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71.面白そうなこと

 赤い瞳に一心に見つめられて、息が詰まる。

 逡巡が僅かに胸中を過る。リュジが、直ぐに私に近づいてきた。そうして、手を握ってくる。

 ぎゅう、と指先を優しく、けれど強く握られて、離れそうにもない。


「リュジ……」

「メル」


 躊躇うように名前を呼ぶと、直ぐに応えがある。リュジは至近距離で、私をじっと見つめる。

 ここで振り払ったら。そうしたら、どうなるだろう。簡単だ、リュジはきっと私を追いかけるだろう。

 追いかけて、追いかけて、追いかけて、――私が諦めて、企てを吐き出すまで、ずっと着いてくるであろうことが、簡単に想像出来た。


 リュジはそういう人だった。そういう人だと、長い年月を共に過ごして、知ってしまった。

 私は小さく息を飲む。そうしてから、リュジをじっと見つめた。瞳が交わる時間は、きっと一瞬か、そうでなくとも短い時間だったように思う。ただ、それを永遠のように感じた。


 私は。――私は。

 唇の開閉を繰り返す。吐き出すべき言葉が、喉の奥で迷う。リュジが「メル」ともう一度、私の名前を呼んだ。

 縋るような声だった。それに指先がひくりと震えて、私は小さく首を振る。


 静かに呼吸を繰り返して、僅かに漣の立った心を、凪にしていく。――リュジは、巻き込めない。

 カイネだって、ユリウスだって、誰も彼も。

 だって、これは私の望みで、私がすべきことだ。カイネを死なせない。リュジを悪役にさせない。たった二つ、それだけを叶えたくて、私は今までずっと頑張ってきたのだから。


 だから、――言うべき言葉は、決まっていた。


 口を開く。リュジを見つめる。赤色の瞳と、じっと視線を合わせた。


「リュジ――」


 瞬間、ぶわ、と一瞬にして足元の土が花畑のそれに切り替わった。景色が回転するように様変わりする。リュジが一瞬僅かに目を見開いて、直ぐに杖を取りだした。私とリュジを守るように防護膜の魔法が張られる。

 足下から立ち上る匂いは甘く、清らかだ。見たことのない形をした花々が一面を埋め尽くす中、ふと、正面に少年のような影が現れた。


 大股で三歩ほど歩けば、手が触れてしまいそうなほどの近さ。黒い影は、端からゆっくりと色づくようにして人の形になっていく。私は小さく瞬いた。


「フィルギャ?」

「フィルギャ……?」


 私が囁いた言葉に、リュジがいち早く反応する。フィルギャは嬉しそうに笑みを浮かべて、それからとん、とん、と私達に近づいてきた。軽やかな足取りは、まるで重力を感じさせない。

 指先が伸びる。リュジの張った防護膜にそれが触れた瞬間、泡が弾けるようにして、防護膜が消えてしまう。リュジは一瞬息を詰まらせて、直ぐに私の腰に手を回して杖をフィルギャに向けた。


「ま、待って、リュジ! フィルギャは悪い人じゃなくて」

「悪い人じゃない? 空間認識阻害魔法なんて、禁忌とされている魔法を使う奴が?」

「本当に悪い人じゃないの! この子は、フィルギャは……精霊、精霊なんだよ!」


 慌てて言葉を口にする。リュジは精霊、と私の言葉をオウム返しに呟いて、それから「精霊って、あの、メルに沢山贈り物をしてきた……?」と続けた。私は何度も何度も頷いて返す。


「そうそう。ボクこそが、彼女に聖女の魔法を授けた精霊だよ! むしろもっと敬ってほしいなあ、ねえ?」

「精霊って……、建国史にも語られる精霊? こんな……、こんなのが? ……一度絵を見たことがあるけれど、全然似ても似つかない」

「失礼だな! 絵は脚色されるもの、物語は大げさに語られるもの、だよ! って、あれ、そう考えると似ても似つかないのは当然? まあいいや、とにかくボクはフィルギャ、精霊のフィルギャだよ。犬に加護を与えている」

「犬……」

「そう! 精霊犬だよ。狩猟祭の時、君達を助けてくれたじゃないか。あれは回り回って、ボクのおかげといっても過言ではないね」


 フィルギャが胸を張る。大仰な仕草だった。ころころと笑いながらこちらを見る目の真意は測れない。

 狩猟祭の日のことを思い出したのだろう、リュジは僅かに眉根を寄せると、「……信頼出来ない……」とだけ呟く。フィルギャは少し拗ねたように唇を尖らせた。


「……キミ、幼い頃はメルと会える日を楽しみに、指折り数えて日々を過ごしていたくらい純粋だったのに、変わっちゃったんだね」

「な……っ!」

「メルに出そうとして出せなかった手紙、ずーっと持ってるくせに――」

「なん、はっ、え?」


 リュジの顔が一瞬にして赤くなる。どうしてそれを、と言いたげな表情だ。彼は慌てたように眉根を寄せ、私を見る。本当に精霊なのか、と問いたげな視線に頷いて返すと、リュジは小さく息を零した。


「――本当に……?」

「本当だってば。疑りぶかいなあ。なんなら、ミュートス邸に張られた結界、全部解いたって良いんだからね」

「それは、やめてください。とんでもない騒ぎになってしまいます」


 僅かな間と共に、恭しい態度になったリュジを見て、フィルギャが嬉しそうに頷いた。信じてもらえた、とでも言い出しそうな、そんな朗らかな表情である。


 二人のやり取りを傍で眺めながら、私は思考を必死に動かす。

 ――来て欲しい、と呼んだ。けれどまさから、リュジと一緒の時に来るなんて。

 思わず唇を噛む。私の心中を知ってか知らずか、フィルギャは「それで」と私を見た。


「ねえ、面白そうなことをしているねえ」

「……フィルギャ……」

「ふふ。良いと思うよ。とっても良いと思う!」


 恐らく、私の行動や殿下の行動は、フィルギャには筒抜けだったのだろう。そもそも普段どこに居るのか全くわからない精霊である。呼びかければ答えてくれるということだけは確かだが、それを考えると、いつでも、どこでも、フィルギャは多くの人々の行動を見透かしているということにも繋がる。


「面白そうなこと……?」


 杖を一旦下ろしたリュジが、僅かに首を傾げる。そうしてから、リュジはじっと私を見つめた。


「……その面白そうなことは、メルが殿下に会いに行っていることに、関係があるんですか?」

「リュジ」


 私が答えないのもあってか、リュジは質問の先を変えたようだ。慌てて制止するように名前を呼んだが、もう意味は無いだろう。フィルギャが嘘をつくとも思えない。

 フィルギャはくすくすと喉を鳴らして笑いながら「うん、そうだよ。ね?」と私を見た。


「――もし、その面白そうなことが失敗した場合、メルはどうなるんでしょうか?」

「死ぬだろうね」


 さら、とフィルギャが答える。リュジが僅かに息を詰めて、それから私を見た。


「……メル。俺に協力を求めない場合、その『面白そうなこと』が失敗した時、俺もメルの協力者だったって、言うから」

「え!?」

「そうしたら、共謀罪として俺も罪に問われる。ミュートス家の地位はもしかしたら地に落ちるかもしれないな。どうする?」

「ま、待って、どうして、そんな」

「メルがいつまで経っても、俺のことを頼らないからだろ!」


 リュジが僅かに怒ったように声を上げる。どうする? って、そんな、どうする? って……!

 一瞬で思考がぐちゃぐちゃになる。フィルギャが「良いね!」と嬉しそうに声を上げた。どこが。


「実際、面白そうなこと、今のまんまじゃあ失敗するよ」

「え……!?」

「だって、そう、必要なものを探りたいんでしょう? シルヴェステルが求めているのはエトルリリー、そしてそこから作られる万能薬だ。そしてエトルリリーの産地はミュートス領だけ。種を手に入れるにしろ、花を手に入れるにしろ、ミュートス領内部の内通者は必要だよ!」


 内通者って言った。今。

 思わず唇がひくつく。リュジがフィルギャの言葉に小さく頷いた。そうしてから、「ほら」と私に笑みを向ける。

 その笑顔が、今はとんでもない悪役顔に見えてしまうのは、仕方無いだろう。


 私は小さく息を零す。思って居た通り、フィルギャ、つまりはシルヴェステルが求めているものはミュートス領にあるもの――エトルリリーだった。エトルリリーから作られる万能薬は、薬効は高いが、作るのに手間がかかることもあり、今はあまり流通していない。そもそも、そういった万能薬を使うような病が、この国には蔓延していないのだ。


 なら、確かに、リュジの手助けは必要だろう。ミュートス領内部に精通していて、なおかつ今のところ騎士団にも所属しておらず、貴族としての教育時間以外、自由に動けるのがリュジだ。

 私は小さく息を飲む。そうしてから、リュジを見つめた。


「――もし、失敗した時の責は、私が一人で負う。絶対に、……共謀者だった、なんて、言わないって、約束してくれる?」

「……、馬鹿だろ、メル」


 リュジは小さく笑った。そうしてから、彼は言葉を続ける。


「俺が参加するんだから、失敗なんてするわけないだろ」

「リュジ……」

「成功する。俺もいるし――どうやら精霊もついているみたいだし。だから、きちんと説明して。メル」


 考えていること、全部。リュジが続ける。繋がった手が温かくて、なんだかどうしようもなくほっとした。私は思ったよりも、不安だったのかもしれない。リュジが手伝ってくれることが、こんなにも心強いなんて。


 私は小さく息を零した。そうしてから、ゆっくりと、脳内で言葉を組み立てる。

 殿下と共に考えた、『北部国境戦』回避に向かう道筋を、リュジに示すために。

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