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18.物語は変わる


 リュジは随分遠くまで逃げているようで、追いかけても追いかけても、中々リュジの元まで辿り着かない。

 一歩進むごとに、この一秒の間にリュジが死んでしまうかもしれないという不安がせめぎ合い、私は必死になってそれを振り切った。


 リュジは死なない。まだ、その時ではないはずだ。

 ここは乙女ゲームの世界だ。なら、乙女ゲーム内での役割を果たすまでは、何があろうと生きていられるはず。

 そうであってほしい。リュジは生きている。――生きている、はずだ。


 不意に視界が開ける。ちょうど広場のようになった場所に、魔獣と、リュジが対峙しているのが見えた。

 一瞬泣きそうになる。リュジ、と泣き声が喉を零れていった。

 同じく、カイネがリュジ、と名前を叫んで、そのまま剣を取り出す。ぐん、と腕を振り、刃を投擲するようにして投げる。それは風を切るように進み、魔獣に突き刺さった。


 断末魔の方向が、森を駆け巡るようにして響く。私は兄から離れて、魔獣と対峙していた人――リュジの傍まで、走り寄った。リュジは杖を構えたまま、私の方を見ると、不意に崩れるようにその場に座り込む。その頬や体に傷がついているのは明らかで、特に腕の辺りは強く傷ついているようだった。


「リュジ……! リュジ! 良かった、良かった……!」


 衣服はぼろぼろだ。所々、肌が出ている部分もある。痛々しい傷の残る姿を見て、それでも生きていたことに安心して、涙が零れてしまう。リュジは呆然としたまま、私とカイネを、まるで夢を見るような目で見つめている。

 私は座り込んだままのリュジを抱きしめる。とくとくと鼓動の音が聞こえて、それに更に泣きそうになった。ううう、と呻くような声を上げながら彼の肩口に頭を沈める。濡らしてしまうかもしれないが、そんな配慮は一切出来なかった。


 僅かな間を置いてから、リュジが吐息を零すように、声を落とす音が聞こえる。


「……メル、それに、兄上? どうしてここに」

「驚かしに来たんだけど――それはそれとして。まずは無事を祝おう」


 カイネがそっと膝をついて、私ごとリュジを抱きしめる。良かった、と囁くような声が耳朶を打って、私は何度も何度も頷いた。

 リュジは少しだけ呆けたまま、「……二人に助けられてしまいましたね」とだけ、ぼんやり、呟くように言う。


「すみませんでした。こんな恥をさらしてしまって――」

「何言ってるの……!」


 思わず強い声が出る。リュジが驚いたように視線を揺らして、私を見た。

 こんな、命の瀬戸際で、戦っていたのに。それがどうして、恥をさらしただとか、そんな話になってしまうのだろう。


「恥とか、そういう話じゃないでしょ……!」

「メル」

「危なかったのに! 傷も、沢山、怪我して、それで大変だったのに、どうしてそんな話になるの」


 声が震える。涙が治まらない。ぼろぼろの顔のまま、私はリュジを強く抱きしめた。背中に手を伸ばして、少しだけ細身の体を、強く、強く、この場に縫い止める。そうしないと、なんだか消えてしまいそうに思えた。


「リュジのバカ、バカだよ、バカ!」

「……そんなに言われる筋合いは無いだろ」

「バカ……っ、バカぁ」


 リュジが小さく笑う音が聞こえた。彼は私の頭に手を伸ばすと、そのままゆっくりと撫でてくる。「泣きすぎ」と呆れたように言う声が聞こえた。瞬間、ほろ、と私の肩口も何か――温かな水で濡れる。リュジが泣いているのだと、すぐに分かった。


「……すみません……、どうして、急に……。出てきて……。すぐにやめます」

「……やめなくていいよ。リュジ。……頑張ったね。兄様はリュジのことを誇りに思うよ」

「兄上」


 カイネが、私たちを再度抱きしめる。顔を上げると、涙をぽろぽろと零すリュジと至近距離で目があった。赤い瞳、とろけそうなほどの美しさをたたえたそれの縁から、まっさらな雫が頬を伝って落ちていく。リュジは困ったように眉根を寄せて、何度か眦を指先で拭っていたが、すぐに拭いきれないと判断したのだろう。彼は小さく息を零すと、涙を零したままにすると決めたようだった。


 カイネは私たち二人の頭を軽く撫でると、杖を振って木に突き刺さった剣を取り出す。手元に戻ってきたそれを腰に再度佩きながら、彼は私たち二人に杖を向けた。


「じゃあ、二人とも、後は兄様に任せて。皆のところで、待っていられるかな?」

「……兄上、大丈夫ですか?」

「大丈夫。兄様は魔獣には負けないよ。帰ったら、沢山美味しいものを食べようね。リュジから武勇伝も聞かせてもらわなきゃ」


 言いながら、カイネは私とリュジの頭を片手で軽く撫でると、杖を動かす。直ぐに体が風に包まれて、ゆっくりと上昇していく。私たちを森の入り口まで、戻すつもりなのだろう。私はリュジを抱きしめたまま、少しずつ遠ざかっていくカイネを見つめる。


「兄様――兄様、気をつけて……!」


 必死に声を震わせる。カイネは軽く瞬くと、私に向かって軽く手を振って見せた。



 それからのことは、ほとんど早送りするように過ぎていった。

 森の入り口近くには、他の騎士団によって保護された子ども達が沢山居た。怪我をしている子どもも沢山居て、ユリウスたちが忙しく働いているのが見えた。


 簡易的な救護所にリュジを突っ込んでから、私もユリウスたちの手伝いをするべく奔走する。必要なものがあれば直ぐに用意したり、涙を零す子どもをあやしている内に、少しずつ時間が過ぎ、森の中を探索していた騎士団達が戻ってきた。

 その中にはカイネの姿もあった。彼らによって全ての貴族達は助け出され、そして全ての魔獣が殲滅されたのだと発表があった。


 参加者の中でも、殿下はいち早く助け出され、城に座する陛下へ現状を伝えにいっているとのことである。

 狩猟祭は中止という判断になり、貴族達は親御の元へ返されることになった。

 私たちももちろん、家へ帰ることになった。リュジは治療を受けたこともあり、傷や怪我も元のようになっているのだが、それでも、帰りの馬車ではずっとすやすやと眠りについていた。


 家に着いたのはそれから少し後のことで、もう既に日もくれてしまっていた。馬車が入り口の門に止まると同時に、使用人が駆け寄ってくる。

 彼らにリュジを渡してから、私は自分の部屋に戻り、ようやく人心地つくことが出来た。――のだが。


「……なんだったんだろう……」


 今日のことが頭の中をぐるぐると回る。狩猟祭で、まさか――まさか、こんな……リュジが死にそうになるなんて、思いもよらなかった。だって、リュジは『星のの』のラスボスである。ラスボスが、こんな、物語の前日譚にも過ぎないようなところで命を落とすなんてこと、あり得ないだろう。


 いや、でも。考えて首を振る。

 そもそも、私という異分子が入って来ていて、しかもリュジとカイネを生かすべく行動をしているのだから、『星のの』のラスボスなのだから、ラスボスになるまでは死なない、なんていう固定観念は捨てるべきなのかもしれない。


 元々あるべき物語が、私という異分子の介入によって、少しずつゆがみを発しているのかもしれない。――そう考えると、カイネの死や、リュジの悪役化なんかも、もしかしたら早まったり、遅くなったり、するのかもしれない。

 ぞっとする。カイネは二十三歳、リュジは十八歳で、退場する。そう考えていたからこそ、悠長に時間を使いながら魔法や癒術の勉強を出来たのに、もしそれが早まったら――。


 何せ、カイネの死の謎すら解けていない。カイネが死なないようにどうすればいいのかすら、わかっていないというのに、その時がすぐにでも――明日にでも、来てしまったら。


 胸がどきどきする。だめだ。こういう想像はやめた方が良いだろう。鼓動が早い。心臓を指先で押さえながら、私はゆっくりと鈴を鳴らす。すぐに、侍女が中に入ってきた。


「どうかされましたか?」

「あの、暖かい飲み物か何かをもらえる?」

「もちろんです。直ぐにご用意いたしますね。夕飯も一緒にお持ちしましょうか?」

「……うん、お願い」


 今日は色々なことがあった。恐らく食堂で揃ってご飯を食べる、ということはしないだろう。リュジも寝ているし、カイネは後始末もあって、まだ帰ってきていない。


 すぐに食事が運ばれてくる。部屋の中央あたりにあるテーブルに並べられた料理を見つめながら、私は小さく息を吐いた。

 口に含む。恐怖で痺れた舌では、味を感じられない。暖かさと冷たさはなんとなくわかるものの、それだけだ。


 黙々と食事を進め、食べきる。侍女に夕飯を下げて貰い、そろそろ眠る時間――なのだが、目がさえていて眠れない。

 不安と心配と、恐怖が一緒くたになって胸の中をぐるぐると巡る。私は考えてから、ゆっくりと立ち上がった。


 こんなに不安で仕方無いなら、当事者に会いに行けば良いのだ。



 リュジの部屋は私の部屋から少し離れた場所にある。扉の前に控えていた使用人が、私が来たことに気付いて、恭しく頭を下げた。


「どうかされましたか?」

「リュジに会いたくて。……会っても良い?」


 声をかけると、使用人はゆっくりと頷く。リュジ様はきっと喜ばれます、という声とともにノックがなされ、部屋の中から応えが帰ってくる。

 メル様がいらっしゃいました、という言葉に、やや間を置いてから「勝手に入れよ」という声が帰ってきた。使用人が扉を開け、それに従って私も中に足を踏み入れる。


 リュジはベッドの上に居た。私同様に、食事は部屋で済ませていたようで、少し離れた場所にあるテーブルの上に、食べ終えた食器類が置いてある。

 私は部屋を歩いて、そのままリュジの傍まで近づいた。ベッドの上で本を読んでいた彼は、私が近づくと同時に本を閉じる。


「なんだよ、もう元気だって」

「……本当に? すごく、すごく心配で……」

「治療されるところはメルも見てただろ」


 見ていたけれど。それでも、どうしても心配なのだ。


「ごめん」

「えっ、って、な、何、やめろ、急に触るなよ」


 一応謝ってから、リュジの頬や頭、肩のあたりをぺたぺたと触る。リュジは驚いたように身を竦ませて、それから僅かに表情を弛緩させた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だって」

「でも、その、大変だったでしょ。怖かったはずだよ」

「子ども扱いするなよ」

「家族扱いしてるんだよ!」

「なんだよ、それ……」


 少し拗ねたように唇を尖らせて、リュジは首を振る。私がもぞもぞとベッドの中に入ろうとしているのを見ると、瞬間、ぎょっとしたような顔をした。


「なに。やめろ。ま、まさか一緒に寝るとか言わないよな」

「一緒に寝る」

「はあ? 本気で言っているのかよ」

「家族だから問題ないよ」

「た、確かに家族……、だけど。でも、そうじゃなくて、そもそもメルはそろそろ婚約者を探す年だろ! 俺と一緒に寝て、変な噂になったらどうするんだよ!」

「家族だから問題無いよ!」

「だから――!」


 ぎゅう、とリュジの手を握る。リュジは僅かに顎を引くと、私をじっと見た。


「……リュジは、リュジは、怖くなかったかも知れない。けど、私は怖くて、仕方無かった。リュジが居なくなっちゃう、って思った。だから……お願い……今日だけで良いから」

「……なんでそんな、俺のことで、そんなにお前が怖がる必要なんて、無いだろ」


 私は首を振る。自己肯定感が地を這っているリュジは、きっと、私が怖がった意味なんて、理解出来ないのだろう。自分が誰からも求められていないと思い込んでいるから、彼は、自分に心配されるような価値があるとは思っていないのだ。


「リュジのことが大切で、大好きで……大事だから、怖かったんだよ……」


 ぼろ、と涙が零れる。それが頬を伝って、布団にぽつぽつとしみを落とした。

 リュジが僅かに息を詰まらせる。そうしてから彼は、静かに吐息を零して、私の頬を拭った。


「……甘えたがり。俺より年上なのに」

「うん……。うん。ごめんね。た、頼りなくて……」

「そんなこと言ってないだろ。甘えた、って言っただけだ。……さみしんぼ。仕方無いから、一緒に寝ても良い」

「リュジ……。……良いの?」

「ただし、絶対に口外はするなよ。そうなったら、メルが大変なことになるんだからな。貴族の子女として、婚約者を得る前から異性のベッドで寝ようとするなんて。メルのご両親が聞いたらどう思うか」

「なんだかきょうだいみたいで素敵! って言うと思う」

「……言いそうではあるけど」


 リュジが布団を軽くめくる。その中にゆっくりと体を忍び込ませて、私はリュジにくっついた。リュジが近い、と言うが、これ以上遠ざかるつもりはない。


「手を繋いでも良い?」

「既にもう凄く近いのに、手を繋ぐ必要があるのかよ」

「ある」


 リュジが小さく息を零す。ほら、と差し出された手を、慌ててぎゅうっと両手で握りこんだ。

 ゆっくりと、ベッド近くに置かれていた魔法のランタンが、灯りを薄くしていく。暗闇の中で、私はリュジの手を握り続けた。



 次の日、帰ってきたカイネに私とリュジの様子を発見されて、「兄様も! 兄様も寝る! 一緒に! 今日!」と本気で縋られたのは、また別の話だ。

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