ライン帝国の権威
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──ライン帝国の権威
帝国にとって皇室とは最大の権威であり、権力だ。
ライン帝国においてもそれは変わらない。
だが、その権威にも陰りが見え始めていた。
「皇帝陛下はどうかしておられる。たかだか、ヴィルヘルム殿下が怪我をした程度の話で、黒狼騎士団を動員なされるなど」
「それも原因はヴィルヘルム殿下のわがままだったそうじゃないか」
「ああ。シュタウフェンベルク公爵家はとんだとばっちりを受けている」
貴族たちは集まっては皇室についての愚痴を呟く。
ヴィルヘルムが馬鹿だからこうなったのだとか、皇帝ルートヴィヒは耄碌したなどと、密かに皇室への愚痴を呟いていた。
「いよいよ我々が権力を握るべき時が来たのかもしれない」
「それは時期尚早だ。もっと明確な形で皇室の権威が落ちなければ、他の貴族も民衆も納得しないだろう。やるなら一撃で、だ。オストライヒ帝国に付け入る隙を与えるべきではない。オストライヒ帝国はまだゲルマニア統一を諦めてはいない」
「そうだな。最大の敵はオストライヒ帝国だ。だというのに、我々はシュタウフェンベルク公爵家の18歳にもならない子供を追いかけ回しているというわけだ。全く、祖国の現状を先人の方々が知れば、さぞ落胆するに違いない」
「ルートヴィヒ陛下も陛下だ。息子可愛さのあまり、こんな馬鹿げた状況を容認しているとは。あの方も愚帝であったか」
もはや遠慮もなく大っぴらに語られる皇室への不満。
「まだミカエラは討伐できないのか」
それを知らないルートヴィヒたち皇室は、ミカエラを追いかけ回していた。
「はっ。最近では他のものとともに行動しているという話もあり、手出しするのに苦労してるようであります」
「くだらん。どうぜ小国家連合の連中であろうが。叩きのめせ」
「しかし、外交問題になりますと……」
「殺せと言っているのだ! 皇室の顔に泥を塗ったものが生きて、のさばっているなど認められるものか! ヴィルヘルムの傷はまだ完治していないのだぞ!」
「ははっ!」
下級貴族と皇帝ルートヴィヒのやり取りを見て、帝国宰相ホルヴェーク伯爵はルートヴィヒは完全に病に侵されていると確信した。彼は死ぬ前にミカエラの死が見たいのだ。可愛い、可愛い第1皇子ヴィルヘルムの名誉を踏みにじったミカエラに復讐するために。
だが、現状それはなされていない。何人もの戦の達人や剣の大家がミカエラを倒しに向かったが、誰ひとりとして帰ってこない。
それに業を煮やしたルートヴィヒはライン帝国三大騎士団のひとつである黒狼騎士団まで動員したのである。
完全にどうかしている。病は精神にまで影響を与えているとしか思えなかった。
このまま放置すれば、オストライヒ帝国という最大の敵に付け入る隙を与えるどころか、国内で反乱が起きることだろう。いや、これ以上無能な皇室を抱え続けるぐらいならば、さっさと反乱を起こして、皇室を断頭台に送った方がいいのかもしれない。
態度を明白にしていないのはシュテファンだけ。他は賛同している。
だが、今ではないという点においては全員が納得している。
この戦争の狂乱が忍び寄る時期に内乱騒ぎなど起こすべきではない。
ホルヴェーク伯爵は皇室に従う素振りを見せつつ、別のことを画策していた。
「陛下。そろそろヴィルヘルム殿下の立太子を行うべきかと」
「……確かにな。それは必要なことだろう。段取りは任せる」
「畏まりました」
これでヴィルヘルムという無能の中の無能が王座に就くわけだとホルヴェーク伯爵は内心で思っていた。
ヴィルヘルムに政治的能力は全く期待できない。あれは愚か者の中の愚か者だ。
ミカエラという美しく、気品もあり、家柄も問題ない立派な婚約者がいたにもかかわらず、一方的に婚約破棄を宣言し、あまつさえ決闘を挑んだ。女相手に誰が決闘を挑むというのだ? とんだ馬鹿野郎だ。
もし、結婚が成立していれば、ライン帝国成立以前から存在する有力な貴族であるシュタウフェンベルク公爵家と皇室が結びつくことによって、その支持基盤は安定したものになっていただろう。
そうなればオストライヒ帝国とも対抗できる。オストライヒ帝国はライン帝国最大の敵だ。あれこそが打ち倒さなければならない敵なのだ。身内の貴族令嬢を追いかけている場合ではないのだ。
オストライヒ帝国は小国家連合に手を伸ばした。ローン侯爵が外交的圧力を掛けたから、オストライヒ帝国が小国家連合を飲み込んでしまうことは避けられたものの、そうでなければライン帝国はゲルマニア統一という果たすべき使命を果たせるところであった。
それなのに皇帝ルートヴィヒは平然と小国家連合との関係悪化を招きかねない危険な遊びに手を突っ込んでいる。皇室の名誉は大事かもしれないが、国家としての名誉と存続はそれ以上に大事なことだ。
皇帝たるルートヴィヒがそれを理解していないとは! ヴィルヘルムの頭脳は父親譲りらしい。どちらも短気で、長期的な視野で物事を見ることができない。
「ホルヴェーク伯爵」
「はっ。陛下、どういたしましか?」
「黒狼騎士団にはちゃんと出撃命令を出したのだな?」
「ご安心を。既に出立しております。彼らは国境付近で分散し……」
「馬鹿者! 戦力は分散して運用するものではない! 纏まった戦力が必要なのだ!」
「しかし、陛下。常備軍を中立国家の領土内に入り込ませるなど、本格的な外交関係の悪化を招きかねません」
「構わん。小国家連合などという弱小国家が何を言おうと知ったことか」
ああ。この国は本格的にお終いだ。トップがこれだけ馬鹿なら、いくら下が頑張ったところで報われるはずもない。
「畏まりました。黒狼騎士団にはそのまま行動するように指示を出します」
「よろしい。私は早く結果が聞きたいのだ。ミカエラを討ち取ったという知らせが。ライン帝国皇室の名誉が回復されたという知らせが。分かるな?」
「はい、陛下」
ホルヴェーク伯爵はうんざりしながらもそれを隠して同意した。
2代も馬鹿な皇帝が続けば、いよいよ終わりだ。
かといって、ルートヴィヒが可愛がっている以上、ヴィルヘルムから皇位継承権は取り上げられない。そう、とても可愛がっているのだ。ルートヴィヒはヴィルヘルムを。溺愛と言っていいほどに愛されたヴィルヘルムだからこそ、世を知らず、常識を知らず、己の果たすべき役割も知らない。
これが専制君主制の弱点かとホルヴェーク伯爵は思う。
賢帝の時代に栄えるが、愚帝の時代に全てが台無しになる。
しかしながら、ライン帝国は帝国であり、皇帝が君臨し、統治するのが当り前である。それが帝国なのだ。帝国の皇帝は帝国の権威であり権力そのものなのだ。
少なくとも今はまだ。
不満を持つ貴族たちの数は増え続けている。シュタウフェンベルク公爵家のシュテファンはまだ新しく妻を持とうとせず、孤独に耐え忍んでいる。貴族たちはそれを立派だという。死んだ妻にそこまで尽くすのは確かに立派だ。
ヴィルヘルムもまだ新しい婚約者は決まらない。誰もヴィルヘルムの婚約者に娘を捧げたがらない。これは当然だろう。
帝国は緩やかに軋み、回復させるはずの権威は逆に傷ばかりがついていた。
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