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夏至の庭  作者: 西東行
第2章 真珠の櫛
14/16

6

 ゲベル=バルカルがルーザ=ルーザをともなってむかったのは、巨大な丸天井の建物を中心として、幾つもの建築物が廻廊や渡り廊下、階段で連結された、複雑な建築群だった。

 白い建築物のそこかしこには、黒い旗がなびいている。

 ここにはルーザ=ルーザも何度も訪れていた。

 古王国フィリグラーナが誇る、王立図書館と学問所、そして迷宮管理庁である。

 迷宮は王国の権標を封じ、守る場所だ。権標に対面できるのは管理者以外では国王のみとされている。その正体は、王国の秘中の秘だった。

 迷宮をかたちづくる基礎となっている力は、数だ。奇跡の力を持つ神々も、数学の定理や公理を覆すことはできなかった。迷宮は、神も人間も精霊も、わけへだてなく拒むのだ。また剣や水、炎など、いかなる力をもっても開くことはない。

 迷宮を踏破する力となるのは、ただひとつ――知恵のみである。

 そこここにはためく旗の黒は、大地の神を象徴する色だった。

「迷宮を世界で最初につくったのは、大地と知恵を司る神だそうだ。彼は火と戦から大切なものを守るため、知恵によって地の底に巨大な迷宮をつくりあげたという」

 ゲベル=バルカルは、丸天井の図書館を見あげ、独り言のようにつぶやいた。

「目も耳も口もきかず、四肢もない、沈思黙考する人面蛇身の神。透徹とした理性と深い思慮によって、真実を見抜く神だ。その教えは我らの火神の教えとは正反対であるようにも思える。――だが、知っているか、ルーザ=ルーザ。火の神と大地の神は、親友同士だったそうだ」

「知ってる」

 だがルーザ=ルーザが思っていたのは、彼の親友のエトのことだった。

「それで、俺をこんなところにつれてきて、どうするんだ? エトに会うのか? けどあいつは今じゃもう、簡単に外出できない立場だぞ」

「知っているとも。俺があいつをここに推薦したんだからな。だがあいつはまだ公式には学生のはずだ。まあ、少し待っていろ」

 ゲベル=バルカルは門衛に歩みより、短くなにか言った。門衛はあわてて、建物のおくへ走っていく。

 しばらくして、門衛とはべつの男がおくからあらわれた。

 門衛と同じ黒一色の装いだが、隙のない着こなしのせいか、まったく違ういでたちのように見える。短いマントの裾からのぞく剣は、あまり見たことのない、ほそみの独特なものだった。

 背はそれほど高くなく、体つきも筋骨たくましいというわけではない。それでも男は強靭に見えた。戦えば、さぞ手強いだろうと思わせる独特の硬質な感触がある。

 血の気のない象牙色の肌に、ほとんど白髪と見まごう淡い色の髪。目も、霜のような薄い青だ。黒衣のせいもあり、男には色というものが欠落しているように見えた。

「ゲベル=バルカル殿。ご案内します。ただしおひとりで」

 無彩の男は、きしむ声で短く言った。ゲベル=バルカルはうなずく。

「剣はこのままでいいな?」

「……やむを得ません」

 いかにも不本意そうに答えた。ルーザ=ルーザは目を見はる。ルーザ=ルーザは決して立場や権力を頼むような少年ではなかったが、それでも火神殿の大導師であるゲベル=バルカルの武装を解こうとする者がいるとは思わなかったのだ。

 ルーザ=ルーザの心を読んだように、ゲベル=バルカルはふりかえった。

「ここは知恵こそ力って奴らの集まるところだからな。俺たちが異質なんだよ。それを忘れず、ここでおとなしく待ってるんだぞ」

 そう言って、男に案内されて行ってしまう。

 白い建築物にかこまれて、黒と紅の衣装の男たちは、どこか物語の登場人物めいて見えた。

 彼らが見えなくなると、ルーザ=ルーザは自問した。

(エルドニア子爵のところに行くとして……どうすればいいんだろう?)

 王国軍の兵士として子爵と会うのか。あるいは火神殿の神官としてか。

 あるいは、オレクタンテの愛人としてだろうか。

 こうしている今も、彼女は悪霊に害されているかもしれない。そう思うとものすごく嫌な気分になって、ルーザ=ルーザは剣の柄をにぎりしめた。

 オレクタンテは、貴族を殺すなと言った。そんなことをしたらかばえないからと。自分が守られる立場なのに、ずいぶん馬鹿なことを言うと思ったものだ。必要なら、相手が誰でも殺さなければならない。

 だが必要とはなんだろう。オレクタンテを守り、生かすことか。そのオレクタンテとは、自分にとって何者だ。

 いったい自分は何者で、なんのために戦うのだろう――。

「――ルーザ=ルーザ!」

 呼ばれるまで、人がでてきたことにきづかなかった。ルーザ=ルーザは油断していたことに焦り、あわてて顔をあげる。

 エトだった。学生が着る黒い長衣をなびかせて、駆けよってくる。

「ゲベル=バルカルが、あなたについて行けと。ゲベル=バルカルの馬を使っていいとも言われました。なんでも彼の話では、邪霊の干渉をうけて、目的の場所に行けないそうですね」

「そうだけど、なんでお前がでてくるんだ? 外出していいのか?」

 エトは、自分がでてきた建物をふりかえった。

「ゲベル=バルカルが、私の上司になる偉い人に言ったんです。友達の役に立たない奴は王国の役にも立たないだろうから、アフラへつれて帰るって」

「なんだそりゃ」

 ルーザ=ルーザは呆れたように眉をあげたが、エトは肩をすくめた。

「でも私も、もともとあなたやゲベル=バルカル、アフラへの恩返しで勉強しているわけですから。彼がそう言うなら、アフラに帰ってもいいですと答えたら、外出許可がおりました」

「よくわからないけど、つまり、脅したのか」

 目をすがめて見ると、エトは笑った。

「まあ、いいじゃないですか。ともかく私は、あなたの役に立てますよ。王都ならどこでも道案内できますし、邪霊もなんとかできると思います」

「けどお前って、邪霊なんか払うことができたっけ? むしろぜんぜん視えないほうだったよな?」

「はい。気配すら感じとれません。でもそれは、私が鈍いというわけではなく、私が精霊に嫌われるからなんです。今回は、そこが重要なんだそうですよ」

 エトはつかつかと、門のそばにくくりつけたゲベル=バルカルの馬に歩みよった。馬をつないでいた綱をはずすと、鞍に手をかけ、軽く跳躍してとびのる。あざやかな騎乗が意外だったのか、見ていた門衛がぽかんと口を開けた。

 エトは軽く手綱を操って、ルーザ=ルーザと並んだ。それから、衣嚢ポケットから数枚の紙を取りだす。

 紙にはそれぞれ、升目と数字が書かれていた。

「これを持っていてください」

「なんだ、これ?」

「魔方陣です。――魔法陣ではありませんよ。ちなみにこれは五次の汎魔方陣なんですけどね。魔法陣は精霊を呼びよせたり宿したりするための媒介となりますが、魔方陣は反対に、多くの精霊が苦手としているんです」

 ルーザ=ルーザは札を手に取り、仔細に眺めた。

「護符みたいなものか?」

「そうですね。ただし、その力のもとになっているのは、実体のない精霊などではありません。数です」

 ルーザ=ルーザは眉をひそめてエトを見た。

「数だって実体はないだろ?」

「でも数は証明できるんですよ、ルーザ=ルーザ。証明された公理や定理は、神々でさえ覆せない。大地の神が使った論理の力とは、それほど明らかでたしかなものなんです。そこが、気配や直感のようなあやふやなものでしかとらえられない精霊とは違います」

 エトは升目の数をじっと見つめた。

「もっとも、この力を利用して使いこなすのは人間ですから、効果には個人差がありますが。なにより、大地の神の論理の力を操る者は、きわめて少数です。――ですが幸いなことに、私はたいへんに力が強いそうですよ」

 そうしてひらひらと、升目の書かれた札をふって見せた。

「邪霊があなたを道に迷わせているそうですが、霊なんて、しょせん実体のないただの気配です。証明できないものなんて存在しないのと同じですよ。少なくとも、私にとってはね。私は、魔術師たちとは違います」

 エトは顔をあげ、王立図書館の丸屋根を見る。自信に満ちた表情だった。

「私は、数を操る者――迷宮管理者になるのですから」

 親友の宣言に対して、ルーザ=ルーザはただ肩をすくめた。

「こむずかしいことを言われても、俺にはまったくわからない」

 エトはおかしそうに声を立てて笑った。

「失礼しました」

 ルーザ=ルーザは友人の横顔を見た。火の神と大地の神の違いという以上に、エトの考えはこの世界では異質なものに感じられる。おそらくルーザ=ルーザには、一生理解できないだろう。

 それでも、友だちは友だちだ。そしてルーザ=ルーザには、それで充分だった。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

「はい。でも、どこへ行くつもりなんですか? 教えていただかなくては、案内もできません」

 ルーザ=ルーザは坂の上、貴族たちの住宅街を見あげた。

「エルドニア子爵の邸に行きたいんだ」

「わかりました。近道を知っていますよ」

 エトはうなずいた。それだけで、ほかにはまったくなんの詮索もしようとはしなかった。




 オレクタンテは、今はルーザ=ルーザのものになった部屋の寝台に腰掛けていた。

 膝の上には、ルーザ=ルーザにもらった短剣がある。

(……怖い)

 昨夜は、ルーザ=ルーザが近くにいるというだけで安心して、ぐっすり眠れたのに。それこそ夢だったかのように、今は怖くてしかたがない。

(ルーザ=ルーザは無事に魔術師組合についたかしら。なにごともなかったら、いいのだけど)

 怖がっていたはずなのに、オレクタンテは自分でも知らないあいだに、ルーザ=ルーザの心配ばかりをしていた。

 露台にむかって開け放した戸から、日なたの匂いのする夏の風が入りこんでくる。

 その風に、ひやりとした生臭さを感じとって、オレクタンテははっと顔をあげた。

 女が、戸のすぐ外に立っている。

 壁にさえぎられて顔は見えない。だが、ほそい体と、そこにまとわりつく色あせた金髪は見えた。病んだように頼りなげにたたずんでいるが、指だけが凶暴にまげられている。

 オレクタンテは女から視線をはずさず、短剣をにぎりしめて立ちあがった。

 衣装の袖や裾の、紅い刺繍がしてあったはずの部分は、今は血でぐっしょりと濡れていた。薄い衣装が重たげに見えるほどだった。布地に吸いこみきれない血は、こらえきれないというようにふるえて、雫となってぽたりとしたたり落ちる。

(――ぽたり)

 白い石づくりの露台に、赤黒い点がぽつんと生じる。

(――ぽたり、ぽたり。ぽたり。ぽたりぽたりぽたり。ぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたぽたたたたたたたたたたた)

 しだいに血の量は増えていき、果ては太い筋になって、床に流れ落ちていく。

 女の衣装も手も足元も、すでに血まみれだった。

 オレクタンテはぴくりと片眉をあげた。

「ちょっと。その血、ちゃんと幻なんでしょうね」

 聞こえているのかいないのか、女は動かない。

「あなた、この家を汚い血でよごしたら、ただじゃすまないわよ」

 怖いことは、たしかに怖い。声もふるえそうだ。だがそれ以上に、我が家が侵犯され、よごされていることへの怒りが強かった。夏至館で女を見たときには、こんな怒りは微塵も感じなかったのに。

 しかしここは、母の家だった。オレクタンテにとって、絶対の聖域である。

「よごしたら、あなたに責任を取って拭いてもらうわ。はいつくばって、雑巾でね。きれいにするまで許さない。血が本物なら、あなたの体だって本物のはずよ。掃除くらいできるわよね」

 ルーザ=ルーザの、血の筋が残る無骨な拭き方を思いだして、おかしさ半分怒りがさらにつのり、恐怖は減った。

 あのとき、力をいれて床を拭きながら、オレクタンテは自分が生きているということを実感したのだった。家を掃除をし、料理をして、皆で揃って食事をする、そんな些末な営みを重ねて生きていくということの、そのたしかさ。

 だが呪具に封じられたこの女は、生とは遠いところにいる。

(怖くなんかないわ!)

 体の芯からの、燃えたつような思いにかられて、オレクタンテは足を踏みだした。

「顔を見せなさい!」

 どんな不気味な顔でも、正面から見て笑いとばしてやる。できないはずがない。自分は生きているのだ。

 だが戸の外に足を踏みだしたとたん、女の姿はかき消えた。オレクタンテははっと露台の床を見る。床はよごれておらず、石の白さが眩しかった。

 勝った、と思った。血も、あの女も、ただの幻だ。

(でも目障りなことはかわりないわ!)

「どこ!? どこなの?」

 オレクタンテは部屋にかけもどり、狭い階段を走り下りた。

「なんです、小さな家で走りまわって」

 母に注意されたが、オレクタンテは答えず、部屋を見わたす。

 逃げたが、完全にいなくなったわけではない。また襲ってくるはずだ。

「お母さん。竈神様の祭壇のそばにいて」

「あら、なにごとなの?」

「薄汚い鼠がまぎれこんだのよ。私が始末するから、よけていて」

「んまあ!!」

 母は血相を変えると、炭をひとつ、手にとった。

「足は悪くたって、腕はたしかですよ。この私の台所に入りこむなんて、馬鹿な鼠がいたものね!」

 相手を見つけたら、すぐにも炭を投げつけられるように手をあげ、オレクタンテのそばに立つ。

「しとめたら、鼠の通り道に死骸を吊るしてやるわ!」

「いい考えね、お母さん。ぜひ、そうしましょう」

 戸棚の陰でかたりと小さな音がした。ふたりが同時に戸棚に目をむけたその瞬間、嵐のような凄まじい音をたてて窓が振動した。

 そのほうを見たオレクタンテは、さすがにぎょっとした。

 どれだけの力が加えられたのか、ゆがんでしまった窓枠に、女が四肢を広げてしがみついている。まるで蛙のようにあられもなく広げた両足を窓枠の下にかけ、両手も窓枠をつかんで。ただ顔だけは、なおも窓枠の外にあって見えない。

 ささくれた窓枠が手足にささって、窓は血だらけだ。それでも女は、なおも窓枠をゆらしつづけていた。体全体で力任せに窓枠をゆらすたび、血しぶきが飛ぶ。

「いやだ、汚い!」

「まあっ、あれも鼠のしわざなの!? よくも私の家を! なんて鼠かしら!!」

 どうやら母には、女も血も見えていないようだ。そのことがオレクタンテを勇気づけたが、しかし窓枠は実際に壊れているらしい。

 幻でも、女にはものを壊すだけの力があるのか。

 だがそんな恐怖よりも、今は怒りのほうがまさっていた。

「箒でひっぱたいてやるわ!」

 オレクタンテは箒をつかみ、扉に突進した。今度こそ、相手の目を見てやる。むこうもオレクタンテの目を見るだろう。生きている自分の目を死霊に拝ませてやる。怖れをなすがいい。

 ほとんど嗜虐的な昂ぶりにかられて、オレクタンテは外にでた。

 女はまだ、窓枠にしがみついていた。

 オレクタンテは箒をふりかざす。

「掃除をさせるって言ったわよ!」

 だが女は猿のように跳躍して、オレクタンテの箒をかわした。

 そのまま、オレクタンテに飛びかかろうとする。箒をふりきってしまったオレクタンテには、反撃の手段がない。

 女の髪が乱れてなびき、その下にある女の目と、視線が交わりかけた。

 そのとき、夏の日差しとは違う、あぶるような熱気が庭を満たしたかと思うと、女がかき消えた。オレクタンテはあわててまわりを見わたす。

「なによ! 逃げたっていうの!?」

「――そのようです。ですが、もう戻っては来られないでしょう」

 ふりむくと、夏至館への扉が開いており、緋色の神官姿の男が立っていた。肩からたれる肩帯には、銀の地に紅い獅子が刺繍されている。火神官だ。白髭をたくわえた、いかにも賢者然とした男の背後には、あと数人の神官と女神官がいるらしい。

 老神官が苦笑しているように見えたのは、オレクタンテの気のせいだろうか。

「夏至館の女主人であられるオレクタンテ様ですな。ルーザ=ルーザに事情をうかがって参りました。もう大丈夫です」



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