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63/83

63.優先順位

 領主の家は村の中心部から少し離れた場所に建っていた。豪華な外装に、家を取り巻く塀。塀の傍には誰も立っていないが、それでも、中に入るのが少し気後れするような、そんな場所だった。

 だが、今はそんなことを行っている場合ではない。閉ざされた扉を開き、殿下が「失礼するよ」とだけ声を上げて、そのままずんずんと進んでいく。庭を横断するより先に、殿下は庭で忙しく動く使用人を見つけるとすぐに近づいた。


「やあ、少し良いかい?」

「これは――エリオス殿下……」


 使用人が慌てて頭を下げようとするのを手で押しとどめ、殿下はすぐに「領主に取り次ぎを願えるかな? それと、――今日、何か燃やすように手配をされたり、ゴミ捨てを命じられたものは居る?」と続ける。

 使用人は殿下の勢いに少し驚いていたが、「領主様はすぐに。燃やすような手配については……、先ほど言われたばかりです。女性の遺留品について、燃やしておけ、と。先ほど外の炉にくべたのですが……」と続ける。


 喉が震える。思わず拳を握る。間に合わなかったのだろうか。唇が僅かに痙攣して、それに気付いたのかカイネが私の肩を抱いた。殿下は「ありがとう、炉はどこに?」と首を傾げる。あちらです、と使用人が指さした方向に、すぐに視線を向ける。駆け出すと、カイネも一緒についてきた。

 殿下も同じようにすぐに後をついてくる。


 庭はそこまで広くない。炉は直ぐに見つかった。暖炉のような形をしている。室内にあるものと相違点を上げるとするなら、規模が大きいことと、排煙するための穴がいくつか、他にも空いていることだろうか。

 ごうごうと燃えさかる火が見える。一瞬絶望的な感情が押し寄せてきた。殿下も同じだったのだろう。小さくため息を吐くような、そんな音が聞こえた。すぐにカイネが杖を構えて、水の魔法を使って火を消そうとするが、炉の勢いは止まらない。


「雨の日や、風が吹いても消えないように、炎自体に保護の魔法がかけられているんだろうね」


 殿下が小さく首を振る。諦めるしか無いのだと、その声が言っていた。

 ――けれど、私は、……私だけは、ここで諦めるわけには、いかない。


 燃やす手配は先ほど言われたばかりで、炉にくべたばかり。あの紙の束は、水の中にあったせいではりついていて、大きな塊となっていた。一枚一枚ならばまだしも、あそこまで大きな塊は、直ぐには燃え切らないだろう。

 橙色の火の中に、視線を巡らせる。枯れ木や灰、そして女性の持っていた鞄に紛れて、――白い、塊を見つけた。


「あった……!」


 思わず手を伸ばす。自身の体が焼けることよりも何よりも、あれを先に手に入れることだけが、頭の中を占めていた。

 あれが無ければ。泉の精霊は満足してくれず、西を去る。そうすると――回り回って、カイネの死に繋がる。それを避けるためには、可及的速やかに、火の中からレシピの束を取る必要があった。


 水の魔法は、使えない。炎の勢いを保護するための魔法が使われているからだ。カイネの魔法ですら消えなかったのだから、私が何をしてもきっと、この勢いを消すことは出来ないだろう。

 小さく息を飲む。一瞬の逡巡を、すぐに決意でかき消してから、私は炉に寄った。カイネが気付くよりも、殿下が何かをするよりも先に、炎の中に手を突っ込む。メル、とカイネが叫ぶような声が聞こえた。


 熱い。高温で皮膚の焼ける匂いがする。けれど引くわけにはいかない。大丈夫だ、私は癒術士だから、大抵の傷は自分で治せる。

 今だけ、――今だけ、痛いのを我慢したら、問題無い。

 反射的に手を引っ込めそうになるが、それを必死に押しとどめて、私は炎の中からレシピを取りだした。


 隅の方が燃えているが、厚さが厚さなので、やはり全体が完全に焼けきってはいない。


「取れた……! 取れた! 殿下、兄様、これで……! これで大丈夫です!」


 歓声のようなものを上げる。二人も同じように喜んでくれると思っていた。だが、顔を向けたうち、一人は真っ青な顔をして、もう一人は唖然とした顔をしている。――前者はカイネで、後者は殿下だ。

 様子を見に来たらしい、先ほど声をかけた使用人の男性が、驚いたように声を上げる。


「ど、どうかされたのですか――、手が……! 炉の火は魔法で高温に管理されているんです、手を入れたら……! そんな、すぐに医者を……!」

「……えっ。あ、大丈夫です、私癒術士なので、これくらいは治せますから」

「――メル」


 カイネが顔を青くして、私に近づく。そうして私の手からレシピを受け取ると、泣きそうな顔をした。


「どうして……」

「え……?」

「――ううん、違う、後で言う。後で言うから、その手を、自分で……自分で、治せる? 一人で、自分で、ああ――どうして、私は癒術が使えないんだろう。使えたなら、すぐに、違う、こんなことを考えている場合じゃ……、メル、どうか、直ぐに、治して。自分に専念して、お願いだから……」

「え……、ご、ごめんなさい……」


 カイネは首を振る。じんじんと痛む腕に、私はもう片方の手を添えた。興奮が冷めたからか、焼けた皮膚から伝わる痛みがじわじわと思考を占拠しはじめて、額に脂汗が滲んで来る。とんでもなく痛い。

 一瞬でも気を逸らしたら、直ぐに思考を真っ赤に染め上げてしまいそうな痛みを振り払うようにすぐに癒術の力を行使した。高温の火であぶられたからか、体を通る魔力の線がずたずたになっているのが見える。

 それらをゆっくりと治して、元の形に戻す。爛れていた皮膚が巻き戻しするようにゆっくりと元に戻り、激しい頭痛のような痛みはすぐに治まった。


 小さく息を吐く。治した方の片手の開閉を繰り返す。そうこうしている内に、騒ぎを聞きつけたらしい、領主が使用人を連れてやってきた。


「どうされたのですか。怪我人がいると――」

「――ううん、怪我人はたった今、居なくなったよ。大丈夫、ありがとう。それで、少しお願いがあるんだけど……」


 殿下が首を振って、そのまま領主と話を始める。恐らくはレシピの束を貰うとか、貰わないとか、そういう話をしているのだろう。それをぼんやりと眺めていると、私の傍にカイネが近づいてくる。

 兄様、と顔を上げる。カイネは泣きそうな顔をしていた。――いや、違う、実際、泣いていた。

 瞬きの度に、美しい虹彩の瞳からぼろぼろと涙が頬を落ちていく。


 大勢の人前で涙を零すカイネを見るのは、初めてだった。


「えっ、に、兄様?」

「どうして、こんな、無茶を……」

「それは――」


 これがないと、カイネが死ぬから。それだけだ。

 そしてカイネが死ぬと、リュジが悪役ラスボスになってしまう。それだけは阻止したかった。だから。

 でも、それらを口にすることは出来ない。私は口を噤む。そうしてから、「……精霊が祭に……、参加して、楽しまないと、居なくなっちゃう。そうしたらイストリア帝国は大変なことになるよ」と続けた。カイネは首を振る。そうして、私の体をぎゅうっと抱きしめた。


「イストリア帝国なんてどうでもいいよ」

「ちょっ……、ちょっと! 兄様!」


 な、なんてことを言うのだろう。誰かに聞かれたら逆賊の誹りを受けてしまうだろう。カイネの言葉をかき消すように声を上げる。カイネは首を振った。銀色の髪。それが、柔らかく風をはらんで、踊るように揺れる。


「私は、私の妹が、……メルが、傷ついたり、怪我をしたり――そのせいで、苦しむことの方が、よっぽど怖い……」

「……もう治ったよ、大丈夫だよ」

「治ったからといって、怪我をした事実は無くならないだろう」


 カイネが喉を鳴らす。彼は嗚咽を繰り返し零して、「お願いだから」と囁く。


「こんな真似はしないで。もう二度と、自ら、怪我をしに行くことはしないで……」

「……」

「お願い。約束してほしい。メル。イストリア帝国を思う気持ちはわかった。けれど、国を自分より先の順位に置いては駄目だよ。メルは一人だけしか居ないのだから」


 懇願するような響きだった。治せるから、今、痛いのを我慢するだけだから。そうやって炉に手を突っ込んだが、カイネにとっては泣くほどショックなことだったらしい。

 ――少し迂闊な行動をしてしまったかもしれない。けれど、私は先ほどの行動を後悔することはないだろう。カイネやリュジに危険が差し迫り、それを私が怪我することでどうにか出来るなら、きっと私は自分が傷つく方を選ぶ。

 自分が痛むより、カイネやリュジに危機が向かうことの方が、怖いからだ。


 だから、――約束は、出来ない。けれど、それでも、ここで約束をしなければ、カイネは引き下がらないだろうな、ということも、なんとなくわかった。

 いずれ、破るかも知れない約束。それを交わすのは不義理かもしれない。少し考えていると、無言を否定と取ったのだろう、カイネがお願いだから、と小さく言葉を零す。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。


「……兄様、わかった。気をつける、もうしないようにするから……」

「約束だよ、メル」


 そっとカイネの眦に手を伸ばす。涙をそろりと拭うと、カイネは小さく笑った。ふにゃり、と擬音がつきそうな、そんなあどけない笑みだ。突けば崩れてしまいそうなそれをじっと眺めて、私はカイネの眦から手を離す。

 ちょうど、領主と話を終えたらしい殿下が帰ってきた。カイネの様子を見て、それから私を見る。恐らくは直ぐに状況を察したのだろう、「珍しいこともあるんだね」と茶化すように続けて、それからカイネの持つ紙の束に目を向けた。


「メル令嬢、やったことは個人的には褒められたことではない――けれど、君の行動が無ければ、一人の精霊が去っていただろうことも確かだ。後々、イストリア帝国第一継承権持ちのエリオスとして、君に褒美を取らせるよ」

「えっ。それは――、……いえ、大丈夫です」


 私だけの功績ではないし、そもそも祭が上手くいくかどうかもわからないし、と思ったのだが、殿下は小さく目を丸くして、それから首を振った。


「どうして? 言っておくけれど、正当な理由なく下賜を拒否することは出来ないからね」

「ええと、……その、今は、貰いません」

「今は?」

「祭がうまくいって、泉の精霊がこれからもここを守ると決めた時に、お願いします」


 殿下は軽く瞬く。そうしてから、「確かにね」とだけ続けた。


「わかった。では、そのように。それじゃあ、早速、レシピを探ろうか!」


 殿下が膨大な枚数の紙を掲げる。まずはくっついてしまっているそれらをぺりぺりと必死に剥がす作業から始めなければならないだろうし、途方もない時間がかかるだろうけれど――。

 首の皮は繋がった、だろうから。めでたし、という――ことに、してもいいはずだ。

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