素のハート
三代目も四代目も話が長いので、説明を聞いて把握するのに時間がかかった。
要は、キューピットは今後一切、人間には矢を撃ち込まない。キューピットが持っている弓矢は消滅する。そして、人間が持っているハート型の弓も矢も全て消し去ってしまう。
だが、その見返りは大きい。キューピットの手を借りずに、人間同士が矢を撃ち込んでカップルになった者は良いが、キューピットが撃ち込んでカップルになった者は、矢の威力が消えてしまい、互いの恋愛感情がなくなる恐れがある。
弓矢を全面廃止にするのは、明後日の午前〇時。明日いっぱいで全てなくなる。
明後日以降、キューピットに撃ち込まれたカップルは、赤の他人になってしまう人も出てくる。それでも、矢の威力が関係なしで恋愛が出来ている人は、別れることなくカップルのままで続いて行くだろう。
説明では、お互いの気持ちの問題らしい。俺は最初聞いたときは戸惑ったが、良く考えてみると、俺が疑問に思っていた事が実行されただけだった。キューピットの矢がなくても、勝手に人間同士が恋愛すれば良い事なのだ。
キューピットに矢を撃ち込まれカップルにされた人間は、まったく迷惑な話だ。
キューピットが人間界に降りてくるのも、新しい使命が決まるまで保留のようだ。それまで天上界でフラフラ遊んで暮らすのだろう。
でも、今人間界にいる俺達はどうなるんだ……?
緊急説明会が終了したのは五時近かった。
恋愛営業部の連中は疲れきって営業部に戻った。中でも羽田は大役だったせいもあり、部屋に入るなりイスに倒れこむように座ると、口を半開きにして放心状態のままで、もう一時間経っている。お気の毒にハゲ頭の艶もなくかさかさしている。それでも、今日までの経緯を虚ろな目でぽつりぽつりと話して聞かせた。
昨日の朝一番に、営業部にいた羽田のところに三代目の善衛門から連絡があり、すっ飛んで家まで行ったようだ。だから俺は、便所でのお叱りをあれだけですんだのだ。
羽田は善衛門の家で、四代目も交えて説明会の件を聞かされた。その時に、大神様も来ると聞いて飛び上がって驚いた。しかし弓吉が大神様とは聞かされていなかったので、知った時に腰を抜かしたのは当たり前だった。急な話なのに。良く全国から集まったと不思議だったが、なんでもキューピットの連絡網があるようだ。俺は知らなかったが、会社に勤めているので必要がないのだろう。腐っても神なのに、やってることはまるで小学校並みだ。以前、弓吉が俺の所にスカウトに来た時に、九蔵爺さんと釣りクラブの知り合いだと言った事があった。多分、その釣りクラブが連絡網なのだろう。
キューピットの使命がなくなる恋愛営業部は、当然仕事もなくなるが新しい部署を考えているようだ。四代目には、新部署の構想があるらしい。
そんな話を虚ろな顔で、口をパクパクしながら言う羽田を見て、今回ばかりは少し気の毒に思ってしまった。
いつもなら羽田に言われて渋々お茶を入れてくる真弓も、率先してみんなのお茶を入れて来た。お盆に乗った湯飲みを、羽田のデスクの上に気の毒そうな顔で置いた。
「部長、ご苦労様でした。話だけでも驚くのに、まさか弓吉さんが大神様だとは……」
羽田は放心状態から、いきなりガバッと体を起こした。
「そうなのよ! ひどくない! 教えてくれてもいいじゃないの! ひどいわ、ひどい。あたしはとんだ恥をかいたわよ! キィーッ」
いつもより更に女言葉がエスカレートさせて怒っている。
「部長はまだいいですよ。俺なんて、大神様に向かって猿って言ったんですよ。ねぇ……九さん……」
真弓が泣きそうな顔を向けたので、俺も気の毒な顔で返してやった。
「あぁ、言ってたな。しっかりと、きっぱりと、はっきりと、ジジイでも聞こえるように、ちゃんと言ってたな」
「ひどい! キィーッ!」
真弓も羽田に変貌してしまった。哀れな奴だ。
天野も元気がなく落ち込んでいた。昨日、思った通りに会社でそのまま寝続けたせいで、着替えも出来ずに疲れているのかと思ったが、そうではないらしい。初めて黄金色に輝いた弓矢を、取り上げられるのがショックのようだ。半べそかいて弓を抱かかえている。
「せっかくこれから俺の実力を見せられたのに……残念だなぁ。もっと幸せカップルを作ってあげたかったよ」
天野の心にもないセリフで弦さんが首を捻った。
「カップルって言えば、ほんとどうなるんだろうな。俺達が撃ち込んだカップルは、別れるかもしれないんだろ? 九さんとこは大丈夫か? 香織さんに撃ち込んで結婚出来たんだから、矢が抜けちまったら離婚か?」
恐ろしい事を聞いてしまった。だが、羽田が良い事を言った。
「それは大丈夫じゃない。矢神君夫婦は結婚して二十年以上経っているでしょ。今でも仲が良いのなら、矢の威力はもう関係ないわよ。素のハートでつながっているのよ」
ツルピカなどと言いまして、本当に申し訳ありませんでした! 俺は心の中で羽田に気持ちを込めて詫びた。色々と誤解はあったが、あんたは素晴らしいキューピットだ。
「でも、奥さん可哀想ね。こんな男に撃ち込まれて。同情するわ」
薄気味悪いハゲナスに言われたくはないやい。詫びたのを心の底から悔やんだ。
羽田の言葉で弦さんは納得したのか深くうなずいた。
「なるほどね。撃ち込まれても年数が経てば、本物の夫婦になるわけだ。そうじゃない夫婦もいるだろうけどな。じゃあ部長、日の浅いカップルはやっぱりダメですかね?」
「ダメじゃないけど、危ないんじゃない。結婚していれば離婚するのも色々大変だから、惰性で続くかもしれないけど、付き合いが短くてただの恋人同士なら、簡単に別れてしまうかもね。今の子はドライだから、切り替えも早いわよ」
壊れてしまっていた羽田も、徐々に回復に向かっているのか、口調の切れも取り戻し、頭の艶も取り戻しつつある。だが、羽田の頭の艶光に反比例するように、弦さんの表情が険しくなった。
「付き合いの浅い恋人同士……。部長、撃ち込んでから半年のカップルはどうですか?」
「半年? どうだろう。キューピットが撃ち込む前の、その人達の互いの恋心が問題ね。片方に恋心がなかったら、続かないでダメになるんじゃないかしらね。他に何かあるかしら?」
羽田は完全復活を遂げたようだ。他の質問まで受け付ける余裕が出てきた。
天野は何か心配事があるのか、恐る恐る手を上げた。
「部長……俺達、大神様のことを、弓吉さんとか気安く呼んでましたけど、大丈夫ですか?部長なんて、壇上で怒鳴りつけていましたけど、俺達、大神様からお咎めなんてありませんか……」
見る見るうちに羽田の顔色がサーッと青ざめた。と同時に、見る見るうちに頭の艶光もかさかさに変化してしまった。ガクリと頭と肩を落とすと、放心状態の振り出しに戻ってしまい、虚ろな目にはなにも見えてはいないようだった。
「部長?」天野が呼んでも反応はない。さすがの羽田も立ち直るのには時間がかかるだろう。
羽田までとは行かないが、弦さんもなぜか落ち込んでいる。俯いて一点を見つめて考え事をしているようだったが、おもむろに顔を上げた。
「九さん、ヒトミちゃんは大丈夫か? 彼氏はヒトミちゃんに対して、恋心が初めはなかったから……大丈夫かな……」
俺は弦さんを見つめるだけで、何も言えなかった。
「色々と分からない事があるから、弓き、違った、大神様の所に聞きに行かないか?」
天野の言葉でみんなフラフラ立ち上がり、弓吉の元へと向かった。
だが、お客様相談室には女子社員が一人いるだけだった。六時過ぎたので他は退社したのだろう。弓吉は朝から留守だと言っていた。
俺達はもうやる事もないので、営業部には戻らずにしんみりと玄関に向かった。
あとで聞いた話だが、この説明会は同日に世界各国で開かれた。弓吉は忙しく、各国に国際電話をかけていたようだ。大神様なのにやっている事は人間と変わらない。こんなに行動範囲が狭くても、大神をやっていけるのだから不思議だ。




