④
「……え? なんぞこの状況は……」
「それじゃジンギ。お互い頑張ろうね。あたしもできる限りサポートするからさ。
まあとりあえず今日はもう帰るから、じゃあね」
「あ、ああうんじゃあね」
ジンギが混乱する一方でさわやかな笑顔を向けた彼女は、ジンギの肩をポンと叩いて帰ろうとする。
ジンギも思わず普通に返事しようとしたが……
「っていや! ちょっと待てやぁああ!」
そう叫ぶとジンギは全力で彼女の正面へ回り込み、彼女が帰ろうとするのを阻止する。そのジンギの行動に彼女は首をかしげる。
「え? 何? 何か質問でもあるの?」
「当り前じゃあ! この状況でむしろ質問しない奴がいるかぁ!」
先ほどまでの緊張は嘘のように引っ込んでいた。訳の分からない状況であるが、とりあえず彼女に色々聞かねばならないと考えたとたん、ジンギの中では彼女のことはいとおしい女の子から腹立たしい相手へとランクダウンしていた。
「そもそも何だ今の電話! トーナメントの下りとか、その他もろもろの訳の分らんワードも含めて、俺は何も聞いてないぞ!」
「ああ。そりゃあだって何も言ってないもの」
「確信犯か!?」
ジンギは全力でツッコミを入れていたつもりだが、彼女の方は涼しい顔で、聞き流しているのではないかと疑いたくなるほど平然とした様子であった。そんな彼女の態度に先にジンギの方が折れてしまい、肩を落とす。
「……ハァ……とりあえずさ、自覚あるなら説明してくれ。状況が全く理解できないんだよ。えーと……ってもしかしてまだ名前すら聞いてないのか……?」
疲れたようにジンギがそう言うと、彼女は人差し指を顎の下に当てて考えるような素振りをし、
「まあそうよね。普通こんな状況になったら混乱するものよね」
と言って再び近くの机の上に腰かけた。ジンギも適当に近くの椅子を引き寄せて、彼女の正面に向くように座る。
「じゃあまずは自己紹介からかしら。あたしの名前はサキ。普通にサキとでも呼んでくれたらいいわ」
「わかった。サキね……」
ここでようやく彼女の名前を知るジンギであるが、これまで名前も知らずに会話していたとはどうも変な気分だ。そんな風に思うジンギをよそに彼女ことサキは説明を続ける。
「それで次はさっきの電話に関する話なんだけど」
「ああ」
サキがはいきなり本題から切り出してきた。ジンギにとっては一番聞きたい部分であるだけに、少し身を乗り出す。
「並行世界の存在って信じる?」
「あ、お疲れ様でした」
帰ろうとしたジンギの腕をサキは素早く捕まえた。
「……何帰ろうとしてんのよ。聞きたいって言ったのはあんたでしょうが」
「いや、あなたのお話を聞きたいのは山々ですが、ちょっとこれから塾がありまして」
「嘘つきなさいよ。塾に行ってるような優等生はそんなバカそうな顔してないわ」
「その言い草酷くない!? つーかお前、いつの間にかめちゃめちゃ口調砕けてんな!」
「口調が砕けてるのはお互い様でしょ。というかいつまで立ってるのよ。座りなさいよ」
「悪いけど電波人間の話をいちいち聞いてるほど暇じゃねえよ! さっきまでのも全部お前の妄想って考えたら容易に答えは出る!」
「ふーん。じゃあつまりあんたは折角あたしが説明してあげようとしてる話を全く信じる気はないわけだ」
「当り前だろ! 説明の冒頭から『並行世界』とか使ってくる奴は大抵中ニ病患者って相場は決まってんだよ」
「ああ、そう。わかった」
「え?」
――ジンギが疑問に思う間もなく、その感覚はジンギを襲ってきた。
横一文字に切り裂かれた皮膚、そこからにじみ出てくる赤い液体、そしていつの間にか彼女の手に握られているナイフが、順々にジンギの目で認識されていった。
「――――!」
あまりに唐突な出来事に、ジンギは声を上げることすらかなわないが、腕の切り裂かれた個所からは止まることなく痛覚の信号が脳へと送り続けられている。
――殺される。
そうジンギは考えた。彼女は口元にうっすらと笑みを浮かべながら、追い打ちをかけるためなのか掴んだジンギの腕をものすごい力で手元へと引っ張ってきた。
「――ひっ!」
ようやく出せた声はそんな情けないものだ。次に彼女の手にあるナイフが狙ってくるのはどこか――目か、首か、心臓か――そんな恐怖にさいなまれながらジンギは何の抵抗もすることができなかった。
――しかし、その予想は良い意味で裏切られた。
「……へ? あれ……?」
サキは手に持っていたナイフをいきなり放り投げ、先ほど自分でつけた傷口に手をかざしてきた。その瞬間――その傷は目に見えるような速度で治り始めた。
見る見るうちに傷は跡形もなく消え去り、サキが手を離すと、ジンギは驚きのあまり思わず椅子から転げ落ちてしまった。その顔には今起こったことが信じられないという思いが反映されていた。床に尻餅をつきながらジンギが彼女を見上げてみると、見事なまでのドヤ顔でサキはジンギのことを見下ろしていた。
「……今、何をしたんだ?」
ジンギはようやくその言葉だけを絞り出した。サキはその言葉を待ってましたと言わんばかりに鼻をフフンと鳴らす。
「〝神通力〟……『この世の法則に抗う』という特殊な性質を持ったエネルギーよ。普通ならただ生き物の体内に存在するだけのものだけど、私たち〝天上界〟の人間は、それをコントロールする術を持ってるの」
そう言って、神上界の人間と名乗る少女は、最初にしていたものと同じ笑顔をジンギに向けてきた。