そのに
「悪いわね。こんなことお願いできるの、あなただけなの」
口調とは裏腹に、ちっとも悪びれた風もなく彼女は笑った。
「そうか。で、何をしてほしいんだ? お前の妹姫は南に遊学中だろ」
アイラは目の前の痩身麗人を眺めまわした。銀髪にも見えるほど淡い金髪を揺らした彼女……ジェイド王国の第一王女の双眼は目隠しの布に覆われていた。隠されていない顔は彫像のように整っているのに、首筋やドレスから覗く皮膚には無数の引っ掻き傷がある。
「別にパメラちゃんに頼んでもいいのよ? でもね、あれの原因はあなたたちなんですもの。あなたに頼んだ方がはやいでしょう?」
王女は地図を指差した。図書館にあるものとは段違いに詳細な地図だ。
「グランダ……じゃない、旧ステノブルクか」
「えぇ。そういえば、あれが初めての仕事だったんですって? 奥方様の宝石箱の封印……でも、途中で手を出しちゃいけないものに手を出したわね。神様が“殺された”場所で」
「本当は、目、見えてるんだろ」
狂ったように笑いだした王女にアイラがぼやくと、王女はアイラに詰め寄った。王女の手がアイラの頬に傷を作る。
「眼球はつぶしたけど、視えちゃうんですもの。お父様に頼んで幽閉してもらったけど、余計なものが見えるのよ……。あなたは幸福ね。その眼に映るものしか見えないなんて、それがどれほど幸福であることか」
アイラはその手を掴んだ。
「怨んでいるのか、その、“眼”を」
「いいえ。あなたのご主人みたいに未来が視える方がしんどいもの。自分より不幸な人がいるのに、どうして不幸だと思いこまなければいけないの?」
心底不思議そうな顔をして王女が言うので、アイラは狂ってるな、と小さくつぶやいて手を離した。
「……で、だから何をすればいい? とりあえず、一月は暇なんだが」
王女は嬉しそうに頷いた。おもむろに立ち上がると、先ほどとは違う地図の前に立った。
「見える? ここに行って、バランスを直してきて。崩したんだから、戻せるでしょう?」
「簡単に言ってくれる……アクアは必要か?」
千里眼を持つ王女の視線の先を追いながら、アイラは聞いた。ここは、グランダという王国の首都だった場所だ。アクアが南に来る前にいた場所。
「連れて行きたくないのね。でも、ちゃんと連れて行ってね。お姫様がいずれ自分と向き合う時のために」
今回は、アクアが存在する必要はない、ということだ。けれど、念押しされるということは、アクアには悪いがついてきてもらうしかないだろう。
「その姫を姫じゃなくさせた奴がよく言うな」
「あれは……そうね、私のせいね。ちょっとイライラしてたから、内部崩壊してもらったの。まぁ、どっちにしてもあの国は地図から消えると決まっていたし、いいじゃない。一般庶民としては一番楽だったでしょ? お城がひとつ、燃えただけよ」
やっぱり狂ってる、とアイラは唇だけ動かしてつぶやいた。すると、王女は困ったように肩をすくめた。
「わかったわ。せめてもの罪滅ぼしに、そこの机の上の紙、お姫様に渡してあげて。……あぁ、変なものじゃないわ。要らなきゃ捨ててもらってもかまわないし」
アイラは立ち上がって、机の上の書類を手にした。
「許可証……? アクアは図書館にいるのか」
それは、図書館の地階へ立ち入ることを許可するものだった。裏書きは王女ではなく、国王だ。
「えぇ。あなたを待ってる間、暇だから視てたの。あなたの方向音痴っぷりなんて、視ててもつまらないしね」
軽やかに笑いながらそんなことを言う王女に、アイラは眉間にしわを寄せた。人に指摘されると腹が立つ。
「で、お姫様は魔術師でしょう? だから、魔術書が読みたいのじゃないかしら、と思って。でも、重要な魔術書は地下にあるの。そこにあるものを閲覧できるのは、王族の許可を得た者だけ。だから、ね?」
「……。わかった。一応渡しておく。どうせ使う暇はないだろうが」
「そうね。あのお姫様は、寝起きが悪いものね」
けらけらと笑う王女に、アイラは小さくため息をついてから踵を返した。扉を開いて、出る間際に振り返る。そんなアイラに王女は子供のように手を振って見せた。
「ひょっとしたら、お兄様に会うかもしれないわ。その時はよろしくね」
アイラは無言で扉を閉めた。すると、両脇から兵士が手を伸ばし、器用に鎖を巻いて鍵を閉める。
「手慣れているんだな」
「仕事ですので」
アイラのつぶやきに答えた方の兵士が先導のためにさっと前に出る。
「王女殿下のご様子は?」
様子……と、少し考えてから、頷いた。
「普段通りでいいんじゃないか? 少しおかしい気もしたが……」
「そうですか。アイシャーラ様はこれからどちらへ?」
「旧ステノブルクの首都だ。お前は行ったことはあるか? グランダを併合した時、多くの兵士が行ったと聞くが」
鉄格子のはめられた窓をぼんやり見ながら、アイラは問うた。
「私は王女付きでしたので。それに、行くならベリルの首都だった所の方が……と、失礼しました」
「いや、別に構わない。あそこはこの国の原点みたいなものだからな。しかし、東大陸は国境線が動き過ぎだろ」
兵士はそうですね、と笑った。
「西の方にしてみればそうなんでしょうね。我々なんぞは、戦がなくなると逆に気味が悪いくらいですけど」
「そんなものか。まぁ、だからこそ南に仕事が来るんだけどな」
アイラは塔から出ると、目を細めて空を見上げた。
「本当は、平和であればいいと思うのですが、ね」
兵士はそう言いながら、塔の出口に鍵をかけた。遠くから鐘の音が聞こえた。