01.事故と、出会い
少しでも楽しんで頂けたら何よりです。
ひっくり返った馬車。雨に濡れてぐずぐずになった地面。そこら中に木片。
馬は居ない。どこかで死んでしまっているのか、それとも逃げてしまったのか。
私を必死に抱きしめていた腕が、今は力なく落ちて、泥に濡れている。
「……お母さん……? お父さん……」
喉が震える。息が上手く出来ない。心臓が強く鼓動を鳴らし始める。ごうごうと降る雨が、鼓膜を強く打ち鳴らす。
手の平に力が入らない。私は這いずるようにして、地面に横たわったままの母と父に触れた。
――瞬間。
頭の中に様々な光景が入ってくる。会社でのこと。高校でのこと。もっと昔の、生まれた時のことも。
――頭が痛む。私は小さく息を飲んで、それからゆっくりと首を振る。そうだ、私、仕事していたはず。
今日だって、新たな案件に手をつける予定で――今日?
今日ってなんだ?
雨が体温を奪っていく。寒い。体が震える。歯の根が合わない。がちがちという音が、どこか遠くで響いてくるような気がする。
今日。今日は。仕事していて。ちがう。今日は馬車に乗って遊びに行く日で。
雨だけれど、そう、雨だけれど――ずっと前から約束していたからと両親と一緒に馬車に乗って。
両親? 違う、だって、私の両親はこんな――こんな顔ではなかった。もっと日本人っぽくて、私もその血を受け継いでいて。
頭が痛い。苦しい。呼吸が上手く出来ない。ぐるぐると脳をかき回されているような感覚に陥る。気持ち悪い。
呻くような声が喉から漏れる。指先が地面をかきむしるように動く。痛い、苦しい、痛い、助けて、助けて。
「助けて……」
喉を振り絞ったような声が落ちる。その瞬間、ぷつりと、私の意識は途切れた。
不意に、聞き知った声が、耳朶を打って、私の意識は覚醒する。
「――兄上、メルは、メルは大丈夫なんでしょうか……」
「大丈夫だよ、きっと。神様も見ていらっしゃる。大丈夫だよ……、大丈夫だ」
二人分の声。一人は幼くて、もう一人は、少しだけ大人びた声だった。静かな声は、祈るような響きを滲ませている。
メル――は、私の名前だ。何度も何度も、二人には、メル、メル、と呼ばれていた。
二人。――二人? 誰のことだろう。考えた瞬間、頭が軋むように痛む。二人――二人は。
二人は、私と、遊ぶ約束をしていた――。
ゆっくりと目を開く。視界に、二人分の顔がうつった。
一人は黒髪で、赤い瞳をしている。まるで血のような濃い色の瞳はぱっちりとしていて、まろみのある輪郭が、まだ彼は幼くあることを、強く感じさせた。黒髪はいわゆるウルフカット風に切られていて、襟足が長い。薄く色づいた頬は薔薇色を滲ませていて、その頬をぽろぽろと涙が伝っている。白魚のような肌は、少年の幼さに僅かななまめかしさを与えていた。長い睫が濡れたように光っているのが見える。通った鼻筋に、薄い桜色の唇。とんでもない美少年だ。丹精込めて描かれた絵のように、隙のある部分が一切無い。
もう一人は銀髪で碧眼。虹彩が、星をまぶしたように輝いている。まるでそれ自体が星空を写し取ったかのような瞳でこちらを見つめる彼は、大人びた顔立ちをしていた。銀色の髪は濡れたように輝き、彼の肩口あたりから軽く零れている。長髪のようで、緩く結った髪が背中に伸びているのが見えた。月を擬人化したら、きっとこのような容貌になるだろう。そう思うくらいには、綺麗だ。すらりとした頬に、桜貝の色をした唇。香るような色気と、それでいて大人になりきれない年齢の幼さが、たくみに入り交じっている。神様はこんな形をしていたのだと言われたら、きっと信じてしまう。
とんでもない美少年と、美形。その二人を、私は見たことが、あった。何度も、会ったことだって、ある。
心の中をさまざまな感情が行き交って、ぐちゃぐちゃにしていく。唇が震えた。
名前を呼ぼうとした、瞬間、二人がわっと私に抱きついてきた。
「メル! メル……っ、メル!」
「メル、良かった、本当に良かった……!」
泣き出す手前のように震えた声だった。二人分の体重を受け止めながら、私は小さく息を吐く。
私は二人を知っている。そうして、――前世の私も、彼らを知っていた。
「リュジ、……カイネ?」
名前を呼ぶと、二人は私の体を更に強く抱きしめた。息が詰まりそうなくらい、強く。二人とも顔をあげないけれど、じんわりと触れた箇所が暖かくなっていくのがわかる。
泣いているのだ。
「本当に良かった。約束をしたのに家に来ないから。探しに行ったら、そうしたら、そうしたら……」
リュジが息を詰まらせながら言葉を続ける。彼は少しだけ調子の狂った声で「おちてて」と、ほとんど泣きながら口にした。
「し――死んでるって、死んでるって、思ったら、頭、真っ白になって、それで……。生きてて良かった。――生きてて、良かった」
所々しゃくりあげながら、リュジは私の体をぎゅうっと抱きしめた。私が生きていることを、きちんと確認するように、強く、強く、力を込めてくる。
滲んで来る暖かな体温と、柔らかな布団、そして二人の声。それを聞くと、なんだか緊張の糸が解けていくような心地がした。
生きている。――生きている、んだ。
崖から投げ出された馬車。私の体を抱きしめる父と母。強い衝撃。窓が割れて、車輪がひしゃげて、雨の中、外に投げ出された。私が生きているのは、間違いなく、父母が強く抱きしめて、守ってくれたからだろう。
お母さんと、お父さん。私――メル・カタラの、両親。
触れたときに温もりは残っていた。けれど、息をしていなかった。柔らかく上下するはずの肩や胸は動くことなく、こちらを見つめる瞳は力なく光をなくしていた。
私を守って、死んでしまった人達。昨日まで――馬車に乗るまで、私に優しい眼差しを向けていた二人のことを考えると、どうしようもなく、胸が痛んだ。
は、と呼吸が荒くなる。それと同時にぼろ、と涙が出た。一度堰を切ってしまった涙は、留まることを知らず、私の頬を伝って落ちていく。リュジとカイネが、私の背に手を回して、優しく撫でてくる。
それを皮切りに、私は声を上げて涙をこぼした。
今日は時間をおいて5話までUPする予定です。
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