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夏至の庭  作者: 西東行
第2章 真珠の櫛
13/16

5

 王都ディアマンティーナは、かつての神々の都の跡に建てられた都市だ。その裾野近くにある火神殿は、神代のころは火神が都に滞在するときの本陣(宿泊所)だった。そのため今も、首位神殿に次ぐ格の高さを誇っている。火神の御座所だった八つの首位神殿が辺境にあり、戦士の巡礼地という性格が強かったため、庶民はむしろ王都ディアマンティーナの火神殿を首位神殿のように見なし、巡礼にくる者も多い。

 正面に広い階段と柱廊を持つ、堂々として荘厳な神殿だ。だが意匠がすっきりと控えめで、天井の高さと空間の広さが強調されているために、清爽な印象もある。若く美しい青年だったという火の神にふさわしい威容だった。

 火神殿の前には広い広場があり、多くの人でいつも祭日のようににぎわっている。また市場のある河岸地区が近いせいか、火神殿のまわりには市場や庶民の居住区もあり、雑多な活気にあふれていた。

 その火神殿の前に馬をつなぐと、ルーザ=ルーザは正面階段をあがった。そして柱廊を突きぬけると、大股に神殿のおくへ突きすすんでいく。

 高い天井に、足音が小気味よく反響した。

「あの、なにかご用ですか?」

 ルーザ=ルーザの美貌と気迫、そして王国軍のいでたちのどれもに戸惑った様子の神官が、声をかけてきた。

「この火神殿の、宝物庫の管理者に会いたい。どこだ?」

「ほ、宝物庫!?」

 神官は仰天して、大きな声をだした。なにごとかと、ほかの神官も集まってくる。

「待ってください、いったい、なぜ?」

「破魔の力を持つ神具を借りたい。必要なんだ。ここならあるだろ? 俺は火神官の資格は持ってる。貸してくれ」

「神具って――いや、ちょっと待て! そんなの、できるわけないだろう!」

「できない!? なんでだよ? こっちは急いでるんだ」

 押し問答の声が高くなり、人垣が大きくなっていく。

 険悪になっていく雰囲気を、おだやかだが毅然とした声が鎮めた。

「神前で、しかも信徒もいる場所で神官が見苦しく騒ぐとは、なにごとだ」

 ルーザ=ルーザも含めた全員が、一瞬でおとなしくなった。よく訓練された犬の群れが、飼い主に従う動きにも似ていた。

「状況を説明してもらおうか」

 人波をわってルーザ=ルーザに歩みよってきたのは、側近を従えた壮年の神官だった。歳はまだ五十にはなっていないだろう。長身で、砂色の髪を無造作に首の後ろでたばね、左目は幅広の眼帯で覆っていた。残った右目は、淡い空色をしている。

 身にまとう長いマントは、王国軍のものとよく似た緋色だったが、やや暗い。留め具は貴重な神聖銀で、背中には上むきの銀の三角に紅い獅子を重ねた紋章が大きく入っていた。マントの下に着た服も緋色だったが、それは神官服というより軍服に近いものだった。その胸にも、紅い獅子の紋章が入っている。

 全身を紅でこしらえた神官の貫禄は、圧倒的とも言えた。

 神官を見るなり、まわりの神官が口々に声をあげた。

「大導師様!」

 ルーザ=ルーザだけが、青い瞳を大きくみはって、べつの言葉を口にした。

「――ゲベル=バルカル!!」

「久しぶりだな、ルーザ=ルーザ。王国軍のマントがさまになってるじゃないか」

 ゲベル=バルカルと呼ばれた男は、幾分くだけた口調になって、ルーザ=ルーザにひとつきりの目で笑いかけた。だがルーザ=ルーザは、目をますます大きく見ひらいた。

「なぜここに!? いつ?」

 ゲベル=バルカルは軽く肩をすくめた。

「そりゃあ、神殿の用事だよ。あいかわらず爺さん連中にこきつかわれててな。信じられるか? アフラからデーヴァへ使いにだされて、すぐまた今度はガルトマーンへ行かされてるんだぞ」

「王国縦断じゃないか」

「そうだよ。せめて八神殿を順番にまわらせてほしいもんだ。まあ、そのついでに、王国の中心にあるディアマンティーナに立ちよったんだけどな」

 首座神官たちの雑用係として大導師の称号を授けられた男は、ルーザ=ルーザの遠い親戚であり、幼いころから親しくしていた人物でもあった。面倒見のいい男で、戦災孤児のエトのこともなにかと気にかけてくれる。

「――お前のことはロライマ将軍にあずけたんだし、エトも自分の場所でがんばってるだろうから、でしゃばらずにこのまま王都をでようかと思っていたんだが」

 小さくため息をついた。

「……なにをまた、神殿で騒ぎなんぞ起こしてるんだ。どうした」

「ここにある神具を貸してほしいんだ!」

 ルーザ=ルーザは身をのりだすようにして答えた。ゲベル=バルカルはひょいと眉をあげる。

「理由は?」

「人を呪殺するための呪具にかかわってしまって、困ってる奴がいる。助けるために、こっちも破魔の力を持った呪具が必要なんだ。俺たち火神官は、己の剣術や、火神殿にある神具を使って人助けをするのがつとめだろう? 貸してくれ」

 だがゲベル=バルカルは眉をひそめた。

「それは難しいな」

「なんでだよ!? アフラじゃ貸してくれるだろ?」

「アフラではな。だがここは王都だ」

 ルーザ=ルーザがうかべた表情を見て、ゲベル=バルカルは苦笑した。

「アフラってところは、みんな身内だろ? みんなが火神殿の神官か、その関係者だ。だが王都には王侯貴族がいるし、庶民もいる。魔術師組合に、商人組合に、兵士も学生もいる」

 ルーザ=ルーザはいちおう考えこむように、じっと目をこらしていたが、すぐに首をふった。

「……わからない」

「つまりな。神具ってのは、神々の遺品だ。我々神殿の関係者は、いつか神々が帰還したときにそなえて、神具を保管している。そして神殿を守り、聖なる教えを伝え、信徒たちを導いている。ぜんぶ、この世界を支配していた神々のものだからだ。お前もそう思ってるだろう? アフラの民だものな」

「うん」

 ルーザ=ルーザはうなずいた。

「だが諸国の王は、神々から支配権をゆずられた証しとして、神々の遺品をたてまつり、迷宮に保管している。神々の遺品は、彼らにとっては支配権の象徴――権標なんだよ。大義名分であり、政治なのさ。そして魔術師組合の奴らには、強大な神の力を持った太古の呪具だし、商人組合には貴重な宝物ってわけだ。みんながそれぞれの立場で隙あらば利用しよう、手に入れようとしているんだよ。だから、扱いにはよほど慎重にならなければならないんだ。わかるか?」

 ゲベル=バルカルのたったひとつの目に見据えられて、ルーザ=ルーザは困惑したように首をふった。

「わからない。困ってる奴は困ってる奴だ。アフラの民も、貴族も平民も、関係ないだろ。神は人を区別しなかったんだから、人も人を区別すべきじゃない。ぐだぐだ考えてる間に、助けないと!」

「――お前は正しい」

 ゲベル=バルカルは、つめていた息を抜くようにふっと笑った。

「ともかく、もう少しくわしく聞かなきゃならないな。その困ってる奴って、誰だ?」

 言われるなり、それまでのルーザ=ルーザは強気な態度が消え失せた。

「えーと……その、俺の飯をつくってくれてる奴」

 ゲベル=バルカルは笑った。

「なるほどな。それはたしかに、なんとしても助けないと。名前は?」

「………………げ、夏至館のオレクタンテ」

 ルーザ=ルーザは小さな声で答えたのだが、周囲の神官たちが大きくざわめいた。ゲベル=バルカルは眉をひそめて皆を見わたす。

「なんだ、有名な奴か? 聞いたことがあるようにも思うが……貴族でもなし」

 ゲベル=バルカルの側近がそっと耳打ちする。ゲベル=バルカルは表情を変えず、うなずいた。

「ああ。――ということは、けっこう厄介な話だな」

 大げさに驚かれたり、オレクタンテのことを深く追求されなかったことに安堵したのか、ルーザ=ルーザはあわてて首を縦にふった。

「もともと魔術師組合が探してた呪具なんだけど、オレクタンテに逆恨みしてる貴族の感情に触れて、呪具の力が強まったんだ。魔術師組合の奴が助けてくれるはずだったのに、そいつは夏至館をでたまま、帰ってこないんだよ!」

「ほう」

 ゲベル=バルカルはなにやら考えていたが、突然、踵を返した。

「神官長のところへ行く。お前もついてこい、ルーザ=ルーザ」

「ゲベル=バルカル?」

 しかしゲベル=バルカルはふりかえりもせず、ルーザ=ルーザは側近とともに、長い長い柱廊や廻廊をなんどもまがってゲベル=バルカルを追うことになった。

 たどりついたのは、両開きの厚い扉の前だった。扉の前に控えていた武装神官は、ゲベル=バルカルを見てあわてて扉を開ける。

 そこからさらにおくまった、巨大な執務室に座していたのが、ディアマンティーナ大神殿の神官長だった。武装ではなく、長く肩帯をたらして裾も長い高位の神官の衣装を着ていたが、体つきはさすがに武人らしく、がっしりしている。

「どうした、ゲベル=バルカル――いや、大導師殿」

 ほかにも人が多いことに気づいて言い直したが、ゲベル=バルカルは意に介するふうもなく、神官長につめよる。

「おい。王都の魔術師組合に恩を売れるかもしれないぞ」

「なに?」

「厄介な呪具がでたらしい。ここの術師をかき集めるんだ。くわしくはこいつが話す」

 ゲベル=バルカルはあごでルーザ=ルーザを近くに呼んだ。

「誰だ、その若者は。大導師殿の従者か?」

「いや。アフラの民だが、フィリグラーナ王国軍の兵士だ」

「王国軍?」

「いいから、まあ聞け。――ルーザ=ルーザ」

 ルーザ=ルーザはうながされるまま、経緯を説明する。呪具については知っているかぎりのことをはなしたが、エルドニア子爵については、必要最小限の情報にとどめた。オレクタンテや、彼女がかくまう証人の命がかかっているからだ。

 話がすすむにしたがって、ゲベル=バルカルや神官長の目の色が変わってきた。

「サフィレット伯爵は外交官としては優秀な貴族だった。その分、恨みを受けることも多かったろうな」

 ルーザ=ルーザの話を聞き終わると、ゲベル=バルカルは静かにつぶやいた。

「そのソンメルという魔術師が、そもそも魔術師組合に帰りつけたかどうか疑問だな。だとすると、待っていても組合からの助けは夏至館に行かないぞ」

「レートという女魔術師の無事も気になる。仮にも魔術師たちを足止めさせているとなると、呪具もかなりの力を持っていると考えられるな。ここの術師でなんとかできるか、神官長?」

 ゲベル=バルカルの言葉に、神官長は眉をひそめた。

「馬鹿にするな。火神は破魔の神、悪しき邪霊を滅するのは、もともと火神殿の仕事だ」

「……そんなにことを大きくしなくても、俺に神具を貸してくれたらいいんだけど」

 ルーザ=ルーザはおずおずと申しでたが、ゲベル=バルカルは肩をすくめた。

「神具はだめだ、ルーザ=ルーザ」

「なんでだよ!」

「政治の話はともかく、お前はまだまだ修行不足だからだ」

 ルーザ=ルーザはぐっと息をのんだ。

 その肩に、ゲベル=バルカルは大きな手をおいた。

「わかっているだろうが、神具は神の使っていた道具というだけでなく、それ自体に奇跡の力がそなわっているものだ。神々の偉大な力があってこそ、完全に使いこなすことができる。俺たち人間では充分に使えないし、部分的に使えたとしても、使い手をひどく消耗させるんだ。アフラでだって、神具を誰にでも貸してるわけじゃないんだぞ。お前はまだ、冬の祭の舞手をつとめたことすらないだろう。貸すわけにはいかない」

「わかってるよ。けど……!」

「夏至館には神殿の術師をおくってやる。魔術師組合にもこちらから連絡をつけよう。火神官も浄霊なら魔術師に負けないから安心しろ。――そうだな、神官長?」

「ああ。俺たちは、貴族や金持ちの御用聞きになりさがっている組合の魔術師どもとは違う。魔術師どもに大きな顔をさせてたまるか」

 言いきってから、にやりと笑った。

「……とまあ、そういうことになってるからな。組合に恩を売っておく機会を逃すわけにはいかないんだ」

「よし」

 ゲベル=バルカルはルーザ=ルーザを見やった。

「それで、オレクタンテに怨念を抱いているという貴族の名前は、言えないんだな?」

 ルーザ=ルーザは表情を引きしめた。

「うん」

「だったら、そいつはお前にまかせよう。そいつの邸に行け」

「行ってなにをすればいいんだ?」

 ゲベル=バルカルは笑った。

「名前も知らないのに、俺にわかるわけないだろう。お前が考えて、どうにかしろ」

 ルーザ=ルーザは黙りこむ。

 が、瞳には静かな力が満ちていた。

 その目をのぞきこみ、ゲベル=バルカルは問うた。

「相手の邸の場所はわかってるんだな?」

「わかる。下見に行ったこともある」

 だがそう答えてから、ルーザ=ルーザはわずかにためらいを見せた。

「でも、さっきみたいに迷わされたりしないかな。あんたにもらった護符も壊れたし」

「あの護符が? ……そうか、それは困ったな」

 ゲベル=バルカルは、あごをさすって考えこんだ。

「よし。俺に考えがある」



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