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第1話 箒にのったアプロディーテー

 薔薇は、美と愛の女神アプロディーテーとともに生まれた。その日から世界はまばゆい陽光にきらめき、澄んで凪いでいた大気は風の妖精となり、純白の羽衣はごろもをゆらしはじめた。鳥はうたい小川はせせらぎ、薔薇と女神の美しさを讃嘆しはじめたのだった。光も風も鳥も川も、静寂から目覚めた春の日々が永劫につづくものと信じたのだった。


 ある日、アプロディーテーは、花咲き、みどり豊かな草原の丘にあるトネリコの木にもたれて、

「なんだか退屈ね」と、ひとりちいさく囁いた。

 とても高いトネリコの木のてっぺんには一羽の鳥がいた。金色の雄鶏は、女神の囁きを聞きのがさず、すぐさま枝から飛び立った。雄鶏は長い尾をはためかせて悠々と空を駆けた。しばらくは、考えごとでもしているかのように空を自由に駆けていた。いくばくかの時がすぎたあと、雄鶏は心に決めたかのように、アプロディーテーの胸もと目指して滑空しはじめた。

「空に金色の星が見えるわ、流れ星? いやだ、こっちに来るわ!」

 雄鶏がはなった、あまりに強く大きな閃光に、アプロディーテーは目をあけていることすらできなかった。

「なんといえばいいのでしょうか! でもなんだか退屈がしのげた気がします。楽しい体験はなんでも大歓迎です」

 アプロディーテーはまったく動揺することもなく微笑んでいた。

「あら? これはなに?」

 彼女の胸もとで合された両腕のさきに、ひとつの仮面がもたらされていたのだ。好奇心の塊であるアプロディーテーは、迷うことなく裏返っている仮面を、こちらに向けてみた。とたんに、女神の口から甲高い悲鳴が叫びだされた。

「なんておぞましい顔なのでしょう。なんといえばいいのかしら?」

 淡い桜色に染めあげられたアプロディーテーの美しい手には、ボサボサな銀白色の髪をふりみだし、くすんだみどり色の肌で、鷲鼻をした老女の仮面があったのだ。それはまさしく魔女ウイッチの仮面だったのである。


 エロスの夢はまだ続いていた。地球へと向かう44億光年の旅をするあいだ、エロスは夢を見続けたのだ。

 ――けったいじゃないかい。美と愛の女神のもとへ届けられたものは魔女の仮面かい。雄鶏はいったい何がしたかったんだい? 意味不明すぎるじゃないかい。そうだねえ、あたしがアプロディーテーなら、少しばかり悪戯をして楽しんでやるんだが。さて、そいつを考えようじゃないか。――そうだ! あいつに悪さをしてやるのさ。せいぜい楽しむがいいさ! 眠っているエロスの表情は安らかに微笑しているように見えた。


 アプロディーテーに恐れはなかった。むしろ楽しいという感情に支配されてゆくのを彼女は感じていたのだ。

「きっとこうよ! そしてこうかしら! で、たぶんこうね!」

 女神は自分自神、聞いたこともない呪文をいくつか唱えていた。薔薇の薫る、さわやかな草原には、黒いフードのついた裾のながいローブで全身を覆った、アプロディーテーの姿があった。フードで隠れ気味になった女神の顔は、くすんだみどり色の肌になっていた。目はぎらつき、やたらに大きく見開かれ、深く刻まれた皺だらけの顔にある鷲鼻は気味がわるかった。その鼻からは大きないぼがもりあがっていた。


 ――無様だねえ。その世界に鏡がなくってよかったじゃないかい、女神さん。

 冷凍睡眠コールド・スリープカプセルのなかで、エロスの顔はにやけているようだった。


 そんなこととは知らないアプロディーテーは、いつからか手に持っていた箒にまたがると、

「できたわ! これで完璧よ、さあいくわよ!」と、無邪気に歓喜の声をあげて、空へと舞い上ったのだった。

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