各支店の営業マン
十階にある会議室のドアを開けると、学校の教室のように並べられた机に、キューピット達が揃って座っていた。どいつも背広を着ているので、どこから見ても恋愛を導くキューピットには見えない。苦虫噛みつぶした顔で書類を見ている奴、眠そうな顔して鼻くそほじっている奴、どう見てもくたびれたおっさんのサラリーマンだ。
「九さん、こっちこっち」
天野が手招きをしている。天野の近くに同僚も集まっていた。本社の恋愛営業部の人数は五人。発足当時と比べると人の入れ替えはあったが、人数は変わらない。
日本全国にキューピットの数は五〇〇人程いる。キューピットマヨネーズ社に勤めていない者は、個人でキューピットの役目をぼちぼちやっているようだ。スカウトしてもうちの会社に勤めないのは、組織に縛られたくはないのだろう。なんと言っても弓矢を持っているくらいだから、狩人の気質があるのか一匹狼が多い。キューピットが一匹狼というのも変な話だが、大抵のキューピットは天邪鬼で偏屈な奴らばかりだ。自分がキューピットになって良く分かった。だが、そんな奴らだからこそ、不確かな恋愛を操れるのかもしれない。
天野の隣に座ると同僚の顔を見渡した。
天野哲矢、四十五才 矢田弦太、五十才 真弓一矢、二十八才
そして、ここにはいないがもう一人、先ほどの羽田弓男部長、四十八才
この中でも若くて男前の真弓が一番営業成績が良い。甘いマスクのお陰で自身の恋愛経験も豊富で、恋愛をしている人間の心が手に取るように分かるらしい。
最年長なのが、仏の弦さんこと矢田弦太。痩身で白髪、キューピットなのにまるで仙人のような風貌からは、全く想像も尽かないほど恋愛に長けている。天野の話では、「今ではあんなに枯れているけど、若い頃は相当女を泣かせたな。間違いない」ときっぱり言っていた。女を泣かせるキューピットもどうかと思うが、まあ、昔の神々はやんちゃな神も結構いたから良いのだろう。
そして、恋愛経験もやる気もない俺と天野は、五人の中で群を抜いて成績が悪い。会議の当日は、いつもなら俺と天野は無駄にえずいたり下痢になったりと、便所の周辺を右往左往しているのに、今日の天野はどこか違う。朝からあの余裕はなんなのだ。
詳しく聞こうとしたが、ざわついていた会議室が一斉に静かになった。
社長の天童が入ってきたのだ。社長もキューピットなので、会議の事は気になるのだろう。本業の営業会議には出席しないが、恋愛営業会議だけは毎回欠かさず出席する。
大股で歩く天童の後ろには、書類を小脇に抱えた羽田が腰をクネクネさせてついて来る。
社長と羽田は、正面にある幅の広いテーブルに近付くと、二本あるマイクの前に並んで着席した。
羽田が横に座る社長に顔を向け、「よろしいですか?」と聞くと社長は大きくうなずいた。それを確認した羽田も大げさにうなずくと、全体を見渡しマイクを握り締めた。
「それでは、只今から恋愛営業会議を始めます。初めに社長からお言葉があります。社長どうぞ」
さすがに会議の時は女言葉を使わない。そんな羽田に促されて、社長はナマハゲ面をマイクに近づけ野太い声を出した。
「今年で恋愛営業部を立ち上げてから三十二年になります。先代の思いが詰まったこの恋愛営業部ですが、数々の苦労の甲斐がありまして、年々成績も伸びてまいりました。したがって……」
先代の社長に似て話が長い。このあと延々に四十分以上も同じ話を聞かされるのだ。
今の社長の天童矢吾郎は四代目で、恋愛営業部を立ち上げたのは、三代目の天童善衛門だ。四代目は苦労人で、本妻の子供ではない。三代目の本妻に男の子が出来なくて、妾の子として生まれたのが四代目だ。なんとも下世話な話だが、キューピットも長年人間界にいると、どっぷり下々の習慣に犯されていくのだろうか。
それにしても、キューピットで妾がいて大手企業の社長という、面倒くさい環境で生まれ四代目は、とんでもなく苦労したことだろう。そのわりには六十三才なのに肌艶も良く、赤くテカテカ脂ぎった顔はナマハゲそのものだ。
なんとか社長の長話も終わり、本題の会議が始まった。
羽田は咳を一つして仰々しくマイクを握ると、頭皮と眼光をキラリとさせた。
「それでは、支店ごとに営業成績を発表してもらいます。初めに、北海道支店からお願いします」
指名された北海道支店の五人は一斉に立ち上がった。恋愛営業部は各支店とも人数は五人で構成されている。
立ち上がった五人は背広を脱ぐと、背負っている弓を片手で掴んで前に掲げた。
『おぉ~』あちらこちらから歓声が上がった。
五人が誇らしげに持つ弓は、見事に黄金色に光っている。
社長も羽田も満足げに顔を見合わせ、満面の笑みで何度もうなずいている。俺は益々肩身が狭くなり、背中を丸めて目立たないように努める。だが、羽田のマイク越しの大きな声でビクッと背筋が伸びた。
「さすが北海道支店! 毎年毎年、本当に優秀です。他の支店のみなさんも負けないようにして頂きたいもんです。ねえ、社長」
社長は大きくうなずきながら拍手をする。それに釣られて一同も拍手をしたので、北海道支店の道産子達は胸を張って席に座った。
「では、続いて仙台支店お願いします」
羽田が次々と支店を指定して、そのつど各支店の営業マンは弓を掲げる。
恋愛営業部は全国に十か所ある。本社、北海道支店、仙台支店、新潟支店、横浜支店、名古屋支店、大阪支店、広島支店、四国支店、九州支店、それぞれが決められた地域を飛び回っている。
一年間の営業成績は、弓の色に現れる。黄金に輝く弓がもっとも営業成績が良く、続いて銀、銅、鉛色になり、最も悪いのが薄汚れた木目調と五段階ある。
色が変わるのは、カップルになった男女の幸福度で現れる。
キューピットだって滅多やたらと矢を撃ち込んでいる訳ではない。男女の相性を見極めて、果たしてこの男女はカップルになって幸せなのか、と判断して撃ち込んでいる。最も相性のいい男と女をくっつけるのが仕事なのだ。営業マンによって見極め方は違うが、真弓や弦さんのように、色々と経験が豊富な奴は瞬時に分かるらしい。
そして、晴れてカップルになった男女が結婚して、夫婦生活が円満で幸福なら矢を撃ち込んだキューピットに、幸福度に合ったパワーが弓に帰ってくる。その幸せパワーが各方面から飛んで来て弓に宿り、一年間に蓄積されて色が変化してくる。黄金色に輝く弓はそれだけ幸せな男女を多く作ったと言う証だ。
営業成績が次々と各支店から発表されていくが、今年は成績が良く木目調などは一人もいなかった。社長も羽田も機嫌が良く終始笑顔を絶やさない。
その頭も顔もご満悦の羽田が、とうとう指定してきた。
「各支店のみなさん、ご苦労さまです。今年は各支店とも優秀で、実に喜ばしいことです。それでは、恋愛営業部が発足してから活動してまいりました本社の成績を、私も含めて発表したいと思います」
羽田は俺達の座る席までクネクネ歩いて来ると、俺の顔を横目でチラッと見てから他の三人を見渡した。
「みなさん、用意はよろしいですか?」
『はい』
俺以外は元気に返事をして立ち上がる。そして、それぞれ背広を景気良く脱ぐが、俺はこっそりと脱いで弓を背中から外した。
「これが、本社の成績です!」
羽田の甲高い声が響くのと同時に弓を前に掲げた。
『おぉーっ……おっ?』
歓声は上がったが、疑問の声が混じる。
それもそのはずだ。俺の薄汚れた木目調の弓を見たからだ。
俺の弓は親父に受け継がれてから一度も、色の変化のないまま現在に至る。恐らく親父も爺さんも幸せなカップルも作らないで、大したことをしていないのだろう。木目調の色がすっかり弓に馴染んでしまっている。あの偉そうな三か条は、なんのためにあったのか……。
「矢神君! どう言う事です!」
羽田が女言葉でいきり立った。俺は今日まで弓をこそこそ隠して、羽田には見せていなかった。今日始めて見せたのだ。万年木目調だが、まさか今年もそうだとは思わなかったのだろう。せめて鉛色ぐらいはと期待していたのかもしれない。
「すみません……はははっ……」
「すみませんじゃありません! 天野君の弓を見てみなさい!」
目を吊り上げる羽田は天野の弓を指差した。天野は黄金色に輝く弓を、大事そうに両手で握ってニヤついている。
「うそ……」
俺は信じられずに絶句してしまったが、天野は渾身の笑顔で言い放った。
「いや~ラッキーだったんだよ。でも、運も実力の内かな。あははは」
話を聞くとこう言うことだ。
天野は大手の結婚相談所の会員に辺りを付けていた。そして、何十組も無責任に矢を撃ち込み、カップルにして結婚させたらしい。結婚相談所は、結婚した数が前代未聞の多さに驚き、そして喜んだ。結婚した人達を無料で温泉旅行に招待した。萎びれた温泉旅館を貸し切りにしたのはいいが、なんと、その旅館に強盗が三人押し入り、旅館にいた全員を人質に立て篭もった。警察の説得にも関わらず篭城して、解放されたのは三日後だった。その間、恐怖に慄いたカップルは、互いに励まし困難に立ち向かった。そのことで信頼関係が更に生まれ、今まで以上に絆が強くなり、大量の幸せパワーが多く噴出した。そのお陰で天野の弓が黄金色に変化したようだ。なというラッキーなのだろう。俺は開いた口が塞がらなかった。
「弓がこんな色になったの初めてだ」
丸々太ったとっちゃん坊やの顔をほころばせて、弓にほおずりしている。
俺は自分の薄汚れた弓を見つめてうな垂れた。頭の上からは羽田のキンキン声が、いつ果てる事も無くこだましていた。