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夏至の庭  作者: 西東行
第2章 真珠の櫛
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4

「……ソンメル様の帰ってくるのが、遅すぎるわ。なにかあったのかしら」

 オレクタンテは広間から夜空を見あげてつぶやいた。

 もう真夜中に近い。月はなく、星も少なくて、空はいつにも増して暗く感じられた。

「誰か若い者を使いにだしますか?」

 執事が言ったが、廻廊の手すりに腰かけていたルーザ=ルーザが口をはさんだ。

「だったら俺か、護衛の誰かに行かせたほうがいい。夜だからな。王都のなかっていっても暗いし、剣を使える奴のほうがいいだろ」

「あなたにはここにいてほしいわ、ルーザ=ルーザ。使いには、ほかの人に行ってもらいましょう」

 護衛のひとりに、行ってもらうことにした。

 執事や小間使いが、遠巻きにオレクタンテをうかがっている。彼らもなにかを感じているのだろう。特に小間使いたちは、怯えているようだ。

「とにかく、魔術師がくるまで待つしかないんだ。休んでいたらどうだ?」

 オレクタンテは首をふった。

「部屋にひとりでいたくないの。それに気を張っていないと、またあの女がそばに立ちそうな気がするのよ。眠ることも怖いわ。夢に見そうで」

 そこかしこに、あの女の気配を感じた。明かりの届かない部屋や天井のすみ、柱や家具の陰、庭園の木陰、あらゆる場所に、あの女の目がひそんでいる気がする。

 想像するのもおぞましかったが、自分自身のなかに女がひそんでいるようだった。目を閉じると、あの女の姿がまぶたの裏に浮かぶ。

 ルーザ=ルーザや執事、小間使いたちもいるのに、怖かった。これでもし、たったひとりであの女と対峙すれば、どうなってしまうのだろう。

 強力なはずの火神の護符も、傷がついた。よほど強力な怨念なのだ。ルーザ=ルーザや護衛たちがいくら剣に長けていても、怨念相手では頼りにならない。魔術師組合からの助けさえも、どれだけ頼りにできるかわからないのだ。

 オレクタンテはふと、レートもこうして怨念の影響を受け、姿を消したのではないかと思った。

(レート……無事でいて)

 考えこむオレクタンテを見て、ルーザ=ルーザは眉をひそめた。

「疲れるとよけい隙がでるぞ。休めるときは休め」

 そしてオレクタンテの答えを待たずに、立ちあがった。

「だいたい、ここにいるのがよくないんだ。ここはあんたの陣地じゃないだろ」

「陣地?」

 ルーザ=ルーザはオレクタンテの手を引いて、母の家へむかった。行く途中で、オレクタンテの部屋に設けた火神の祭壇から短剣も持っていく。

 ルーザ=ルーザがオレクタンテをつれてきたのは、ルーザ=ルーザが寝室に使っている二階の部屋だった。

「自分の好きなものや人がいるところとか、慣れた場所なんかのほうが気持ちを強く持てるし、よけいな力も入れずにすむだろ。だからここで休め。ここならラーレも下で寝てるしさ」

「……でも」

 オレクタンテは部屋を見わたした。

「でもここは今、あなたの部屋でしょ」

「以前は、あんたの部屋だったんだろ?」

 オレクタンテは驚いてルーザ=ルーザをふりかえった。ルーザ=ルーザは拗ねたように、目をそらせる。

「だってラーレは足が悪いから、この部屋を使えないだろ。でもここ、長く空き室だった感じはしない。だから、あんたが使ってたんだ」

「ええ。たしかにそうよ」

「今も、あんたが毎日掃除してくれてるんだろう? 夏至館の使用人はこっちにはこないもんな」

 ではこの寝台をオレクタンテが使っていたことも、わかっているのか。わかってここで寝ているのか。

(…………いろいろ、想像したりしたのかしら)

 呪具よりも、そちらのほうが気になった。ちらりと横目でルーザ=ルーザを見ると、同じことを考えたのか、ルーザ=ルーザは徐々に顔を赤くしていた。案の定、あれこれ想像したらしい。

「あの、念のために言っておくけど、あなたの寝具は新品を用意したのよ」

「うるさいな! いいんだよ、そんなこと」

 ルーザ=ルーザは怒ったように言った。

「とにかく! 俺は、夏至館はあまり好きじゃない。あんただってそうだろ。あそこは不動産だって」

「そうね」

「でもここは、ラーレの家だ。あんたの母さんの家だ。誰かが無断で入ってきて、ゆっくり休んでいるのをうるさくして邪魔したり、よごしたりしたら腹が立つだろ」

「立つわ」

「死霊や怨念だって一緒だ。あんたの母さんの家をよごしてるみたいなもんだ。入ってきたら怒鳴ってやれ。俺にしたみたいにさ。俺が泥だらけで帰ってきたときのあんた、怖かったぞ」

「まあ!」

 思わず睨むと、ルーザ=ルーザはまだ少し頬を赤くしていたが、おかしそうに笑った。

「そう、その気迫だよ」

 これにはオレクタンテも、苦笑で返すしかなかった。

「……いやね!」

 ルーザ=ルーザは短剣をオレクタンテにわたした。

「俺も近くにいるから、安心して寝たらいい」

 部屋をオレクタンテに明けわたして、どこで休むつもりなのだろう。オレクタンテはつい、ここで一緒に休んではどうかと提案しそうになったが、やめた。なにをするでなくても、ルーザ=ルーザは気にするだろう。彼は高級娼婦の自分とは違うのだ。

 かわりに心から言った。

「ありがとう、ルーザ=ルーザ」

「おやすみ」

 ルーザ=ルーザはほほえみ、でていった。

 ひとりで部屋に残されても怖くなかった。オレクタンテは短剣をにぎりしめ、しばらく閉められた戸を見つめていた。

(近くにいるってことは、すぐ外の露台にいるのかしら。夏だから、風邪はひかないでしょうけど……)

 ルーザ=ルーザを心配しつつ、彼がいつも寝ている寝台に身を横たえた。そして、おそるおそる目を閉じる。

 そのとたん、ルーザ=ルーザがこの寝台でオレクタンテを思い、なにをしているかを想像してしまい、あわてて目を開けた。目を開けるとあの女がオレクタンテの顔をのぞきこんでいるかもしれないとか、そうしたことを心配する間もなかった。

(だめよ! さすがにこれは、想像することもだめ! あの子は私のために警戒してくれてるのに!)

 ここはおとなしく、あの女のことを怖がっておかねば、明日の朝ルーザ=ルーザに会わせる顔がない。オレクタンテは理性をふりしぼって気持ちを落ちつかせ、ふたたび目を閉じた。

 集中はできなかったが、怖ろしさも中途半端で、オレクタンテは意外に安らかに眠りに入ることができた。




 けっきょく、オレクタンテは一晩ぐっすり眠った。

 だが夜のあいだも、そして翌朝になって太陽が昇ってからでさえ、魔術師はこなかったし、使いにだした護衛の男も戻ってこなかった。

「なにかあったんだわ……」

 信じられない思いで、つぶやいた。王都のような、こんな大都会で孤立する気分を味わうなど、思ってもみなかった。

「どうやって助けを呼べばいいの?」

「俺が行ってくる」

 ルーザ=ルーザは、革帯に剣を下げながら言った。

「でも、あぶないわ!」

「いや、それをするのが、俺の仕事だし」

 気負いなく答えて、王国軍の緋色のマントをはおる。

「大丈夫だ。気を強く持って、ラーレの家で待ってろ」

 オレクタンテはせめて馬屋まで見送ろうと、立ちあがる。だがルーザ=ルーザは、彼女をすばやく手で制した。

「いい。それよりラーレの家に行くんだ」

 マントをひるがえして、行ってしまう。

 馬屋のほうへつづく廊下が、今日はいやに暗く見えて、オレクタンテは言われたとおりついていかなくてよかったと思った。

 いつになく鋭くいななく馬の声を聞きながら、オレクタンテは急いで母の家へむかった。




「あれ……?」

 ルーザ=ルーザは馬の背で、頼りなげにつぶやいた。

 魔術師組合への道が、わからなくなってしまったのだ。夏至館の執事に、ちゃんと行き先までの道は教えてもらったのに。

 ルーザ=ルーザはあたりを見わたした。彼は馬にのっていたので、今いる道も路地などではなく、比較的大きな通りだった。人通りもそれなりあったし、荷馬車なども行きかっている。

 だが声をかけて道を尋ねても皆、魔術師組合のある場所など知らないと言うばかりだ。

「麓の西地区なんだけど。西からの街道が大通りになってるところだ」

「――さあねえ」

「――ごめん、いそいでるから」

「――知らないな」

 皆、取りつく島もない。しかも、そろって同じような、どこか焦点のあっていない目つきで答えるのが気味悪かった。

 道に迷うこと自体は、王都ディアマンティーナでは珍しいことではなかった。まるで迷路のように複雑な都市なのだ。

 しかしそれだけに、王都育ちの人間は道を問われれば得意げに道を教えるものだった。それでなくとも、都市の広場や城門の近くには、道先案内人が大勢たむろして客待ちをしているし、主要な辻や広場には、地図をはりだしているところも多かった。

 それらの助けのいずれもないというのは、滅多にないことだ。

「――さてね。俺はいつも、河岸の市場から野菜を仕入れて、麓の南地区ばかり売りにまわってるもんでな」

「だったらさ。火神の大神殿がある地区へは、ここからどう行くんだ?」

 ルーザ=ルーザは質問を変えた。荷馬車にのっていた男は、戸惑ったように瞬きし、ルーザ=ルーザを見返す。

「え? なんだって?」

「火神の大神殿だよ。知ってるよな。あれは河岸地区の隣なんだから」

「ああ……そうだな」

 男は人が違ったように、今度は丁寧に道順を教えてくれた。ルーザ=ルーザは男に礼を言い、馬の首を軽く叩いた。

「わかるな。クー。火神殿だ。つい昨日、市場の帰りにラーレと行っただろ?」

 馬はうなずくかわりに、小さくいななく。

「よし。急げ」

 ルーザ=ルーザは手綱も引かず、馬の腹に蹴りも入れなかったが、馬は心得たように足をはやめた。



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