表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/83

03.家族になります


 リュジとカイネは私に食事を渡してすぐ、父親であるミュートス辺境伯に呼ばれたこともあり、出て行ってしまった。二人が名残惜(なごりお)しげに私の部屋から出て行く姿を見送ってから、私は二人が料理人に沢山指示して作らせたらしい食事を口に運ぶ。

 柔らかく煮られた穀物は、喉通りも良くて、すっと胃に落ちていくような心地がした。美味しい。胸の中が、少しずつあったかくなっていく。それと同時に、混乱していた思考も、少しずつ落ち着きを取り戻していくようだった。


 前世と、今世。考え始めると僅かに痛む頭に指を当てて、私は部屋の中をじっくりと見る。

 客間、だろうか。ふかふかのベッドに、干したての布団のにおい。クローゼットや化粧台が大きな部屋の少しだけ隅の方に置いてある。ベッド近くの窓は軽く開け放たれていて、そこから優しいにおいがそっと香ってくるのがわかった。

 食事を終えてから、ゆっくりと立ち上がる。化粧台の傍に行くと、幼さを残した少女の姿が映った。


 泥にまみれていた衣服は、違うものに着替えさせられている。少しだけゆったりとした作りの寝間着は、私には大きい。袖から手の平を出しながら、私は鏡をじっと見つめる。

 まろみを帯びた頬に、柔らかそうな唇。目はぱっちりとした二重で、少しだけつり目がちだ。腰まである髪の毛は濃い紫色。母に似た色だ。瞳には薄緑色が滲んでいる。これは、父に似た色。


 可愛い、女の子だ。何度も鏡で自分の姿を見ているはずなのに、どうしてか凄く新鮮に思える。鏡を見ながら頬をぺたぺたと触り、私は小さく息を吐いた。

 年は十歳。だからか、体に明確な変化はあまり出ていない。背が伸びる時の骨の痛みがきつくて、何度か泣きながら母のところへ向かった思い出がある。母はたおやかな手の平で、ゆっくりと私の足や腕を撫でてくれた。

 それが心地よくて、私はいつも、母の部屋を訪ねるといつのまにか寝てしまっていた。そんな私を部屋へ戻すのは父の役割で、何度その優しい腕の中でゆるく意識を取り戻したのか、数えられないくらいだ。


 まるで走馬灯のように思い出が蘇る。また少しだけ涙が登ってきて、私は慌てて手の平で眦を拭いた。

 鏡面から視線を逸らし、窓の近くへ向かう。ミュートス領は、イストリア帝国の北部に鎮座(ちんざ)する。他国との国境が近いこともあって、少し視線を遠くへやると、国と国の境を示すように鎮座する山脈が見えた。


 じっと外を見つめていると、不意にノックの音が耳朶を打つ。振り向いて答えを返すとほとんど同時に、扉が開いた。

 扉の向こうにはリュジ、カイネ、そして――ミュートス辺境伯タリオン様が立っている。

 ミュートス辺境伯は、現在、騎士団長を務めている。壮年の男性で、リュジとカイネの父親だ。僅かに白髪の交じる髪に、薄く整えられた髭。沢山の戦いを経たその瞳は、鋭さを滲ませながら、私を見つめている。顔立ちは、流石リュジとカイネの父親、という感じで、若い頃はたいそう女性を魅了したのではないだろうか。つまるところ、ものすごくハンサムなおじさまだ。


 思わず息を飲む。それと同時に、ミュートス辺境伯は、リュジとカイネの背を押した。二人が視線を合わせて、それからゆっくりと歩いてくる。

 ミュートス辺境伯は私の傍にひざまずくと、視線を合わせてきた。美しい、赤色の瞳が、私をじっと見つめる。


「メル。大変だっただろう。本当に――ケガが無くて良かった」

「ミュートス辺境伯……」

「そんな堅苦しい呼び方はやめてくれ。いつものように、おじさま、と」


 ミュートス辺境伯――タリオンおじさまは、鋭い視線を朗らかに崩すと、柔らかく笑った。そうして、私の体を一度抱きしめると、「聡明(そうめい)な君なら、もう理解しているかもしれないが」と、滔々と言葉を続ける。


「カタル伯爵のお二人は……、創世神(そうせいしん)エトルのお膝元へ向かってしまったようなんだ」

「……」


 死んだ、ということだろう。わかっている。投げ出されて、泥にまみれて、父母に縋ったとき、二人の死を見た。

 私が起きた時も、そしてご飯を食べる時も、二人は出てこなかった。別室で医師に診られていると聞いたが、部屋を分けられている時点で、正直絶望的な状況なのだろうと認識していた。だから、覚悟はしていた。

 ただそれでも、私の――メルの心が、僅かに揺らぐ。まるで悲しみを訴えるように、じんわり、じんわりと涙をこぼすのがわかった。


「……そう、なんですね」

「お二人の愛が、君を生かしたんだ。どうか、そのことを忘れないでくれ」


 タリオンおじさんの言葉に小さく頷く。指先が震えた、瞬間、私の手の平を誰かが握った。顔を上げると、眦を赤くしたままのリュジに出会う。


「今日からは、俺達が、メルの家族だ」

「えっ……?」

「こら、リュジ。メルが驚いているだろう。こういうのは順を追って――話すべき、なんだろうけれど」


 カイネが小さく笑う。彼も軽く膝を折って、私を見つめた。美しい碧眼が、慈しむような、そんな彩りを宿して私を見る。


「メル。良ければ――なんだけれど。私の妹になってくれないかな?」

「妹……?」


 思わぬ言葉だった。一瞬だけ息を飲む。カイネは、私の手の平に、リュジと同じように触れた。そうして、ぎゅうっと手の平で抱きしめるようにする。柔らかくて、優しい手つきだった。大切な物を壊さないように、そっと触れるような――そんな、触れ方だ。


「兄上の妹ってことは、俺の妹でもあるからな」

「リュジはメルより年下だから、姉だよ」

「妹だ! だって、弟だったら姉を守れないだろ」

「そんなことはないような……ねえ、父上」


 カイネが困ったように言葉を続ける。タリオンおじさんが小さく笑って、そうだな、とリュジの頭に手をやった。がしがしと強引に撫でられて、リュジが悲鳴のような声を上げる。

 家族を失ってしまった私を、どうやら、ミュートス家の人々は、家族にしてくれるつもりのようだった。


「か、家族、……ですか?」

「そう。家族。――元々、家族ぐるみの付き合いをしていたのだから、問題はないはずだろう?」


 タリオンおじさんが皺を寄せて笑う。


「……家族……」

「もちろん、私のことを父と呼ぶ必要はない。おじさん、で結構だ。君の父母は、他にきちんと居るのだから。けれど、それでも。――たった一人は辛いだろう」


 静かな声だった。沢山の感情がこもった声音が、じん、と胸の奥を濡らす。

 喉の奥に、沢山の感情が詰まって、言葉にならない。小さく息を漏らす音が、そのまま涙声のように、その場に響いた。

 それが私の、答えだった。


 カイネがほろ、と相好を崩すようにして微笑む。彼は私の手を握ったまま、言葉を続けた。


「メル。これからは私の妹だね。兄様、と呼んでくれると嬉しいな」

「俺のことも。俺のことも、兄上って呼んで良いからな」

「……諦めないね、お前も」


 呆れたような声がカイネの口から漏れる。それに少しだけ笑って、私は、同じように、少しだけ、泣いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ