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67.使者

 ヒーシの祭が終わって、十日も経たない頃、私宛に帝城から手紙が届いた。内密に、と渡された手紙に一瞬だけ何が……!? とドキドキしたものだが、中身はなんてことのないものだった。

 簡単に言えばヒーシで君は色々と頑張ったからその功を讃える、つきましては何日に城までやってくるように、というような感じの文章が、もの凄く格式張った文体で書かれていたのである。


 多分、ヒーシにいる時に何度も何度も殿下から言われた、部屋へのお誘い、の手紙なのだろう。カイネにバレないようにしてほしいとお願いしたことを覚えてくれていたのだろう。ただ、まさか、リュジもカイネも居ない時間を見計らったかのように、私兵を飛ばしてくるとは思ってもみなかったけれど。

 ……殿下からの誘いである。流石に断るわけにもいかないだろう。私は直ぐに返事を書き、そのまま殿下の元へ手紙を送ってもらった。


 そうして――今日、その約束の日に、私は城へ参上したわけである。

 普段着るような軽やかで動きやすいドレスではなく、少しばかりフォーマルなドレスを身に纏いつつ、私は馬車から降りる。御者に帰ってくる時間をおおよそ伝えてから、門番に話を通して、城の中に入った。


 城の中はしんとしている。案内のものが来るから少し待つように言われたので、私は周囲を眺めながら待つことに決めた。

 癒術士として国に登録して以降、そしてあの完全に枯れていた花を蘇らせてからは、陛下に呼ばれて何度か参上することがあった。癒術士はなり手が少ないこともあるからか、三級癒術士であっても重宝される、とはユリウスから聞いて居たけれど、実際、今回のヒーシの件のような依頼を受けることが、今までにもあった。と言っても、今回のように遠征してまで、というのは初めてだったのだが。


 ぐ、と顔を上げると、エトルの創世神話に基づいた絵が天井に描かれているのが見える。エトルが人の子に、イストリア帝国の礎となるこの地を授けた場面の絵だ。銀色の髪、碧眼。そして、見る物を引き寄せてならない、美しい虹彩。それらが画家の手によって、一切の隙も無く表現されている。


 ぼんやりとその絵を眺めていると、「恐れながら、カタラ伯爵様」と声をかけられた。顔を向けると、使用人らしき男性が立っている。頭を下げていた。老成した男性はゆっくりと顔を上げ、私を見ると柔らかく微笑み、「お待たせいたしました。ご案内いたします」と言葉を続ける。


 そうして、ゆっくりと――おそらくは私の歩幅に無理が無いスピードで、歩き出した。その背を追うように、私も歩いて行く。

 階段を上がり、帝城の二階、少し進んだ場所で足を止めた。こんこんとノックをし、「エリオス殿下。カタラ伯爵様がいらっしゃいました」と声をかける。程なくして「入って良いよ」という声がした。男性がノブに触れ、ゆっくりと扉を開く。

 促されるようにして開かれたドアの前に立ち、私はその場でカーテシーを行った。


「カタラ伯爵を代表してご挨拶申し上げます」

「――うん、待っていたよ。メル」


 メル。

 急に呼び捨てにされた気がする。ゆっくりと顔を上げると、殿下の顔が目に入る。榛色の瞳が細まっていた。こちらを見る視線が、蜜のような甘さを孕んでいる。

 それは愛おしい相手を見るような視線で。

 思わず小さく息を飲む。殿下は私の傍に近づいてくると、その手を取った。そうして、手の甲にそっと唇を寄せてくる。


「君に会えない日は、まるで時の精霊が僕に意地悪をしているのかと思うくらい、長く感じたよ」

「でっ……、殿下?」

「今日は会えて良かった。急な呼び出しをして、ごめんね。どうしても会いたくて……けれど僕から会いに行くと、君に迷惑がかかるだろう?」


 どうしたのだろうか。思わず悲鳴のようなものが喉から零れかける。殿下は私の腰に手を回すと、嬉しそうに耳元で「好きだよ」と囁いた。舌先で耳をくすぐるような、そんな感覚がして、ぞわりと背筋が泡立つ。

 殿下、と本気で名前を呼ぼうとした――瞬間、ごほん、と咳のようなものが聞こえた。ここまで案内してくれた男性が、「……殿下、それでは、私は失礼致します」と早口に続けた。


「ありがとう。人払いは任せたよ」

「……御意にございます」


 殿下が小さく笑う。殿下は男性に見せつけるように私の頬に唇を寄せて、軽い口づけを落としてくる。

 そうしてから、ゆっくりと扉を閉めた。思わず私は殿下の胸を押す。


「……殿下。何を考えているんですか?」

「うん? ほら、簡単に人払いできる方法が上手くいってよかった、って考えてる」

「さい……」


 最低。思わず喉から零れそうになった罵倒を必死に胸の奥へ押し込みつつ、私は首を振った。そうして、殿下から体を離す。私の腰に触れていた手が、私の動きを止めることもなく、すぐに離れていく。


「……何を考えてこんな……」

「ほら、色々話したいことがあってさぁ。人に聞かれたくなかったんだよね。一応遮断の魔法もかけておこうかな」

「……もっと他に方法が……、いえ、もういいです。けれど、次、もしこういうことをする予定があるなら言ってください」

「どうしようかな。キミの驚いた顔、存外ちょっと面白かったからね。次も唐突にしてみようか。カイネの目の前で、なんてどう? そんなことしたら僕が殺されるか」


 殿下が小さく笑う。彼は手を軽く振ると、杖を取りだした。杖の先端が僅かに光を灯し、瞬間、室内の空気が僅かに変わる。殿下は小さく頷いてから、「それじゃあ、お菓子でも食べながら話そうか」と私に席を勧めてきた。

 窓のカーテンは完全に締め切られている。外の風景を見ながらのんびりとお話、というような感じでは絶対に無いんだろうな、なんて思いながら、私は席に腰を下ろした。向かいに殿下が座る。


 テーブルの上には小さな二段のケーキスタンドがあった。一段目は小さなお菓子の類い、二段目には軽食の類いが乗せられている。色とりどり、恐らくは帝城の専属シェフが腕によりをかけて作ったであろう食べ物を眺めてから、私は殿下に視線を向けた。


 あんな――恋人を装って、更に人払いを頼み、外部とこの部屋を遮断するような魔法を使ってまで、話したいこととは、一体なんなのだろうか。


「――お菓子、食べたら? そんなに難しい話をするわけでもないから、気を楽にして」

「そういうわけには……。というか、難しい話じゃないなら、ここまで徹底的に人払いをする必要は無いような」

「難しい話では無い、けれど、聞かれたくない話をするからね」


 殿下は首を振る。そうして、一段目に載っている一口大のお菓子を手に取り、口に運んだ。


「……星の子って、どう思う?」

「……え?」

「星の子。エトルの愛し子、エトルに愛された子ども達。彼らはエトルのしるしを身に纏い、この世界にやってくる。銀色の神、美しい碧の瞳、そして星空のような虹彩」


 殿下はつらつらと言葉を続ける。そうしてから、私を見た。


「皇帝は星の子、僕も星の子。遡れば、皇帝の一族は全員星の子なんだけれど、これもどう思う?」

「それは――帝国を建国された方々ですから、エトルからの寵愛を受けている故に、絶やさず星の子が生まれて居るときいたことがあります……」

「そんなことあり得ると思う?」

「……」


 私は小さく顎を引いた。そうして、殿下をじっと見る。


「――僕は第二子で、幸運にも星の子だった。けれど、父の世代は、星の子が、父が生まれるまで、生まれなかったよ」


 殿下は静かに言葉を続けた。

 紡がれた言葉を、頭の中でゆっくりと咀嚼する。第二子。父――陛下の世代は、陛下が生まれるまで、星の子は生まれなかった。

 それは。つまり。


 殿下には兄である第一子が居るはずで。

 陛下には――それ以外にもきょうだいが居るはずで。

 けれど、それは、私たちには一切伝わってきていない。


「僕らは星の子でなければならない。イストリア帝国を建国し、エトルに愛されているはずの『子ども』が、星の子でないはずがない。その為の犠牲が出ることは仕方ない――って、僕は何度も父上から教えられていた。きっと父上も、そうだったんだろうね」

「……」

「でもそうやって必死になって、星の子を作って、頑張って愛されてますよー! って言ってても、時折カイネみたいに本当の――『本物』が出てくる。エトルに隅から隅まで愛された子どもが。そうなると、皇帝の地位っていうのはまあまあ脆くなりがちなんだよ。だって、市井に自分たちより愛されている子どもが居るんだから。じゃあ皇帝なのに、この国を建国したのに、どうしてあいつらは一つしか愛されてないんだ? って」


 殿下は言葉を切った。そうして小さく息を吐く。銀色の髪。朝焼けに濡れる、水面のような色あいが、目に入る。


「父上は、なんていうかそういうので、少し――おかしくなってる。父上の世代が酷かったのもあるけれどね。生まれた子どもが僕だったし。一つしか愛されてない子どもと、三つ愛されてる子どもが同時期に存在するって、結構酷くない? 一つ愛されてる子どもだって、イストリア帝国中を探せば、少ないけれど見つかるからね。けれどカイネみたいな子どもは、見たことが無い。記録にもない。だから、カイネを強く憎んでいる。殺したいほどに」


 殿下は小さく首を振った。指先がケーキスタンドを軽く叩く。爪がかちり、と音を立てるのが聞こえた。


「最近、イストリア帝国北部に存在する他国……シルヴェステル王国が、イストリア帝国北部、つまりはミュートス領を侵攻してくることが多くなった。父上は、これを多分好機と見て、ミュートス領を筆頭に国境を防衛をせよと連絡を飛ばすだろう」

「……北部、国境防衛、戦、ですか」


 小さく喉が鳴る。南部の泉が枯れた後。北部が他国からの侵攻を受け、国境防衛戦が始まる。

 北部の国境防衛戦――カイネが死ぬ、戦いだ。

 なんで。ヒーシの泉は枯れなかった。ルートは変わったはずだ。世界は、世界は変わっていくはずで。それなのに。

 カイネが死ぬ未来が着々と近づいてくる。


「北部国境防衛戦。そうだね。――父上は、異国との戦いに勝つつもりでいる。相手は疲弊している国だと、父上は思っているからね。完全に舐めきっているんだ」

「……」

「そしてその戦いの中で、カイネを殺す。後顧の憂いを一気に絶つつもりだ」


 殿下がはっきりと言い切る。瞬間、僅かに息苦しさを覚えた。喉の奥に何かが沈殿していくような、そんなどうしようもない――じわじわと、真綿で絞られるような、そんな感覚。


「でもさあ、僕は思うんだけど、戦が起これば人は疲弊するし、国にだって良いことが無い。正直星の子だのなんだの、幼い頃から何度も言われたけれど僕は別にそういうの気にならないんだよね。それに前も言ったけれど、シルヴェステルからは国交を開いて欲しいと懇願する使者が何度も来ていた。それを全て断っていたが故に、今の国境侵犯があるとしたら。つまりはそこにつけいる隙がある」

「え?」

「つまり――他国との関係が正常化出来れば、小競り合いも無くなる。彼らの望みが、まあ、とんでもなく不条理な場合は難しいだろうけれど……、そうでない場合、戦は無くなるんだ。そうしたら、父上の望みは、全て叶わなくなる。ねえ、メル令嬢」


 殿下はそっと私の手を取った。そうして、小さく笑って見せた。

 今日一の、朗らかな笑顔だった。


「僕の使者になってくれない?」

枯渇する泉編はこれで終わりです~

次は北部国境防衛戦編です。次の章でお話は完結します。

お付き合い頂けますと幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

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