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夏至の庭  作者: 西東行
第1章 白花
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2

 ルーザ=ルーザがわずかばかりの荷物をたずさえて、オレクタンテの『愛人』として夏至館にころがりこんできたのは、二日後のことだった。

 自ら『愛人』をでむかえたオレクタンテは、ルーザ=ルーザのそばに黒い外衣を着た少年と、見事な栗毛の馬がいるのを見て、目をみはる。馬をつれてくることはあらかじめ聞いていたが、この少年はなんだ。

「エトとクーだ」

 挨拶も説明もなく、ルーザ=ルーザはそれだけをぶっきらぼうに言った。オレクタンテは、それが黒衣の少年と馬の名前なのだと理解したが、しかしどちらが少年で、どちらが馬の名前なのかはわからない。

「あの、はじめまして、オレクタンテ様。ルーザ=ルーザの幼なじみで、エトと申します」

 オレクタンテの心中を察したか、少年が名のった。

 エトは茶色の髪と目の、清潔な印象の少年だった。小柄で痩せているが、オレクタンテを見るまなざしからは鋭い知性と、芯の強さが感じられる。

 ふわりとした黒い外衣は、膝までの長さだ。

「ルーザ=ルーザが、道に迷ったと私のところにきたので、ここまで案内してきました」

「……ディアマンティーナの道は、ややこしすぎるんだ」

 ルーザ=ルーザは拗ねたようにつぶやいた。

「そうだったの。――はじめまして、エト。ルーザ=ルーザのお友達とお近づきになれて、嬉しいわ」

 オレクタンテはほほえんで見せた。

「その黒い外衣は、もしかして王立学問所の制服かしら?」

「はい。今年の春から、数学を学んでいます」

「まあ、そんなに若いのにすばらしいわ」

 オレクタンテの感心した声は、演技ではなかった。

 王立学問所は、膨大な蔵書量を誇る図書館をはじめ、大講堂や植物園、いくつもの実験室などをそなえた、王国最高の学舎だ。人間も、あらゆる分野での第一級の学者、賢者ばかりが集められている。施設の多くは、広く民にも開かれていたが、学生として学ぶためには、地方の学問所で実績を上げ、さらに賢者や貴族など有力者の推薦を受けなければならなかった。

 エトは苦笑というにはやわらかな笑みをうかべた。

「これでもルーザ=ルーザよりひとつ年上です」

「そうなのね。でも若くて優秀なことには変わりなくてよ」

 幼なじみというわりには、エトは言葉遣いも物腰も、ルーザ=ルーザとはあまりにかけはなれていた。容姿もルーザ=ルーザとくらべれば、いたって平凡だ。

 しかし高級娼婦としてのオレクタンテの目は、エトの隠れた魅力を見抜いていた。

 平凡と言っても、それは比較の対象がルーザ=ルーザだからで、エトひとりを見ればそう悪くはない。清楚な野の花の風情、といったところか。

 なによりオレクタンテの興味をひいたのが、瞳にこもる暗いなにかだった。表面こそ柔和な雰囲気をただよわせているが、心のおくでは陰鬱なものを抱えているのではないか。そして実は、ひどく誇り高く、勝ち気な少年ではないか。オレクタンテには、そう感じられてならなかった。

 エトをひざまずかせて思いどおりにしようとする者は、全力の、おそらくは凄惨な反撃をくらうことになるだろう。そしてそこまでしても、エトを本当に屈服させることはかなうまい。

 だがだからこそ、変態はルーザ=ルーザではなくエトを選ぶ。高級娼婦としての経験がそう告げるのだ。賭けたっていい。

 ――そこまで考えて、オレクタンテは虚しくなってやめた。

「どうぞ、冷たいものでも召しあがっていって」

 笑顔を取りつくろって、言った。

「もうしわけありませんが、もう戻らなければ」

 エトは丁寧にことわって、ルーザ=ルーザを見た。

「明日は、自分で軍の砦からここまで帰れそうですか?」

 ルーザ=ルーザは頭をかいた。

「自信ないな。お前とずっと喋ってたから、あんまり道に注意を払ってなかったんだ」

 これから毎日、夏至館から砦にかようというのに間の抜けたことだ。しかしエトはおかしそうに笑って、友人の迂闊さを許容した。

「喋っていなくても覚えきれなかったと思いますよ。王都ディアマンティーナの道はたいへん複雑ですから。もともと王都への侵入者を迷わせるために複雑につくられているのです。最初は迷ってあたりまえです」

「くわしいのね。でもそうよ。ディアマンティーナは迷宮都市とも言われているの」

 そのとき、エトの目がわずかにゆれ、紫色にかげったかに見えた。だが、ルーザ=ルーザが盛大にため息をついて、オレクタンテの気がそれてしまう。

「しばらくどこへ行くにも苦労しそうだな」

「なにかあれば、大図書館の丸屋根を目指してください。いつでも大歓迎です」

 学問所の学生なら暇なはずがないのに、エトは気軽に言った。

「それではオレクタンテ様、失礼します。ルーザ=ルーザ、また明日」

 黒衣をひるがえして去っていくエトの姿は、白い街に落ちる影そのもののように見えた。オレクタンテはルーザ=ルーザと一緒に、エトが角をまがるまでその後ろ姿をずっと見送っていた。

 エトが見えなくなると、オレクタンテはあらためてルーザ=ルーザにむきなおった。

「よくきてくれたわ。これからよろしくお願いするわね」

「…………うん」

 友人がいなくなったせいか、いきなり態度が用心深くなる。オレクタンテは気にせず、ルーザ=ルーザの背後にちらと目をやった。

「そちらはクーだったかしら。本当にきれいな馬ね」

 オレクタンテの経験上、自分の馬を褒められて嬉しくない男はいない。ねらったとおり、ルーザ=ルーザも表情をやわらげた。

「うん。クーは足もはやいし、賢いんだ」

「じゃあ、まずはクーを馬屋に案内しましょうか」

 夏至館は正面玄関のほかに、馬車がのり入れることのできる広い出入り口があった。そのおくが馬屋のある裏庭へとつながっている。ただしオレクタンテは今のところ馬を持っていないので、家畜小屋というべきかもしれない。使用人がそこで、食用の鶏や兎を飼っているのだ。裏庭は台所の裏手に面しているので、小さな生け簀や菜園もあった。

 小屋は掃除をして、藁や水の用意もすませていた。ルーザ=ルーザはまわりを見わたして、ほっとしたように息をつき、すぐに馬具をはずしだす。馬のための環境は合格らしい。

「クーの世話は、俺が自分でするよ」

「お願いするわ。クーは貴族のどなたかにいただいたの?」

 馬の淡い栗色の毛並みはつややかで、金色に輝いているかに見える。ほっそりしていながらも、しなやかな力強さに満ちた体躯は、ルーザ=ルーザに似ていた。甲冑をまとった騎士をのせるには不向きかもしれないが、そのぶん軽快で敏捷そうだ。

 どう見ても、平民が手をだせるような馬ではない。

 だがルーザ=ルーザは蹄の手入れをしながら、首をふった。

「もらったんじゃない。クーは俺の家で育てた馬で、俺の幼なじみだ。アフラは軍馬の産地で、大陸中の火神殿で使う軍馬を育ててるんだよ。もともとアフラの馬は神馬の血を引いてるって言われててさ。そのなかでもクーは抜きんでてるんだけど、俺以外の奴がのると立ちあがる癖があって、神殿におさめられなかったんだ」

 クーは肯定するように、鼻面をルーザ=ルーザにこすりつけて甘えた。ルーザ=ルーザも身を起こし、クーの首を愛情をこめて軽く叩いてやる。

「俺とクーが組めば、誰にも負けない。クーは最高の相棒なんだ」

「心強いことね」

 オレクタンテは先刻の黒衣の少年を思いだした。

「エトも幼なじみなのよね。アフラ育ちなら、エトも剣のたしなみがあるの?」

 何の気なしに尋ねたのだが、ルーザ=ルーザは表情をくもらせた。

「エトは戦えない。あいつは戦で故郷も家族も失ったから、アフラの火神殿が保護したんだ。剣や戦士、戦なんかを、今でもすごく嫌ってる」

「――まあ。そうだったの」

 エトの目に宿る、暗いなにものかの正体が察せられたように思えた。

「けど、エトは戦わないけど、頭がいいし、ものの道理もよくわかってるんだ。神殿の書物をいっぱい暗記してるし、みんなが迷うような道や建物でも、あいつだけは迷わないんだぞ」

「すごいのね」

「すごいよ。そんなにすごいのに、俺の友達なんだ。いい奴だよ。剣も戦も大嫌いなのに、兵士になった俺のことを否定しないでいてくれるしさ」

「それは本当にいいお友達だわ」

「ああ」

 ルーザ=ルーザはにっこりと笑った。オレクタンテもついほほえみかえす。

 だが馬の手入れを終え、館のなかに戻る段になると、ルーザ=ルーザはまたぶっきらぼうな態度に戻ってしまった。

 館に戻る扉の前でわざわざ立ちどまり、あらたまって言う。

「……ロライマ将軍には、その――あんたの愛人のふりをするだけでいいって言われてる。俺の本当の仕事は、あんたとラーレを守ることだって」

「わかっていてよ。あなたが嫌がることはしないわ」

 だがルーザ=ルーザは、なおも用心深くオレクタンテを睨んで、警戒を解こうとしなかった。

 気持ちはわからなくもない。しかし今回のことはオレクタンテの責任ではないのだ。これからずっとこんなとげとげしい態度をむけられるかと思うと、さすがに面倒だった。

 はっきり言ってやろうと、オレクタンテもルーザ=ルーザに正面からむきなおった。

「無理強いされることがどれだけ不愉快か、私は知っているの。だから他人にも無理強いしないわ。よけいな心配はしなくていいのよ」

 なるたけ平静な声で言ったつもりだが、ルーザ=ルーザは頬を張られたような表情をうかべた。

 オレクタンテは、相手のこんな表情を見て、気を晴らすような女ではなかった。ただ男は面倒だと、あきらめに似た思いにかられただけだ。

「館を案内するわ」

 踵を返そうとしたとき、声がした。

「ごめん」

 ふりかえると、ルーザ=ルーザは反射的にオレクタンテから視線をそらそうとした。が、すんでのところでふみとどまり、オレクタンテの瞳をまっすぐに見つめる。

 それは、彼には勇気のいることだったろう。

「――ごめんなさい」

 ルーザ=ルーザの態度は、卑屈でもおしつけがましくもなく、率直だった。

「いいのよ」

 自分でも意外なほど、やわらかい声で答えていた。

「さあ、行きましょう。この館と、それから私の状況をくわしく教えてあげるわ」

「エルドニア子爵のことか」

「ええ、そう。私の命を狙っている殿方よ」




 エルドニア子爵は、名家の次男として生まれた。領地は小さかったが、領内にある橋が交通の要所であり、エルドニア家は代々その橋を守ってきた。

 爵位と領地は長男が相続するはずだったが、あるとき長男とその息子が盗賊団に襲われ殺されてしまう。次男は盗賊たちをとらえて全員を縛り首にし、兄と甥の仇を討って家を継いだ。それが現在のエルドニア子爵である。

「でも実は、その兄と甥が盗賊に襲われたのは、次男が爵位と領地を奪うために仕組んだことだったの。次男は兄の暗殺に協力した盗賊たちをも裏切ったわけね。そうして証拠を完全に消しさり、自分は勇気ある騎士として領主になったはずだった。ところが私の昔の後援者――サフィレット伯爵は、エルドニア子爵の悪事の、決定的な証拠と証人をおさえていたのよ」

 オレクタンテが愛妾になる以前の話なので、サフィレット伯爵がどうやって証拠と証人を得たのか、くわしい経緯は彼女も知らない。だがロライマ将軍も言ったように、貴族には、使用人に対する警戒が足りない者も多かった。うっかり使用人の前に証拠をおいたままにしたか、不用意に口にしたのだろう。

 友人たちには寛容だったサフィレット伯爵も、実の兄や幼子を犠牲にし、協力者を裏切って子爵になった男にたいしては嫌悪をむきだしにした。だが伯爵は、罪を訴えて正義を行うというようなことはせず、かわりに子爵を思いのままに操った。それがサフィレット伯爵のやり方だった。

 子爵は、したがうしかなかった。兄と甥を殺して爵位を得たことが露見すれば、死罪が確実であるばかりか、名誉も永遠に失われるからだ。

「先年、サフィレット伯爵が亡くなってからは、私が証人を保護して、証拠の品も管理しているの。エルドニア子爵はおもてむき私に求愛しているけど、狙っているのはもちろん証人と証拠の隠滅よ。私のことも当然、口封じに始末するおつもりでしょうね」

 オレクタンテとルーザ=ルーザは、昨日と同じ広間にいた。オレクタンテが話しているあいだ、ルーザ=ルーザは手持ちぶさたに、庭園に咲いている白い花をじっと見ていたが、耳はちゃんとすませていたようだ。オレクタンテが話し終わると、ルーザ=ルーザは前にむきなおった。

「聞いていいか?」

「なにかしら?」

「証拠と証人があるなら、なぜどこかに訴えでないんだ? そいつがつかまったら、あんたが脅かされることもなくなるじゃないか」

 オレクタンテは苦笑した。

「相手は貴族なのよ。貴族の罪をおおやけに訴えたりすれば、私は王国の貴族すべてを敵にまわすことになるわ。そんなの嫌よ」

 ルーザ=ルーザは顔をしかめた。

「なんであんたが罪を訴えでたら、貴族が敵になるんだよ?」

「私が高級娼婦という、宮廷政治の一部だからよ」

 ルーザ=ルーザが、ますます戸惑ったように首をふったので、オレクタンテは説明をつづけた。

「私、エルドニア子爵のほかにも、貴族の方々の醜聞をいくつもにぎってるの。ささいな罪から、王国の大罪まで、それはもういろいろとね。そうした秘密というのは、いわば貴族社会全体で共有されているのよ。そして宮廷の情勢にしたがって、明かされたり、伏されたままにされたりするわけ。私は、いわば一時的に秘密の管理を任され、管理しているにすぎないわ」

 オレクタンテが秘密を簡単には喋らず、機を見て宮廷に流すという信用があるからこそ、彼女は貴族社会で重宝されているのだ。

「宮廷政治の枠組みのなかなら、秘密や情報をどう取り引きしても、私が責められることはないわ。少なくとも、得をした人たちが守ってくれる。でも誰の得にもならないのに、貴族の罪――しかも不名誉な大罪を暴いたりしたら、私を信用して秘密をあずけていた人たちは激怒するでしょう。私は商家の生まれで、平民だからよけいにね。即刻、貴族社会から排除されるわ。殺されるか、殺してもらえないか、いずれにせよ誰も助けてくれないの。わかるかしら?」

 ルーザ=ルーザは口をつぐんだまま、しばらく黙っていた。

 少したって、やっと口を開いた。

「……おかしいぞ。貴族も、あんたも」

 オレクタンテはほほえんだ。

「私もそう思うわ」

 ルーザ=ルーザはオレクタンテを凝視する。明るく澄んだ青い瞳には、オレクタンテでさえ、思わず見惚れてしまいそうになった。

 自分は彼の目にどう映っているのだろうと、オレクタンテは考えずにはいられなかった。

「私を守るのがいやになった?」

 意地悪く尋ねると、ルーザ=ルーザは少し目を伏せた。目をそらせたというよりも、彼自身に視線を移したかに見えた。

「剣を持ったからには、戦う相手や守る対象を安易に選ぶなって、教わった。人間は神々みたいにぜんぶ守れるわけじゃないから、選ばなきゃならないときがかならずくるけど、そのときはよく考えろって。でないと自分の剣が暴力になってしまうって」

 ゆっくりと、教わったことを思いだす口調で言う。

 今度はオレクタンテが、ルーザ=ルーザを見つめる番だった。

「正直、あんたのことはよくわからない。でもそれは、そこで結論をだすんじゃなくて、よく考えるべきだってことなんだろう。俺は頭が悪いから、たいした結論はでないだろうけどさ」

 ルーザ=ルーザは立ちあがった。

「――この館を案内してくれ。自分の陣地は知っておきたい」


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