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カプチーノ

喫茶店はお昼時なので混んでいる。

「いっぺえか?」

 元気を取り戻した弓吉は、小さい体を伸ばし店内を見渡した。

「あそこに座ろうぜ」

空いている席を見つけたのか、少し離れた所を指差した。軽快な足取りでテーブルの隙間を縫うように進んで行く。

テーブルに向き合って座ると、ジジイはふんぞり返り意外な物を注文した。

「お嬢ちゃん、おいらはカプチーノね」

ジジイの注文は昆布茶だと勝手に決め付けていたが、まあ、こじゃれた飲み物でもいいだろう。見た目は縁側でお茶をすするのがお似合いのジジイだが、これでもれっきとしたキューピットなのだ。

 カプチーノと俺が注文したコーヒーがテーブルに置かれ、ジジイは小指を立ててカップを摘まんだ。気取りながら己の猿顔までカップを持ち上げ、唇を突き出すと「ズズッ……」昆布茶のようにすすった。猿が何を気取ってやがる。

 弓吉を見ていると笑いそうなので、俺は店内に目を移した。仕事の合間に来た会社員が目に付くが、カップルも何組かいる。その中に男が既婚者で、いかにも不倫だと分かるカップルもいた。

 見た目は若い二人なので、普通のカップルにしか人間には見えないだろうが、キューピットにはばれてしまう。なぜかと言うと、男が女に撃ち込んだ矢の形と色が違うのだ。

 不倫している奴の矢は、黒くてくの字に折れ曲がっている。なぜ矢が曲がっているかと言えば、あっちの人こっちの人と、矢が見境なく飛び回っているからブーメランのように曲がってしまう。同じように、結婚していなくても二股をかけている場合もそうだ。不倫のように色は黒くはないが、やはり矢はくの字に曲がっている。気持ちが絶えず動いているからだろう。

 弓吉も不倫のカップルに気づいて、ニヤニヤ笑っている。

「九ちゃん、見てみなよ、奴ら不倫だぜ。ちょっくらおいらが懲らしめてやるか」

弓矢を背中から取り出すと、立ち上がって行こうとする。

俺は、「よしましょうよ」と慌てて手を出して引き止めた。

「そうかい。九ちゃんも案外固いね。二度と不倫なんかできなくしようと思ったのによ」

「弓吉さんはまだ現役ですか? 息子さんに伝授してないんですか?」

「あったりめえよ。おいらの目が黒い内は息子なんかに譲れねえ。それに、結構おもしれえからな」

 弓吉は弓矢をしごいて、ふざけて不倫カップルに矢を撃つ真似をしている。

 弓吉がやろうとしたのは、矢の色を変え、曲がったのを元に戻し、不倫男の奥さんに撃ち込もうとしたのだ。キューピットなら簡単に出来る。矢の色は二、三度擦れば元のピンク色に戻るし、曲がったのも両手で大して力を使わなくても真っ直ぐ元に戻る。あとは、キューピットが持つ弓にその矢を装着して、空に向かって放てば勝手に奥さんの所まで行って胸に突き刺さる。キューピットは矢を握れば持ち主の生活環境が分かるし、奥さんがどこにいるか簡単にイメージ出来る。それを矢に伝えてやれば、どんなに離れていても真っ直ぐ飛んで行く。そして、奥さんに突き刺されば、何度も言うがキューピットの撃ち込んだ矢は二度と抜けない。そうなると旦那は一生奥さん以外の女に恋をしなくなる。しかし、恋をする対象が奥さんだけになるのであって、気持ちが冷めることもある。そうなると最悪だ。矢が突き刺さっているのは自分の意思ではない。キューピットの仕業なので、なかば無理矢理刺さって夫婦を続けているようなものだ。

 だから、キューピットが矢を撃ち込むのは大変なことなのだ。一生連れ添うカップルの見極めが出来ないと、逆に不幸なカップルを生んでしまう。

 そんなカップルは作りたくはないのだが、そう毎回上手くもいかない。

「どうした、ぼんやりして。さっきのことまだ気にしてんのか?」

弓吉の問い掛けに、俺は曖昧に笑うと首を振った。そして横を向くと、先ほどの不倫カップルとは違い、付き合い始めだと分かる初々しい若いカップルを見て言った。

「俺達が決めていいんですかね?」

 弓吉はカプチーノを飲む手を止め、不思議そうな顔をする。

「決める?」

「ええ、人間の恋愛感情を俺達が決めてますよね。ほら、あの二人だって」

 俺の視線の先に気付いた弓吉は、カップチーノをテーブルに置き二人に顔を向ける。俺は前に向き直ると弓吉の横顔に言った。

「今、俺が矢を撃ち込んだら、これからあの二人の恋愛は決まってしまいます。どちらかが死ぬまで一生ですよ」

「そうだ。いい事じゃねえか、一生添い遂げられるんだから。そうなったらあの二人も幸せだろうよ」

弓吉は穏やかな顔でカップルを見続けている。

「本当にそうなんですか? そんなことを俺達が決めていいんですか」

「え」弓吉は怪訝な顔で振り向いた。

「それがおいら達の役目じゃねえか。他に誰がやるんだよ」

「誰もやらなくてもいいじゃないですか。それぞれが自由に恋愛すれば。俺は前から疑問だったんですよ。なんでキューピットは、人間の恋愛に首を突っ込むのかが。おかしくないですか? 人間同士で好き勝手にさせればいいんですよ」

「九ちゃんは本当にそんなことを思っているのかい?」

「思ってますよ。前から」

「そうかい……」

 弓吉はなぜか寂しそうに呟く。ひとつため息をつき腕組みをすると、イスに深くもたれてカップルを見た。

「人間が恋愛するようになったから、神様がキューピットに役目を与えたんだとよ。それまでの人間はそこら辺の動物と一緒で、ただ発情して繁殖するだけだったんだ。その頃のキューピットは役目がないから気楽なもんで、なにもしねえで遊んで暮らしてたそうだ。羨ましいわな、ふふふっ」

 弓吉は含み笑いをして俺に向き直る。

「でもな、人間が恋愛を覚え始めると、神様はお優しいから見ちゃいられなかった。恋愛に不器用な人間は、最初は色々と失敗したんだろうな。だから、恋愛が上手く出来るように導いてやる必要があった。導くのに誰かいないか考えた神様は、いつも遊んで暇なキューピットを選んだんだ。キューピットも大神様の頼みなら断れねえやな。それで愛の神キューピットが誕生して、人間のために恋愛の導きをするようになったんだ。まあ、時には悪戯好きなおいら達だから、悪さをして神様に怒られることもあるけどな」

「でももう俺達の役目はいらないんじゃないですか? 人間も最初と違って恋愛を覚えたんだから。なにも今さらキューピットが導くこともないでしょ」

 弓吉は黙って俺をしばらくは見つめていたが、視線を下に向けると大きく首を振った。

「違うよ九ちゃん。人間はまだ恋愛を覚えちゃいない。覚えちゃいねえと言うより、全くなっちゃいねえ。恋愛が全然出来てねえんだよ」

 今度は俺が怪訝な顔をする番だった。人間が恋愛の感情が芽生えてから、何千年も経過している。それにこんなに自由恋愛と騒がれる近代になった。

「俺には言っている意味が分からない。なにが出来てないんです?」

「恋愛で傷付いちゃいけねえんだ。それを人間は出来ちゃいねえ」

「それは理想でしょ。現実に人を好きになると言う事は、自分も傷付くこともあるし、相手も傷付けてしまうこともありますよ。それが恋愛じゃないんですか」

「違う。愛すると言う事は、誰も傷付けないことだ。理想とか現実とか、そんなもんじゃねえ。それが恋愛の全てだ。その事を人間が分かるまで、おいら達キューピットはこの人間界からいなくなることはねえ。それがキューピットの役目だ」

 テーブルの上で両手を組んでいる弓吉は、いつになく真剣な表情だ。俺は言われた事を理解しようと考えていると、弓吉は組んでいた手をほどいて腕時計を見る。

「おっ、もうこんな時間じゃねえか。九ちゃん、そろそろ行こうや」

弓吉がテーブルに手を付いて立ち上がるので、俺もレシートを掴んで立ち上がった。

 レジで料金の支払いを済ませて表に出ると、先に出た弓吉が空を見上げて待っている。

弓吉は俺に顔を向けると、空に指を突き立てた。

「神様も心配してんだよ、人間達をよ。だからおいら達も、信念を持って撃ち込まなきゃな」

 弓吉の猿顔が優しく微笑んでいる。まだ理解はできてはいないが、俺も少し微笑むとうなずいた。

会社の正面玄関まで来ると、並んで歩く弓吉が突然立ち止まった。

「あっ」

 小さな驚きの声を上げ、渋い顔でキューピットの銅像を見ている。俺も気になり玄関に目を向けた。そこにはオフィス街には珍しく、小学生低学年と思われる男の子と幼稚園くらいの女の子が、手を繋いでキューピットの銅像を見上げて佇んでいた。

 弓吉が小走りに駆けよると、子供達は足音に気が付いて顔を向けた。弓吉は子供達の前で腰を屈めて心配そうに聞いた。

「また来たのかい……」

 男の子は口をきつく結んでうなずき、女の子は不安そうに弓吉を見つめている。

 あどけない二人にも、何か深刻な悩みがあるのだろう。とても哀しい瞳をしている。

「弓吉さんの知り合いですか?」

弓吉は背筋を伸ばし渋い顔を向けた。

「うん……知り合いっていうか、顔見知りっていうか……」

 言葉を濁すと子供達を見て頭を掻いた。

「弱っちまったな……実は、この兄妹はさ――」

 弓吉は何かを言おうとしたが、甲高い声のせいでその言葉が遮られた。

「矢神君、午後の会議が始まりますよ。急ぎなさい」

 羽田が玄関先に立ち止まって手招きをしている。

俺は軽く頭を下げ、「今行きます」と急いで答えた。羽田はジッと見ていた顔をプイッと前に向け、腰をくねらせ玄関の中に消えた。

 弓吉は男の子の頭を撫ぜながら言った。

「けっ、相変わらず嫌味な男だ。九ちゃん早く行った方がいい。あいつはうるせえからな」

 俺はうなずいたが、弓吉の言いかけた言葉が気になり子供達を見ると、弓吉が手を振った。

「心配いらねえよ。なんでもねえから」

「そうですか。じゃあ、また飯でも食いに行きましょう」

「おう、そうだな。またごちそうしてやるよ。そん時は相談室まで来いよ。いつでもおいらはいるから」

「分かりました」と言い小走りで玄関に向かった。

会社に入る前に一度振り返ると、弓吉は真剣な顔で子供達と話をしていた。

今度、お客様相談室にいる弓吉を訪ねて話を聞こうか、そう考えて会議室に急いだ。

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