ヒトミちゃん
どうでもいい選択肢の話と死神の情報を聞かされて、弦さんも目が点になっている。優しい死神とは、時には周りをイライラさせるらしい。
イライラした弦さんが、イライラと貧乏ゆすりしながら、イライラとした口調で、人をイラ付かせるように聞いた。
「でさ、結局どうなのよ。なんのためにここにいるのよ。ヒトミちゃんは生きているんだろ。えっ、どうなのよ。結局のところさ。はっきりさせてもらおうじゃないの。全く、ちまちまストローなんかで飲みやがって、男のくせに、死神のくせによ。さあ、聞かせてもらいましょうか。スパッと言ってもらおうじゃないか」
弦さんの貧乏ゆすりのために、ガタガタ揺れるテーブルを押さえ付けている死神さんは、恨めしそうに言った。
「ヒトミちゃんは生きていますよ。僕の仕事としては、本当は半年前にヒトミちゃんは連れて行かなければいけなかったんです。上からも怒られているんです。これは僕の責任でもあるけど……弦さんの責任でもあるんですよ。ヒトミちゃんの顔を見ていると、僕は連れては行けません……」
弦さんの貧乏ゆすりが止まった。うつむいてしまった死神さんを、弦さんは気の毒そうに見ている。俺は二人を見比べて次の言葉を待った。弦さんが死神さんに向かって苦笑いをした。
「そうか……すまなかったな……。九さん、これにはいろいろあってな……」
弦さんは半年前を懐かしむように話しを聞かせてくれた。
ヒトミちゃんは高二まで学校に通っていたが、病気のために高三からは通っていなかった。しかし、明るいヒトミちゃんは学校でも人気者だったので、二年の時のクラスメートがいつも病室に見舞いに来ていた。女子が多かったが、男子も混じってとても賑やかだった。その男子の一人にヒトミちゃんは恋をしていた。弦さんはその男の子が来た時に見せる、ヒトミちゃんの態度で分かった。でも、片思いだった。男の子の矢はヒトミちゃんに撃ち込まれていない。それにヒトミちゃんも、自分の矢を男の子に撃ち込んでいなかった。
「自分の病気を知って、気持ちを抑制していたんだろうな。可哀想だった……」
弦さんの言葉に死神さんも大きくうなずいた。
「それが、死神さんが言っていた、連れて行けない理由なんですか?」
俺の質問に死神さんは首を振ると、弦さんが続きを話してくれた。
弦さんは日々やつれて行くヒトミちゃんを、見ていられなかった。それは死神さんも同じ気持ちだった。死神さんは仕事で来ているだけで、決して個人的な理由からヒトミちゃんを連れて行こうとしている訳ではない。死神達はその辛い役目のせいもあって、みんな優しくなるのだろう。
「ある日、死神さんが俺に言ったんだ。『最期にいい思い出を作ってあげたいですね』って、その一言で俺は決めた」
「なにを、ですか?」
俺が聞き返すと、弦さんと死神さんは寂しそうに笑った。弦さんは冷めたカプチーノを一口飲んで言った。
「ヒトミちゃんの矢を男の子に撃ち込んだ。そして、男の子の矢もヒトミちゃんに撃ち込んだ。俺は、最高のカップルを作ったんだ」
そう言っているが、弦さんは哀しそうな顔をしている。
キューピットが撃ち込んだ矢は二度と抜けないが、死ぬとその人の矢は消えてしまう。だからと言って、短い期間だけでもカップルにしてあげよう、などと簡単なものではない。
ヒトミちゃんは片思いだから矢が刺されば嬉しいだろう。だが、男の子の気持ちはそうではない。キューピットは、互いの気持ちを考えて矢を撃ち込むものだ。決して、片方の気持ちだけを優先するものじゃない。いくら短い期間でも、男の子の気持ちも考えてやらないと不公平だ。女の子は恋を成就できて逝くのだから幸せだが、恋心も無かった男の子がいきなり恋人にされて、そして直ぐに相手の恋人は亡くなってしまうのだ。女の子には悪いが、男の子にとっては迷惑な話だろう。女の子にも人生があるように、男の子にも人生があるのだから。
確かに俺も若い時分は、面白可笑しく矢を撃ち込んでいたが、あれは無知だったから仕方がないのだ。
そんな自分を棚に上げて考えていると、弦さんは俺の気持ちを察して苦笑いした。
「九さん、分かってるよ。俺だって色々と考えたんだ。でも、俺のわがままと思って勘弁してくれよ、なっ」
片手を顔の前に上げて拝む弦さんを見て思った。
まったく、仏の弦さんらしい。
「今日、ヒトミちゃんは彼氏とデートなんです」
「それで死神さんはヒトミちゃんを連れて行けないのか。でも、いつまでもそんな事を続けられないでしょ?」
死神さんは俺を見ながら困った顔でうなずいた。
「おっ」
弦さんはブルッと体を震わせると、背中から弓を取り出した。
「弓が震えてるよ。近くにヒトミちゃんがいるな」
弦さんはニコニコしながら店内を見渡した。
キューピットの矢は、一度撃ち込んだことのある人間が近付くと、センサーがキャッチして矢が震える。
「ヒトミちゃんは、彼氏と両親と一緒に表でキャラクターと記念撮影しているはずだけど、食事のために店に入ってきたのかな? 二人ともヒトミちゃんの顔を見れば、僕が連れて行かない理由が分かりますよ」
死神さんはタレ目を波目にして笑った。その笑顔を見て、弦さんも寄り目を離れ目にして笑った。俺は二人の波目と離れ目を見て、窪み目を出目にして笑った。
とその時「あっ 弦さんだ!」可愛らしい女の子の声が聞こえた。
離れ目と波目と出目は、一斉に声が聞こえた方に振り向いた。数メートル先で車椅子に座る可愛い女の子が、満面の笑みを浮かべながら手を振っている。
「おーっ! ヒトミちゃ~ん!」
弦さんは勢い良く立ち上がり、満面に笑みと皺を浮かべながら手を大きく振った。
ヒトミちゃんの車椅子を押しているのは例の彼氏だろう。なかなかいい男だ。テーブルの隙間の通路をすり抜けて俺達に辿り着いた。
「弦さん、久しぶりです」
ヒトミちゃんはペコリと頭を下げるとニッコリ笑った。しかし、お世辞にも元気には見えなかった。初対面の俺でも頬がこけているのがわかるし、顔色も決して良くは見えない。心なしか肩で息をしているようだった。弦さんも同じ印象なのか、先ほどの笑みが少し曇っている。
「ヒトミちゃん、久しぶりだね。でもあんまりはしゃぐなよ。疲れちゃうからな」
ヒトミちゃんは素直にうなずくと、俺と死神さんに向かってお辞儀をした。俺とは初対面なのは当然だが、死神さんもそうらしい。死神さんはヒトミちゃんに姿を見せた事はないのだろう。嫌な役目だ。
ヒトミちゃんは弦さんと楽しそうにお喋りをしている。時折、彼氏に微笑みかけるヒトミちゃんはとっても幸せそうだった。ヒトミちゃんの両親は先ほど俺達に挨拶に来たが、今は離れたテーブルに座ってヒトミちゃんを見守っている。
弦さんはヒトミちゃんを引き止めても悪いと思ったのか、早々におやじギャグを絡めたお喋りを切り上げた。
「ヒトミちゃん達は食事がまだだろ。お父さんとお母さんが待ってるから戻っていいよ。今度お見舞いに行くから、その時ゆっくり話そう」
「うん、待ってるから、また面白い話しを聞かせてね。弦さんまたね。バイバイ」
ヒトミちゃんが可愛く手を振るので、弦さんもつられて手を振り返した。
「バイバイ、必ず行くよ」
嬉しそうに微笑んだヒトミちゃんは、車椅子の後ろに立つ彼氏に振り向き「行こう」と言った。彼氏は俺たちひとりひとに会釈をすると、車椅子を両親の待つテーブルに進めた。