プロローグ
頬を掠めた短剣が少女の白い肌に赤い筋をつける。けれど、彼女はひるむことなく、詠唱を続けた。
「アクア」
呼びかけに、少女は一歩後ろに下がった。その瞬間、彼女がいた場所に別の少女が現れ、激しい金属音が起こる。赤く長い髪の見事なその少女は、相手の男にひるむことなくかかってゆく。引けを取らないどころか、少女のほうが強いことは明らかで、男はすぐに追い詰められた。
「アイラ、いいかしら?」
詠唱を終えた少女は杖を構えながら微笑んだ。剣を持った少女は無言で退いた。
その次の瞬間、杖からまばゆい光が溢れ出した。
「案外、時間がかかったわね」
杖をぐるりと回しながらアクアは言った。
淡い空色のツインテールが風に揺れる。同色の瞳はぱっちりしていて、人形のような顔立ちだ。十三歳ほどの外見だが、浮かべた表情は大人びている。そのくせ、セーラー服をまとい、スカートの丈はみえないぎりぎりのラインだ。
「まぁ、こんなものだろう」
アイラは淡々とそれに答えた。
炎のような赤い髪は簪で留められ、その飾りが歩くたびにゆらゆらと揺れる。同色の瞳は鋭く、寡黙そうな顔立ちだ。腰に下げた剣は美しく、一目で由緒あることがわかる。袖のゆったりした異国の衣装を帯できっちり締めた姿は、どこか人混みから浮いていた。
「そう? にしても今回の仕事、もう少し褒賞があってもいいと思わない?」
「妥当なところだろう。アクアが情報に惑わされなければ、もっと早く終わっていた。それに」
「それに?」
アクアはちょっと背伸びをして、アイラの顔を見上げた。
十八歳ということもあるが、単純にアイラの身長が高いのだ。ちなみに、アクアはアイラよりも二歳年上だったりもする。
「これはほとんど休暇のようなものだろう? ジェイドの都、エメディールに長期滞在しようとすれば、本来ならもっとお金がかかった。それをただ同然なんだから」
「それはそうかもしれないけれど、でも、観光を楽しむ余裕なんてなかったわよ?」
「いや、どうせひと月後までここに居る予定なんだ。今からでも十分楽しめる」
アイラがそう言うと、アクアは首をかしげた。
「私の用事があったから長めに申請しておいたんだ。まぁ、嫌なら先に帰ってもいいけど」
投げてよこされた財布をじっと見つめ、それからアイラを見ると、すでに人ごみに紛れていた。派手な外見をしているわりに、集団に溶け込むのは早い。もちろん、アイラがその気になればであるが。
「別にいいけど、一人で大丈夫かしら。……方向音痴って、そう簡単に治らないわよねぇ」
小さく息を吐き出してから、首を振った。そして、今までとは反対方向に歩きだした。
「せっかくエメディールに来たんだし、王立図書館でも見てこようかしら」
財布をかばんにしまいながら、一月も何しよう? とぼんやり考えた。