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夏至の庭  作者: 西東行
第2章 真珠の櫛
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 ルーザ=ルーザとエトは馬を並べて、貴族の邸が建ちならぶ街区をすすんでいた。

 王都ディアマンティーナは山の上に建てられた都市で、身分の高いものほど高い場所に住んでいる。頂上にあるのはもちろん広壮な王城であり、裾野は平民の住む小さな住宅が複雑に連結され、ひしめきあうなかに、神殿などの巨大な建物が散在していた。

 ルーザ=ルーザたちがいるあたりは、頂上に近くはないが、見はらしはよかった。道は馬や馬車が充分に行きかうことができるほど広く、建物もいずれも趣向をこらした立派なものばかりだ。

 王国軍兵士のルーザ=ルーザと、学生のエトのふたりは、明らかにこの界隈では異質だったが、ふたりとも気にした風もなく馬をすすめていた。ふたりはまったくなんの支障もなく、最短の時間で、この地区までたどりついたのだった。

「このあたりは、道の両側ともさる伯爵の邸です。次の角を左にまがれば、エルドニア子爵の邸ですよ」

「本当に、ディアマンティーナの地図がしっかり頭に入ってるんだなあ」

 ルーザ=ルーザは呆れたようにつぶやいた。

「そういう研修を受けたんです。自分の足でもいろいろ歩きまわって」

「下町とか市場を歩きまわるのは、楽しそうだ」

「ええ。あとは、いろんな工房が並んでいる地区も興味深かったですよ。ふだんは行くことのない、城壁の北面なども。北の山脈が意外と近かったんです」

「そういうところまで行ったのか! いいな。貴族の住む界隈が、いちばんつまんなさそうだよな。活気もないし」

「店舗や職人の工房がないからでしょうか――」

 そのとき、静かな通りに悲鳴と怒号が響きわたって、ルーザ=ルーザとエトははっと馬をとめる。

 次いで、獣に似た意味不明のうなり声と、金属がぶつかりあう硬い音――剣の打ちあう音が聞こえた。

「左手のほうから聞こえたぞ」

「……エルドニア子爵の邸のほうからです!」

 ふたりは息をつめ、顔を見あわせる。

 次の瞬間、ルーザ=ルーザは剣を抜きはなった。

「あとからついてこい!」

 叫んで、子爵の邸のほうへ馬をかけさせる。エトはためらうように間をおいたが、手綱をぎゅっとにぎりしめると、ルーザ=ルーザを追いかけて子爵の邸にむかった。

 エルドニア子爵の邸は、門が開けはなたれて、お仕着せを着た使用人らしき男女が先を争うように邸の外に次々に逃げだしていた。

「なにがあった!?」

 逃げる男の一人をつかまえ、問うた。本来なら、平民などに貴族の邸のなかのことを明かすことはない。だがルーザ=ルーザは王国軍の長いマントを身にまとい、剣を持っているので、一見すると貴族に見えた。

 なにより、動転していたのだろう。助けを求めて、ルーザ=ルーザにしがみついた。

「と、殿様が――エルドニア子爵様が、ご乱心なさって……!」

「なんだって!?」

「いいい、いきなり、つ、剣を抜いて、暴れだして! 従士が斬られて――」

 頭をかかえて、泣き叫んだ。かぶさるように、邸のなかで狂った哄笑がひびいた。

 ルーザ=ルーザやエトは知るよしもなかったが、ちょうどそのころ、夏至館の裏手でオレクタンテが死霊の女に箒で挑み、退けていたのだった。

 死霊は、オレクタンテのほとばしる生気と神官の術にはねかえされて、依り代である真珠の櫛に戻ろうとした。本体を持たない死霊は、外部からの刺激に弱く、きわめて不安定だからだ。

 だがなぜか、依り代に戻れなくなっていた。

 火神官たちがすでに夏至館で、呪具である櫛を確保していたからである。

 行き場を失った死霊は、力の源――怨念を自分に注ぎこみ、力を増してくれていたもののところへむかった。そこなら、自分のありようが保てるからだ。人を恨み恨み恨んで、心ゆくまで危害を加えて、無念を晴らすことができるのだ――。

 自分でも知らないうちに、死霊に怨念を注ぎこんでいたエルドニア子爵は、死霊をたやすく受けいれ、次の依り代となった。

 もっとも、もしわかっていても、エルドニア子爵は死霊を拒否しなかったかもしれない。むしろ喜んで、死霊を受けいれたのではないか。

 子爵のあげる咆吼に、ようやく解放されたことの喜びがこもっているとが気づいた者はいただろうか。

「あんた、はやく逃げろ」

 ルーザ=ルーザは使用人を横に追いやって、立ちあがった。抜き身の剣を下げ、邸のおくにむかう。

「待ってください、ルーザ=ルーザ! 精霊除けを――」

 エトがルーザ=ルーザの背中に呼びかけたが、ルーザ=ルーザは首をふった。

「精霊除けはいい。必要なのは除けることじゃなくて、戦うことだ」

 その言葉に、エトは身をこわばらせて立ちすくんだ。ルーザ=ルーザはそのまま、エトを残して先にすすむ。

 ルーザ=ルーザには、エルドニア子爵の怨念もその解放も、聞こえていなかった。

 エルドニア子爵はかつて、兄と甥を死に追いやった。その結果が今、惨劇として成った。それだけを理解していた。

(剣を持つとは、どういうことだろう――)

 ルーザ=ルーザは考えながら、邸のおくへすすんだ。邸のなかでは、まだ怒号や悲鳴がつづいている。逃げてくる者とすれ違ったが、ルーザ=ルーザを誰何する者や引きとめる者はいなかった。

 ルーザ=ルーザがいちばんおくの部屋にたどりついたちょうどそのとき、悲鳴がやんだ。

 おそらくは、エルドニア子爵の配下の騎士たちだろう。二十人あまりもの男たちが血にまみれて倒れ伏していた。頭を割られた者もいれば、肩ごと斬り落とされてこときれた者もいる。

 血だまりの中央に、エルドニア子爵が幽鬼のように立っていた。彼も無傷ではなく、深い傷をいくつか負っている様子だった。背中には短剣が突きたったままになっている。それでも息も乱していないありさまは、今さらだが尋常ではない。

 ルーザ=ルーザはいっさいの雑念を脇へ追いやり、剣をかまえた。尋常であろうとなかろうと、二十人もの騎士を斬り殺すなど生半可な腕ではない。以前、夏至館の庭園で相対したときとは違うのだ。

 かまえたルーザ=ルーザを見て、エルドニア子爵も剣を担ぎあげるように大きくふりかぶった。動きだけはまだ武人らしく、骨太だが端正で、無駄のないものだった。

「……火神も我らの戦いをご照覧あれ」

 ルーザ=ルーザは自分と子爵のために、短く祈りの言葉をつぶやいた。

 そのままぴたりと動きをとめ、待つ。

 エルドニア子爵のほうは、機をうかがうようなことはしなかった。大胆に歩をすすめ、ルーザ=ルーザの頭めがけて一気に剣をふりおろす。

 すさまじい重さの攻撃を、ルーザ=ルーザは左腕で剣の平を支え、受けながしてしのいだ。

 攻撃を流された子爵は、体勢を崩す。ルーザ=ルーザはその隙を逃さず、低い姿勢のまま、体当たりする勢いで相手の懐に飛びこんだ。同時に左腕で、子爵の右腕をからめとった。子爵のほうが体は重たかったが、体勢を崩されているために抗う余裕がない。足がもつれ、壁へと追いつめられる。

「うああぁあ!!」

 ルーザ=ルーザは力をふりしぼり、最後はほとんど足をすくって倒すようにして、エルドニア子爵の体を壁に叩きつけた。

 その背中に刺さった、短剣ごと。

 子爵はのけぞり、身をよじって、人間とは思えない叫び声をあげる。ルーザ=ルーザはふりきられそうになりながらも、体重をかけて子爵の右腕をひねりあげた。鈍い音がして、剣が落ちる。

 子爵は狂ったように咆哮をあげ、左手の指先をまるで鉤爪のようにまげて、ルーザ=ルーザにつきだした。

『――その目をえぐってやる!!』

 女の声だった。ルーザ=ルーザは咄嗟に子爵からはなれる。

 エルドニア子爵は、短剣に貫かれ右腕も折られたというのに、まだ立ちあがろうとしていた。壁に身をもたせかけ、荒い息をつきながら身を起こす。

 ルーザ=ルーザにむけた顔には、眼球がなかった。目の位置にある深い傷から、黒い血が涙のように流れている。

『お前も死ね。えぐられて死ね。突かれて死ね。あぶられて死ね。ちぎられて死ね。そがれて死ね。死ね。死ね死ね死ね死ねお前も――』

 気のせいではない。エルドニア子爵の口からでてくるのは、たしかに女の声だ。

「うるさい。死ぬか、バカ」

 吐き捨てる。戦いに夢中で、怖ろしいとも、ふしぎだとも思わなかった。体勢を立てなおし、剣をにぎりなおす。

「終わりだ!!」

 ルーザ=ルーザは剣を横ざまにふりかぶった。エルドニア子爵は反射的に手をあげ、頭をかばう。

 だがルーザ=ルーザの剣は、防御の腕ごと、子爵の頭を斬りとばした。

 とばされた頭部と腕は、しめった重たい音をたてて壁にぶちあたった。そして、ほんの一瞬だけ、そこにはりつく。まるで、戦利品として飾られた首級のようだった。

 それからゆっくりと、筋を引いて落ちた。

 ルーザ=ルーザは息を切らしたまま、まだ熱い血のしたたりを見つめていた。白い壁に描きだされた血の模様は、ルーザ=ルーザには聖なる神託にも思われた。

 気高く明澄な炎の神は、倒した魔物を踏みつけ高く笑ったという。神は今、笑ってくれているだろうか。

 息がおさまるまで、ルーザ=ルーザは陶然と血の跡を見つめていた。

 そのあとようやく、エルドニア子爵を見る。子爵の顔は血でよごれていたが、目はちゃんとあった。かっと見ひらいて空を睨んでいる。

「……あれ? ん? 見間違いだったっけ……?」

 ルーザ=ルーザは目をこすった。

 一撃で頭と腕を斬りおとしたのは我ながら上等だが、さすがに消耗したのか。気合いを入れすぎたか、集中力が今にも切れそうだ。兄たちに知られれば、未熟者だとどやされるに違いない。

 攻撃を受けとめるのに使った左腕も痛かった。折れてはいないようだが、きっと痣になる。

「あー……腹が減った……」

 とりあえず、食べて寝れば快復するだろう。

 ルーザ=ルーザはやや足をふらつかせながら、踵を返した。そしてエルドニア子爵や、その配下の騎士たちの死体をまたぎ、赤黒い足跡を残して立ち去った。



 その日の夕刻、すべて終わった夏至館に、魔術師組合の魔術師たちがやってきた。彼らは火神官たちと話しあった末、その日はなにも持たずに帰った。しかし、真珠の櫛はもともと彼らが探していたものである。火神殿と幾度かの協議を重ねて、後日、ついに真珠の櫛を取りもどした。

 行方不明だった魔術師のソンメルとレート、そして夏至館の護衛も見つかった。それぞれ迷っているという自覚もなく、王都をさまよいつづけていたらしい。もっともレートの衰弱はかなりひどく、魔術師組合が手厚く保護した。

 エルドニア子爵が乱心し、従士や使用人を惨殺したという事件は、しばらく王都中を騒がせることになる。子爵を殺したのは従士のひとりだが、その男も子爵にくわえられた傷がもとで死んだと、公式には記録された。

 エルドニア子爵が死んで半月ばかりたったころ、ひとりの老人が軍に出頭して、かつて子爵が兄と甥を殺して爵位を奪ったことを証言した。老人はかつてエルドニア子爵の従者だった男で、今までは子爵を怖れて逃げ隠れていたが、子爵が死んだのですべてを告白する気になったらしい。

 困ったのは、貴族たちだった。貴族の不祥事や醜聞は、名誉や貴族どうしの力関係なども加味して、処分を決めるものだからだ。うやむやのうちにもみ消すこともしばしばあった。

 しかし件の老人が出頭したのが、ロライマ将軍の隊であったため、事態は王国の法律のみにのっとって処理された。貴族の誰かが気づいたときには、調査の報告書はすでに国王の顧問官に手わたされてしまっていた。

 国王がこの不祥事をどう判断し、関係者を処分するのか。まさか自分にもなにか影響があるのだろうか。エルドニア子爵と少しでも関係がある貴族たちは、ずいぶんやきもきすることになった。

 しかもロライマ将軍は平民で、宮廷にでてこない。エルドニア子爵の罪の詳細は、貴族たちにほとんど伝わってこなかった。そのため貴族たちは情報を得るために、ロライマ将軍にあれこれと気を配らなければならなかった。

 オレクタンテの夏至館は、建物の裏手にある離れの窓が壊れたが、住人がすぐに修理をした。ただ、その住人は腕を痛めていたので、とりあえずの応急処置だけだった。

 夏のことなので、それでも支障はなかった。



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