06.癒術士
訓練を始めてから、何日も経った頃、そういえば、と朝、訓練の最中、カイネが話しかけて来た。
私はかまえていた杖を下ろして、カイネの方を見る。遠くの方に、休憩中なのか、地面に腰を下ろして休んでいるリュジの姿も見えた。
「癒術については、訓練をしないの?」
「癒術……」
「そう。――メルが得意な魔法。残念ながら、私もリュジも得意じゃないから、教えることは出来ないけれど……」
カイネは朗らかに言葉を続けた。どうかな、と彼は軽く首を傾げてこちらを見つめる。
癒術――この世界に存在する、癒やしの魔法だ。癒術士、という職業もある。人を癒やし、ものをなおす。彼らの職業を一言であらわすなら、そんな感じだろうか。
私の両親は癒術士で、娘である私も癒やしの魔法――癒術について二人に師事されていた。
幸いなことに、魔法に関して私の飲み込みは早く、簡単な傷を治すくらいであれば問題無いと太鼓判をもらっている。
もう少し訓練をつめば、もっと大変なケガや傷にも対応出来る、はずとも。
これからのことを考えると、魔法の他に癒術を極めていくことも必要だろう。
ケガや傷をリュジやカイネが負ったときに、助けになるだろうし、何より――もし、死にそうなくらいの重体になっても、私の癒術が極まっていれば、治せたり、助けたりすることも出来るかもしれないし。
だから、練習というか、訓練自体はしたいなという気持ちがあるのだが。
「ケガをしている人を見つけるところから始めないといけなくて」
癒やしの魔法というものは、基本的に実地訓練でのみ成長していくとされている。だから、癒術士見習いは、本職の仕事についてまわり、一緒に癒術を行使して、訓練を積んでいくことになる。
訓練はしたい。けれどその場合、まず怪我人、そして本職の癒術士を見つけなければいけない。
「それに、癒術士も――」
「怪我人が必要なら、今すぐ作ることが出来るよ」
「えっ?」
言いながら、カイネが腰に佩いた剣を抜いた。訓練用のものではない、触れると切れてしまうものである。彼はすっとそれを自身の手の甲に――。
何をしようとしているかを一瞬で悟る。慌てて剣を持つカイネの手を握った。リュジも遠くから、私たちの行動を見ていたらしく、慌てたように立ち上がる姿が見えた。
カイネが驚いたように目を瞬かせて、それからゆっくりと剣の切っ先を下げる。
「な、なにしてるの!?」
「なにって――怪我人を作ろうと思って」
「な――や、やめて」
慌てて首を振る。カイネは僅かに顎を引いて、それから「でも、実地訓練が必要なんだよね?」と首を傾げる。
確かに言った。言ったけど。まさか自分の体を傷つけようとするなんて、思いもよらなかったのだ。
近づいてきたリュジが、私とカイネを交互に見て、小さく息を吐く。リュジはカイネの剣を持つ手に触れ、「兄上」と静かに声を出した。
「そういうのを、メルは望んでいないと思います」
「……そう?」
カイネが私を見る。紺碧の瞳が、懐疑的に揺れる。慌てて何度も首を縦に振った。
「い、いらない。いらないよ!」
「……そっか、わかった。ごめんね、役に立てなくて」
「や、役に立つとかそういうのじゃなくて――」
言葉が上手く出ない。こんな――ケガ人が必要だと言った瞬間、じゃあ自分がケガ人になろう、という発想は出てくるものなのだろうか。
思わず腕を握る手に力がこもる。私は首を振った。
「だ、大事にして。自分の体を!」
カイネが微かに瞬く。リュジが私の言葉に同意するように、小さく頷いた。
「兄上は自分に無頓着なところがあります」
「そうかな? 自分ではそういったつもりはないんだけど……。そう、それに、信じていたから」
「何をですか?」
「もし怪我をしても、メルが綺麗に治してくれるって」
穏やかに微笑みながら、カイネは私を見る。ひ、人たらしだァー! なんて心の中で叫びつつ、私は首を振った。
信頼してくれるのは嬉しいが、それで自分の体を傷つけようとするのだけはやめてほしい。私は首を振った。
「信頼は嬉しいけれど、今後は絶対、絶対にやめてね! 守るために強くなりたいのに、私のせいで怪我をするなんて、本末転倒もいいところだよ」
「確かに。そうだね。……その通りだ」
諭すように言葉を続けると、カイネは小さく頷いた。兄上はいつも唐突です、とリュジが拗ねたように言葉を続け、カイネの手から指を離す。
「それに、癒術士の訓練は、怪我人以外でも出来ると聞いたことがあります」
「そうなの?」
したことがない。リュジが顎を引いて、馬鹿、と小さく囁くのが聞こえた。
「どうして知らないんだよ」
「兄様も知らないな。教えて、リュジ」
「……古い、文献に、ありました。癒術士は人を、そしてひいてはものの命もなおすのだと。なので、怪我人相手の実地訓練だけでなく、物に対しても実地訓練が行えるのだとか。今は廃れているようですけど……」
「物……」
壊れたもの、とかだろうか。父母はほとんど人や動物、魔獣あたりを相手にしていたので、壊れたものを治しているところは見たことが無い。リュジは僅かに首を巡らせると、訓練場の隅のほうへ歩いて行った。そうして、何か――くたびれた花を持って帰ってくる。先ほど抜いてきたのだろう、根の部分に土がぽろぽろとついているのが見えた。
「こういう――枯れかけの植物を相手にして、訓練が行えるのだとか」
「もの……確かに、花は物と言えば物だけど」
「癒術は、生きているものに対して、生存力を活性化させることで治す仕組みだろ。だから、こういう――花にも使えるんだ。実際、昔教会に仕えていた聖女なんかは、最初のうちはこうやって訓練していたらしい」
「へええ」
知らなかった。リュジは物知りだ。そういえば、よく色んな本を読んでいる覚えがある。九歳くらいの子どもが読むようなものではない、難しいものに手を付けている所も見たことがある。
「よく知ってるね」
「勉強したんだよ。お前も読めよ。後で貸すから」
「……面白い本?」
「学術的には」
ほとんど、面白くないって言っているようなものである。しかし、訓練のしかたとか書いてあるならきちんと読んだほうが、後のためになるだろう。私は頷いてリュジに感謝しつつ、しおれた花を手に取った。根っこから抜かれたそれに、手をかざす。
「ありがとう。折角だから、この花で訓練してみるね」
「……ん。上手くいくと良いな」
リュジの言葉に笑って返してから、集中する。ずたずたになってしまった部分を、少しずつ修復していくイメージが大事だ。
ものは壊れ、人は傷を負い、怪我をする。そういった、普段とは違う――ぼろぼろになったところ。そこをゆっくりと繕っていくような、そんなイメージ。
癒術は、裁縫に似ていると思う。怪我した部分は穴が空いた部分だ。癒術は、糸と針。解れた部分を結び治して、少しずつ元の形に戻していくのが、癒術士である。
今までは人を相手にしていたが、今回は植物だ。人よりも小さい分、元気の無い部分に触れたとき、そのままほろほろと崩れてしまう可能性がある。そうなってしまったら大変なので、出来る限り繊細に、そして、優しく、私は魔力を動かしていく。
癒やしの光と呼ばれる、金色の燐光が私の手の平の周囲をぱちりぱちりと弾けるように動き出す。ここまで来たら、後は問題無い。いつも通りやれば、花は元気になるだろう――。
指先を動かす。爪の先から零れた魔力が、花の中を探る。元気のない部分に活力を与えて、壊れてしまった部分を元の形に戻して。あとは黄金の光で、怪我した部分を覆う薄い膜を作れば、終わり――なのだけれど。
私の周囲を覆う手の光が、膨大になっていく。リュジが「メル?」と戸惑った声で私を呼んだ。
「メル、凄いね。膨大な魔力量だ。これなら死んだ人間も生き返られるかも。聖女様って呼ばれちゃうね」
「あ、兄上、悠長なことを言っている場合じゃないです。この魔力量は絶対におかしいでしょう。メル、おい、ちょっとまて、大丈夫なのか?」
黄金の燐光が、周囲にぱちぱちと弾けていく。まるで線香花火のように、少しずつ激しさを増していく光を眺めながら、私は眉根を寄せた。
おかしい、なんだか、全然――終わらない。思ったよりも魔力が爪の先から、手の平から、そして全身から溢れてくるようで、私の思ったとおりの形にならない。
ど、どうしよう。こんなこと初めてだ。魔力がうにょうにょしているというか。形がつかめない。
リュジが形の良い眉を潜めるのが見えた。彼は困ったように隣に立つカイネの袖を引く。
「兄上、メルが危ない。メルが……! 変です! 絶対! こんな、魔力が凄いことになってるの、見たこと無い」
「確かに。ちょっと危ない気がしてきた。メルの魔力の奔流につられて大気が揺らいでる。これ、このままだと爆発しそうだね」
「爆発!? め、メル、おい、なあ、もういいよ、やめろ、危ないから……!」
「うん。――メル、大丈夫? 今、話せるかな」
カイネが私に問いかけてくる。今さっき、もの凄く大変な言葉が聞こえてきた気がする――のだが、返事をする余裕がない。私はぶんぶんと首を振る。
やばい。全然普段と違う。おかしい。どうして。魔力が私の言うことをきかない。杖を使った魔法の訓練は、とても上手に出来たのに。癒術だって、今まではきちんと出来ていたはずなのに。どうしよう。どうしよう? 膨らんだ魔力をどうすればいいのかなんて、私にはわからない。したことがない。
頭が混乱する。カイネンがうん、と小さく頷いて、私の手を握った。そうして、
「――ちょっと痛いかも。ごめんね、メル。あとで兄様のこと、沢山怒ってくれていいから」
と言うなり、私の手を無理矢理花から引っぺがした。膨大な魔力の奔流を、彼の手の平が掴む。そうして、まるでボールを投げるように、空へと投擲した。
黄金色の魔力は、空を飛びながらもぐんぐんと大きくなり、屋敷の真上に来ると、唐突にぱん、と弾けた。金色の粒子が広範囲にぱらぱらと落ちて、地面や木々に吸われていく。
瞬間のことである。
庭に植えられた木々が、一気に成長をした。ほとんど時間を早送りにしたような、そんな感じで――と言えば、良いのだろうか。
リュジが、は、と小さく息を零す。唖然とした表情で、ぐんぐんと伸びる木々を眺め、急に色とりどりの花を咲かせる庭園を眺めている。
私も同じように呆然と、空と、そして庭を眺めた。何が起こっているのだろうか。全然わからない。だってこんなこと、今まで、一度も経験したことがない。
私の魔法はそこそこ。もし魔法の成績表があるなら、五段階評価で三、ABC評価ならBがつくくらいの、そんな感じだったのに――。
にわかに屋敷内がざわざわとして、何事かとタリオンおじさまが飛び出してくる。血相を変えていた。彼はすぐに私たちの元へ走ってくると、鋭い目に剣呑な光を宿しながら、大きく声を上げる。
「何があったんだ!?」
ちょっとだけ、泣きそう。
午前、午後に分けて二回お話を投稿します。