そのさん
「悪いな」
「別にいいわよ。どうせやることもなかったし」
アイラが急に頭を下げてくるから何かと思ったら、行かなければならない所ができたらしい。折角エメディールにいるのだから、と王立図書館に行ったものの、読みたかった本は一般には公開していないらしく、結局暇を持て余していたのだ。むしろ好都合である。
「で、どこなの?」
「ソフィアだ。古い方の」
古い方、と言われ、ぼんやりと地図を思い浮かべる。今はジェイド領だが、開戦まで秒読みといった状態なので、来年には変わっているかもしれない。
「旧ステノブルクの方ね。でも、どうして?」
「初仕事を覚えているか? あの時、土地のバランスを崩していたらしい。だから、それを戻すように言われた」
初仕事、と言われ、頷く。言われてみれば、遺跡でいろいろやらかした気もする。
「バランス? というか、誰に頼まれたの?」
「狂った王女サマに頼まれた。今更バランスを戻したところで、戦争は回避できないだろうがな」
今の神様は戦争好きなので、バランスが崩れた土地ではすぐに戦争が起こる。というか、神様の元になった人間が殺された場所だ。確かその後王と王妃が相次いで亡くなり、あっという間に旧ステノブルクは滅亡したはずだ。
「狂った王女サマって、パメラのお姉さん? どこで知り合ったのよ」
「王女サマが幽閉される直前に知り合った。私の幼馴染も千里眼を持っていたから、ちょっと気になって会わせてもらった」
「会わせてもらった、って。あなた、本当にどこの人?」
アイラは西大陸の出身であることは認めている。でも、西大陸の人間が簡単に王族に会えるわけがない。東大陸に来ることすら困難なのに。
「そんなことはどうでもいい。ともかく、さっさとバランスを戻さなければいけない。だから、頑張って早起きしろ」
「早起き? 無理よ」
「……あ、そう言えれば、これを預かった。好きにしていいらしい」
手渡された書類をみると、どうやら許可証のようだ。それも、王立図書館の地下、つまり読みたかった魔道書のある所に行くための許可証だ。
「え、どうしたの、これ」
「王女サマは千里眼だから、アクアを暇つぶしに視てたらしい」
「は?」
千里眼とは異能の一種で、遠隔地の光景を知る能力だ。未来視やら過去視の人間との区別は、現在起こっている事柄しか視えないことによる、らしい……。その能力は血統には依らず、先天性のみならず後天性のものもあるとか。少なくとも、アクアの友人(少ないけど)の中にはいない。物心つくころには大抵発狂しているから、自分の意思で座標はずらせないらしい。
「あれって、コントロールできるの?」
「異能と向き合える人間なら、可能だろう。王女サマみたいに目をつぶせば、余計な情報が入って来ない分、制御しやすいらしいな」
そう言われてみれば、王女が狂っていると言われるのは、自分で眼球を抉り出してつぶしたからだっけ、とつぶやいてみる。
「まぁ、とにかく、起きろ。無理なら寝るなよ」
アイラが部屋を出ようとするのを、アクアは追い掛けた。忘れかけていたが、夕飯がまだだった。
「無茶なこと言わないでよ。というか、それだけ魔力持ってるなら、空間転移できるんじゃないの? あそこには媒介もあるし……」
アクアの言葉に、アイラは立ち止って片眉をあげた。
「他人をつれて“飛べる”ほど理論を勉強していないから無理だ。確かに前に行った時に許可は得たが、土地自体のバランスが悪いから、下手すれば空間のはざまから出られなくなる」
空間転移魔法は、まず術者の魔力が高いこと、到着地点の精霊もしくは管理者の許可を得ている必要がある。さらに、座標指定と、バラバラ死体にならないための訓練が必要だ。後は一度自分の構成粒子を分解して再構成する、というのが原理なので、解剖学知識とかその他理論を習得していなければならない。他人を伴う場合は、もっと煩雑な理論が必要だ。媒介があれば座標指定の必要性はなくなるが、魔力の消費量は変わらないので、魔力量によってはバラバラ死体もあり得るわけだ。
「でも、精霊の力を借りれば……て、バランスをこれ以上乱すな、って言いたいのね」
別に契約しているわけではないが、二人とも精霊王と知り合いなので、彼らに頼めば連れていってはもらえるだろう。ただ、空間転移は到着地点のバランスを崩してしまう。それはほんの少しだから通常なら問題にはならない。けれど、バランスが既に乱れている場所では致命的だ。
「ていうか、今回は俺ら、手伝えないんだよね。あそこの精霊達が大暴れして、精霊に対する結界が張られたから」
突然降ってきた声に振り返ると、赤毛の青年がいた。そして、少し遅れて、青い髪の美しい人魚が現れた。
「珍しく神が争い以外に介入してきたのよ。まだ結界が成立して一刻も経っていないのだけれど、精霊は出ることも入ることもできない状態なの」
人魚こと水の精霊王は申し訳なさそうに目を伏せたが、炎の精霊王は表情だけは困ったような顔を作っていた。
「そうか……それは。というか、またあいつが?」
「いやいや。今回は忠告に来ただけ。姫さんは精霊魔法は使わないからいいとして、アクア嬢は困るかな、と。まさかマーキュリーに会うとは思わなかったけど……」
水の精霊王は穏やかに首を傾げて、炎の精霊王を見た。ちなみに、この名前は精霊王を呼ぶ符号のようなもので、本名は別にある。
「私だって、愛し子でもないお姫様の所にマーズがいるとは思わなかったの。でも、そんなことはどうでもいいわね。問題なのは、土地の秩序を乱したのが貴方達であること」
どういうことだろう、とマーキュリーを見ると、彼女はアクアの頭を優しくなでた。
「普通なら、千里眼の姫君が言うように、バランスを崩した張本人、貴方達が元に戻せればそれでおしまいだったのよ。それだけなら、私も、不本意だけどマーズだって手伝えたでしょう。でも、その土地は、神が神になるために殺された場所だった。今の神は“幼すぎた”からなのか、五百年もたった今も、そこに執着している。そして、神を殺したのは、精霊使いだったから、身を守るために結界で塞いだの……多分」
「多分? というか、姫呼ばわりするな」
アイラが口をはさむと、マーズは目線をそらした。
「えと、神が神になる前を知っているのは妖精だけだから。というか、古い方のステノブルクの王子……いや、性別不明だけど……だったことしかわかってない。で、神は話が通じなくて、何考えているのかわからない。以上。で、姫さんを姫さんと呼ぶのは、精霊は偽名で人間を呼べないから。本名で呼んでもいいならそうするけど?」
「なら、姫でいい。でも、どうしてマーキュリーは精霊使いが殺したと、知っているんだ?」
「私の……私の元になった人間の前世が犯人だから。神が早々に狂ったから、すごく後悔したらしくて、魂が浄化しきれないまま転生したみたいね」
そういうことか、とアイラが小さくつぶやいた。
「どういうこと?」
「アクア、早くしないと夕飯が食べれなくなる」
そんなことを言いながら、アイラはアクアを引っ張った。
「近くの街までは、連れて行ってあげるわ。そのくらいならできるから」
アクアが部屋を出る前に、マーキュリーはそれだけ言った。そして、部屋には誰もいなくなった。
とりあえず、これでエメディール編は終了。次から回想に入ります。