③
高校を出てから10分ほどでジンギは工場群跡へ到着したが、辺りを見渡しているうちにあることに気がつく。
「……細かい場所聞くの忘れてた」
工場群と言うだけあり、その範囲は広く、あてもなく探していたら日が暮れてしまう。ジンギはどうしたものかと思案していたが、ふと目を向けた先、遠くの建物の向こうで黒い髪がなびいていたように見えた。
ジンギは先ほどの竹田の描写の中に『腰まで伸びる黒い髪』とあったのを思い出し、何気なく足を進めていった。
黒髪の見えた建物の向こうは曲がり角になっており、その先にもまだ道は続いている。
そのままジンギが歩いていくと、この中では規模が小さめの工場が見えてきた。昼間であるにもかかわらず人気を感じないそこは、既に閉鎖された工場と容易に予想できたが、工場に併設されている事務所のドアが何故か少し開いていることにジンギは気がつく。
「…………」
不安と期待を入り混じらせながら、ジンギは意を決して事務所の中へとはいっていた。
中は想像していたよりも広く、残されたままになっている机やらがややほこりをかぶっている。明かりはついていないが、窓が多いせいなのか、暗さは全く感じない。
そんな部屋の一点にジンギは目を奪われる。まるでこの薄汚れた部屋の中を浄化しているように――
「こんにちは」
――彼女は微笑みながら、机の上に腰かけていた。
ジンギはしばらくの間、ただ彼女に見とれ続けていた。
彼女から呼び出しを受けたことで山崎はかなりの剣幕でジンギに突っかかってきたが、いざ彼女と対面してみればその気持ちもよくわかる。
腰まで伸びている彼女の黒髪にはくせ毛の1本すら見つからず、まるで絹のようにつややかな光沢を放っていた。目はやや切れ目でありながらも、その中に存在する漆黒の瞳には、まるで見つめているだけで吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力まで込められている。
もし自分と山崎の立場が逆であれば、確実に同じ行動をとっていただろう。そう言い切れるほど、彼女は絶世の美少女であった。
「や、やあ……」
とりあえずジンギは先ほどの彼女からのあいさつを返す。何とも歯切れの悪い返事になってしまったが、手汗をかくほど緊張しているジンギには無理もない。
「ここまで来てくれたから間違いないと思うけど、あなたが安倍仁義?」
そう問いかけてくる彼女はとても澄んだ声をしていた。
「うぇ? あ、ああそうだよ。仲良い奴らには『ジンギ』なんて呼ばれたりしてるけどな」
「ふーん。じゃああたしもジンギって呼んでも良い?」
「べ、べべべ別に構わないけど」
いきなりあだ名で呼んでくるという彼女のフランクさにジンギはさらにどぎまぎする。
そもそもこれほど親しげに接してきてくれる女の子がこれまでの人生の中でいただろうか? ジンギはふと自分のこれまでの女性経験を振り返ってみる。
そう、確か初めて告白したのは小5の時であった。あの時は相手の女の子も気を使うことなどなく「いや、あんたのこと別に好きじゃないし」とストレートにぶった切られた。
中学の時には呼び出したのに来てもくれない娘がいた。
高校に入ってからはもう繰り返して言うまでもないが、7回連続気を使われつつ断られ、不名誉な二つ名さえ知らぬところで獲得してしまっていた。
(だがそんな奴らにあえて言ってやろう! 長い長い15年の苦節を乗り越え、俺はついに神に上り詰めてやる!)
……と、そんなアホなことを考えているジンギのそばで、いつの間にか少女は何かを手に持ち、それをジンギに見えやすいように持ち上げていた。
よく見てみると、それは金色のリングであった。色の割に派手な装飾などはほとんどなく、いたってシンプルな意匠をしており、大きさから推測すればおそらく腕輪であると思える。
「えっと……。これは?」
「まあ腕輪みたいなものね」
「くれるの?」
「出来ればすぐつけてくれると嬉しいんだけど」
ジンギは激しく感動していた。告白をしてくれるだけでも十分に嬉しいというのに、この娘はプレゼントまで用意してくれたというのだ。まさしく至れり尽くせり、この娘こそ運命の人に違いない、そうジンギは勝手に結論付けていた。
「あ、ありがとう!」
ジンギは彼女からリングを受け取ると、すぐさま右腕にはめた。どこで腕のサイズを知ったのか知らないが、リングは見事に腕にフィットし、やや派手な装飾品としてジンギの右腕で金色の輝きを放っていた。
「ど、どうかな?」
ジンギは右腕を彼女に見えやすいように顔の前まで上げ、感想を尋ねてみる。
……だが彼女はジンギがしっかり腕にリングをはめたのを確認すると、「よし」とだけ言っておもむろに携帯を腰のポケットから取り出した。
つけてくれと言いながら、何の感想も述べない彼女の行動は変であったが、当のジンギはアドレスでも交換するのだろうかと呑気に考えて自分も携帯を取り出そうとする。しかし彼女の方はジンギが携帯を差し出してくるのも無視してどこかへと電話をかけ始めた。
「あ、あり?」
「もしもし……あ、はい私です。お疲れ様です」
空かされた気分のジンギをよそに、彼女は電話の先の人との会話を始める。
「私の担当することになった候補者の名前は『あべひとよし』です。背丈は中肉中背の170と少しくらいで、外見は黒髪と黒い目をした……ってうわ、全然見た目に特徴のない地味な顔だこれ……。まあいいや。後で写真を送っておくのでそれで確認しておいてください」
何か確実に貶されつつ、彼女と電話口の人との会話が進んでいく。ここまできてようやくジンギも違和感に気付き始めた。担当? 候補者? 何のことであるのだろうか?
「はい。そのままトーナメントへの登録をお願いします。はい、では……」
彼女はそこで電話を切る。そしてその頃にはジンギの違和感は既に完全な疑念へと変わっていた。
ただ少なくとも、『愛の告白』ではないことだけは確実なようであった。