キューピットさんにお願いがあります
その子達は、会社の玄関にあるキューピット像の前で、先日見かけた兄妹だった。
「弓吉さん、この子達はこの前の?」
「そう、お兄ちゃんは菊池正太くん八歳で、妹の千代ちゃんは四歳、会社の近くに住んでるんだよ。正太、お千代坊、このおじさんはおいらの友達だ」
先日見た時から猿顔ではないので、弓吉の孫ではないと思っていたが、やはりそうだった。正太の目元は涼やかでいかにも賢そうな顔をしているし、千代も目がくりっとして、丸顔のほっぺたが落ちそうで可愛らしい。この子達のそばにヨーダみたいな弓吉がいると、妖怪世界に拉致されてしまう可哀想な子みたいで、悲壮感さえ感じられる。
「こんにちは、正太くん、お千代ちゃん」
俺は目一杯の愛想笑いをしたが、弓吉と手をつないでいる正太と千代は、伏目がちに小さくお辞儀をするだけだった。
「ダメだよ九ちゃん、そんな汚い顔で笑ったって。ますます汚くなっただけじゃねえか。かっかっかっ」
笑ってますます化け物になった弓吉には言われたくない。
「まぁ、取りあえず相談室に行こうや。おいで、正太、お千代坊」
がに股で廊下を歩く弓吉の後ろに付いて行くと、直ぐにお客様相談室に着いた。お客様相談室も俺の営業部と同じ六階にあったとすっかり忘れていた。殆ど外に飛び回っていて、会社にいないので忘れていてもしょうがない。
「さぁ、入って」
相談室は若い女の子ばかり十人ほど机に座っている。みんな電話の対応で忙しそうだ。部屋の壁伝いに歩いて行き、個室のドアの前で弓吉は立ち止まった。
「ここがおいらの部屋だ」
ドアの表札に顧問室と書いてあるが、いくら弓吉が顧問だと言ってもたいした事はしていない。恐らくキューピットと言うだけで優遇されているのだろう。なんと言っても三代目社長に可愛がられていたらしいからそのためだ。
弓吉は俺に向かって偉そうに笑うと、部屋中に聞こえるほどでかい声を出した。
「おーい! 誰かここに、コーヒー一つとジュース二つ、それからかカプチーノ一つ、至急持ってきてくれや!」
言い終わるとなぜかまた俺に向かって、ニヤリと猿顔で笑った。威張れるのが相当に自慢らしい。
だが、部屋の広さは弓吉が威張るほど広くはなかった。個室が三つほどある、男子便所に毛が生えたほどの広さだ。そして、真ん中には大げさなソファーセットが、ドカンと冗談のように置いてある。余りの不釣合な光景にソファーを凝視していると、弓吉は鼻の穴を全開にして俺を見ている。そして、何を勘違いしたのか「ふふふっ」と笑うとソファーを撫でた。
「これ、本革だよ。ふふふっ」
「へ~」
俺は本革よりも、この部屋にバカでかいソファーを入れた苦労に感心した。
弓吉は俺達にソファーに座れと促し、自分でも一人掛けに座って両手を腹の上で組んだ。ソファーの品質は確かにいいらしい。背もたれに深く体を預けた弓吉の小柄な体は、ソファーに沈んで乳母車に座る赤ちゃんのようになっている。俺も弓吉の隣の一人掛けに座り、正太が三人掛けに座り、千代はソファーによじ登るようにして正太の隣に座った。とても仲が良い兄妹なんだろう。千代は正太の右腕をしっかり両手で抱えている。
ドアがノックされ、一礼して女子社員が入って来た。弓吉が大層にうなずくと、女子社員はテーブルに飲み物を並べ、速やかに一礼して出て行く。その動作をジッと見ている弓吉の仕草は、舅ジジイそのものだ。その間の俺は、上目使いで成り行きを見ている千代に愛想笑いを投げかけると、千代も恥ずかしそうに笑って返してくれた。まだまだこの時期が一番可愛い。
「それで、正太くんとお千代ちゃんは一体どうしたんですか?」
俺が質問すると、弓吉は背もたれからジタバタしながら体を起こした。
「事の始まりは二週間ほど前だ。この子達から相談室に電話があってよ」
「この子達から? 商品のクレームですか? ここはそう言うところですよね」
弓吉は前に座る二人をみて首を振った。
「違うんだよ。確かにお客様相談室は、商品の質問だとか、クレーム対応が主だけどさ、このおちびちゃん達の目的は、キューピットなんだ」
「キューピット?」
弓吉は目を閉じて深くうなずいてから、事の成り行きを話した。
二週間前、お客様相談室に、正太から電話がかかって来た。電話で対応した女子社員は、正太が何を言っているのか分からずに戸惑っていると、そこへジジイのわりに好奇心が旺盛な弓吉が首を突っ込んで電話を代わった。
正太は弓吉に「キューピットさんにお願いがあります」と言った。
正太の一言を聞いて、正体がばれているのかと思い、心臓が止まりかけた弓吉だが、正太はキューピットの子供なんだと思い直した。だが、話を聞いてそうではないと知ると、今度は話の内容で驚かされた。
正太はうちの会社の近所に住んでいるので、玄関に飾られたキューピットの銅像をよく見かけていた。フルチンのキューピット像は、あれでも会社のトレードマークだ。商品パッケージには必ずデザインされている。
正太はキューピットにお願いを聞いて欲しかったのだが、伝える術がなかった。どうしようか考えていると、マヨネーズのパッケージに目が止まった。描かれているキューピットは、よく見るキューピット像と同じだと気が付いた。パッケージの裏面を見た正太は、学校ではまだ習っていなかった漢字もあったが、なんとか理解した。そこには、お客様相談室と書いてあり電話番号も載っていた。自分の願いはここに電話をすれば叶えてくれる。そう考えて電話をかけた。
「まぁ、そう言う訳なんだよ。なぁ、正太」
正太はコクンとうなずいた。釣られた千代もカクンと頭を下げたが、なぜかモジモジしている。そう言えば、弓吉が話している間も両手を股間に当ててモジモジしていた。正太も異変に気付いて千代を見た。お千代は下唇を突き出し、情けない顔で正太に言った。
「おにいたん……おちっこ……」
正太はあっと口を開くと、直ぐにソファーから降りた。
「千代、早く!」
早くと急かされた千代は、後ろ向きになりケツをプリプリさせて、モタモタしながらやっと床に足が付いた。股間に両手を当てて盛んに足踏みをしている。
「とっとと連れて行け。正太、便所の場所分かるな」
正太は弓吉にうなずき千代の手を引っ張った。右手を引っ張られ千代は、左手で股間をおさえながら内股で駆けて行った。




