08.魔法測定
魔法量というものがある。
人には生まれながらにして、体の中に魔法力を蓄える器官を備えている。
その中に貯蓄できる魔法力の多さは人によって様々で、目に見えない器官だから、お腹を開いて多寡を確認する、なんてことは出来ない。
ただ、一つ。確認する方法がある。それが魔法測定だ。
魔法測定は、専用の器具を用いて行う。
魔法量の多寡から、その人が得意とするであろう魔法の分野までわかるのだから、驚きである。
基本的に、貴族に生まれた子どもであれば、幼い頃に魔法測定を行うのが一般的だ。だから、私ももちろん、幼い頃に魔法測定を受けていたことがあるのだが。
じんわり、ユリウスと繋がった手の平が、暖かくなっていく。人の魔法力が、指先を伝って内部に侵入してくる感覚は、慣れない。魔法測定を受けた子どもの中には、泣き出してしまうような人も居ると言うが、納得である。
これはあんまり、何度も受けたいものではない。
むずむずとした気持ちを必死になって逸らすべく、私は小さく息を吐く。集中しているユリウスをぼんやりと眺めていると、不意に横合いから声をかけられた。
「大丈夫なのか?」
リュジの目は、心配そうに揺れている。リュジはまだ年若いこともあり、魔法測定を受けた日のことを強く覚えているのではないだろうか。私は小さく笑って返す。
「大丈夫、ありがとう。ちょっと、なんだろ、ふわふわするなってだけ」
「わかる、その気持ち。魔法測定ってこう、……なんか、凄い、よな」
リュジが肯定を返してきた。魔法測定を受けた日を思い出したのだろう、彼は軽く首を振ると、「もうあんまり受けたくない……」と口にする。あまりの言いようだった。
「二度受けることはないと思うけど……」
今回のようなことが無い限り。魔法は修練によってのみ、巧みになっていくものだが、魔法量は生まれた時から修練を続けていても変わらないらしい。
魔法力を蓄える器官のことを、誰かがかたい金属で出来た袋だと言っていた。伸びもせず、縮みもしない。魔法使いになりたくても、この魔法力を蓄える器官が小さい――すなわち、魔法量が少ない場合、大成は難しいとされている。
魔法は才能によるところが、武芸に比べると幾分か多い。
「わかんないだろ。メルだって二回受けてるし、兄上も二回受けてる。そうすると、俺もその可能性がある」
「兄様も?」
「ああ――うん。少し前にね。騎士団に入るときに、もう一度だけ受けたんだ。そう言えば、その時メルは近くに居なかったね」
あまり触れられたくない話題だったのかもしれない。カイネにしては珍しく、言葉を軽く濁す様子が見られた。緩く結った銀色の髪を軽く揺らして、カイネは小さく笑う。
「でも、変わりはなかったな。その時も。何度測っても、恐らく意味が無いもの――ではあると思うんだけど」
カイネはちら、とユリウスが見る。直後、ユリウスが伏せていた視線を上げて私を見た。柔らかな熱を持った指先が、解けるように私から離れる。――魔法測定が、終わったのだろう。
ユリウスは僅かに思案するような間を置いてから、ゆっくりと口を開く。
「お嬢様。その――恐らく、なんですが」
もったいぶった言い方だった。何かあるのだと、言外に伝えるような、そんな声。私はユリウスを見つめ返す。
「お嬢様の、本来の魔法量にくわえて、多分……別の人間。多分、二人、くらいの、魔法量が、お嬢様の体に蓄積されています」
「二人?」
「そうです。その――魔法力を蓄える器官が、あるのは知っていますよね」
もちろん。頷いて返すと、ユリウスはゆっくりと、たどたどしく――私にもわかるように、説明を砕きながら行う。
「その魔法力を蓄える器官の中に、三種類の魔法力が入っている……ような感じです。そして、それら全部が融合して、一つのものに溶け合いながら、存在している――。器官はそれによって広げられていて……、ため込む魔法量も、前とは段違いに多くなっています」
私の中にある、急激に増えた魔法力。しかも、癒術に関してのみ、本領を発揮するそれらが、二人分。
かいつまんだ情報の中でも、なんとなく察しを付けることが出来た。つまり――私の中には、父と母、二人分の魔法力が、蓄積されているのではないだろうか。
多分、馬車が落ちて、崖から投げ出されて、二人が必死に私を助けようと抱きしめてくれたあの時。きっと、何かしらの要素が働いて、私の体の中に二人分の魔法力が入って来たのかもしれない。
考えが、完全に正しいかどうかは、わからない。けれど。
ユリウスを見る。ユリウスは微かに目を伏せて、それからゆっくりと視線を上げた。薄い水色の虹彩が、懐かしい色に揺れている。
「懐かしい、魔法力でした。……たくさん、たくさん。触れたことが、あります。僕も、お嬢様も」
「……そっか」
「おい。説明しろ、きちんと」
リュジが少しだけ拗ねたような声を出す。それをカイネが後ろからまあまあ、となだめているのが見えた。カイネはリュジの背を叩きながら私を見る。
「良かったね」
私と、そしてユリウスの会話で、カイネも回答を得たのだろう。私は頷く。良かった――、きっと。そう、これは、良かったのだろう。
「次からは、その魔法量をどうにかして自分の思うように使えるやり方を身につけないとね。ユリウス子爵、頼めますか?」
「もちろんです。必ず、なんとかしてみせます。……メルお嬢様、僕に任せてください。これからは、一緒……、ですよ」
ユリウスが微笑む。それに頷いて返しながら、私は心の中で決意をする。
今度は、今日みたいな爆発が起きないように。――誰かを、そしてなにかを、きちんと直し、癒やせるような癒術を扱えるように。
父母から授けられた魔法量は膨大だ。だからこそ、それときちんと、付き合っていけるようにしなくてはならない。持て余すなんてもってのほかだ。
今、私は、自分に与えられた何もかもを使って、リュジ、そしてカイネを生かすために邁進しなければならないのだから。
ユリウスが手袋を鞄の中にしまい込む。彼はそうしてから、「カイネ卿」と、カイネの名前を呼んだ。
「はい、なんでしょう。――ああ、そうだ、ここへ来て貰った礼を出さなければね。直ぐに用意します。それと、今後メルの家庭教師を請け負ってくださることに関しての契約書と、謝礼金についてもお話を――」
「ああ、いえ、ええと」
ユリウスは首を振る。だが直ぐに、何か思い直したのか「いえ、やはり、そうしましょうか」と続けた。
カイネが微笑む。彼は私とリュジに視線を向けると、「それじゃあ、兄様は大切な契約についてお話をするから、二人は遊んでおいで」と私とリュジの背を押した。
大人の話をするので退室してくれ、ということだろう。ここでだだをこねるわけにもいかないので、私はリュジと共に間延びした返事をして、室内から出た。
扉を閉めて、ほっと一息をつく。実のところ、ものすごく緊張していたらしい。
自分の体に何があったのか。どうして急に、こんなことになってしまったのか。それらに対する回答が与えられた今、体から力が抜けてしまうのも、仕方無いことだろう。今になって震え出す足を、軽く指先で叩く。
「……本当に、良かったな」
静かな声が横合いから響いてくる。リュジが私に手を差し出しながら、ほっとしたような表情を浮かべていた。
「変なことになってなくて。……練習したら、癒術がまた使えるようになるらしいし。メルなら、きっと、前みたいに、すぐ、癒術を使えるようになると思う」
――多分、リュジも、私と同じくらい緊張していたのだろう。彼の表情は柔らかく緩んでいた。普段の冷静さという感情で塗り固められたような、そんな表情ではなく、そこにはひたすら誰かを心配するような、そんな彩りが滲んでいる。
私は小さく頷いて、リュジの手を取った。私よりも一歳年下なのに、存外、手の平はしっかりと私の体を支えてくれる。
「うん。きっと次は、きちんと出来るようになるよ」
「そうしてくれ。また庭をこんな風にされたんじゃ、たまらないからな」
リュジが笑う。窓の外には、大変な速度で育ってしまった植物たちの姿が見えた。タリオンおじさまが指揮を執り、使用人に命じて少しずつ伐採していく様子が見える。
……庭をジャングルにするのは、これっきりにしたい。思わず笑って返しながら、手伝いに行こうと、二人で廊下を歩いて、庭園へ向かう。
リュジに支えられながら、緩慢な速度で階段を降りた。一階の広間に降り立った瞬間、入り口の扉が強い音を立てて開いた。
誰かが大急ぎで駆けてきたような、そんな姿が逆行の中、滲むように輪郭を描いた。タリオンおじさまが「カイネに怪我はないようだよ」と、早口に言葉を続けるのが聞こえる。
私の手を握っていたリュジが、小さく息を飲む音が聞こえた。
母上、と、その唇が、小さな声で囁く。それと同時に、逆行になっていた姿が、ゆっくりと線を結ぶ。以前お会いした、トゥーリッキ夫人だ。
一度挨拶をしてからというもの、家でお会いすることはなかった。聞けば、よく教会へ行っているのだという。信心深い人なのだなあ、なんて思って居たのだが――。
トゥーリッキ夫人は、私を見ると、強く目をつり上げた。え、と思う間もなく、はしたなくならない歩幅で私に手早く近づき、そのまま手を振りかぶった。
リュジが「メル」と絶望的な声を上げる。ぱん、と物を叩くような音がした。すぐに痛みと、続いて焼かれたような熱が頬に広がった。口の中に、鉄臭い味が広がる。
え、と、喉が震える。トゥーリッキ夫人はもう一度手を振り上げると、もう片方の頬をぶった。強く、――ほとんど、一切の手加減をしていない、そんな強さで。
前世ならばまだしも、今の体は十歳の少女のものである。手心の加えられていない強さで殴られれば、必然、体はたたらを踏む。足に全然力が入らなかったこともあり、私はその場に転げるようにして倒れた。
「あなたが! あなたが! 私のカイネに! 傷を付けたと! 何をしているの! ――何をするのよ!」
「は、母上、ちが、ちがいます。メルは……メルは……兄上も、傷は――」
「黙っていなさい」
どこまでも温度の低い声だった。リュジが一瞬びくりと震えて、それから私を見る。そうして、ゆっくりと首を振った。
「いえ。――いいえ、母上。黙りません。メルは……メルは、兄上に怪我をさせては――」
瞬間、リュジの体が吹っ飛ぶ。どうやら、強く突き飛ばされたようだった。
リュジは呆然とした表情で尻餅をついて、それからぐっ、と眉根を寄せた。泣きそうな顔で、けれど泣き出さないまま、母であるトゥーリッキ伯爵夫人を見上げる。
「黙っていなさいといったでしょう」
母上、と、か細い声が、リュジの唇から漏れるのが聞こえた。タリオンおじさまが慌てたようにトゥーリッキ伯爵夫人の肩を掴むが、すぐに振り払われる。
「さわらないで! ――カイネは! カイネはどこなの!」
「……」
喉が震える。カイネは二階の、私の部屋に居る。だが、それを伝えたくはなかった。――伝えてはいけないと、真正面から見て、思う。
瞳が狂気に満ちていた。リュジを突き飛ばし、尻餅を突かせているにも関わらず、彼女は目を向けることすらしない。ただひたすら、カイネ、カイネ、と名前を呼ぶ。
この人を、カイネに――兄に会わせてはいけない、と、私の体のどこかが警鐘を鳴らしていた。
以前、カイネとリュジが言っていた言葉が脳裏を過る。色々と激しい人だと口にしていたが、それをまさに今、間近で実感する。
カイネを探す姿は、苛烈と表現するほか、無かった。
口を噤む。その姿が、気に障ったのだろう。カイネを傷つけ、その上、隠そうとする、そんな異分子に見えたのかもしれない。トゥーリッキ伯爵夫人は手をぐっと振り上げた。叩かれる。口の中を噛まないように、必死に唇を引き結び、衝撃を待つ。
瞬間、不意に誰かに体を抱きしめられた感覚があった。ぱん、と強い音が鳴る。
――痛くは無い。恐る恐る目を見開くと、瞳を強く開いたトゥーリッキ伯爵夫人と目があった。
「母様。カイネはここに」
「あ――あ、そ、そんな……どうして、どうして。そんな、ぶつきは無かったのよ。本当よ。カイネ、カイネ……そんな、ごめんなさい。ごめんなさい」
私を抱きしめたのは、カイネだったらしい。頭の上から、穏やかで優しい声が振ってくる。カイネはそっと私から体を離すと、トゥーリッキ伯爵夫人へ柔らかく笑みを浮かべた。
「母様の声が二階まで聞こえていました。どうやら誤解されているようですが、私はメルに傷つけられてなどいませんよ」
「……カイネ、でも、聞いたのよ。使用人から……。だから直ぐ帰ってきて……」
「見てください。私の体のどこに傷がありましょう。――母様が先ほどつけた傷以外には、ございません」
トゥーリッキ伯爵夫人が僅かに息を飲む。直後、彼女の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ち始めた。
ごめんなさい、カイネ、カイネ、わたしの大切な息子。わたしの神様。トゥーリッキ伯爵夫人が、うわごとのように言葉を続ける。カイネは私の背を軽く叩くと、「ここは任せて」と笑う。そうして、二階の踊り場を指さした。視線を向けると、ユリウスが立っている。彼は私をこまねいていた。
カイネの登場によって、急速に場が収束したようである。母親をなだめようとする子どもの姿を、タリオンおじさまがなんとも言えない表情で見つめていた。すぐ、私の視線に気付いて、「そういえば、ユリウス子爵が来ていたんだったね。癒術士として名高い彼に、傷を治してもらってきなさい」と私とリュジに優しい声をかけてきた。
呆然とした表情を浮かべる、リュジに近づく。腫れた頬が痛々しい。そっと手を取ると、リュジは一瞬だけ体をびくりとさせて、私を見た。
「行こう、リュジ」
声をかけると、リュジは鷹揚に頷く。そうしてのろのろと立ち上がって、私の手を強く握った。
午前、午後と二回投稿を行います。楽しんで頂けますと幸いです。