⑦
「サキ! このリングを外せ! そうすりゃあいつが俺を狙う理由はなくなる!」
「い・や・よ! そしたらあんたもうリングつけてくれないじゃない!」
「この緊急時にそんなこと言ってる場合か!」
「緊急時だからこそ判断を誤るわけにはいかないのよ!」
走りながらジンギは右手のリングを指差しサキに提案するが、一方のサキはそれを断固として拒んでくる。
「あぁぁ! もうじゃあ分かった。お互いの折衷案を取ろう! このリングをつけてたら俺もあいつみたいな神器ってやつが使えるんだろ? だったらその出し方と使い方を教えてくれ。それくらいならいいだろ?」
「成る程、そしてそのまま神の戦いに参加ってわけね」
「それだけは絶対ねえよ! いいから早く教えろ!」
「ああはいはい。……いや、ちょっと待てよ……」
教えようとしていたサキは急に悩み始める。何でもいいのだが、とりあえずジンギとしてはさっさと教えてほしい限りであった。
「あ! いいこと思いついた!」
悩みうつむいていたサキは急に顔を上げ、手をポンと叩く。
「あん? なんか作戦でも思いついたのか? でもそれより先に神器を……」
だんだんとジンギが苛々し始めていると、サキはジンギの方を向き満面の笑みを浮かべた。
「てへ♪ 教えなーい♪」
そして満面の笑みのまま、彼女はそうのたまった。
「え?」
「だーかーら。教えない♪」
ジンギが聞き返してもサキは同じ返事をする。その一瞬ジンギは日本語の把握能力をなくした。
(あれ……? ちょっと待て、今なんて言われた……? 確か……)
……オシエナイ
……おしえない
……教えない
……教え……ない……?
5秒ほどかけてようやく理解する。
「教えない!?」
「うん♪」
「いやいやいや!! 『教えない』ってお前ふざけんなよ! 今まさに追われてる状況だぞ! お互いそんな場合じゃないじゃん!」
ジンギはこれ以上ないほど必死な様子でサキに抗議するが、サキはそれを涼しい顔で聞き流す。
「この戦いに参加するって約束してくれるなら教えてあげてもいいわよー。それにさっきは逃げることで頭がいっぱいだったけど、よくよく考えてみたらあいつの狙いはあんたで、あたしが狙われてるわけじゃないのよね」
「ひ、卑怯だぞ! 勝手に巻き込んでそんな取引って……! そんなもんどっちに転んでも俺は損じゃねえか!」
「まあ何とでも言うがいいわ。ともかく、あんたの選択肢はあたしに媚びて神器の出し方教えてもらうか、意地張ってあの佐久間とか言うやつにボコボコにされるかのどっちかね。好きな方を選びなさい」
「どっちも嫌に決まってんだろ!」
ジンギは怒鳴るがサキは気にせず、急に足を止め、踏ん張って力を込め始める。
「うん? どうした?」
ジンギが足をゆるめて尋ねると、当のサキは路地に隣接する建物に向かって一気に飛び上がった。そして途中で一度足を引っ掛けて更に飛び上がり、わずか2歩で建物の屋根まで登り切ってしまった。異世界人ならではの身体能力と言ったところなのだろうか。
しかしこの時ジンギには1つ問題があった。――この時サキが下に履いていたのは短パンであったのである。
「ああ畜生! スカートなら……って違う! サキ、てめえ1人で逃げるつもりか!」
いつものジンギならスカートではなく短パンであったことを小1時間は引きずるものだが、そんなことはほんのちょっとしか気にせず、建物の上に立つサキに向かって吠えた。
「違うわよ。いくらなんでもあんたと一緒だと巻き込まれかねないから、安全なところに移動しただけよ。まあでも安心して、あんたの声が聞こえる位置に入るから、教えてほしい時はすぐ言ってあげるわ」
サキは手を振りながらジンギへ笑顔を振りまく。
「こんの……くそっ! 覚えてろよ!」
三下のような台詞を残し、ジンギは駆けて行った。
「…………ごめんね。ジンギ……」
そんな彼の後姿を見つめながら、サキは寂しそうにつぶやいていた。
「……嘘だろ……」
ジンギは目の前の光景に絶望しながらたたずんでいた。
敵に追われ、サキに裏切られ、最早信じられるのは自分だけだ、とジンギは逃げに逃げ続けていた。
そしてようやく路地を抜けたと思ったのだ。しかし路地を抜けた先にあったのはやけに広い空き地で、さらにその空間は……完全に金網で囲まれていた。
通り抜けるための扉はあるようだが、鍵が閉まっており、おまけに金網の上は有刺鉄線で乗り越えることもできない。おそらくこういう状況を指すのだろう、袋の鼠とは。
「最悪だぁああ!!!」
ジンギは絶叫しながら何度も金網を蹴るが、その程度で蹴り破ることなど出来やしない。
その直後、風を切るような音がし、ジンギの頬をかすりながら後方から何かが抜けていく。
「痛ってえ!」
かすっただけで皮膚が裂け、血が流れてきた。ジンギは痛みを感じながら振り返ると、そこには、いつの間にか追いついた佐久間が立っていた。
「鬼ごっこは終わりか安倍仁義? ケケケケケ」
下品な笑みを浮かべながら佐久間はジョウロを構えている。
「く、くそっ!」
「しかしおめえも運のねえ奴だな。逃げた先が行き止まりとはよ」
(やべえ! やべえ!)
笑みを浮かべる佐久間が一歩、また一歩と近づいてくるにつれ、ジンギの焦りは大きくなる。
「ま、待ってくれ!」
「待ちやしねえよ。死ね」
「な、何でこんな……俺がリングを受け取ってすぐみたいな、そんなタイミングで現れたんだ? いや、現れ『れ』たんだ? ふ、不自然だろ」
「あん?」
佐久間が「待たない」と述べるのを無視し、ジンギは問いかける。ジンギとしては単なる恐怖の先延ばし、1秒でも長い時間稼ぎをしようと発した問いであったが、思いのほか佐久間の興味を引いたのか、彼は足を止めた。
「何で、ねえ……。別に隠すことじゃねえから言うが、教えてもらったんだよ」
「だ、誰にだ?」
「俺にリングをくれた奴だ。何だったかな。確か……そうだ。
――『安倍仁義』って男を張っていれば、楽に1人候補者を倒せる、ってな」
「……は?」
「安倍仁義っていや、うちの学校じゃ有名人だし。その安倍仁義が女からの呼び出しを受けたって聞けば、誰だって怪しいと思うだろ? んで後をつけてみれば案の定、神器の出し方すら教えてもらっていないカモがいたってわけだ」
「いや、待て待て……! どういうことだよ。何でその天上界人は俺のことを……?」
「知るか。俺だってそれ以来その男と会っちゃいなねえしな。
ケケケケケ。そもそもよ」
再び佐久間は笑い始めると、1度おろしていたジョウロを、またジンギへと向けた。
「考えてみりゃ、俺とおめえはこんな仲良しこよしにおしゃべりする間柄じゃねえだろ?」
「!?」
佐久間のジョウロから、水の弾丸が撃ち放たれた。
「がふっ!」
水弾はついにジンギの腹に直撃し、その勢いのままジンギを金網に叩きつける。叩きつけらた先が金網であったことがジンギにとっての不幸であったか、水弾の威力は軽減され、ジンギはギリギリで意識を繋ぎとめてしまう。このまま意識を失ったほうが楽であったかもしれない。
ジンギは虚ろな目を佐久間に向けながら金網に寄りかかってズルズルと座りこむ。未だ意識を失っていないジンギを見て佐久間は気を悪くし、眉間にしわを寄せる。
「チッ、悪運は強いってか。まあそれなら、次は……」
冷酷そうな笑みを浮かべ、佐久間はジョウロのノズルをわずかに上げる。
「頭を撃ち抜いてやればいい」
「!?」
ジンギは恐怖から表情を強張らせる。それを見て優越感を得た佐久間は、嬉しそうに口角を上げる。そして――ジョウロの先から水弾が放たれた。