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昼間から絶倫

 次の日、頭が割れるような痛みで眼が覚めた。

 どのように帰ったのかも覚えていない。香織に聞くと、弦さんがタクシーで運んでくれたようだ。それなのに弦さんに散々くだをまいて、挙句の果てにはキューピットを止めて、二十才になる息子の九斗に伝授するとまで言って大騒ぎしたらしい。なんとか弦さんと香織がなだめて納まったそうだが、全く覚えていない。

 重い体を引きずって会社まで行き、六階にある恋愛営業部のドアを開けると、全員すでに出社していた。机が五台も並ぶといっぱいになるこぢんまりとした部屋だが、他の人間が入ってこないので都合が良い。窓を背にした一際大きい机に羽田が座り、その前に向き合った机が四台並んでいる。

 俺の机は羽田の目の前なので、窓から差し込む朝日と羽田の光る頭に向かってゆっくりと歩いて行った。

「おはようございます……」

「矢神君、ぎりぎりですよ」

 羽田の甲高い声が脳みその裏側まで響く。俺は脳みそが揺れないように頭を下げ、イスを引くと静かに腰掛けた。書類を立てかけてある隙間から、前に座る弦さんが顔を覗かせて気の毒そうに見ている。俺は昨日の事を謝るつもりで、片手で拝む真似をした。隣に座る天野は、飽きもせずにまだ弓を磨いている。

 しばらくして、弦さんが立ち上がった。

「さあ、九さん、行こうか」

 俺は意味が分からず首を捻ると、弦さんは呆れた顔をする。

「なんだよ、覚えてないのか。まあいい、取り敢えず出よう。部長、行って来ます」

 羽田は怪訝な顔をすると俺に向かって何か言おうとしたが、その前に弦さんがドアのノブを握りながら急かした。

「ほら、早くしろよ」

 俺はバックを掴むと渋い顔の羽田にお辞儀をし、ふらふら与太りながらドアに向かった。

 エレベーターで二人っきりになると、弦さんは俺の顔を覗き込んだ。

「全く覚えてないのか。昨日家まで送った時に、俺の撃ち込むところを見てみたい、って散々騒いでたんだよ。簡単にホイホイ撃つのが信じられないから一度見せろ、ってうるさかったぜ。だから今日見せてやるんじゃねえか」

「はぁ……覚えてない……」

「しょうがねえな。まあ、ついて来な」

 会社を出た弦さんは、わき目も振らずに歩いて行く。もたもた歩いていると置いていかれそうだ。しかし、心とは裏腹に体が付いて行かない。その度に弦さんに、「早く来い」とどやされた。一体どこに行くのだろう。せめて近くである事を願うしかない。


 そして俺は今、ディズニーランドのシンデレラ城を見上げている。弦さんはかれこれ一時間以上も前に、色々なキャラクターの写真を撮り行ってしまった。本物のキューピットの弦さんが、七人の小人のあとを追い駆けて行ったのは不思議な話だ。

 一人で馬鹿面下げて待っていると、弦さんがこちらに向かって手を振りながら歩いてきた。

「お待たせ、九さん。あっ!」

 弦さんは何を見つけたのか、口を開けたまま俺の後ろを凝視している。振り向くと、ミッキーマウスが軽快な足取りでシンデレラ城から出てきた。

「おぉ~っ! ミッキーだ! ミッキーッ!」

 眼を輝かせて叫ぶ弦さんは、小躍りしながら駈け出した。携帯片手にミッキーの回りを忙しく飛び回っている。全く落ち着きのないおっさんだ。

 しばらく呆れて眺めていると、やっと満足のいく画像が撮れたのか戻ってきた。

「やったぜ、九さん。マイちゃんが喜ぶよ」

「マイちゃんて、お孫さんの? 三才でしたっけ?」

 弦さんは満面の笑みでうなずいた。その笑顔は、どこにでもいるおじいちゃんの顔だ。今まで撮った画像をチェックしながら、まだニタニタしている。

「弦さん、もう満足しました? そろそろ仕事しましようか?」

「おう、そうだな。じゃ、その辺座ってリサーチでもしよう」

 シンデレラ城の端に行き、手頃な縁石に腰掛けた。ディズニーランドは千差万別のカップルがいるから勉強になる、と弦さんは言っていたが、にやけた顔を見る限りでは自分の楽しみが多分に入っている。

 しかし、さすがにデートスポットのメッカだけあり、平日だがカップルが山のようにいる。あながち言っている事は嘘ではない。

 辺りをキョロキョロ見渡していると、わき腹を弦さんに突っつかれた。

「見ろよ、あのカップル」

 小声で囁き顎をしゃくった。目の前で若いカップルがじゃれついている。女も男も二十歳ぐらいだろうか、しきりに女の方は睫毛をパチクリさせて、甘ったるい声で男と喋っている。

「ねぇ~、カズく~ん。次はなに乗るの~」

 男は鼻をおっぴろげて体をくねらせた。

「チエちゃんの好きなのでいいよ~」

「ほんとに~、なににしよっかな~、でも、チエ、決められないよ~」

「僕も決められな~い」

 俺と弦さんは顔を見合わせて苦笑いをした。弦さんはフンと鼻から息を出すと、女の方を探るような眼で見た。

「よく言うな、あの女。心にもない事を」

「ねぇ」

 俺は相槌を打ち、女と男の撃ち込まれた矢を観察した。女が男に撃ち込んでいる矢は、浮気者特有の、くの字に曲がっている。男は鼻の下を伸ばしてデレデレしているが、女はちっとも眼中にないのだ。そんな事を考えていると、チエちゃんとカズくんは手をつないで歩いて行く。後ろ姿を見ている弦さんは嬉しそうに言った。

「おーおー、カズくんは可哀想にねぇ。あれはチエちゃんに相当絞り取られるなぁ。まぁ、カズくんもいい勉強になるだろうな」

 今度は威勢のいい女が大股で歩いて来る。俺達の目の前で立ち止り、振り返ると大声を出した。

「早くしなさいよ! グズなんだから」

 少し遅れて、ディズニーランドの紙袋を両手に抱え、ひょろひょろとした男が現れた。

「ごめんよ、フユコさん。荷物が重たくて……」

「あんた、男でしょ! スネオ見たいな顔しているけど、イワオって厳つい名前があんでしょ!」

 俺と弦さんは下を向いて噴出した。男はなるほど、三十歳になったスネオのようだ。しかし、輪をかけて似ているのが女の方だった。女は三十路になったジャイアンそのままだ。

 真正面から見てしまうと大笑いしてしまう。弦さんは下を向き、笑いをこらえながら横目で俺を見て囁いた。

「ぷぷっ、なぁ、九さん。このカップルをリサーチしてみようか? むふふ」

 俺も笑いをこらえてうなずくと、弦さんは背中に黄金色に輝く弓を取り出した。そして、備え付けてある矢を弓に装着した。キューピットの弓には矢が一本装備してある。この矢を対象者に撃ち込むと、生年月日、名前、住所が分かり、大体の性格も分かる。

「よっ」弦さんは掛け声と共に一気に矢を放った。矢は女に向かってピューと飛んで行き、頭のてっぺんにプスと刺さった。人間の目にも見えたら、さぞかし面白い光景だろう。頭の上に、空に向かって矢が一本突き刺さっているのだから。

 弦さんは右手を前に突き出すと手のひらを開き、数メートル先の女にかざした。すると、女の頭に突き刺さっていた矢が手元に戻って来る。弦さんは矢を握り締め、目を閉じて考える仕草をした。

「え~と、なになに……女性の名前は、夏野冬子、ややこしい名前だな……三月二十五日生まれの三十歳、春に生まれて名前が冬子? この子の親はどんなセンスしてんのかね。まあいいや、で、秋田県出身? 全く面倒くせえな。性格は男勝りで人情に厚い、だけどちょっぴり泣き虫屋さん……だとよ……?」

 弦さんが女の方をリサーチしている間に、俺は男の方に突き立てていた矢を手元に戻した。

「男は……田中岩男、十一月十一日生まれの三十歳。女と同じ年ですね。東京都出身、性格は、弱虫泣き虫、虚弱体質、だが……精力絶倫だそうです……。なんか変わった二人ですね」

「まったくだ。だけど、虚弱体質で精力絶倫って凄いな。どれ、二人の相性を調べてみるか。どらどら……」

 弦さんはカバンを開けてB5サイズの二冊の本を取り出した。一冊は膝の上に置き、もう一冊のページをパラパラとめくった。

「え~と、女は牡羊座で、男はさそり座だな」

 真剣な顔で本を見ている。なにやら物凄い本でも見ているのだろうか。

「なんの本ですか?」

 本から顔を上げた弦さんは、澄ました顔で二冊の本の表紙を向ける。俺は本を覗き込むと首を捻った。

「星座占いと血液型占い?」

「そうだよ。占いの本だ。これで二人の相性を調べる」

 大真面目な顔でうなずき、星座占いの本を食い入るように見始める。

「いつも、この本で相性を調べてるんですか?」

 弦さんはページの文字を指でなぞりながら、面倒くさそうにうなずくときっぱり言った。

「人間の書いたもんだけど、良く当たるんだよ」

「本当に毎回この本で、矢を撃ち込むカップルを決めているんですか?」

 弦さんは本から顔を上げると、不思議そうな顔で俺を見る。

「そうだよ。これで決めてる。なんかおかしいか?」

「おかしいでしょ。俺達はキューピットですよ。人間の書いた本で決めていいんですか?」

 弦さんはポカンと口を開け、今度は怪訝そうな顔付きになる。

「当たる本を参考にして何が悪いいんだよ。俺はこれでいつも黄金色の弓になってるんだ。文句はあるまいよ」

「そうですけど……なんか違うような気がするな……キューピットの威厳が……」

「何をブツブツいてんだよ。この二冊の本を参考にして、尚且つ俺の感性をプラスさせるんだ。まあ見みろよ、あの二人を」

 冬子はまだ岩男に文句があるのか、ギャーギャー騒いでいた。それを遠巻きにして他のカップルが見ている。弦さんは二人を見てうなずくと、星占いのページを指差した。

「牡羊座とさそり座は相性がいいんだ。それにな、今は冬子が岩男に文句を言って騒いでいるが、夜の二人はちょっと違うぞ。見ろよ、二人の矢を」

「夜の二人?」

 俺は首を傾げると二人の胸に刺さった矢を見た。岩男の矢は冬子のど真ん中に撃ち込まれている。だが、冬子の矢は岩男のど真ん中ではなく逸れている。

「むふふ」

 弦さんは口をひん曲げて意味深に笑うと、右手でツルリと顔を撫でた。

「なっ、あれは冬子の方が岩男にぞっこんなんだ。なんと言っても岩男は絶倫だからな。あの二人はそれでバランスが保たれている」

「そうですか? 男がグイグイ女を引っ張って行く方がいいんじゃないんですか?」

「あまいね、九さんも。引っ張って行くだけじゃダメだ。バランスがおかしくなってしまうよ。時には逆にもならなければね」

「逆ですか……」

 岩男と冬子を見て考えた。縮こまっている岩男は、怒り狂う冬子とバランスが取れているのだろうか。どう見ても、上手くいっているようには見えない。

「九さんに分かりやすく説明するとだな。波平さんと舟さんがいるだろ」

「波平と舟? サザエさんのですか?」

「そう、その波平と舟だよ。あの夫婦は、波平が威張っているけどおしどり夫婦だ。昼間は威張っている波平だが、夜の布団に入った波平はちょっと違うね。あれは絶対に、夜の波平は舟に甘えていて、赤ちゃん言葉なんか使っているよ。間違いない」

「間違いないって……漫画の話でしょ」

 真剣に聞いていたのが、バカバカしくなった。俺が呆れた顔をしたので、弦さんは心外そうに言った。

「漫画だってバカにするもんじゃないぞ。世間ではそう言う事になってるんだ。サザエさんとマスオさんの場合は、間違いなく夜のマスオさんは野獣のようになる。それとな、イササカ先生の所は、奥さんが女王さまになるはずだ。イヒヒヒ」

 先ほどの孫を思うおじいさんの顔から、ただのスケベジジイに成り下がってしまった。酔った勢いでも、撃ち込む所を見たいなどと言った自分を悔やんだ。力が抜けて首をうな垂れている俺のことなど眼中になく、弦さんは機嫌よくまだ喋り続けている。

「あとな、ノリスケとタエコさんな。あれは凄いと思うぞ。だってそうだろ─────」

 スケベジジイが喋り続ける目の前を、ドナルドとレイジーが手をつないで踊りながら横切った。あぁ、なんて純真な光景なんだろう……。だが横で弦さんの、「イヒヒヒッ」といやらしい笑い声が耳障りで、現実に引き戻されてしまう。

 カツオとハナザワさんが夫婦になった時まで一人で喋り続けた弦さんは、話が一段落したのか岩男と冬子をどうにかするようだ。

「まぁ、そう言うことだから、岩男と冬子は必ず上手く行く。だから、冬子の矢を岩男のど真ん中に撃ち込んでやる」

 鼻息荒く宣言した弦さんは手をかざすと、岩男に撃ち込んでいた冬子の矢を引き寄せた。冬子の矢が手元に来ると、自分の弓に装着する。俺はもうどうでも良くなったので、黙って行動を見守った。

 弦さんは弓を引き絞ると、

「とりゃー」

 掛け声と共に矢は放たれた。真っ直ぐ吸い込まれるように岩男めがけて飛んで行く。

 ズバッ!

 見事、岩男の胸のど真ん中に突き刺さった。続けて冬子に刺さっている岩夫の矢を引っこ抜き、再度冬子の胸のど真ん中に矢を撃った。

 ズバッ!

 その瞬間、冬子と岩男の目がカッと見開いた。と同時に、怒りまくっていた冬子が乙女のようにおとなしくなった。そして、顔を赤らめると岩男に何か耳打ちをする。なぜか岩男も赤くなる。恥らう二人は仲良く寄り添うと、人目もはばからずにブチュッとキスをした。腕をからめて見つめ合う二人は、出口に向かって真っすぐ歩いて行く。

「イヒヒヒ、昼間からお盛んだね」

 二人の行き先を確信したスケベジジイは、下品な笑い顔を俺に向ける。

「昼間から絶倫だ、イヒヒヒ。これであの二人は生涯夫婦になったな」

 どこで手に入れたのか分からない、いい加減な星座占いと血液占いの本。それ以上に訳の分からない漫画の論理で結ばれてしまったあの二人は、本当に幸せなのであろうか?

 やはり俺にはまだ分からない。

「あっ! ミニーだ!」

 弦さんは携帯を握り締めて飛んで行く。

 どいつもこいつも、本当にキューピットなどいい加減なもんだ。

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