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夏至の庭  作者: 西東行
第1章 白花
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4

 翌朝、ルーザ=ルーザは夜明け前にラーレの家をでて、王都ディアマンティーナの城門が開くと同時に外にでた。

 王国軍の砦は、都市の城壁の外にある。周囲を見張り台をそなえた高い塀にかこまれ、なかには武器庫に訓練場、馬場をはじめ、火と戦を司る神の礼拝場や施療院がある。また、周囲には商店や酒場、娼館まで建ちならんでいた。ひとつの町といってさしつかえのない体裁が整っている。

 城外は王都城内とは違って坂道もあまりなく、森や川も多い。鳥の声が響くなかを、ルーザ=ルーザは馬をかけさせて、砦にむかった。

 砦につくと、ルーザ=ルーザはまず報告をするためにロライマ将軍のところにおもむいた。

「よお、ルーザ=ルーザ! 女の家からお勤めにでてくるとは、いい身分だな」

 ロライマ将軍のところには副官のターラーもいて、ルーザ=ルーザを見るなりからかってきた。むっと眉をひそめると、ロライマ将軍が苦笑してターラーをたしなめた。

「こいつのことは気にするな、ルーザ=ルーザ。……それで、どうだ。夏至館は」

「サウラって女魔術師が、結界を張って侵入者を拒んでます。ただ、その女はもともと治療師で、攻撃的な術はできないし、侵入者の足止めも、俺でも破ることができたくらいであまり強力じゃないみたいです。これは客人が多いので、今以上に結界をきつくできないって事情もあるみたいですけど」

「まあ、侵入者を察知できるなら、それで充分だな。どのみち剣を抜いての戦いとなれば、魔術師はあてにならん。頼りにできるのは自分の力だけだ」

 ルーザ=ルーザはうなずいた。

「夏至館には、私が集めた護衛どももいる。お前がいないときは奴らがオレクタンテたちを守るが、奴らは基本、建物の外部をかためている。彼女たちをいちばん身近で守るのはお前だ。特に母親のいる離れは、お前の受け持ちだからな。気を抜くなよ」

「はい」

「それで、エルドニア子爵について、オレクタンテ殿はなにか言っていたか?」

 この問いには、ルーザ=ルーザは眉をひそめた。

「そいつ、自分の兄と甥を殺して爵位と領地を手に入れたって。サフィレット伯爵は証拠と証人をにぎってて、子爵を脅迫してたって、言ってました」

「なるほど……あの件には、たしかな証拠があるのか」

 ロライマ諸軍はあごに手をやり、考えこむ。その様子を見て、ルーザ=ルーザは問いかけるように首をかしげた。

「あの女が俺に喋ったってことは、将軍に知られてもいいってことでしょう?」

「無論、彼女のことだから、私の耳に届くことを計算してお前に喋ったはずだ。さすがに証人や証拠のありかは教えてもらえなかったが、しかし探せば見つかるということかな。これはありがたい」

「じゃあ、俺があの女のところに行った甲斐があったってことですか」

 ロライマ将軍はルーザ=ルーザを見た。少年の顔に、皮肉の気配が微塵もないことを見てとると、表情をあらためる。

「オレクタンテ殿は、お前が王族や貴族の飾り物になどならぬよう、手をまわしてくれる。大事なのはそこだ。お前も彼女にはよく感謝することだぞ」

「はい。でも将軍や軍のみんなの役に立つほうが大事です。……迷惑かけたから」

「あれはもう気にするな」

 ロライマ将軍は反論を封じるように短く言い、話題を変えた。

「そう、それよりオレクタンテ殿のところの居心地はどうだ?」

 ロライマ将軍とターラーにとって意外だったことに、ルーザ=ルーザは表情をやわらげた。

「あ。えーと、今朝は粥とパンと、卵と腸詰めを食わせてもらいました。粥は冷たくてさっぱりした味で、すごくうまかったです。生姜が入ってるらしくて」

 ロライマ将軍とターナーが、ちらと目を見あわせた。

「ほう」

「昨夜は兎肉でした。あんなやわらかい兎肉ははじめてでした! 今夜は豚肉と林檎の煮込みだそうです」

「…………そうか。それは楽しみだな」

「はい! それから、俺ひとりの部屋を用意してもらいました」

「うむ。それを聞いて安心した。お前をオレクタンテ殿に引きあわせた甲斐があったというものだ」

 ルーザ=ルーザは大きくうなずいた。

「ご苦労だった。調練に行け」

「失礼します」

 ルーザ=ルーザは扉をでていく。ちょうど外の廊下をとおりかかった傭兵の誰かが、ルーザ=ルーザに声をかけていた。

「おう、ルーザ=ルーザ。剣の相手をしろよ」

「いいよ」

 ルーザ=ルーザが立ち去ると、ターラーは憂えるように頭を横にふった。

「予想はしてましたけど、ひどすぎる。王国随一の美女とひとつ屋根の下ですごしてあれですよ。まったく、なんであの顔があんなガキの持ち物なんだか」

「まあ、下手にねんごろになられても厄介だからな。あれでいいとしよう」

「男と女のあいだになにもないほうが、長い目で見れば厄介な気もしますけど。ルーザ=ルーザの奴、実は女に興味がなくて、男が趣味だなんてことはないでしょうね。だとしたら、あなたがなんと言おうと軍から放りだしますよ」

「いや、まあ。そこは大丈夫じゃないか。オレクタンテにまかせているんだし」

「そのオレクタンテもおかしいですよ」

 ターラーの矛先が、王国随一の美女とやらへ移った。

「そりゃルーザ=ルーザはガキですけど、それでも滅多にいない美少年を前に、なに兎肉とか食わせてるんですか。ほかに食わせる肉があるでしょうに」

「まあ、な」

 ロライマ将軍とターラーは顔を見あわせた。

「まさかとは思いますが、あいつ、また――」

「……いや。ありうる」

 ふたりがともに思いうかべたのは、ルーザ=ルーザを王国軍に迎えたばかりのころの出来事だった。




「俺は反対ですよ、ロライマ将軍。いくら強いからって、あんな奴を軍に入れていいことなんかなにもありません」

 ターラーは、柱廊を歩くロライマ将軍に追いすがらんばかりにして反対した。

「英雄や勇者が戦を勝利に導くなんて、神話や伝説だけですからね。戦の決め手は、天才的な戦士がひとりいるかどうかでなく、凡人千人の統率が取れてるかどうかです。あんたがいつも言ってることじゃないですか。それなのになんでまた、あんな傾国の美少女みたいな奴を軍に入れるんですか」

「お前が言いたいことはわかるが、しかし奴はいい兵士だ。なにより、本人も兵士になりたがっている」

「それもわかりません。アフラは火神の八神殿のなかでも、巡礼者が多くて栄えてる土地ですよ。伝統的に火神への信仰心が厚く、王国や国王への忠誠心は薄い。そんなところで生まれ育って、食いっぱぐれたわけでもないのに、なにを好きこのんで軍隊になんか」

 彼らが歩く柱廊は人が少なかった。将軍の執務室や会議室、事務所などが集まった建物で、兵士にはあまり用のない場所だからだ。

「それ以上言うな。もうディアマンティーナにつれてきたのだ。今さら追い返すわけにもいくまい」

「今なら追い返せると思ってるんですけどね、俺は。賭けてもいいですが――」

 ターラーがさらにつづけようとしたとき、ルーザ=ルーザが柱廊にあらわれた。

 遠目に見ると、ほそい体は少女のようにも見えた。軍服ではなく、アフラ風の刺繍をほどこした服を着ていたからかもしれない。王国軍の軍服一式は両手に抱えていた。ロライマ将軍とターラーに気づくと、ルーザ=ルーザは立ちどまった。

「将軍。軍服を支給してもらいました。剣は使い慣れたものがあるなら、それを使えばいいって」

「そうか。今から兵舎に移るんだな」

「はい。アフラから王都まで、いろいろお世話になりました」

 ぺこりと、頭を下げる。ターラーがなにか言いたそうにしているのを無視して、ロライマは重々しく返答した。

「あらためて言うのもおかしいかもしれないが……今からお前は、私が拾いあげた剣士ではなく、正式な王国軍の兵士だ。王と民のために、力をつくしてくれ」

 ルーザ=ルーザは気負いなくうなずいた。

 この少年が、人を斬るときも同じように自然体でそれを行うことを、ロライマはすでに見ている。

 彼を兵士にして本当によかったのかどうか、実はロライマは未だに迷っていた。兵士として、あまりにも毛色が変わっているからだ。だがルーザ=ルーザ本人は、兵士になりたいと強く希望した。

 戦を司る神を信じ、仕えているのに、自分は今この世界にある戦を知らない。だから知りたいと。

 平民主体のロライマの軍では、王国や国王への忠誠心から軍に入る者などいない。さまざまな事情で、やむにやまれず兵士になることを決めたものがほとんどだ。それを思えば、ルーザ=ルーザの動機は純粋といえたが、しかし異色であり、奇妙であった。

 柱廊を兵舎のほうへ去っていくルーザ=ルーザを見送り、ターラーが低く言った。

「――賭けてもいいですがね、明日の朝、いえ今日の夕飯までに、喧嘩か私刑か強姦騒ぎが起きますよ。奴を追い返すなら今です」

 ロライマは答えず、かわりにため息をついた。


 起きたのは、いじめだった。

「…………厠掃除だと?」

 ターラーは無表情にうなずいた。

「ルーザ=ルーザと同室になったベラーノが、命じたそうですよ。新入りの仕事だって」

 ロライマは眉をひそめた。

「それで、ルーザ=ルーザは」

「おとなしくしたがったそうです」

「馬鹿な。ルーザ=ルーザとベラーノはどこだ」

「食堂でしょう。夕飯の時間です」

 ロライマは舌打ちすると、執務室をでた。将軍が一兵卒のことに口出しすることもなかったが、荒くれどもの巣にルーザ=ルーザのような美貌の少年をつれてきたのはロライマだ。起きるいざこざを、無視するわけにはいかなかった。

 食堂は大勢の人間で混みあい、ひどく騒がしかった。食べ物を盛りつけた皿を持った兵士が行きかっているせいで視界も悪く、目当ての人物がなかなか見つからない。

 先に見つかったのは、ベラーノだった。やや猫背気味になって食べているところへ、ロライマは歩みよった。

「ベラーノ」

 ロライマに気づくと、ベラーノはきまり悪げに目をそらせた。ロライマがなにを言いにきたのか、すぐにわかったのだろう。

「ベラーノ。新入りに厠掃除をさせたそうだな。なぜだ。兵舎の掃除は、ほかの者の仕事だぞ」

「わかってます。ちょっとした冗談ですよ。よくあることでしょ? 俺が昔いた工房でも、新入りはからかわれたもんです」

「お前はここにきた初日にからかわれたのか、ベラーノ」

 ベラーノは黙りこくった。やましい気持ちを自覚していることが見て取れて、ロライマは少しだけ安心した。

 ベラーノはもともと、革職人の徒弟だった男だ。ふだんは陽気で適度に真面目な、気のいい男なのである。

「……本当に、ちょっとからかうだけのつもりだったんですよ」

 おしだすように、声をもらした。

「入隊前から噂になってた奴だし。えらく面がいいとか、若いとか、強いとか。だからつい――でも、あいつがなにも言わずに、本当に厠掃除に行ってしまったから……」

 ベラーノの言い訳を、ロライマは手をあげてとめた。

「お前の言い分はわかった。ルーザ=ルーザにも話を聞こう。奴はどこだ?」

 ベラーノは、自分の斜めうしろを控えめに見やった。食卓の列をひとつはさんだむこうに、ルーザ=ルーザが背を見せて食事をしている。まわりの男たちは、さかんに気にしてちらちらとルーザ=ルーザを見ていた。

 ロライマは小さく息をついて心構えをしてから、ルーザ=ルーザのところへ行った。

「邪魔をするぞ、ルーザ=ルーザ。食事はどうだ」

 ルーザ=ルーザの正面にすわりながら尋ねた。

「うまいです。量も多くて」

 ベラーノとターラーが、食卓のむこうからこちらを見ている。ルーザ=ルーザのまわりも、将軍がすわったので会話をとめた。しかしルーザ=ルーザはそんな雰囲気に気づかない様子で、食事をつづけている。

「今日はなにをした」

「厠掃除をしました。新入りの仕事だって。そのあと馬を走らせて、世話をして」

「ふむ。大変だったな」

「いえ。アフラでも広場とかの公共の厠は、子供たちが順番で掃除することになってるんですよ。だから慣れてたし」

 ルーザ=ルーザはそこで、少女のようにやわらかな頬をゆるめた。

「ほら、子供ってウンコが好きでしょ」

 入隊前から噂になっていた美しい顔が、思いもよらない言葉を吐いた。

「………………まあ、そうかもしれんな」

「ええ。みんなで厠掃除って、楽しいんですよ。それに厠をきれいに掃除すると、監督役の屋台の小父さんや小母さんが菓子をくれるんです。アフラ名物の、蒸し菓子。だから厠掃除の順番がまわってくるのは、俺なんてむしろ待ちどおしかったんですよね」

 真珠のような歯で肉を豪快に噛みきりながら、ルーザ=ルーザは平然と糞便について語る。

 いっぽう、まわりの者たちは異様な緊張に動きをとめて、耳をそばだてている。

「そうか。なら今回も、お前に菓子をやらねばな。……おい、誰か厨房に行って私用につくられている菓子をこいつにもらってきてくれ」

 ロライマの隣にいた者が、あわてて立ちあがって厨房にむかった。ルーザ=ルーザは嬉しそうに、その背を見送る。

「――あ、そうだ。それにほら」

 そこでなにかおもしろいことを思いだしたように、ぱっと笑った。まさに、花がほころぶようだった。

「ウンコ掃除用の柄付たわしって、子供には最強の武器なんですよ!」

 その言葉に、ベラーノは蒼白になって顔をこわばらせた。皆は案じるようにベラーノを見、ルーザ=ルーザに視線を移す。ルーザ=ルーザはなにも気づいていないらしく、機嫌よくつづけた。

「柄付たわしを武器に持てるのは厠掃除当番の特権でね。アフラの子供は戦ごっこをよくするんですけど、厠掃除当番はふつうには参戦できないんです。ウンコたわし、強すぎるから。高台から戦況を検分して、卑怯な戦い方をした奴に罰をくだすとか、そういう役をするんですよ。あ、罰ってつまりウンコたわしで殴ることですけど」

「ふむ」

「あと、怪我をした子がいたら、それ以上攻撃されないように、かばって安全に離脱させてやるとかね。公正に検分役をこなせないと、最強の武器を持つ資格はないって見なされて、次から厠掃除の順番がまわってこなくなるんです。真剣を持たされるのも遅くなるんですよ。俺たちには最悪の不名誉でした」

「含蓄のある話だ」

 だがターラーなどは、苦虫をかみつぶしたような顔をうかべている。

「それから屋台の食べ物をかっぱらったとか、けちなイカサマとかの軽い犯罪なんかも、厠掃除の子供が罰をくわえる決まりなんですよ。屋台が集まる広場で、みんなの見てる前で子供にウンコたわしで殴られるんです。嫌でしょ?」

「壮絶に嫌だな」

「――あ! お、俺、見たことあるぞ! アフラじゃないけど火神の巡礼地で、食い逃げした奴が……!」

 近くにいた傭兵が、声をあげた。ルーザ=ルーザはあざやかな笑顔を傭兵にむけたが、傭兵は身をそらさんばかりに引いた。

「あれはな、ウンコたわしの汁をまわりに飛ばさないようにして相手を殴らなきゃだめなんだよ。手首の返しがキモだ。俺、うまいぞ」

 ベラーノが、がくがくとふるえながら立ちあがる。

「まあ、せこい悪事を働く奴が悪いんだけど――」

 そこでルーザ=ルーザはようやっと、そばに立つベラーノの姿に気づいた。

「……なんだよ?」

「――俺が悪かった!!」

 ベラーノは、床に身を投げだすようにひざまずいた。

「え? え?」

「すまなかった! ちょっとからかおうとしただけなんだ! 本当に厠掃除をさせるつもりなんてなかったんだよ! 心からあやまる、だから許してくれ! 頼む!」

「待ってくれよ、いったいなにが――」

「あー、そのことだが、ルーザ=ルーザ」

 ロライマはため息をつきつつ、手をあげた。

「厠掃除が新入りの仕事というのは、ベラーノの嘘だ。お前が素直にしたがったおかげで、引っ込みがつかなくなっていたらしい」

「ええ!?」

「本当にすまなかった、ルーザ=ルーザ!! 二度としない!」

「見てのとおり、ベラーノ本人も心の底から反省しているようだ。ここは寛容に、許してやってくれないか。私からも頼む」

 だから頼むから、砦の広場で厠掃除用の柄付たわしをふりまわさないでくれ――その場にいる全員が、心のなかでつけくわえた。

 ルーザ=ルーザはさすがに複雑そうな表情で、床にうずくまるベラーノの背を見つめる。

「うん……まあ。俺はいいですけど」

「俺を許してくれるのか……! ありがとう、ルーザ=ルーザ!!」

 見あげるベラーノの瞳には、涙がうかんでいた。

 ロライマはそれから三日間、ベラーノに厠掃除をさせ、将軍用の菓子を与えた。

 その後、砦ではルーザ=ルーザがらみの私刑も強姦騒ぎも、いっさい起きなかった。喧嘩はたまに起きた。




「――あいつ、また厠掃除をしたんですよ。そうに決まってます。だからオレクタンテもルーザ=ルーザに手をだす気が失せたんじゃないですか。いくら美少年でも、糞まみれの奴なんかごめんですからね」

「むしろ大歓迎の奴もいるかもしれんが……まあ、ふつうはそうだな」

 ロライマとターラーは顔を見あわせて、深いため息をついた。

 執務室をでると、訓練場のほうが騒がしかった。ルーザ=ルーザと傭兵が剣の手合わせをしているのを、皆が見物しているらしい。

 そちらを見やりながら、ロライマがつぶやいた。

「エルドニア子爵の悪事の、確たる証拠がほしいものだ。子爵本人に対して使うほかにも、いろいろ使えそうな手札だからな」

「けどオレクタンテは手放したいと考えているんでしょうね」

「だが今の彼女の自由は、中立であることによって成り立っている。下手に他人にはわたさんだろう。特に我々のような平民に貴族の醜聞を流したことが知れれば、立場が悪くなるだろうからな」

「なんとか、偶然にこちらの手にわたったという状況をつくりたいものです。あるいは、俺たちがその証拠をつかんでも不自然でない状況か」

「それを考えねばな」

 訓練場でひときわ大きな歓声があがった。ルーザ=ルーザがなにか思いきった技を決めたらしい。

 ロライマの軍では、ルーザ=ルーザは優れた剣士として皆に一目おかれていた。けっして天才肌ではなかったが、生真面目に鍛錬をこなしてきたことがうかがえる確実な技術が、たたきあげの傭兵たちには好ましく映ったようだ。集中力と粘り強さはかなりのもので、長時間戦っても隙を見せなかった。

 またルーザ=ルーザは骨身を惜しまずよく働き、傭兵たちだけでなく農家や商家出身の兵士ともうまくやっていた。

 ルーザ=ルーザにふられた貴族が、ロライマの軍に嫌がらせをして、食糧や物資が入ってこなくなったとき、誰もルーザ=ルーザを責めなかった。だがルーザ=ルーザのほうはひどく気にして、近衛兵になれという貴族の誘いを受けるか、あるいは兵士をやめようかとまで思いつめた。

 そこでロライマは、高級娼婦のオレクタンテに目をつけた。あれほどの美貌の持ち主だ。もし彼女が貴族的な権力や奢侈を望んでいるなら、とっくに次の有力な後援者を見つけているはずである。だがオレクタンテはむしろ求愛者たちをうまくあしらい、拒んでいた。

 オレクタンテは、貴族社会から距離をおこうとしているに違いない。ならば平民のロライマにも、取引のしようがあるはずだ――。そうもくろんで彼女に近づいたのだが、勘はうまくあたったようだ。もちろん、この先のことについてどうなるかは、油断はできなかったが。

 ともあれ、ロライマの軍では、ルーザ=ルーザがオレクタンテのところに行くことをからかう者は多かったが、本気でやっかんでいる者はいなかった。皆、ルーザ=ルーザのことを心配しているのだ。

「……オレクタンテとうまくやってくれればよいのだが」

「大丈夫でしょ」

 ターラーはすげないほどあっさりと答えた。ロライマはうなずくと、兵の訓練を検分するため、皆のいるほうへ歩きだした。



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