31 ノスタルジア
まさに、麗人だった。
キャンパスの中庭、木陰になるベンチに優雅に腰掛ける姿に、彼は思わず見とれた。
この春の新入生だろうか――これまで、そんな美しい学生を見かけたことはなかった。
シンプルな白いシャツと暗色のスラックスの似合う、すらりと細い肢体。さらさらと背に流れる癖のない黒髪。長い睫毛に縁どられた黒目がちな瞳、小さくまとまったほの赤い唇――色白の細面にはまだ僅か少年の気配が残り、それがため性別の判断にしばし迷わされるほどの麗人だった。
売店で買ったらしき紙コップのコーヒーを飲む仕草は、純喫茶の窓際の席でカップを傾けるかのように優雅だった。
そこだけ、空気が違って見えるような美しさに、彼の胸は痛んだ。
彼の前から去ろうとした幼馴染みの少女の面影が思い出された。
ただ、あの夏を留めたかっただけなのに……。
同時に自覚する、のどの渇きに似た焦燥と切望。
幼馴染みの少女も次に好きになった女生徒もさらに次に好ましく思った女性も皆、彼の元を逃げ出そうとした。
彼女らを何ものをからも守りたかっただけだったのに。
なぜ、上手くいかない……?
きっと、男だの女だの属性を付加され、受け入れた段階で、そうやって生き続ける価値を失くしてしまっていたのだろう。
だから、失敗したのだと、彼は思った。
ならば、空の紙カップを手近なゴミ箱に放り簡素なベンチを後にする、性別を超越するほどの麗人ならどうであろう……?
「もう少し純度を高めた方が、綺麗に砕けるのに」
思考に浸ってしまっていたものか――まろみのある楽器の音のような声に我に返ると、ほんの正面に、小首を傾ぐように覗き込む件の麗人の瞳があった。
光のない……否、光を吸いこんでしまう真っ黒な瞳は、誘惑と挑発の入り混じる愉悦の気色を孕んでいた。
「がっかりさせないでね」
言葉を失っている間に踵を返され、華奢な背に揺れる黒髪を見送る。
ぞわりと寒気に襲われたのは、中庭を行き交う学生たちの間に、麗人の姿を見失ってしまってからのことだった。
「なぁんだ、つまらない」
数日後。同じ中庭の木陰から見かけた彼の姿に、あの日の麗人はほんのり色付く唇を尖らせた。
ぶよぶよと不定形な瘤を育てていた彼の魂は、すっかり丸く縮まってしまい、鈍く凡庸な光を宿すばかりになっていた。
「まぁ、あの程度で委縮してしまうなら、平凡を求めて生きる方が彼の幸せだね」
軽く肩をすくめて、木陰から日向に抜けだすと、もう用はないとばかりすたすたと学生たちの間をすり抜ける。
誰もが振り向くはずの美貌にもかかわらず不思議と、気に留める者は誰ひとりとしていなかった。




