深夜の話し声
「ラジカセ?」
買い物から戻ると、持ち込まれた依頼品が作業机に置かれていた。
携帯用の小型な本体は銀色で、レトロというほど古くもなく、デザインも一般的でちょっと古いだけのラジカセに見える。
「買い直した方が早いですよ。と言ったんですけどね。ご主人が大事にしていたものだからって言うんで、一応預かっときました」
店番をしてくれた徹が説明するには、ご主人の愛用品だったラジカセだから修理して欲しいと言われ引き受けてしまったらしい。
買い物袋を横に置いて、作業机に置かれた小型ラジカセを手に取って眺める。
片手で持てる大きさで、録音可能なカセットテープがひとつ入るタイプ。カセットテープはもちろん入っていない。
後ろの型番を確認すれば、西暦1990年とある。形も量販品で面白味もない物だから、レトロ品としても蒐集品としても価値はないに等しい。徹が言うように直すよりも買い直した方が安いし早い。
想い出の品でもなければ。
「まぁ、見てみるか」
とりあえず電源が入るかチェックしないとな。
作業用の手袋を着けて椅子に座る。
「んじゃ。俺帰りますね」
「ん。悪いな」
冷やかしでやってきた後輩は店番という大役を終えて、来た時と同じようにふらりと帰って行った。
その背中を見送って、ラジカセを分解すべく工具を手に取った。
うちは祖父の代から町の時計屋を営んでいる。一昨年亡くなった父親の代から時計以外の修理も依頼されていたが、今では時計よりも他の修理が多い何でも屋みたいなことになっている。
ちなみに時計は年に十本売れるかどうかという零細ぷり。もはや修理屋で生計を立ててると言っても過言ではない。
昔から機械いじりが好きで、父親の横で色んなものを分解しては組み立てて遊んでいた。工業科を卒業したおかげで知識はあるし、できる幅も増えた。
お陰様で修理屋稼業に磨きがかかっている。
じいちゃん、親父、なんか、ごめんな。
電池が入っているのを確認して電源を入れてみたが、うんともすんとも言わない。
古い電池を取り出して、新品を入れると電源は入ったが、チカチカと点滅をするだけで音が出ない。チューナーをいじっても音が出ない。
「スピーカーかな?」
中身を開けて確認すればスピーカーと基盤がひとつダメになっている。
スピーカーは似たような物があったはず。基盤は発注だな。扱っていそうな店を何店か思い出して受話器を取る。
一件目は在庫がないと断られたが、二件目は取り寄せに一週間かかると言われたのでお願いした。
とりあえず目処はたったから、珈琲でも飲もうと母家へと足を向ける。
店内の奥の引き戸をくぐればすぐに居間があり、その隣は台所だ。
上がり框に足をかけた時、何か声が聞こえた。
振り向いたが特に変わったことはなく、外の声が聞こえただけだろうと気に留めず母家へと移動した。
★ ★ ★ ★ ★
なんだかうるさくて目が覚めた。
目覚まし時計は二時二十五分を指している。
階下からボソボソと男のような声が聞こえる。
誰か外で話しているんだろうか。
夜は静か過ぎて、普通の話し声でもよく響く時がある。
迷惑だな。
予定外に目が覚めた苛立ちと共に息を吐き出す。
喉が渇いたので、水を飲もうと階下に下りた。
話し声はまだ聞こえる。
うるさいな。もう少し静かにして話してほしいもんだ。
階段を下りて居間を通って台所へ行く。
水を飲んで居間に戻ると、まだ声が聞こえた。
うるさいな。
二階に上がると、隣から母親のいびきが聞こえてちょっと笑ってしまった。
自分のベッドに入った時にはもう声は聞こえなかった。
珍しく舞い込んだ腕時計の修理をしている時に店のドアが開いて、徹が顔を覗かせた。
「悠真先輩、いるー?」
「いなかったら閉まってるよ」
「だよねー」
社長は俺、社員は母親一名のザ・家族経営の店だ。唯一の社員は書類仕事だから、店にはあまり出ないので、俺がいない時は店は閉まっている。
「先輩、寝不足?隈できてますよ」
差し出した缶コーヒーとは別の手で自分の目の下を指し示す。
もらった缶コーヒーを開けて飲めば、ぼやけた思考が少しだけマシになった。
「最近、夜中に外で話してるやつがいてよ。気になって目が覚めちまうんだよ」
「夜中?この辺飲み屋とか無いのに」
「知らねーよ。迷惑なもんだぜ」
ここ最近、三日も連続で話し声が聞こえる。
何を言ってるのかは分からない。だが、中年っぼい男の声で、時折興奮して怒鳴っているようにも聞こえる。
連日のことに腹が立って、二階の窓から文句を言おうとしたのだが、見える限りに人はいなかった。
「これ直ったの?」
徹が手にしたのは、この前持ち込まれたラジカセだった。自分が請け負った物だから心配になったのだろう。
「部品の納入待ちだ。他は直したから後は部品が届かないとどうにもならんな」
「ふぅん。あ、先輩ってスマホは直せる?バッテリー交換とか」
「スマホは自信ないから、ちゃんと業者に持っていけ」
「ちぇ。安くしてもらおうと思ったのに」
徹はしばらく雑談して帰って行った。
★ ★ ★ ★ ★
また声が聞こえる。
何を喋っているのか、正確には聞き取れないが昼間と変わらない声量は夜の闇によく響いた。
うるさいなぁ。
イライラしたまま起き上がって窓を開ける。見える範囲に人はいない。
いつもどこで喋ってるんだ。
聞き取れない声はただただ苛立たしい。
文句言ってやる。
階段を下りると、声はまだ聞こえた。
居間に来ると声がさっきよりも大きくなっている。
きょろきょろと声がする方を探れば、店の方から聞こえてくる。
まさか泥棒?
可能性に肝が冷える。
時計店だが、高級品はそんなに置いてない。レジの中もそんなに入っていない。
だが、泥棒がそんな事をしってるはずもない。
そっと、店へ繋がる引き戸に近づいて耳を澄ます。
「……だから…………は……だと」
「でも……は………って言ったじゃ……」
「うるさいっ」
男の怒鳴り声の後はテレビの砂嵐のような音が聞こえた。
慎重に引き戸を少しだけ開ける。
隙間から覗いた先には薄暗い店内が見えるだけ。
声も音ももう聞こえない。
しばらく様子を見てから引き戸を開けた。
店の電気を点ければ、いつもと変わらない光景が広がっている。
店内じゃなかったのか?
周囲に注意しながら戸締りを確認し、レジや商品も確認する。
何の異常もないことに首を傾げながら、電気を消して母家へと戻る。
何気なく見た時計は三時を過ぎていた。
翌日も同じだった。
午前二時頃から話し声がする。声を辿って行けば店の方から聞こえてくる。
引き戸に近づいて耳を澄ます。
「………ゃ、…かもしれんが………」
「…のため………ぇ…」
ドア越しだと聞き取りづらい。
そっと引き戸を開けるとさっきよりも声が聞きやすくなった。
「これ…言やいいのか」
「……ぇ。ちゃ…と、録音して……ましょ」
声の合間合間に砂嵐のようなノイズが混じる。
隙間から覗いた店内に不審な点は無い。人がいる気配も無いのに、人の声がする。
やはり店の外で誰かが話しているんだろうか。
「……あの女……なんかにっ」
「…っまえが、……が悪い…この……ぇがっ!」
その後に何か物が落ちたような音が聞こえた。
驚いて、引き戸を開けて店の電気を点ける。
明々とした店内に変わりは全く無い。
ただ、修理依頼のラジカセの電源が入っていた。
激しい物音がノイズ混じりに鳴り響き、ぷつりと消えた。電源の赤いランプも消えている。
ピピッという電子音に心臓が跳ねた。
時計を見れば午前三時。
ドクドクと鼓動する心臓が破裂しそうだ。
目の前ラジカセを凝視する。
ただの古いラジカセだ。特出するところなんて何も無い。なのに、得体の知れない物のように見えてしまう。
触れるのも怖くなって、慌てて電気を消して母家へ引き返す。
二階へ上がり、ベッドに飛び込むと布団を被って丸まった。
得体の知れない恐ろしさを忘れようと目をギュッと閉じた。
だが、思い出してしまった。
あのラジカセは、修理のために電池を外していたことを。
★ ★ ★ ★
翌日、店にくるなり例のラジカセが目に入ってくる。確認したが、やはり電池は入っていなかった。電源が入るわけがない。
昨日まで、ただの修理品だった物が、得体の知れない恐ろしい物になった気がした。
こんな物は早く修理して持ち主に返してしまうのがいい。
早く部品が届かないだろうか。
その願いが届いたのか、昼前に部品が届いた。
これほど配達が待ち遠しかった物はないかもしれない。
部品を確認して早速修理に取り掛かる。
修理自体は難しいものではない。一時間ほどで終わった。
電源を入れて、チューナーを合わせればお昼らしく元気なパーソナリティの声が聞こえてくる。
FMとAMを試したがちゃんと音を拾うし、音も問題ない。カセットテープは、母親が昔のアイドルのものを持っていたので貸してもらった。セットすれば懐メロで聞いたことのある女性アイドルの歌が流れる。
よし、問題ない。
持ち主に連絡すれば、今日中に取りに来てくれるらしい。
どこかそわそわとした気持ちで昼ごはんを食べ終え、他の依頼品を修理していた時カチっと音がした。
「……何の真似だっ」
「あなたが悪いんですよ。あんな親子に入れ込んで」
「俺の子だっ」
「本当に?貴方とお義母さんが私を石女だと散々貶してきたけど、私ね病院で調べてもらって知ってるのよ。私じゃなくて貴方が種無しっていうことをね」
「はっ?なんだそりゃ」
「浮気した挙句、騙されて養育費まで払って、本当におめでたい人だわ」
「嘘だ。嘘をつけ。デタラメを言うんじゃねぇ」
「お医者さんにもらった書類を見せてあげましょうか?それともDNA鑑定でもしますか?あの、貴方にひとつも似ていないあの子と」
急に電源が入ったラジカセを呆然と見る。
なんだ、これ。ラジオでドラマでもやってるのか?急に電源が入るなんて、まだどこか故障があったんだろうか。
だが、気味が悪くて手に取るのを躊躇ってしまう。
その間にも昼ドラのような展開が進んでいく。
怒った男が妻に暴力を振るう。そこからは乱闘のような音が入り、ドサッと何かが倒れる音がした。
妻の荒い息遣いがイヤに生々しく聞こえる。
その後、押し殺した笑い声が続き、ふっと静かになった。
「ざまぁみろ」
暗い怨嗟の声は、静かな店内ではっきりと聞こえた。
背中を冷たい汗が流れる中、電源がブツリと消えた。
なんだ、今のは。
恐る恐るラジカセに手を伸ばす。
勝手に電源が入って切れるなんて、ありえない。修理が必要ならしなければいけない。
ラジカセに手が触れた瞬間、店のドアがいきなり開いた。
「悠真先輩、いるー?」
徹の明るい声に心臓どころか体も跳ねた。
「こ、この、バカっ!驚かすなっ!!」
「えー、なんですかそれ」
バクバクと激しく動く心臓を押さえる俺の側までくると、ラジカセをひょいと手に取る。
「これ直ったの?あれ?動かないよ?」
「電池抜いてる、から……」
「へー。電池入れていい?」
「あ、ああ…」
そうだ。電池は外していたんだ。
じゃあ、さっきのはなんだったんだ…。
徹は電池を入れてFMラジオのチューナーをいじっている。
「おー、すごい。ちゃんと聞こえる」
嬉しそうな声に生返事を返す。
ラジオからはポップな歌が流れてくる。
楽しそうな徹とは裏腹に俺はなんとも言えない気持ち悪さを感じていた。
その時、店のドアが開いて客がやってきた。
客は、人の良さそうな老婦人で、徹が持ったラジカセを見て嬉しそうに微笑んだ。
案の定、この人が持ち主だったみたいだ。
徹が自慢気に「直りましたよ」と老婦人に見せている。
慌てて、修理した箇所を説明し、ちゃんと動くことを確認してもらう。
「ダメかしらと思っていたから、嬉しいわ。ありがとう」
「いえいえ。まだ部品があったんで良かったです」
修理代をもらいお釣りとレシートを渡す。
その間に徹が簡単に包装したラジカセをビニール袋に入れてくれたので、そのまま老婦人に手渡した。
「このラジカセ、何か変なところは無かったかしら?」
不意に投げかけられた質問に差し出した手が一瞬だけ震えた。
「いえ、特には」
なぜだろう。奇妙な出来事は言わない方がいいと思った。
まぁ、言ったところで信じられるような話でもないし、変に思われるのも困る。
「……そう。それじゃあ、お世話になりました」
「ありがとうございました」
老婦人の後ろ姿が完全に見えなくなってから、息を吐いた。肺の中の空気を全部出し切るほどの勢いに徹が驚いた顔をした。
「なにか、あったの?」
「んー、あったような、無かったような」
「えぇ、なにそれ」
「徹。今日、泊まっていかないか?」
「いいけど、どうしたの?」
なんか怖いから。なんて言えるわけもない。
言葉を濁しながら「久々に飲もうぜ」と誘う。
もうあのラジカセは無いけれど、なんだか不安で、夜中に目覚めないぐらい酔って寝たい気分だった。
用意するついでに酒とツマミを買ってくるという徹を見送って、椅子にどかりと座る。
あのラジカセから流れていた声はなんだったのだろう。ラジオドラマだろうか。
電池も無しにいきなり電源が入った理由は?
もし壊れていたなら、また持ち込まれるだろうか。いや、腕が悪いと思われて他のところに依頼するかもしれない。
どちらにせよ、関わりたくないと思ってしまった。
何か、恐ろしい事実を知ってしまいそうで。
早く、夜になって酒を飲んで忘れてしまおう。
そうだ。あの老婦人とラジカセから聞こえていた声が似ている事実なんて、酒を飲んで忘れてしまおう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その夜、徹と二人で酒を飲みながら、昔話を混じえて色々と話した。
お中元にもらった有名メーカーの瓶ビールを飲み切り、徹が思い出したように昼間の話を持ち出した。
「俺、知らなかったんですけどね、あのお婆さん、一部でちょっと有名みたいですよ」
「有名って?」
「あのラジカセ、いろんなところに修理に出してるみたいで『ラジカセおばさん』なんて呼ばれてて」
「そんなに壊れやすいのか?」
「それが、壊れてない時もあるらしいんですよ。それで帰り際に『何か変わったことは無かったか』って聞くんですよ」
『このラジカセ、何か変なところは無かったかしら?』
仄暗い目をした老婦人の声が頭に響く。
彼女は何を聞きたかったのか、どう答えて欲しかったんだろうか。
「まぁ、可哀想な人らしいですよ。旦那さんが失踪しちゃって、最近ようやく死亡届を出したとか。子どももいないから独りで、寂しいんじゃないかなって喫茶店のマスターが言ってました」
「お前、どこにでも顔を出してるな」
「いやぁ、息抜きできるところが多くて」
へにゃりと笑う徹の顔を見ていると毒気が抜けていく。
そろそろ寝るかと見た時計は午前二時を過ぎていた。
静かな夜の音を耳に残し、知らずに貼っていた緊張を緩めた。
どこかでカチリと音がした。
※終わり※
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