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第5話 二本の杖――色情狂の王様、誕生す

 黄褐色をした岩壁いわかべに周囲をとりかこまれた部屋は、電子ノイズに満たされていた。天井まで届きそうな箱型の情報記憶処理装置データリンク・サーバは、様々な色の表示灯を明滅させ、飾り気ひとつない遺跡のような内部をほのかに照らし出していた。そこから這いでた何本かのケーブルは電子計算機コンピューターに繋がれ、またそこからのびたケーブルが電鍵端末キーボードへと繋がれていた。端末の傍らには、色鮮やかな図表を映しだしている大きな画面モニターが置かれている。ほかにはたいしたものは見当たらず、小さめのベッドが一台、部屋の隅にぽつりと場所を占め、デスクとセットになった椅子が一組みあるだけだった。

「あたくしは女でございます。なぜエロス様がマレイカをアグリオス様の侍従になさったのか、おわかりになりませんか!?」

「女であろうと、男であろうと、そんな事は関係ない! 君はただの召使いじゃないか。それがどうしたというのだ!」

「落ちついてください、アグリオス様。もう大きな声を出すのはおやめください。お願いですから!」

 白衣の男が問うた声も、侍従の女が懇願した声も、しおれて嗄声させいになっていた。

「よろしいですかアグリオス様、もういちど申します。あたくしは女でございます。その意味がおわかりになりませんか?」

「だから男であろうと女であろうと……」

 言い争いと格闘に疲れ果てた二人のあいだに、しばし沈黙が横たわった。

 ――どうしておわかりになってくださらないのかしら? あたくしがこんなに恥ずかしいことばを口にしているというのに……。

 マレイカは耳たぶから首筋を真っ赤に染めながらも、白衣の男から視線を逸らさなかった。

 ――意味といわれてもなあ。その意味がわからないから困っているというのに。この娘はいったい何がいいたいのだ? 女だから? 女だからなんだというんだ? 俺は男だ、男である。それは間違いはない。そしてこの目の前にいるマレイカは女だ。それも確実な科学的事実だ。男と女。だからなんだというのだ!? おとことおんな、マン・アンド・ウーマン 、呼び方などいくつでもある。少し変わったものであれば、メイル、フィメイル、そうだ科学的に言えば雄と雌とも呼ばれる。それがどうしたというのだ? 意味がわからない!

「とにかくそこをどけ! いいからどくんだ!」

「わかってください、アグリオス様!」

「ちょっとお待ちなさいな、あなたがた!」

 しわがれた声に打たれて、二人が振り向いた視線の先には、黒いフードをかぶった老婆の姿があった。その手にははしばみの杖が握られていた。

「あなたは誰です! 誰に断わってここに入ってきたのですか!?」

 すぐに反応したのはマレイカだった。

 ――おいおい、こいつはまずいじゃないか。エロスとの関係が暴露してしまったなら、私はきっと大司教に殺されてしまうのだから……。それにしてもこの教団員は見慣れぬ姿をしている。なによりも老けすぎているのは奇妙だ……。

 突然緊張状態におかれたアグリオスは、黙って相手の反応をみるかのようだった。

「なんだかよくわかりませんが、とにかく、交互に大きな声を出して、そんな不機嫌な顔をしてはなりません。仲良くしてください」

「なにを言っているんだ君は。いったい何が言いたくてここに来たのだ!?」

 マレイカ以上に意味不明なことをいう老婆の言いぐさに、アグリオスは怒りを再燃させて叫んだ。

「だいたい君になにがわかるというのだ? 君はただのツァオベラーだ。しかもかなり老けたツァオベラーだ。そして私はこの宇宙では超一流の科学者だぞ。そのことがわかっているのか?」

「かがくしゃ? わたくしにはよくわかりませんが、とにかくそんなに大きな声を出してはなりません。神に背くような行いであると感じるのです」

「神だと? 君は、われらがアメミット神のご意向を知らないというのか!? なんてざまだ。いいから来たまえ」

 そう言ってアグリオスは、老婆の腕を掴んだ。きっとこの女は、怨念を強化する一種の洗脳、人格操作の箍グラッジ・コントロールがはずれかかっているのだろう。白衣の男はそう思ったのだ。

「ちょっと、いたいじゃありませんか、その手を放しなさい」

「いいから来い、来るんだ」

「いたいですよ。いたいのです。手を放しなさい。この汚らわしき存在め! そもそもわたくしに触れるなど罰あたりというものです」

 なんだかわからなかったが、不愉快でそわそわした気分に襲われたアプロディーテーは、知りもしない呪文を口にしながら、杖をふりあげて抵抗しはじめた。

「こら、暴れるんじゃない、なにをしているんだお前は。マレイカ手伝うんだ、こやつは完全にたががはずれてしまっているかもしれないぞ」

「いけませんアグリオス様、この方は一応は女性のようです。女に暴力などなすべきではありません。であるのならアグリオス様、このマレイカを押し倒してお好きにしてくださいまし!」

「はあ!?」

 白衣の男が呆気にとられて、力を緩めた瞬間、アプロディーテーは、

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン 美しく愛しあえ~」と、詠唱したかと思うと、榛の杖を振り上げて、アグリオスの頭をぽかりと打ったのだった。

「なにをするのだ、気は確かか!」

「あら、ききめがないようですね、――では、これはどうかしら。イーサナリナ ニウュジヤ トトット!」

「そのおまじないなら知っていますわ! 後ろから読むのです。つまり、とっとと やじゅうに なりなさーい! ですね」

 マレイカが楽しそうな顔をしてそう言った。

「これもだめですか……」

 ため息をつきながらも、アプロディーテーにあきらめるような素振りは見られず、

「それでは――、スキトキメキトキス スキトキメキトキス 」と詠唱したあと、ふたたび榛の杖を振るった。

「これなら後ろから読んでも問題はありません」

 老婆は勝ち誇ったように、ぽくぽくとアグリオスの頭をたたき続けていた。

 するとどうだろう、榛の杖から紫と桃色をした光の粒が零れだしはじめたのだ。

「スキトキメキトキス スキトキメキトキス スキトキメキトキス えいやー!」

 いっそう大きなぽこり、という音が岩壁の部屋に響いた。

「おい女! というよりも老婆。お前には興味はない。――あるとしたら、そうだ、この若くてぴちぴちしている俺様の侍従だ。ふん! 貴様はまだ生娘だな。こいつはいい、ではいただくとしようか」

 アグリオスに愛の狂気が宿ってしまったのだ。

「そうですか。それでは、わたくしはここで見学をさせて頂きます。お二人はどうぞご自由に美と愛をお楽しみください」

 と、アプロディーテー。

「まあ、なんという展開なのでしょう。マレイカは気が違ってしまったのでしょうか。もうなにがなんだかわからなくなりました……」

「おい大丈夫か!」

 失神して倒れそうになった侍女を抱きとめたアグリオスは、そのままマレイカを抱き上げてにやにやしていた。

「まあいい、手間がはぶけたというものだ。――おい女、そこにいることは許してやろう。だけど、見るなよ!」

 白衣の男はそれだけ言うと、マレイカを抱き上げたままベッドへと向かって歩きだしたのだった。

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