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夏至の庭  作者: 西東行
第1章 白花
6/16

6

 数日後、夏至館で夜会がもよおされた。

 ちょうど満月の夜で、まろやかな月の光が庭園に満ちていた。白い花がほのかに光を照りかえし、木々の影を地面に落としている。

 オレクタンテは友人のヴァラから遺品として譲られた真珠の髪飾りをつけて、夜会にのぞんだ。華やかで、夜会が好きだった友人が喜んでくれるだろうと考えたのだ。

 客人たちは廻廊をめぐりながら、さざめくように談笑していた。

 時折、先刻までいた客人が数人、見えなくなることがある。二階の個室で、密談を交わしているのだ。

 現在のところ後援者を持たず、したがって中立のオレクタンテの館は、密談には最高の場所だった。おまけに、オレクタンテは精霊などを使って他人の密談を盗み聞くようなことはしない。人々はオレクタンテに挨拶をしては、庭園や談話室に散り、誰かと目配せしあっては、べつべつに二階へあがっていく。オレクタンテはただ女主人として、誰がいつ、誰とどの部屋に入ったかだけを把握していた。

「やあ、オレクタンテ。いい夜だね」

 シノニムが軽やかな、夏の夜にふさわしい衣装でやってきた。オレクタンテもほほえんで彼を迎える。

「きてくれて嬉しいわ、シノニム」

「その真珠の髪飾り、見事なものだね。よく似合ってるよ。今夜の月にもぴったりだ」

 シノニムはちらりとあたりを見まわした。

「やっぱりルーザ=ルーザはいないんだね」

 オレクタンテはくすくすと笑う。

「言ったでしょ、華やかな席が苦手な人なの」

 長椅子に案内して、よく冷えた酒をわたす。

「それよりシノニム。あなた、王立学問所の内情にくわしかったわよね。今年の春に学問所にきた、エトっていう学生のことを聞いたことある?」

「エト?」

 シノニムは目をみはり、驚いた表情をうかべた。が、それは一瞬のことで、すぐにいつもの穏やかな表情を取りもどす。

「もしかして、すごく若くて学問所に入ってきた男の子のことかな。聞いたよ。でも専攻が数学かなにかで、僕にはむずかしそうだったから、くわしく知らないんだ」

「その子だわ。数学を学んでいるって言ってたから」

「数学は、たまにすごく若い人が学問所にやってくるからね。その子がどうかしたのかい? 知り合い?」

「ルーザ=ルーザと仲がいいの」

「へえ!? 数学者と? それは意外だな」

「幼なじみで親友なんですって。まだ道を覚えていないルーザ=ルーザを送って、夏至館までくるのよ」

「幼なじみ……アフラか」

 シノニムは小さくつぶやいた。

「それで、ふたりの会話が聞こえたんだけど、近々エトは王国のための研究をしないといけなくなるのですって。そうなったら、今みたいに気軽に会えなくなるとも言っていたわ。どう思う?」

 シノニムは口をつぐむ。そしてオレクタンテを見つめ、慎重に口を開いた。

「まあ、王立学問所っていうのは、もともとそういう機関でもあるからね。王国の利益のために、農作物の品種改良とか、強力な新型の武器や、魔術なんかを研究開発するんだ。そして数学者なら、することは決まってる。――迷宮だよ」

「そうね」

 迷宮は、王権の象徴である権標を封じる場所だ。王以外の誰も近づけないように、複雑な道をつくり、各所にからくりや仕掛けをほどこす。

「言うまでもないけれど、迷宮の秘密にはあまりかかわらないほうがいい。権標は王権の象徴、つまりそれさえ手に入れれば王になれるんだ。野望を抱く者の究極の目標だよ。特にフィリグラーナ王国の権標は、千年も守られてきたほどの秘密だからね。新型の武器どころじゃない。下手に触ると、命にかかわるよ」

「わかっていてよ。馬鹿なことはしないわ」

 そのとき小間使いの少女が足早にオレクタンテのもとにやってきて、短く、しかし鋭くささやいた。

「エルドニア子爵がおいでです」

 オレクタンテは長椅子から身を起こす。

 エルドニア子爵は、すでに大股で広間に歩みいるところだった。

 かたい茶色の髪は、貴族らしく一筋の乱れもなく波うたせていた。だが左の頬には剣による傷が走り、がっしりした肩や厚い胸、太い腹は薄手の絹の長衣に窮屈そうにおさまっている。武骨な手を落ちつかなげに開いたりにぎっているさまは、剣がなくて手持ちぶさたとでもいうようで、不穏きわまりなかった。

「おお、オレクタンテ殿。真珠の髪飾りが実によくお似合いで、月の精霊もかくやと思われる美しさだ。今宵にふさわしい装いだな」

「エルドニア子爵様。まあ、よくお越しくださいましたわ」

 心ない言葉で歓迎した。子爵など招待したわけではなかったが、誰かべつの貴族がつれてきたのだろう。正式な晩餐会でなければ、知人を勝手に随伴することはよくあったし、そういった行為は人脈を広げるとして喜ばれた。

(でも私が求愛を拒んでいる相手なんだから、つれてくるのは遠慮すべきじゃないの)

 知らない誰かに文句を言いかけたが、やめた。その誰かも、エルドニア子爵に脅された可能性が高かったからだ。

 エルドニア子爵はオレクタンテの手を取り、シノニムをにらみつけた。剣呑な目つきだったが、シノニムは如才なく親しげに目礼して、子爵の視線を受けながす。子爵はやや気がそがれたように、オレクタンテに顔をむけた。

「オレクタンテ殿。聞くところによれば、若い愛人を世話しはじめたとか。私の気持ちを知りながら、あんまりではないか」

 悋気を装って、オレクタンテが味方をつくることを牽制しようとしているのだろうか。

 子爵の手は骨ばってやけに熱かった。不快で放してほしかったが、エルドニア子爵は力をこめたまま放さない。勝手に触らせておくことにして、オレクタンテは艶然とほほえんだ。

「子爵様のお気持ちは嬉しゅうございますけれど、私にもいろいろとあって、後ろ盾になってくださる方を簡単には決めかねますの。なんの身分もない若者だからこそ、気軽に愛人にしたんですわ」

「私こそ、あなたを得るためなら爵位も名誉も返上してもかまわぬのだがな」

 血走った目でオレクタンテを見つめる。だがこの程度のことで動揺するほど、オレクタンテも初心ではない。美しい笑みを保った。

「まあ、子爵様。お戯れをおっしゃいますこと」

「なんの、戯れなものか。なにしろ、すでにすべて失ったも同然の身だ」

 もしや子爵は自棄になりかけているのだろうか。オレクタンテはひやりとした。彼女自身は証拠をわたしていないだけで、子爵を脅迫したり追いつめるような言動はしていないが、なにしろサフィレット伯爵が子爵をかなり酷使してきたのだ。

 だとすれば、かなり厄介だ。ここはオレクタンテの館だし人目も多いから、エルドニア子爵とて滅多なことはできないはずだが、自棄になるとそんな予測もきかなくなる。

 エルドニア子爵は、オレクタンテに顔をよせる。

「あなたがほかの男のものとなっていると想像するだけで気が狂いそうだ。いっそ、その愛人とやらに決闘を申しこんでみようか」

 オレクタンテは思わず息をのみそうになった。

「……そのようなこと、おやめくださいませ」

「ほう? オレクタンテ殿、やっと顔色が変わったな」

「そんなことは」

 けれどそれ以上の言葉がでてこない。

 シノニムは気づかうようにオレクタンテを見ていたが、口を挟めずにいた。新入りの小間使いも、今にも子爵に飛びつかんばかりの顔つきだったが、さすがに手をだしかねている。

「――オレクタンテ様。商人のバンフィア様とペリ様がお越しです」

 助けは、来客がもたらしてくれた。エルドニア子爵もさすがに挨拶を邪魔するわけにもいかず、手を放す。

「失礼する。あとでな、オレクタンテ殿」

 そう言い残し、立ち去った。入れかわりにペリと、彼女の友人の商人がつれだってやってくる。

「よくきてくださいましたわ、バンフィア様。ペリも」

「ごきげんよう、オレクタンテ。きれいな月夜ね!」

「オレクタンテ殿。先日はペリをつうじて本当によい情報をいただき、感謝している」

「王国軍との取引の件ですわね。ええ、いい酒保商人が不足しているようですわ」

 それからしばらく客人の到着がつづいた。オレクタンテは女主人として挨拶に追われ、客人がとぎれたときには、エルドニア子爵は見当たらなくなっていた。

 シノニムは廻廊で、老貴族と話しこんでいる。

 ペリはおそらく二階でバンフィアと、王国軍との大口の取引に入りこむ算段でもしているのだろう。狙いはロライマ将軍、正確には彼の下にいる、底なしの消費集団だ。戦は商人にとって金のなる木である。たとえ平民でもロライマは将軍には違いなく、なんとか彼に近づきたいという商人は山といた。

(エルドニア子爵はどこかしら)

 とおりかかった小間使いに尋ねてみると、饗宴の間で皆と一緒に吟遊詩人の歌を聴いているという。

「子爵様が動いたら、すぐに知らせてちょうだい」

 オレクタンテはそう言いおくと、酒杯を手に庭園にでた。

 花はどれも満開で、甘い香りにむせかえるようだった。

 月は花と白さを競うように皓々と輝き、庭園をいっぱいに照らしている。

 光から香りがたちのぼり、それがあたりを満たしているかのようだ。

 吟遊詩人の歌も人々のざわめきも、ひどく遠く聞こえた。噴水の流れる涼しげな音だけが、やけに耳につく。

 月の光のせいだろうか。オレクタンテはふいに、自分がまったく場違いなところにいるような違和感を覚えた。

 自分はこんなところでなにをしているのだろう。本当はここではない何処かで、まったくべつのことをしているはずではなかったか。ほかの誰かと一緒にいたはずでは――。

 たゆたうようなもの思いは、かすかな声に唐突にさえぎられた。

「誰!?」

 オレクタンテはふりむき、木々にむかって問いかけた。

 答える声はない。しかし、噴水の音にまぎれるほど小さな声だったが、たしかに聞こえた。女、しかもまだほんの少女の声だったように思う。

(小間使いの誰かかしら)

 足音が近づいてくる。暗くて相手の姿は見えないが、大股で小道を強く踏みしめる音は小間使いのものではない。

 オレクタンテはその場を立ち去ろうとした。

 だがそのとき突然、茂みから太い腕が伸びてきたかと思うと、オレクタンテを乱暴に引きよせた。

「やっとふたりきりになれたな、オレクタンテ」

「エルドニア子爵様……!」

 助けを呼ぼうとしたが、片手で喉元をおさえられて、声があがらない。もう片方の腕はオレクタンテのほそい体にまわされ、胸を鷲づかみにしていた。

 エルドニア子爵は満足そうに含み笑いをした。

「忌憚なく、話をしようではないか」

 そう言って、いたぶるように手に力をこめた。オレクタンテは息が詰まったが、なんとか声をしぼりだした。

「子爵様。もしや、私の小間使いになにかなさいましたの」

「なに、うろちょろと前を歩いて目障りだったからな。しかも追いついたら大声をだそうとしたから、黙ってもらっただけだ」

「そんな――」

 オレクタンテは身をよじって小道のほうにふりかえろうとしたが、エルドニア子爵はその小さなあごをつかみ、無理矢理に自分のほうにむけさせた。

「どうだ。お前の主人からあずかったものがどこにあるか、言うつもりはないか?」

「そのようなこと、お答えできるものではありませんわ。それよりも子爵様、大勢のお客様も近くにいらっしゃるのに、こんな無体はおよしください」

 子爵はせせら笑った。

「客人か。それがどうした。客人がいるからなにもできないのは、お前も同じではないか。どんな護衛を雇っているかしらんが、大勢の客人の前で貴族である私に手出しするなどという不始末をしでかせば、お前の評判も台無しになるぞ」

 エルドニア子爵は太い指をオレクタンテの首にまわした。だが首にまわした指に力はこめず、ただゆるゆるとゆさぶるだけだ。

「ここで私がお前になにをしても、客人どもは思いあまって手をだしたのだと誤解してくれよう。なに、どうせ雌犬一匹、たいした罪にはならん。……ふん、サフィレットの雌犬に恋着など、ばかばかしくて冗談にもならぬがな」

 オレクタンテは子爵を睨んだ。

「以前にも申しあげましたけれど、私が死ねば、証拠と証人は白日の下にさらされることになりますのよ。お忘れですの?」

「忘れてはおらんさ。だが、どうやっても手に入らんとなれば、いっそお前と一緒に破滅するのも悪くなかろうと思いはじめてな」

 やはり子爵は、自棄に陥りつつあるようだ。

「サフィレットが残したお前さえ片づければ、思い残すことはないという気もしているのだ――サフィレットめ、この私をさんざんに利用しやがって……」

 たしかにサフィレット伯爵は、容赦ない残酷な脅迫者だった。エルドニア子爵は望まぬ戦に参戦させられ、無謀な戦いで大切な家臣の多くを失うことになった。またあるときは、宮廷内の派閥の調整のため、恩人を裏切ることを強いられた。領地の大切な橋も失うはめになった。

 サフィレット伯爵は死んだが、そんなことではエルドニア子爵の恨みは晴れないのだろう。むしろ自分の手で復讐する機会を失って、憎さが増したのかもしれない。その点はオレクタンテにも共感できないこともない。

 だが、それらすべてはこの男の自業自得ではないか。

 その恨みを関係のないオレクタンテにむけるなど、あまりにも理不尽だ。

 けれど、オレクタンテの訴えを聞いてくれる者は誰もいない。

「汚らわしい売女め」

 指に力がかかり、熱い息がオレクタンテの顔にかかった。

「……子爵様――」

 気が遠くなりかけたそのとき、ふいに子爵が手をはなした。

 そして乱暴にオレクタンテを突きとばした。かたわらの茂みが大きく音をたててゆれる。子爵は身をひるがえしながら、腰の剣を抜いた。同時に、たった今まで子爵が立っていたところで、なにかが空を斬る鋭い音がした。

 わけもわからないまま、オレクタンテはすわりこんでしまう。その耳に、今度は硬く重いものがぶつかりあう音がつづけざまに響いた。

「慮外者め!」

 エルドニア子爵が怒鳴る。

 オレクタンテは、今のうちに逃げようとするが、体が動かない。

 そのオレクタンテの腕を、誰かがつかんだ。

「大丈夫か」

「……え……」

 抜き身の剣をかまえた少年が、オレクタンテを守って前に立ちはだかっていた。

「ルーザ=ルーザ!」

「怪我はしていないか」

 子爵を見すえたまま、尋ねた。

「え、ええ」

 ルーザ=ルーザがオレクタンテを気づかうあいだに、エルドニア子爵は剣をかまえなおす。

「きさまがオレクタンテの愛人とやらか。平民の分際で、無礼な」

「うるさい。無礼者はお前だ」

 ルーザ=ルーザの礼をわきまえない口調に、エルドニア子爵は目をむいた。

「なんだと」

「お前の剣こそ、火の神への冒涜だ。剣をかまえろ。俺が神への礼を教えてやる」

 ルーザ=ルーザは、ぴたりと切っ先を子爵にむけた。

 子爵の頬がぴくりとひきつる。

「優男が、でかい口を! ちょうどいい、お前も一緒になぶってやろうではないか」

 オレクタンテはふるえあがったが、ルーザ=ルーザは脅しに動じた様子はなかった。静かに剣をかまえなおす。

「下衆」

 短く、痛罵した。その声に、オレクタンテはルーザ=ルーザが激怒しているのだと悟った。

 地面を蹴ったのは、ほとんどふたり同時だった。

 だがルーザ=ルーザがエルドニア子爵に襲いかかるほうが、はやかった。子爵は防御のかまえを取ろうとしたが、ルーザ=ルーザの動きはあまりに敏捷だった。子爵はなんとか剣で攻撃を受けとめたものの、腰が入っておらず、切っ先がふらりと流れる。ルーザ=ルーザはすかさず、子爵の剣をはじいた。子爵は踏んばって、なんとかこれも剣を落とさずにしのいだが、防戦一方だ。

 筋骨たくましいエルドニア子爵とくらべると、ルーザ=ルーザは子供のようだった。それでも、ルーザ=ルーザのほうがずっと落ちついていると感じられた。冷静に局面を見、なにが起きているか、なにが起こるか、すべて見とおしているように見えた。動きが安定して危なげないことは、オレクタンテにもはっきりとわかった。相手の動きにすいつくように攻め、隙をぜったいに見逃さない。力だけでおしてくる子爵とは対照的に、ルーザ=ルーザの剣にはやわらかな印象があった。

 それでいて、ここぞというときには容赦なく、鋭く襲いかかる。

 ひときわ激しい音をたてて、ルーザ=ルーザが子爵の剣をはじきおとした。

 子爵は手首をおさえて、しゃがみこむ。その背にむかって、ルーザ=ルーザはなんのためらいもなく、剣を突きたてようとした。

「だめよ! やめて!!」

 オレクタンテは我に返るや、悲鳴をあげてルーザ=ルーザにすがりついた。

「殺してはだめよ! 貴族を殺したら、私はあなたをかばいきれなくなるわ!」

 ルーザ=ルーザはゆっくりとオレクタンテにふりかえって、彼女を見た。わずかに息は上がっていたが、目は完全に冷静で、迷いのない殺気に満ちていた。そのことがオレクタンテをぞっとさせた。

「……なに言ってんだ、あんた」

 剣の音とオレクタンテの悲鳴に気づいたのだろう、廻廊のあたりでざわめきが起こった。つづいて、人が近づいてくる気配がする。

 エルドニア子爵は自分の無様な姿に気づいたのだろう、あわてて立ちあがり衣装の乱れを直したが、ルーザ=ルーザはまだかまえを解かない。

 シノニムを先頭に、客人たちがオレクタンテたちのいる場にやってきた。彼らはルーザ=ルーザとエルドニア子爵が対峙しているのを見てさすがに驚いたが、状況をどう察したのか、動揺はほとんどなかった。

「――ルーザ=ルーザ、剣をおさめるんだ」

 シノニムが恐れげもなくふたりのあいだに立ち、言った。

「エルドニア子爵は、もう戦えないよ」

「だがあいつは、オレクタンテに乱暴しようとした」

 言葉どおりの意味だが、エルドニア子爵以外の者は皆、べつの意味に解釈したようだ。子爵は表面上、オレクタンテに熱心に求愛していたとして知られているので、その誤解はむしろ自然だった。わけしり顔に、オレクタンテたち三人を見物している。

「うん、君の怒りはもっともだ。けどね、ここは引かないとだめだよ」

「そんな道理があってたまるか! あいつは――」

 なおも言いはろうとしたルーザ=ルーザの腕を、オレクタンテが引いてとめた。

「もういいの。私は大丈夫よ。だからやめて」

「なに言ってるんだよ!? あんなことが許されるわけあるか!!」

「助けてくれて本当にありがとう、ルーザ=ルーザ。でも今はこれ以上さわぎを大きくしてはだめよ。……お願い」

「オレクタンテ」

 必死の訴えがつうじたのか、ルーザ=ルーザの戦意が急に薄れた。そして、しぶしぶとだが剣を鞘に入れる。だが子爵に対しては、まだ少しも警戒を解いていなかった。視線だけでも斬りかかろらんとばかりに、子爵を睨みつける。

 エルドニア子爵は威厳を取りつくろい、言った。

「せっかくの宴を騒がしてすまなかった。私はこれで失礼しよう。オレクタンテ殿にも、あらためてお詫びにうかがうとする。そんな若造よりも私のほうがよほどいい恋人になれるということを、理解してもらわなければならぬからな。では、またそのときに」

 最後は、オレクタンテを見やりながら言った。オレクタンテは思わず、ルーザ=ルーザの腕にすがる。

 エルドニア子爵がわざとらしいゆったりした足取りで去っていくと、見物していた客人たちも、そのあとを追うように消えていった。

 最後までオレクタンテとルーザ=ルーザのそばに残っていたのは、シノニムだ。

「大丈夫かい、オレクタンテ?」

「平気よ。ありがとう、シノニム」

「子爵様は以前からきみにご執心だったけど、嫉妬のせいか、今夜はいちだんと妄執じみていたね。困ったものだ」

「……いいのよ。こんなこと、はじめてじゃないもの」

 乱れた髪を整えようとして、真珠の髪飾りがないことに気づいた。いつのまにか落としていたらしい。シノニムが拾い、さしだす。オレクタンテは手がふるえないように気をつけて、受けとった。

「気をつけて、オレクタンテ。僕でよければいつでも力になるよ」

「ありがとう」

 シノニムがその場を去るのと入れかわるように、新入りの小間使いがよろめきながらやってきた。

「……オレクタンテ様!」

 夜目には目立たないが、赤毛の下の額に血がにじんでいて、オレクタンテは息をのんだ。

「まあ、あなた、それ……もしやエルドニア子爵様に?」

 小間使いは悔しげにうなずく。

「エルドニア子爵がオレクタンテ様のところへ行こうとしてるのを知らせようとしたんですけど、殴られて。それで、わけがわかんなくなって……ごめんなさい」

「そいつが倒れているのを見つけたべつの小間使いが、俺に知らせてくれたんだ」

「なんてこと、女の子の顔にこんな――すぐにサウラに看てもらいましょう。傷が残ったらたいへんだわ」

 オレクタンテが気づかうと、少女は戸惑って頬を赤らめた。

 ルーザ=ルーザはまだ気持ちが静まらないのか、緊張を解かずに庭園を見わたす。

「しばらく、外にはでるな。俺もできるだけ、はやく帰るようにする」

 オレクタンテはルーザ=ルーザを見あげた。月光がさす庭園で、ルーザ=ルーザの美貌はいっそう精霊めいて見えた。

 本当にきれいな少年だ。

『お前も一緒になぶってやろうではないか』

 オレクタンテは慄然とした。

 今さらのように、この少年を巻きこんだことの重大さを思い知った。



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