11.王都
ミュートス領から、馬車で一時間。イストリア帝国、その王城が座する王都の近くで、狩猟祭は行われる。
近場で祭が行われるということもあり、街は既に活気に満ちあふれていて、そこかしこの露店で狩猟祭で使う杖のレプリカだとか、だとかを売りに出しているようだ。それらに多くの子どもが駆け寄り、どれを使うか、どれが良いかなんかを話しあっている様子が窓から伺うことが出来る。
祭の前の、楽しげな雰囲気が、そこにはあった。
「狩猟祭に向けて、王都には沢山露店が出てるみたいだね」
「……」
馬車の椅子に座り直し、私は対面に座ったままのリュジを見つめる。リュジは私の言葉に反応して、一度だけこちらを一瞥したが、直ぐに息を吐いた。
面倒臭そうな雰囲気が、ものすごい勢いでリュジの表情から溢れている。
「どうしたの。凄く元気ないね」
「……急に王都へ行こうって、連れ出されたら、普通はこうなるだろ」
「王都嫌い?」
「嫌いじゃない。嫌いじゃ無いけど……、用もないのに来るところじゃないだろ」
リュジは軽く首を振る。確かに、言い分は尤もなものだ。だが、用がないか、というと、そういうわけでもない。
先日、ユリウスから狩猟祭について教えてもらった時、良かったら軽く王都を散策してみてはどうか、と提案されたのだ。
両親について、何度か王都に出たことはあるものの、詳しいとは言いづらい。リュジに関しては、彼は家庭教師がついていることもあり、外へ出ることが少ないため、そもそもイストリア帝国首都へはあまり行ったことが無いのだという。
狩猟祭当日にこの辺りに来て、慣れない土地にまごついている間に勝利を逃す――なんてことになったら、後悔してもしきれない。
折角だから、王都の空気を感じながら周辺を見回り、森の観察をして、どのように行動すべきかを考えてみては――とはユリウスの言だ。私もそう思う。
「用はあるよ。王都を歩いて、街並みと近くの森のあたりを確認、来るべき狩猟祭でリュジが活躍出来るよう作戦を練るっていう、もの凄く重要な用が!」
「……兄上も、メルも、本気で俺が殿下に迫れるとでも思って居るのかよ。殿下は星の子だぞ」
リュジが呆れたように言葉を続ける。殿下――エリアス・イストリア殿下は、確かに、エトルに愛されし子ども、つまりは星の子だ。銀色の髪にそれがよく現れている。
カイネ然り、星の子というものは、普通の人より高い能力を有する。だからこそ、リュジは殿下と競い合っても勝てないと思っているのだろう。
私は一つだけ瞬いた。そうして、向かいに座っていた椅子から、リュジの隣に移動する。リュジがせまい、と静かに不満を吐くのが聞こえた。
推しが少し不安がっている。ならば、私のすることは決まっている。――元気づける、だけだ!
「本気で思ってるよ。本当! リュジは絶対に狩猟祭で名を残して、もうそれはもう引く手あまたになって、私はもう鼻高々でリュジを送り出すつもりでいるからね!」
「送り出すって……どこへだよ」
「な、なんかこう……高み的な何かへ……」
リュジは僅かに顎を引いた。そうして、小さく、困ったように笑う。少しだけ儚げな印象を滲ませる、そんな笑い方だった。
「馬鹿だな、メルも。……兄上も」
吐き出した言葉は、柔らかくて、穏やかな感情が滲んでいる。リュジは小さく喉の奥で笑うと、私の肩に額を軽くこすりつけた。そうしてから、「本当に馬鹿」と、もう一度囁く。――馬鹿にした調子なんて、一筋たりとも見つけられない、そんな声で。
「そんなに期待をかけられる方の身にもなれよ」
「た、確かに。ごめん。もしかして重い……? 重いかな?」
リュジの言う通り、言う方は簡単だが、言われた方はたまったものではないのかもしれない。慌てて首を傾げると、リュジは今度こそ、小さく息を零すようにして笑った。
今更だろ、と、言う声が、優しく鼓膜を揺らした。それがきっと、リュジなりの、答えだった。
馬車を降りて、街道に降り立つ。本当なら馬車で街中を見て回るつもりではあったのだが、そうなると狭い道なんかは一切通れなくなる。王都は入り組んでいて、表通りの他にもいくつかの裏通りが存在するのだ。
だが、貴族令嬢および令息である私とリュジが、護衛もつけずに道を歩いていれば、大変な目に遭うのは自明の理である。というのもあって、今日に限っては、ユリウスと現地集合をすることになった。あらかじめ、これを着てきてください、と言われていた平民服に身を包んでいたので、問題無く景色に溶け込むことが出来ている。
目指すのは表通りの噴水広場だ。御者にはまた定刻になったら迎えに来て貰う約束を取り付けてある。直ぐに踵を返してどこかへ行く馬車を眺めてから、リュジと手を繋いでゆっくりと歩き始めた。
噴水広場には程なくして着いた。大きな噴水と、それを囲むようにしてある花壇が目に眩しい。吹き出す水しぶきが光を反射して、きらきらと輝いているのが見えた。休憩所として使われているのか、階段やベンチに腰を据える人々の姿が多く見られる。そのうちの一つ、大変こんもりと着込んだ姿を見つけて、私は手を振った。
「ユリウス!」
「メルお嬢様。それにリュジさま。おはやいお着き、でしたね」
ベンチに腰掛けていた彼は、私の声に気付くと直ぐに近づいてきた。嬉しそうに微笑んで、それから「いかがですか?」と声をかけてくる。
「露店なんか、気になるもの……あったら。せっかくです、買い食いとか、しちゃいましょう」
「か、買い食い。……していいの?」
「ここでは、誰も……見てません、から」
馬車から見る露店は、どれも魅力的で、正直買い食いをしたいという気持ちは強かった。ユリウスが小さく笑って、私とリュジをゆっくり、交互に見つめる。
もし――もしも許されるなら。是非、色んなものを食べたり、色んなところを見たい。貴族である以上、買い物と言えば商店を家に呼んで行うこともあり、めったなことでは買い物したい! だなんて言い出しづらい雰囲気があった。でも、ここでなら――何も考えず、自分の好きなものを見て回ることが出来る。
「リュジさまも」
「……あまり、素性の知れない誰かが作ったものは食べないようにしているので」
「ええっ……そ、そんな……」
それを言ったら屋敷以外では何も食べられなくなる気がする。折角城下に来たのに、それを堪能せずに帰るなんてもったいない……!
ただ、リュジとしては、恐らく毒を盛られる可能性とか、得体のしれないものを食べて体調を崩す可能性も視野に入れているのだろう、とは思う。屋敷で出されるものは使用人が作る、上に、きちんと毒が入っていないかも確認されているらしいから。
リュジの気持ちもわかる。警戒はしすぎるに越したことはない。
――だが、それはそれとして、城下を目一杯楽しむ推しの姿も見たいというものである。あと私が普通に色々食べたい。
ままならない現状に、ユリウスが微かに瞬いて、それから小さく頷いた。「わかりました」と告げて、彼は私へ視線を向ける。
「もしメルお嬢様が何か買う時は、僕も一緒に……買います。それでしたら、どうでしょう?」
「……良いんですか? 毒耐性は?」
「あります。一級癒術士なので……、問題ありません。食べる前に解毒魔法をかけることも出来ますよ。それと、先んじて僕が一番に食べます」
「それは。ユリウス、いいよ」
「いえ。ええと、あの、……大人、ですから。こういうときは、頼ってください」
慌てて否定をしようとするが、すぐにユリウスは首を振った。そうして、片目を軽く細めて小さく笑う。
こういう時のユリウスは、私が何を言っても頑として聞かない。リュジは一瞬、ユリウスの言葉の真偽を伺うように見つめた。そうして、微かな間を置いてから「それなら」と小さく言葉を続ける。
――解毒魔法なんてものがあるわけだし、それを常時かけっぱなしに出来るような、そんな道具があればいいのに。そうしたら、多少なり心配の種は減るはずだ。……逆に、その解毒魔法によって解毒されない毒を使う人が出てくるかもしれないが、そんなことを考えたら思考がいたちごっこになって終わらなくなる。
解毒魔法のこもった道具。ちょっと、作ってみたい。
帰った後、ユリウスに相談をしてみようと考えながら、私は二人の手を取った。
「ユリウス、ごめんね。ありがとう」
「いえ。ええと、メルお嬢様、とリュジ様に、楽しんで欲しいので。一応、僕もこの街には知り合いがいます。ご飯は、そういう信頼の出来るところで、食べましょう」
少しだけ諭すような口調に頷く。楽しみだね、とリュジに声をかけると、リュジは微かに顎を引いて答えた。
表情は変わらないように思える。――が、その唇の端が少しだけ上がっているのがわかって、私は同じように笑った。