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2 風鈴


 かららん……。

 からかららん……。


 ずらりと並んだガラス製の風鈴が、ポリプロピレン素材の短冊を翻しながら、乾いた音を奏でる。

 近年では住宅事情もあり、高い音を響かせる金属製の風鈴よりも音が軽く短いガラス製の風鈴が好まれる傾向にあるらしい。

 さらに、きらきらと光を透かすクリア素材にカラフルな模様がおどる様子は、目にも涼しげであり――また、イマドキの文化ならでは写真映えも人気の理由であるのだろう。


 カラコロと履き慣れない下駄を鳴らして、彼女は提灯の灯りに思いのほか明るい境内に立ち並ぶ屋台を眺めてまわる。

 アイスキャンディーや綿菓子、金魚すくいに輪投げや射的――子供のころから変わらぬそれらをひとつひとつ確かめながら、共に歩く従妹に指して見せる。

 ふたつ年上の従姉と彼女とは母親同士が双子なこともあり、連れ立って歩けば必ず姉妹と間違われた。お互い他に姉妹(きょうだい)もいないので、むしろそれが嬉しかったし――事実、双方の家に預けられることも多く、姉妹のようにして成長した。もしかしたら、従姉妹という間柄、実の姉妹よりも仲良く育ったほどかもしれない。

「あ。風船釣り……わたしってば、せっかく取った風船、勢いつけすぎてすっ飛ばしたりしたっけ」

 時々、牡丹柄の浴衣の袖を引いて、ことさら明るく語りかけるのは――とぼとぼと、ともすれば従姉の歩みが止まりがちなせい。

 歩けないほど混雑するような宵祭りではないが、それだけに――楽しげな家族連れや友人同士恋人同士が行き交う境内の喧騒から取り残されたように思える従姉の姿が痛々しい。

 熱心に話しかけ続ければ、申し訳程度に作り笑いを浮かべて頷いて見せる従姉は、つい先ごろ、結婚を考えていた交際相手に捨てられたのだ。いや、よくよく経緯を聞かされてみれば、騙されていたのだと彼女は思った。

 それでも、あまりに悲しむ従姉に、その事実を突きつけるのはためらわれた。

 結果的に、ショッピングやドライブに連れ出して、気が晴れることを期待するくらいしか、彼女には思いつかなかったし、たとえ何かを思いついたとしてもできることはそうそうなかった。


 からり……。


 短く乾いた音色――それを聞き留めて従姉が足を止めたものか、従姉が立ち止まったことでその音色に気付くことができたのか、前後関係は彼女にもはっきりしない。


 からからからりん……。


 茫洋とした従姉の視線の先には、ガラスの風鈴をずらりと並べた屋台があった。


 からかららん……。

 からんからんからん……。


 ひらひらとポリプロピレン素材の短冊を翻しながら、ガラスの舌が煌びやかな外身の口を叩く。

 行きがけに、こんな屋台を見たろうか?……疑問に思うより先、煩いほどに風鈴を鳴らす短冊に吹き付けるはずの風をまるで感じないことの方に、ぞわり…背筋が粟立つ。


 からりかららりりん……。


 ふらり…屋台へと歩み寄ろうとする従姉の手をとっさに掴まえる――けれど、それが精一杯だった。


 からりからりからり……。

 からからからから……。

 かららんかららんからららら……。


 提灯の光をはじいて踊る短冊と、いつの間にかすっかり彼女らを取り囲み包み込むガラスの音色。

 繋いだ手が、急速に温度を失くしていく。

 慌てて確かめる従姉は、目を見開いたままピクリとも動かない。

 同様に彼女の足も震えることさえできないほど、固まってしまっていた。

 もちろん、悲鳴を上げるなり助けを求めるなり出来るはずの咽喉も……。


 なに、これ……?


 疑問符が意味を持たないことはわかっていたが、他になにも思いつかない。

 ただ、良くない事態なのだと言うことだけは感じていた――そう、おそらく……従姉にとっては、命にかかわりかねない――。


 からからん……。

 からりからりん……。


 チラチラと灯りを弾く数多の短冊と、忙しなく揺れ動く舌――ぬらぬらと照らされ不釣り合いにのんびりと揺れる外身の表面を金魚が泳ぎ蝶々が飛びかう。

 ガラスを抜け出した青い蝶々が一頭、従姉の纏う浴衣の牡丹に羽を休めた。

 とたん、柄でしかないはずの牡丹が色褪せ始める。

 従姉の手は、もう氷のようで――。


 りーん――。


 思考が完全に止まってしまう……ほんの間際、高く長く澄んだ金属質の()が、世界を震わせた。

 ふるり…従姉の身体が震え、青い蝶々は払いのけられたように風鈴のひとつへと逃げ去る。


 りーん……りーん……。


 余韻をひきつつ、ゆったりと間をおいて、二度三度――。

 まだいくらか強張りの残る肩をせかして、音の源を探して振り返る。

 視界の隅に、ガラスの風鈴の短冊はひらめいていたが、あれだけ煩かった乾いた音は聞こえなくなっていた。


「気の弱っているときに、暗い場所に来てはいけない」

 落ち着いた声――提灯の照らす外から現れたのは、釣鐘を燃した金属の風鈴を手にした、長身の青年だった。

 ゆっくりと歩み寄る。上背はあるが、大柄ではない――明かりのもとで認める容貌は、一般的にハンサムと呼ばれる部類であるだろう……たぶん。彼女が断言できなかったのは、整っているはずの青年の顔に浮かぶ表情が、あまりにも希薄なせいだ。

「魂を欲しがる輩は、少なくない……」

 決して、例えて人形のよう能面のようと言われるような硬い無表情ではない――口調には、思いやりがあり、太くはないが濃く引き締まった眉の下の二重の黒い瞳にも、現状から救い出してくれる力強さがあった。にもかかわらず、そこにいる気配がとらえ辛く感じるほど、青年の表情は抑揚を大きく欠いて思われた。

「あの……」

 彼女が声を取り戻したことを自覚する前に、最後の数歩を大股に急いだ青年は、屋台から無言でひとつのガラス風鈴をもぎ取った。

 とたん――あれほど大量の風鈴をつるした屋台が消え去り、ざわざわと境内の騒めきが世界にあふれる。

「うちに帰ったら、その子の足元でこれを割って」

 まだぼんやりとしている従姉を横目に確かめると、青年は手にした青い蝶々の描かれた風鈴を彼女に押し付ける。

「すぐに――寄り道せず、帰るんだ」

 青年に強くせかされ、わけのわからないなりに――彼女は、従姉の手を引いて境内を後にした。



 家に帰りついても、まだ従姉はぼんやりと視線を虚空に彷徨わせていた。

 玄関前の庭先に立たせた従姉の足元に、青年から渡されたガラス風鈴を叩きつける。

 ぱり…手にしていた質感よりずいぶん薄い殻の割れるような音がして、そしてそのまま――飛び散った破片は、吹き消されるように霧散した。

「え? わたし、お参りに行ってたんじゃ……?」

 戸惑いの声をあげた従姉は、しかし――その後にわかったことでは、交際相手についての記憶の一切を失っていた。



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