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17.兆し

精霊の犬がかわいそうな目に遭う描写があります


 カイネに連れられて、空を走る。精霊犬の遠吠えが聞こえる場所近くに降り立ち、カイネは杖を腰に戻すとゆっくりと歩き出した。恐らく、戦うときは腰に佩いた剣の方を使うのだろう。美しく柄の部分が飾り立てられたそれは、使い込まれているのもあってか、傷がいくつかついているのが見える。


「メルには先に話しておくけれど、魔獣(まじゅう)が出た、みたいだよ」

「魔獣――」

「うん。遠い国境を越えてやってくる魔獣。どうして精霊が守る森に居るかはわからないけれど……精霊は魔獣の気配に敏感だからね。見つけたら直ぐに倒しているはずだ」


 それは、つまり、この森には精霊が居なくなっている――のでは、とユリウスが言っていたが、実際本当に、その通りなのかもしれない、ということだろうか。

 思わぬ言葉に嫌な想像が胸を掠める。


「……この森の精霊が、居なくなっているかも……しれない、んじゃ」

「イストリア帝国が精霊やエトルから見放されているなら、それもあり得るだろうけれど」


 カイネは小さく笑う。「実際、エトルの愛し子は皇族に必ず生まれているから。殿下、陛下がいる間はまだ大丈夫なんじゃないかなあ」

 それを言うなら、カイネもエトルの愛し子だろう、と言いたくなる。しかも皇族でもないのに、エトルのうつし身と言われるほど、全ての要素を兼ね備えて生まれてきた。


 その時点で、皇族からエトルの心は離れているのではないか――なんて、少しだけ思う。

 そして多分、私がそう思うということは、カイネもその想像はしたことがあるのではないだろうか。その上で、彼はその想像を(つぶ)すことにしたのだろう。


 少しずつ歩く度、遠吠えの声が近くなってくる。ただ、それも、少しずつ途切れがちになっていく。カイネが僅かに眉根を寄せ、それから「兄様に乗って」と言うなり、有無を言わさず私を抱えると、素早く走り出した。片手で私の体をがっしりと抱きしめ、もう片方の手で剣を抜く。


 一歩、一歩が大きい。まるで飛ぶように声の元まで向かい、カイネは精霊犬を見つけるや否や、それと対峙している多くの魔獣に剣を振りかざした。瞬間、剣の軌道がまるで風の刃のように空気を切り裂いて、魔獣が吹っ飛ぶ。黒く、靄に満ちたそれらが、木々に叩きつけられて悲鳴のようなものを上げるのが聞こえた。ぐったりとしたそれらが、風に吹かれるようにして、塵の如く消えていくのが見えた。

 一瞬、の出来事だった。

 たった一閃で、カイネは魔獣のことごとくを退けてしまう。


 遠吠えをしていた精霊犬が、荒い呼吸を零しながら、カイネを見る。白銀の美しい毛並みをした彼をカイネの指先がそっと撫でた。


「頑張ったね。少し休むと良い」


 静かな声が響く。精霊犬は巨躯をくったりとさせると、小さく鳴いた。見るからに怪我が酷い。恐らく魔獣にやられたのだろう。遠吠えをし続けていたのは、魔獣の注意を引きつけ、参加している子ども達に危害がいかないようにするため、だったのだろうか。


 私が癒術士だったなら、精霊犬の怪我も治せただろう。けれど、どうにも出来ない。私は杖を取り出して、せめて、簡易的な結界を精霊犬の周囲に貼っておく。結界は誰でも張れるものだが、この精霊犬は気力を消耗しているし、そういった余裕は無いだろう。


 私が作ったものだから、直ぐに壊されてしまうかもしれないし、魔獣がまたやってきたら、この精霊犬は自ら結界を破って出て行くだろうが――。それでも。


(少しだけなら、きっと、持つはず)


 精霊犬がこちらを見る。そうしてから、彼は自身の周りの結界を見ると小さく鳴いた。


「行こうか、メル。リュジを探さなきゃ」


 カイネの言葉に頷く。私はカイネの手を取って、そうしてまた、空へと躍り出た。



 いくつか、遠吠えの聞こえる場所に向かい、そこに跋扈する魔獣を倒していく。何人かの子どもや、そして子どもを守るために戦っていた精霊犬に対して結界を張ってから、次の場所へと向かうことを繰り返す。カイネが魔獣を一閃の内に倒しきるのを眺めていると、不意に、血なまぐさい匂いが鼻腔をついた。

 カイネもそれにすぐ気付いたのだろう。僅かな緊張がその面持ちに走る。


「……メル、絶対に離れちゃいけないよ」


 静かな声だ。匂いのする方向に連れ添ってゆっくりと向かう。

 木々の枝葉が折れて、そこら中に散らばっている。血しぶきのようなものが木の表面にべったりとくっついていて、思わず息を飲んだ。指先が震えて、縋るようにカイネの服を掴む。


 大変な戦いが、ここで行われたのだろう。カイネは身長にゆっくりと足を動かしていく。血なまぐさい匂いは少しずつ強くなって――。

 そうして、その元となる場所に、私たちは足を踏み入れた。


 カイネが一瞬だけ息を飲んで、直ぐに私の視界を塞ぐように、体を動かした。けれど、見えてしまった。

 死んでいた。精霊犬が。――精霊に加護を受けていて、簡単なことでは死なないはずの、生物が、横たわっているのが、見えた。


「……ひどい有り様だ。メルは見ない方が良い」


 カイネは小さく息を吐く。そうして、不意に、何かを見つけたのか、小さく息を飲んだ。


「――これは」

「……兄様?」


 固い声だった。カイネが折角塞いでくれた視界から、私は逃れるようにしてカイネの視線の先を辿る。

 そこには、布きれが落ちていた。――見覚えのある、ものだった。

 ミュートス家の紋章が描かれた、マントの、切れ端。


 一瞬、喉がひりつくように痛む。なんで。なんで、ここに、そんな、リュジが着用していた服の切れ端があるのだろう。どうして。思わず視線を周囲に走らせる。精霊犬の遺体の他に、この場所に突っ伏しているものは、見当たらない。

 どこに。どうして。死んでしまったのか。どうして? ラスボスになってから死ぬはずだろう。それなのに、そんな、まさか。


 おかしい。こんな事件、知らない。設定資料集にも、『狩猟祭で生死をさまよう』だとか、そんなことは書かれていなかった。おかしい、おかしい、どうして。

 どうして、守るって、言ったのに。


 呼吸がみっともないくらい震える。私がリュジが着用していた切れ端を見つけてしまったのに気付いたのか、カイネがすぐに私を抱きしめた。大丈夫だよ、と耳元で囁く声がする。


「リュジ……リュジが、兄様、リュジが……!」

「大丈夫、ここにはリュジは居ない。リュジが居ないということは、彼はきちんと逃げたということだ」


 でも。それでも。精霊犬を殺してしまうような存在から逃げて。それで、生き残ることが、出来ているのだろうか。

 呼吸が上手く出来ない。カイネは私をもう一度ぎゅうっと抱きしめて、それから杖を取り出した。彼はそれを軽く振る。瞬間、その場所を風が逆巻くようにして通り抜けた。柔らかな金色の光が、リュジのマントから伸びて、どこかへ向かっているのが見える。


「大丈夫、この先にリュジは居る」

「これは……?」

「線だ。――リュジの痕跡を辿る、線」


 恐らく、私では想像も出来ないほど、難解な魔法なのだろう。リュジのマントから出ている、線。それは森の奥に続いているようだった。

 これを辿れば、リュジと、会える。


「大丈夫。何があっても、リュジも、メルも、兄様が必ず助けてあげるからね」

「兄様……」

「リュジが待ってるよ。行こう。ほら、涙を拭いて。びっくりさせるんだから、あくまで笑顔で、ね」


 カイネが私の頭を撫でる。そうしてから、ゆっくりと私から離れた。私よりも幾分大きな手の平が、私の手を優しく握る。

 私はぐっと唇に力を入れて、それから片手で眦を拭った。そうだ。大丈夫、大丈夫な、はず。むしろここで私がパニックになって、時間をロスした方が、リュジの死の危険性が高まるだろう。


「……笑顔!」

「うんうん、そうそう」


 カイネがもう一度杖を振る。彼は死んでしまった精霊犬の周りに結界を張ってから、リュジの線を辿るように走り出した。

 つられるようにして、私も走る。どうか、どうか、生きていて欲しい。

 祈るような気持ちを胸に、私たちはリュジの線を追った。

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