二人は親子
「やいジジイ、起きなよ!」
おクマさんはテーブルを挟んで座る弓吉に片手を伸ばすと、おもいっきり後頭部をゲンコツで叩いた。ゴッと鈍い音と共に弓吉は寝ぼけた顔を上げると、焦点が定まらない目で辺りを見回した。
「なんだ……?」
「なんだじゃないよ。この呆けジジイが」
さすがは筋金入りの悪魔である。恐れを知らない。なんて頼もしいばあさんなんだろう。全世界の創造者の大神様を張っ倒し、悪態をつけるのはおクマさんしかいない。そんなおクマさんを、俺達は羨望の眼差しで見ている。
「話をまだ最後まで聞いちゃいないよ。キューピットの矢はどうしたんだよ。それを聞きに来たんじゃないか。全く、あんたに作られたと思うと、あたしゃ情けなくて泣けてくるよ」
『そうだ、そうだ。はっきりしろ』
強い味方のおクマさんがいるで、俺達も調子に乗り声を揃えた。
「なんでぇ、お前らまで勢いずきやがって。おいらは昨日、いろんな国に夜遅くまで電話してたから疲れてんだ……」
「だからそれを聞いてんじゃないのさ! なんで急にあんな事言い出したか、ちゃんと説明おしよ!」
『そうだ、そうだ』
おクマさんに便乗した俺達の勢いに恐い物などない。弓吉を睨み付けるおクマさんに習って、俺達もビシッと睨み付けた。
「お~怖。待ってろ、ちゃんと説明してやっから。――――」
弓吉は眠たい目を擦りながら話し始め、俺達は黙って聞いた。
弓吉の言う事には、地球の事はいい意味で見切りをつけたようだ。大神様としての理想は、愛に満ちた地球になって欲しかった。AランクやBランクの星のようにだ。遥か昔からキューピット達が愛で住みやすい環境にしようと導いても、人間は一向に争い事をやめないし、恋愛なんかは気ままなもんで、くっついたり離れたりしていい加減な恋愛しかできない。それでも今日まで根気強く使命を続けさせてきたのだが、はたと弓吉は考えた。
――地球の人間は愛だけで縛り付けられるほど単純な奴らじゃねえ。地球の人間は余りにも個性が強すぎる。自由にさせた方がおもしれえ星になるんじゃねえか。
「てな。そう考えたのよ。おもしれえ星だぜ地球は、国なんかこしらえて他国に侵略したりしてよ、人間同士が互いに傷付けあって殺し合いをするなんざ、正気の沙汰じゃねえだろ。バカどもだから、そんな事を何遍も繰り返して一向に成長しねえ。それによ、銭儲けに必死になって憎しみあう奴らはいるし、人の荒ばっかり探して重箱の隅を突っついて大喜びしてる奴らもいる。そうかと思えば戦争を反対する奴らがいるし、貧しい国を救うためにがんばってる奴らもいるんだ。AランクやBランクの星の奴らと比べてみろよ、地球は統一性がない不思議な星じゃねえか。でもよ、そんな矛盾だらけの星だから、個性を大事にしてやろうと思ってな。あーだ、こーだ、言うのをやめにした。で、恋愛も自由にさせようと思ってな、キューピットの弓矢をおしめえにしたんだ」
「それにしても急じゃないか。地球の人間があんたの言うようになったのは、昨日や今日の話じゃないよ。それを突然言い出すなんて、他になんかあったんだろ?」
おクマさんに言われて弓吉は俺を見た。
「九ちゃんに言われたからよ」
「俺にですか? なんか言いました?」
「あぁ、このめえ言われたよ。恋愛は傷付け合うのが当たり前だって。確かに、地球の人間はいろんな事で傷付け合って、少しずつだが成長してきた。それが地球の人間には一番あってる成長のしかたなんだと気が付いたんだ。それによ、正太とお千代坊のこともあるしよ。良かれと撃ち込んだ矢も、結果的には不幸にしていることもあんだろ。だったら人間の好きにさせた方がいいじゃねえか。おいらは思い立ったら行動は早いぜ。善は急げだ、ぱぱぱっと決めちまうからな」
「なにが善は急げだ。あんたは、単純でいい加減なだけだよ。こういうことは、もっと慎重におやりよ。あんたの考えなしの行動で、どんだけみんなが迷惑してっと思ってるんだい。こんな奴の考えの中で暮らしていると思うと、情けなくて涙も出やしないよ」
「忙しい奴だなおめえも、涙が出たり出なかったり。どっちかにしやがれてんだ。腐れ悪魔が」
「言ったね。さっきっから黙って聞いてればいい気になりやがって。自分の母親に向かって、なんて口の利きかただい。弓吉! いい加減におしよ!」
おクマさんが睨みつけると、弓吉は苦々しい顔でそっぽを向いた。
「けっ、おめえから生まれたくて生まれたんじゃねえよ」
二人の会話を理解できない俺達は口を開けて固まった。口をパクパクしていた羽田は、声に出してブツブツと呪文のように唱え始めた。
「……二人は親子……二人は親子……二人は……親子……」
羽田の呪文のお陰で正気に戻った俺達だが、ショックからは立ち直れない。放心状態のまま二人を見比べた。一番最初に自分を取り戻したのは弦さんだった。
「今、おクマさんは大神様の母親だと言いましたよね? 本当なんですか……?」
恐る恐る聞いた質問に、おクマさんはふんぞり返って答える。
「ああ、そうだよ。あたしゃ、この大バカ息子のママだよ」
弓吉は横目でおクマさんを見ると、吐き出すように言った。
「けっ、なにがママだ。地球に生まれるためにはしょうがねえんだよ。嫌でもこの忌々しいババアの腹から生まれてこなくちゃならねえんだ。今まで何度生まれたことか」
「冗談じゃないよ。あたしだってあんたが地球に来るたんびに嫌な思いしてるんだ。迷惑な話だよ。まったく」
「なにをババア!」
弓吉の手がテーブルを飛び越え、おクマさんにつかみかかろうとした。おクマさんも負けじと手を伸ばし弓吉につかみかかる。テーブルの上で枯れ枝のような腕が入り乱れた。
神様と悪魔のハルマゲドンは地球の人間には有名な話だが、それ以上に親子喧嘩も加わっているのだから性質が悪い。弦さんが大神様を羽交い絞めにして、俺はおクマさんの腰を抱えた。老人のわりには力が強い。もみくちゃになりながら必死に抑えた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。一体どういうことなんですか?」
なんとか引き離すと、二人は肩でゼェ~ゼェ~と息をしている。弓吉は座り直すと荒い息を整えた。
「ハァハァ……おいらが地球に生まれる時は、おクマの腹からじゃねえとダメなんだ。地球だけじゃねえけどな。ABCの星に生まれる時は、その星を統括している奴の腹から生まれる。だが、AとBの星には滅多においらが生まれることはねえ。頻繁に行くのは地球だけだ。外からは人間の世界を感じることは簡単にできるが、おいらが住むのは簡単じゃねえんだ。おいらが自分の思考の中に入いって住むには、そこに道と器が必要なんだよ。それがおクマの腹で生まれる子なんだ」
「そうなんだよ。今回も別に来なくてもいいのに、しゃしゃり出てきやがって。このジジイは千年に一度は地球に来たがんだよ。来たってろくな働きもしないくせに。迷惑な話だよ」
「このやろぉ~」
弓吉がまた熱くなったので、俺は急いで前に立ちはだかった。
「待った。ちょっと聞きますけど。おクマさんが二千年くらい前に生きていた時代にも、大神様を生んでますよね?」
「ああ、生んでるよ」
「やっぱり。それってもしかしたら、生まれたのはあの人ですか?」
弓吉とおクマさんは同時にうなずいた。
『イエ~ス』
健気なキューピット達は目が点になり、その後は誰も何も言わなかった。ただひたすら哀れな地球人を気の毒に思い、目を閉じて黙祷を捧げた。




