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夏至の庭  作者: 西東行
第1章 白花
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5

 王都ディアマンティーナは、大河ニヴァリスのほとりに建つ。ニヴァリスをはさんだ対岸には、小さな街があった。

 死者の街である。王国内のほとんどの都市では、衛生上の理由から、死者を城壁内に埋葬することは禁じられていた。ディアマンティーナでは神殿での弔いの祈りのあと、死体を舟にのせて対岸に運び、装飾をほどこした大きな窯で火葬にふす。裕福な者は美しい霊廟を建てたが、ほとんどの者は聖堂の地下にある共同の墓所に遺骨をおさめた。貧しい者はそれすらなく、骨は穴に投げいれられるのみだった。

 オレクタンテはこの日、葬送の舟にのって川をわたった。舟は贅をつくしたもので、死者は香りたかい花々に包まれていた。参列者も身なりのよいものばかりだったが、しかしその数はわずかだった。

 風が強い日で、葬送の鈴の音がやけに強く聞こえた。

 死んだのは、オレクタンテの高級娼婦仲間だ。

 ヴァラと呼ばれていた。本名はわからない。直感と洞察力に優れ、会話がうまかった。自身も占い師になれるほどの霊感があり、魔術師たちの動向にくわしかった。オレクタンテも、魔術がからむことではよく彼女を頼ったものだ。

 オレクタンテは死者の街から対岸のディアマンティーナを望む。白い都市は夏空にうかぶ白雲のようにそびえていた。まるで手の届かない遠くにあるように見えて、オレクタンテは自分の体を抱くように、両腕をよせた。

「オレクタンテ様、寒いですか? 外套を着ますか?」

 同道していた小間使いの少女が尋ねてきた。夏至館に入ったばかりの、赤毛の少女だ。

「『お召しになりますか』よ。ありがとう、でもいらないわ」

 死者の街から戻ると、オレクタンテを含めた数人が、故人の屋敷に招待された。親しい者が故人を偲びながら軽く食事を取るのは、広く行われている習慣である。これはひとつには、死者の街では原則、食べ物を口にすることが禁じられていたからだ。

「ヴァラがいなくなると寂しくなるね」

 シノニムは長椅子に身を横たえ、さっそく冷やした葡萄酒を口に含んだ。喉が渇いていたのだろう。

「実感なんてわかないわ。あんまり突然だったもの。なにごとも慎重だった彼女が、階段から落ちて死ぬなんて」

 ペリも、胡椒をきかせた甘い卵料理を頬ばる。

「……ヴァラの死は、本当にただの事故なの?」

 オレクタンテに問いに、ペリは肩をすくめた。

「誰かのしわざとしても、あまりくわしく知りたくないわ。下手にかかわると、殺されかねない情報ってわけでしょう? ヴァラがかかわっていたなら、魔術師にかかわる情報の可能性が高いし。だったら私たちのでる幕はないわよ。あちら方面は、自分にもある程度霊感がないと裏付けすら取れやしないんだから」

 シノニムもうなずいた。

「ヴァラが突然死んでしまったから、王都の魔術師組合が動いているみたいだよ。今日の葬祭にも、何人か参列していたようだね。彼らはもともとヴァラと取引もあったから。なにかあるにせよ、彼らにまかせておけばいいんじゃないかな」

 オレクタンテはほそい指を額にあてた。

「ヴァラはなにを知ってしまったのかしら」

 シノニムは杯を小卓においた。

「なにか気になることでもあるのかい、オレクタンテ?」

「そういうわけじゃないわ。ただどうしても、もしこれが自分だったらって考えてしまうの」

 誰かにとって不都合な秘密を知ったばかりに、不幸な死を迎える――最悪の結末だが、高級娼婦たちにはしばしば起こることだった。

 オレクタンテ自身が、対岸の死者の街から戻ることができず、葬儀の参列者に思い出話を語られていた立場かもしれないのだ。

 そう思えば、葬儀がとりおこなわれるだけ、ましかもしれない。下手をすれば、誰にも知られず存在だけが消されてしまうこともありえた。

(死にたくないわ)

 シノニムは手をのばし、オレクタンテの腕にそっと触れた。

「気持ちはわかるけど、あまり考えこまないほうがいいよ、オレクタンテ。ほら、夜会だって近いし、せっかく若くてきれいな愛人もできたんだしさ」

「そうよ。世話をしてあげているんでしょう? どうなの?」

「どうって」

 オレクタンテは一瞬、言葉に迷った。

「若い男の子って、あんなに欲望に際限がないのかしらと思っているところよ」

「…………それはそれは」

「充実しているようね」

 ルーザ=ルーザの食欲が完全に満たされることなどあるのだろうか。昨夜も、母とオレクタンテのふたりがかりで用意した食事をぺろりと平らげた。体があんなにほそいのに、食べたものはいったいどこに消え失せているのか。まるで魔術のようだ。

「体力があるのはいいことなんでしょうけど」

 昨日も砦からはやめに帰ってきて、休むことなく母の家の修理をしたり、水くみをしてくれた。よく働く少年であることは間違いないし、なにかと母を気づかってくれることには本当に感謝している。肉でもパンでも、いくらでも奮発しようとも思う。

 ただ、気づけばルーザ=ルーザ(の食事の支度)のことばかり頭を占めているのが、少しばかり業腹だった。

「まあ、あまり疲れないようにね」

「そうね。ありがとう」

「――お話中のところ、失礼いたします。お酒とお食事は足りておりますでしょうか」

 部屋の入り口に、年齢不詳の痩せた女が立った。胸元や手首には、護符となる装身具をいっぱいにさげている。レートと呼ばれ、ヴァラの側近として働いていた占い師だ。

 レートは膝を深くまげて、礼を取った。装身具がふれあい、澄んだ音をたてる。

「本日は、主の葬儀にご参列いただき、ありがとうございました。皆様にお見送りいただいて、ヴァラ様も安らかに旅立たれたかと存じます」

「まあ、レート――今日は本当にご苦労様だったわ。急なことで、あなたも大変だったわね」

 ペリが急いで立ち、レートのそばに歩みよった。オレクタンテとシノニムもつづく。

「あなた、これからどうするの? なにかお手伝いできることはあるかしら」

「よければ、紹介状を書くよ」

 レートは、それまでかたい表情をしていたが、わずかに目元を和らげた。

「ありがとうございます、皆様。ですが、大丈夫です。私はヴァラ様の身のまわりを整理して、そのあとは郷里に戻ろうかと思っております。ヴァラ様は、私にもすぎるほどのお金を残してくださいましたので……」

 もしものときのために、遺言をはじめとしたあれこれの準備をしておくことは、オレクタンテたち高級娼婦にとって当然の心構えだ。オレクタンテも、荘園のほとんどは母の名義にしてあるし、そのまま墓まで持っていく秘密や、逆に誰かに譲りわたす情報など、つねに整理している。

「ヴァラの遺品は、君が彼女の郷里におさめに行くのかい?」

「はい。ご指名いただきました。王都での納骨の儀式が終わりましたら、出立しようかと思っています」

 レートは目元をぬぐうと、そばにあった銀の盆を手にした。

「こちらはヴァラ様の愛用の品でございますが、郷里の霊廟にはおさめず、ディアマンティーナで特に親しくしていただいた皆様に使ってほしいと、ご遺言にございました。よろしければ、どうかお持ちくださいませ」

 銀の盆の上にあったのは、常磐木のような深い緑の石の指輪と、淡い色合いの透胎七宝の首飾り、そして大粒の真珠をつらねた銀の飾り櫛だった。

「……あら! この首飾りは、以前に私が褒めたものだわ。幾度か私に貸してくれたこともあったのよ。ヴァラったら、覚えていてくれたのね!」

 ペリは首飾りを抱きしめるようにして喜んだ。

「指輪……というか、緑玉は僕にか。指輪は女物だから、石は僕の好きなものにつけかえていいってことだよね。どうしようかな」

 シノニムも、自分の瞳と同じ色の、大粒の宝石を譲られて嬉しそうだ。

 残った真珠の櫛は、オレクタンテへのものだろう。

 オレクタンテは櫛を手にとる。これほど大粒のものがそろった櫛は見たことがなかった。大きさだけでなく、白さも艶も、今まで見たことがないほど見事なものだ。オレクタンテも真珠は腕輪や指輪、櫛や首飾りなどいろいろ持っているが、ここまでの逸品はない。

「本当に、これをいただいていいのかしら」

 これは間違いなく、一財産となる品だ。親族に残すか、霊廟におさめられるべき品だろう。形見分けで他人に譲っていいものだろうか。

 それにヴァラが、この櫛をつけているところを見た記憶がないのが、オレクタンテには気になった。

(大事にして、あまり身につけていなかったのかしら?)

 だがレートは、自信ありげにうなずいた

「もちろんでございます。ヴァラ様はいつも、オレクタンテ様にはなによりも真珠がお似合いだとおっしゃっていました」

 そう言われては、もはやことわる理由はなかった。

「ありがとう。ヴァラの思い出に、大事に使わせていただくわ」

 おしいただくようにしてほほえむと、レートは泣き笑うように顔を歪めた。




 オレクタンテは食事を早々にきりあげ、レートが呼んでくれた椅子駕籠にのって夏至館に戻った。

 ほそい道や坂、階段が多いディアマンティーナでは、馬車よりも輿や椅子駕籠が便利な乗り物だ。特に椅子駕籠は、椅子の前後に棒をわたしただけの簡素なものから、意匠を凝らした屋根や薄布の帳をそなえた豪華なものまで、さまざまなものがそろっていた。また王都のあちこちで客を待っているので、人数や用途にあわせて気軽に借りることができた。

 夏至館に戻ると、執事が扉を開けて迎えいれてくれた。

「ルーザ=ルーザはもう帰っているの?」

「先ほどご友人に送られて帰ってきたようです。まだ馬屋におられるようですが」

 するりと脱いだ外套を、赤毛の小間使いの少女がすばやく受け取り、持っていった。

「今日も? 昨日も送ってもらっていたのに……また道に迷ったのかしら」

 王立学問所で学んでいるなら、エトも忙しいはずではないのか。連日外につれだして、いいのだろうか。

 オレクタンテは台所にむかった。台所の裏手が裏庭で、馬屋もそこにあるからだ。

 片隅にある小さな窓からのぞくと、ルーザ=ルーザとエトが一緒に馬の世話をしていた。エトは黒衣を脱いで、桶で水を運んでいる。黒衣を脱ぐと小柄な体格がきわだち、ルーザ=ルーザより年上だとはとても見えなかった。

「今日は、オレクタンテ様はいらっしゃらないのですか」

「友だちの葬儀だってさ。俺が砦に行ってるあいだのことだから、護衛はべつの奴がしてる」

 ルーザ=ルーザは馬の蹄の手入れをしながら答えた。

「オレクタンテ様はおきれいな方ですね。アフラ以外の場所で、エデに匹敵する美女に会えるとは思っていませんでした」

「姉さん?」

(ルーザ=ルーザには、お姉様がいるのね)

 オレクタンテがこれまで美しさを称賛されるときは、『王国一の』『精霊のよう』『神秘的』『たぐいまれな』といった言葉が使われたものだ。だからほかの女に『匹敵する』という形容をされたことに、純粋な興味と好奇心を抱いた。

 ルーザ=ルーザの姉なら、さぞかし美人だろう。会ってみたいものだと、オレクタンテは思った。

「でもエデ姉さんとは、ぜんぜん違うじゃないか?」

「雰囲気はたしかにかなり違いますね。でもどちらも美しいことにかわりありません」

「ふーん。そうかなあ」

「興味ありませんか?」

 ルーザ=ルーザは蹄の手入れを終えると、今度は馬の櫛を手にした。

「興味があるもないも。なんで俺がこんな貴族っぽいでかいお邸にいるんだろうって、そればっかり思うよ。そりゃ、俺のせいで隊に迷惑をかけたし、貴族の近衛になるしかないかなって覚悟もしてたから、ことわるつもりはなかったけどさ」

「……ルーザ=ルーザ」

 エトは憂えるような表情をうかべた。

 急に、ルーザ=ルーザは顔をあげ、エトを見る

「あ、でも前も言ったけど、愛人なんてふりだけだからな。オレクタンテも、それでいいって言ったんだ」

「そうなんですか?」

 エトが安心したように、声の調子をやや変えた。ルーザ=ルーザはうなずく。

「俺が嫌なことはしないってさ。なにを考えてるかわからない女だけど、そこは信用できると思う。だから俺も、オレクタンテが嫌なことはしないんだ」

 オレクタンテは我知らず、胸をおさえていた。

「そうですか、よかった。いえ、それが当然のことなんですけど、安心しました」

 エトはやけに何度もうなずいた。

「とはいえ、せっかく王国一と歌われる美女とひとつ屋根の下ですごす機会ができたんです。機会があれば、場数を踏んだ年上の女性に手ほどきしてもらうのもありだと思います」

 オレクタンテは唖然とした。

「は? おい、なに言ってんだ!?」

 ルーザ=ルーザも怒鳴ったが、エトは動じない。

「こういうことは慣れた方に教えてもらうのがいちばんです。先日オレクタンテ様を見て、正直あなたとお似合いだと思いました。相手の嫌がることはしないというのは当然の配慮ですが、意気投合というか合意があれば、深い仲になってもいいではありませんか」

「エト、お前な!」

「心配いりません。はじめてと言えば、たいていの女性は優しくしてくれます」

 おとなしそうな顔をして言ってくれるではないか。オレクタンテは呆れかえった。

「いいかげんにしろよ」

「要はそれくらい気軽でいてもいいのではないかということです。でないと今に、身動きが取れなくなるかもしれません」

「なんだ、それ」

「今にわかるんじゃないでしょうか」

 エトは笑った。エトがルーザ=ルーザより年上だということがよくわかる、余裕のある笑い声だった。

「今にって、いつだよ。いつかわかったって、お前には教えないからな」

 ルーザ=ルーザが拗ねたように言うと、エトは急に表情をあらためた。

「――そうしようと思っても、教えてもらえないかもしれません」

「え?」

 ルーザ=ルーザはエトにふりかえる。エトはその視線を避けるようにうつむいた。

「……実は、近いうちに研究内容を変えることになったのです。数学は数学なのですけど、王国のための研究で……そうなると秘密を守るために、今までのようにあなたと気軽に会うこともできなくなるでしょう」

「え!? そうなのか!?」

 大声をあげた。エトはうってかわって悄然とうなずく。

「王立学問所に入るとき、その可能性もあるとは聞いていました。ですがまさか、本当にこの私が選ばれるとは思ってもいなくて」

 ルーザ=ルーザは呆然として、髪をくしゃりとかきあげた。

「お前の才能が認められたってことだから、すごく名誉なことなんだろうけど……寂しくなるな。せっかく同じ王都にいるのに」

「すみません。これからはあまりお手伝いできなくなってしまいます」

「バカ、あやまることないだろ! そうだ、なんかお祝いしなきゃな!」

 オレクタンテはそっと、窓辺からはなれた。

 頭には、エトが研究内容を変えて王国のために働くという情報を、しっかりと刻みこんでいた。



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