラのいう『殿様』とは、サフィレット伯爵のことだ。

「恨みの感情というものは、下手に放置していれば邪霊を呼びよせかねないものです。もちろん、庭園はすでに浄めておりますので、そこは問題ございませんが、想念がいまだ読みとれるほどの強い感情であることは、どうかお心にとめておかれますよう。……さぞ、ご不快かと存じますが」

「ありがとう、平気よ。それより、近々ヴァラの葬祭に参列するので、死者の街に行かなければならないのだけれど、それは差し障りはないかしら? ルーザ=ルーザも一緒に行ってくれるのだけど」

 サウラは笑顔をうかべた。それがやけに明るい笑みに見えたのは、オレクタンテの気のせいだったろうか。

「それでしたら、心配ございませんわ。ルーザ=ルーザ殿なら、きっとオレクタンテ様をしっかり守ってくださいます」

 オレクタンテはなぜか、先刻よりも居心地の悪い思いを味わった。ルーザ=ルーザもばつが悪そうにしていたが、今度は言い訳しなかった。




 納骨の儀式は、王都の夏には珍しい、曇って蒸すように暑い午後に行われた。

 風もなく、空気は重く淀んでいる。いつもは、王都の背後にある雪山から吹く風が対岸へ吹きつけてくるのだが、今日は死者を焼く煙も王都のほうに流れていくかと思えて、不吉に感じられた。

 地下の、ヴァラのための場所は、あふれるほどの花で飾られていた。

 遺骨はすでにおさめられ、祈りの歌ももうすぐ終わる。

 自分たちがここを立ち去り、墓前の蝋燭が尽きれば、ここは完全な闇となる。そのなかで、ヴァラの魂は静かに混沌に還っていくだろう。そしてあの花も、人知れず枯れていくはずだ。

 そう思うと立ち去りがたく、オレクタンテは儀式の進行も忘れて、花に見入っていた。

「――祈りの邪魔をする気はないが、もうみんな行ったぞ。俺たちも行こう」

 隣にいるルーザ=ルーザに声をかけられ、オレクタンテは我に返った。

 気がつくと、広く暗い地下墓所にルーザ=ルーザとふたりきりになっている。さすがに、気味が悪かった。

「ごめんなさい。つい考えこんでしまって」

 聖堂の一階に戻ると、参列者がそれぞれ数人ずつかたまって話していた。魔術師組合の人間は、額をつきあわせて話をしている。レートもそこにいた。話しかけられる雰囲気ではない。

 彼らはヴァラの死を調べているはずだ。なにを調べているのだろうと、オレクタンテは考えた。なにもないにしては、調査が長い。

 ペリとシノニムが、オレクタンテたちに歩みよってきた。

「ヴァラとの別れを惜しんでいたの、オレクタンテ?」

「ええ」

「見たかい? どうも、魔術師組合の人たちとレートがむずかしい顔で話しこんでいるみたいだね」

「ええ、気づいていたわ。どうしたのかしら?」

 オレクタンテの言葉に、シノニムは首を横にふった。

 シノニムたちがいるので、ルーザ=ルーザはさりげなくオレクタンテから距離を取っていた。そこへ、シノニムがちらりと目をやる。

「そういえば、エルドニア子爵のお邸では、家臣の騎士たちが集められていっせいに武器の手入れをしはじめたらしいよ」

 オレクタンテは息をのんだ。だがルーザ=ルーザは、表情を変えずにシノニムを見返した。

「うん。わかってる」

 気負いなくうなずいた。シノニムはほほえんだ。

「ああ、そうなんだね。よけいな口出しをしてしまったかな。ごめんよ」

「いや」

 答えてから、ルーザ=ルーザはオレクタンテを見やった。

「あんたに教えても怖がらせるだけかと思って、黙ってたんだ。ごめん」

「え? ――いえ、いいのよ。実際、私には怖がることしかできないんですもの」

「でも大丈夫だ。あんたは俺が守るから」

 その言葉を聞くなり、シノニムはオレクタンテにふりかえって、笑って肩をすくめた。隣にいたペリも、口に手をあててこっそりと笑っている。

 ルーザ=ルーザは聖堂の外に目をむけたので、どちらの反応も気がつかなかったようだ。

 やっと風が吹きだして、聖堂の戸口から風が吹きこんできた。ルーザ=ルーザの緋色のマントが大きくなびく。

 それは、燃えたつ炎を思わせた。

「――皆様、お待たせしました。ディアマンティーナに戻る舟の支度ができたそうですので、桟橋へおいでくださいませ」

 レートが聖堂に集まった人々に告げた。

 外にでて、ディアマンティーナをあおぎ見る。風が吹き払ったせいだろうか、王都の背後の空は、先刻よりも晴れやかに見えた。

 ディアマンティーナの岸に戻れば、エルドニア子爵の問題が待ち受けている。気が重たかったが、まさかこのまま死者の街に逃げているわけにもいかない。

(それに……)

 オレクタンテは隣のルーザ=ルーザを見た。

 彼は心配するなと言った。

 オレクタンテは、言葉ひとつを根拠もなく信用するような女ではなかった。それでもたしかに、心が軽く、強くいられるのはなぜだろう。

 自問して、オレクタンテは自分が言葉ではなく、ルーザ=ルーザ自身を信用しているのだと気づいた。




 ディアマンティーナの岸辺に戻ると、もう夕刻近かった。オレクタンテはヴァラの邸での会食に参加せず、そのまま夏至館に帰ることにした。

 オレクタンテは椅子駕籠にのり、ルーザ=ルーザは馬にのって椅子駕籠と並ぶ。椅子駕籠の反対側には赤毛の小間使いがついて、夏至館への帰途についた。

 王都ディアマンティーナは急な坂や階段が多く、馬や馬車がとおることのできる道は限られている。ルーザ=ルーザが騎馬のため、オレクタンテの一行は遠回りをしなければならなかった。馬車道は広く舗装もしっかりされていたが、人通りは少ない。人は近道をするからだ。夕刻になると、荷馬車も少なくなる。

 オレクタンテは薄布の帳をあげ、空を見あげた。太陽はすでに地平線の下に隠れて、空は宵闇の蒼が深まりつつある。まだしばらくは明るいだろうが、家に着く前に暗くなるかもしれない。椅子駕籠のすすみがやけに遅く感じられる。

 急にルーザ=ルーザの馬が耳をぴくりとさせ、とまった。

「ルーザ=ルーザ?」

 ルーザ=ルーザはじっと耳をすませるように宙に目をこらしていた。

 それから手をのばして、馬の首を叩く。

「――クー。オレクタンテは俺に食事を作ってくれてる女だ。わかるな? 俺がお前にまぐさをやってるように、俺に餌をくれるんだ」

 いきなりそんなことを言いだした。馬は、聞いているという合図のように耳をうごめかせる。

「だからお前も、オレクタンテを大事にしろ。ぜったいに落とすなよ」

 言うなり手をのばすと、椅子駕籠からオレクタンテをひきだして、自分の前にすわらせた。

「ルーザ=ルーザ!?」

 突然のことに驚いたが、あわてふためいたりはしない。

「どうしたの? なにが起きているの」

 おさえた声で尋ねた。椅子駕籠の担ぎ手や小間使いも、緊張した表情であたりを見わたしている。

「まわりでちょろちょろしてる奴らがいる。このまま椅子駕籠にのっていたら、襲われるぞ」

 ルーザ=ルーザはしっかりとオレクタンテを抱きよせると、小間使いの少女を見た。

「ひとりでも大丈夫だな?」

 少女がうなずくのをたしかめるや、馬の腹を軽くけった。と思ったときには、馬はもう矢を放ったように走りだしている。

「きゃ!」

 オレクタンテは、たしなみとして乗馬を習いはしたが、ふだんはまったく馬にのらない。しかもクーは婦人の乗馬用のおとなしい馬ではなく、鬨の声にも動じない気の荒い軍馬だ。予想以上に大きくゆれて、思わず声がでた。

 突然、前方の建物の窓から、男が弓を構えて身をのりだした。しかも、道の両側の建物からだ。

 ルーザ=ルーザはオレクタンテを片手で強く抱きよせると、空いた手でつづけざまになにかを投げつける。

 胸におしつけられたオレクタンテには、状況はわからない。ただ、かすかに呻き声があがったかと思ったとたん、クーがその声の真下をとおりすぎた。まるで耳元で呻いたように近くに聞こえて、オレクタンテはぞっと身をふるわせる。だがそのときには、声はすでに背後へ遠のいて、つづいて重いものがふたつ、地面に落ちる音がした。

 怪我をさせただけなのか、殺したのか。知りたくなかったし、たしかめる余裕もオレクタンテにはなかった。顔をあげようとした途端、ルーザ=ルーザに怒られたのだ。

「頭を下げてろ!」

 さらに強く抱きすくめられる。

 次の瞬間、馬が後ろ足で立ちあがった。

 無我夢中でルーザ=ルーザにしがみつく。悲鳴をあげることすらできなかった。

 オレクタンテの代わりに、誰かが悲鳴をあげた。同時に強い衝撃がつたわったが、あたりを見まわすことなどできず、状況がわからない。もしかすると馬が誰かを蹴っているか、踏みつけているのだろうか。おそろしさに、オレクタンテは気が遠くなりそうだった。

 やがて悲鳴がやみ、馬はふたたび軽快な足取りで走りはじめた。

 馬が暴れていたのはそれほど長くはなかったはずだが、オレクタンテにとっては長い時間だった。緊張しすぎて、すっかり疲れてしまっている。

「大丈夫か?」

 ルーザ=ルーザが尋ねたが、うなずくだけで精一杯だった。

「……あの椅子駕籠の担ぎ手たち、買収されていたのかもしれないな」

 ぼそりとルーザ=ルーザがつぶやき、オレクタンテはやっと顔をあげた。

「え?」

「あんたには見えてなかったろうけど、さっきの路地に入ってからはやけにそわそわしてたんだ。エルドニア子爵の手下と示しあわせて、待ち伏せていたんだと思う」

 オレクタンテはルーザ=ルーザの腕をぎゅっとつかむ。

「それで、もう安全な状況になったの? 私たち、逃げきれたのかしら」

「いや。まだだな」

 ルーザ=ルーザは、たいして深刻でもなさそうにつぶやいた。

「クーが何人か蹴り倒してるあいだに、逃げおおせた奴が数人いた。俺が刀子とうすを投げられなかったせいだけど」

 おそらく片手でオレクタンテを支えていたせいだろうが、ルーザ=ルーザは悔しそうだった。

「奴らも仕事に失敗したまま、おめおめ逃げ帰るなんて、できやしないはずだ。立てなおして追ってくるぞ」

 肩越しにうしろを見やった。

「ほら、きた」

「もう!?」

「こんなものだろ。五騎。乗り手は覆面してる」

「五騎ですって?」

 多勢に無勢ではないか。

「大丈夫。何騎だろうと関係ない」

 ルーザ=ルーザの声には、余裕があった。

「クー」

 鞭も使わず、声をかけただけなのに、馬はなめらかに加速した。軽快な足取りは、仮にも大人をふたりものせているとは思えない。すばらしい馬だ。このまま馬に任せていれば、きっと逃げきれるだろう。

 それなのに、道を曲がったところで、突然クーは足をゆるめた。

「クー!? どうしたの、足が痛いの?」

「こいつはそんな走り方、しないよ」

 狭い路地の前で、ルーザ=ルーザはオレクタンテを抱えあげ、馬から飛びおりた。

「よし。クー、このあとすることはわかってるな?」

 ルーザ=ルーザは馬の鼻面の先にキスすると、あごをしゃくって前をさした。

「行け!」

 馬は脚に翼でもはえているかのように駆けていった。

「ルーザ=ルーザ!? いったいどうするつもりなの?」

「説明する暇なんかない。いいから足を動かせ」

 ルーザ=ルーザは、オレクタンテの手を引いて狭い路地に入る。路地はまがりくねった坂道で、ところどころ階段になっていた。横道のない長い一本道で、両側とも窓のない高い壁がつづいている。建物から狙われる心配はなさそうだが、逃げ場もない。

 これではすぐに追っ手につかまるか、挟みうちにされてしまうのではないか。

「ルーザ=ルーザ、この路地はだめよ!」

 たしかに道が複雑な王都ディアマンティーナでは、馬だと逃げ道は限られる。それでも、あんなに足のはやい馬を捨てるべきではなかったのではないか。

 背後をたしかめる。路地がまがっているために、追っ手の姿は見えなかったが、騒がしい物音や足音が反響していた。追っ手も馬を捨て、この路地に入ってこようとしているのだ。

「ルーザ=ルーザ!」

「大丈夫。道がまがってるから、弓もこない。でもあんたが前にいたほうがいいな」

 ルーザ=ルーザは人ひとりがやっととおれるほそい路地で、場所を入れかわる。オレクタンテが前にでたことで、ふたりが走る速度はさらに落ちた。

 だが追っ手は徐々に近づいてきているようだ。

「このままだと、追いつかれるわ」

「それを狙ってるんだ」

「なんですって!?」

「生かしておいたらまた襲ってくるから、ここで殺しておこうと思って。ここなら幅が狭いから、一対一に持ちこめるだろ。路地のおくに誘いこんで、逃さずにしとめるつもりなんだ」

 あまりにも平然と言われた殺すという言葉に、オレクタンテはうろたえた。

「なにを……なんてこと、そんなの無茶よ。あぶないわ」

「騎士五人は、たしかに簡単じゃない。だからあんたは、クーにのって先に行け」

「クー?」

「ほら。前」

 ふたりは路地のまがり角にきていた。道はここからやや広くなっている。

 その前方から、クーが蹄の音を忍ばせてやってくるではないか。

 ルーザ=ルーザたちのそばまでくると、クーは器用に狭い場所で方向転換した。

「いったい、どうして……さっき、べつの道を行ったのに」

 困惑しきっていると、ルーザ=ルーザが得意そうに答えた。

「ここのところ、はやくに城内に戻ってただろ。夏至館に帰る前に、毎日クーと周辺を歩きまわって、逃げ道や待ち伏せするのによさそうな道を見つくろってたんだ。クーもこの道は何度かとおってる」

「そんなことしてたの?」

 ルーザ=ルーザはちょっと頬をあからめた。

「……最初のころ、エトに教えてもらった道がほとんどだけど」

「そういう意味じゃなくて!」

「とにかく、ほら。クーにのって先に行けよ。大丈夫だ、この先に階段はないし、クーはぜったいにあんたを落としたりしないから」

 ルーザ=ルーザはオレクタンテを、鞍にのせようとした。だがオレクタンテは、その手を払いのける。

「なにを言ってるの! そんなことできるわけないでしょ!」

 騎士を五人も相手にして、勝てるわけがない。殺されるか、あるいはもっとひどい目にあうだろう。

『お前も一緒になぶってやろうではないか』

 先日のエルドニア子爵の言葉を思いだし、オレクタンテは恐怖にかられた。

「逃げるのはあなたのほうよ、ルーザ=ルーザ! さあ、はやく、クーにのって!」

 ルーザ=ルーザは目を瞬かせた。

「……いや、だからさ。この前もそうだったけど、なに言ってんだよ、あんた」

「あなたにはわからないのよ! あなたみたいなきれいな子は、ぜったいつかまっちゃだめなの!! はやく、はやくったら!!」

 オレクタンテはルーザ=ルーザを必死におしやり、馬にのせようとする。

 彼のような少年を、自分のような女の揉め事にまきこんではならなかった。ルーザ=ルーザほどの容姿の持ち主が、下劣な人間の手にかかったらどうなるか、自分は誰よりわかっているはずだったのに。なんとか、彼だけでも逃がさなければ。

 だがオレクタンテの手を、ルーザ=ルーザはおしかえすようにとめた。

「いいから落ちつけ。俺が逃げたら、あんたはどうなるんだよ」

 オレクタンテの手を包むようににぎりしめた。

 オレクタンテはルーザ=ルーザを見あげる。そして、わずかな間をおいて、小刻みにふるえはじめた。

「私――私は……だって、高級娼婦だもの。今さらのことだわ。いつかひどい目にあうって、覚悟もしていたし。だから……」

 ルーザ=ルーザはオレクタンテの言葉をさえぎるように、長いため息をついた。

「なにが覚悟だよ。怖いくせに。だいたい、自分やラーレがそんな目にあわないように、ロライマ将軍と取引したんだろ。俺だって、あんたを守るためにここにいるんだ。さっき死者の街でもそう言ったのに。あんたも聞いていたじゃないか」

「だからって、あなたまでまきこむわけには」

 言葉は途中で飲みこまれた。

 ルーザ=ルーザが笑ったのだ。

「あんた、バカだな」

 苦笑というにはおかしそうで、口調も言葉とは裏腹に、なだめるような優しいものだった。それがあまりにも場違いに思えて、オレクタンテはきょとんとしてルーザ=ルーザを見返した。

 太陽が落ちて、あたりはすっかり薄暗くなっていたが、オレクタンテを見る青い瞳は朝のように明るかった。

「戦士の俺をかばおうとか、助けようとか。危ないのは自分なのに。ホントにバカだ。俺よりずっと賢いのにさ」

「な、なんですって……!」

 ルーザ=ルーザはオレクタンテの手を軽くなでさすり、ぽんぽんと叩いた。子供か、動物にするような仕草だった。

「大丈夫だよ。な?」

 オレクタンテはまだ混乱していたが、それでも言いかえそうとする。

 だがそのとき突然、ルーザ=ルーザが背後をふりかえった。複数の足音が、すぐそこまで迫っていた。

 ルーザ=ルーザは立ちあがると、オレクタンテをさらいあげた。そして、有無をいわせずオレクタンテを鞍にのせる。

「ルーザ=ルーザ!?」

「とにかくクーにまかせて、たてがみにしがみついてろ。クー、行け!」

「ルーザ=ルーザ!!」

 しかしクーが走りだして、オレクタンテはそれ以上つづけることができなかった。

 なんとか必死でふりかえったオレクタンテが見るのは、短剣を両手にかまえるルーザ=ルーザの後ろ姿だけだった。

 それもすぐに、路地の影に隠れて見えなくなった。



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