死神と呼ばれた男
仕事そっちのけで飛び回っていた弦さんが、腹を空かせてやっと戻って来たので手頃なレストランに入った。目の前に座る弦さんは、携帯画像のチェックに余念がない。
間抜け面した孫想いのじいさんをぼんやり眺めていると、音も立てずにテーブルの脇に人が立った。店員だと思い何気なく見上げると、髪をキッチリ七三分けにし、キッチリ背広を着こなす真面目なサラリーマン風の男が笑っている。
弦さんも男に気がつき携帯から顔を上げると、素っ頓狂な声を上げた。
「あれ? 死神さんじゃないの」
死神と呼ばれた男は、照れくさそうに頭を掻いてお辞儀をする。
「弦さん、お久しぶりです」
「似合わない場所にいるんだな。ここは遊園地で、病院じゃないよ」
「すみません。役目ですから……」
申し訳なさそうなに言う死神さんの態度は、気の毒なほど人の良さが感じられる。
「まあ座れよ」
弦さんに言われた死神さんは、「失礼します」と遠慮がちに俺の隣に座った。年の頃なら二十歳後半だろうか、まだ若いのに俺達に比べるとはるかに落ち着いている。俺は一目見た時から死神だと分かった。その訳は、死神達はみんななぜかタレ目なのだ。笑うと波眼になってしまう。どこから見ても人が良く見える。そして、どの死神も実際に人が良い。人間ではないから言い換えると、死神が良い。俺達キューピットより確実に心根が良く、素直で純粋だ。まずこんな人物を他では見たことは無い。だから死神だと直ぐに気が付く。
死神達はキューピットと違い、人間界では生活をしていない。日常は天上界に暮らしていて、仕事がある時だけ人間界に降りてくる。人間に姿を見せる時もあるが、通常では見せないようにしている。だが、俺達キューピットも同じ天上界の種族なので、死神が姿を見せていない時でもちゃんと姿を確認できる。
隣に座る死神さんは、人間にも見えるようにしている。俺達と一緒にいるからだろう。
先ほど弦さんが言ったように、なぜ死神さんはここにいるのか疑問に思っていると、死神さんがタレ目を更に垂らして、優しそうな口元を開いた。だが、表情は曇っている。
「今日は、弦さんの良く知っている子が、好きな場所なので来ました……」
弦さんは一瞬はっとしたが、直ぐに眉をひそめた。
「ヒトミちゃん……か?」
「はい……」
二人はうつむいて黙ってしまった。
俺はコーヒーを飲みながら二人の話を聞いた。
弦さんは半年前、胃潰瘍の手術で二週間ほど入院した時がある。その同じ病棟にヒトミちゃんがいた。十八歳になったばかりのヒトミちゃんは、一年近くも入院しているのにとても明るい娘で、入院患者だけではなく見舞客からも人気があった。弦さんのくだらないおやじギャグにも、コロコロ笑ってくれる気の優しい娘なので、すっかり弦さんも気に入ってしまった。
しかし、弦さんは入院初日から気が付いていた。
ヒトミちゃんのそばにはいつも、死神が佇んでいたのだ。
もちろん、死神さんも弦さんがキューピットだと気が付いた。死神さんは挨拶を交わしたあと、ヒトミちゃんの病状を話した。
弦さんは、ヒトミちゃんが白血病で死期が近い事を知った。
眉間に皺をよせ腕組みしている弦さんがポツリと呟いた。
「あれから半年経ったか……」
「はい……」死神さんは神妙な顔でうなずいた。
死神は人が亡くなる一ヶ月前に現れる。ヒトミちゃんもそうだったのだろう。
弦さんが入院していたのは半年前だ。だからもうヒトミちゃんはこの世にいない。
死神さんも弦さんも神妙な顔付きをしている。特に弦さんは、注文したカプチーノを飲むのも忘れてしまい、まだ一口も飲んではいない。相当に辛いのだろう。
なぜキューピットは老いてくると、好んでカプチーノを飲むのだろうか? と、どうでもいい事をぼんやり考えていたが、先ほど聞いた死神さんの一言を思い出してある事に気が付いた。
俺の隣で死神さんは、カルピスをストローでチューチュー美味そうに吸っている。
「ねえ死神さん。この場所は、ヒトミちゃんが好きだから来たと言ってたよね? 役目で来たんだね?」
死神さんは、ストローで口をすぼめながら二度うなずいた。
「あっ」弦さんも気づいたようだ。驚いた顔を死神さんに向け、勢いよくテーブルに体を乗り出すと、食いつくように捲し立てた。
「死神さん! あんたヒトミちゃんについて来たのか?」
「ズズッズッ……そうですけど、なにか?……」
ストローでカルピスを飲み干して答えた死神さんは、弦さんの剣幕に戸惑っている。余りにも死神さんの態度が悠長なので、俺も弦さんに習って死神さんに食いついた。
「じゃあ、ヒトミちゃんは生きているんだね?」
少しのけぞった死神さんは、当然だろと言う顔でうなずく。
「でもさっきは死神さんも、神妙な顔していたじゃないか」
「え? あぁ、あれは迷っていたんですよ」
『迷ってた?』俺と弦さんは口を合わせて聞き返した。
死神さんは、カルピスを飲み干して氷だけが残ったグラスを、カランカランとストローを使ってかき回すとにっこりと微笑む。
「カルピスをグラスのまま飲もうか、ストロー使って飲むかで迷っていたんですよ。でも、やっぱりストロー使って正解でした。美味しいですよね。僕達死神の間ではカルピスがとっても人気なんですよ。以前、フルーツカルピスってありましたよね。死神の間では人気があったんですけど、最近あまり見ないですよね。どうしたんでしょうね? 知りません?」
知るか。