空白の思い出
「じゃあ、今日は給仕班で頼むな」
ヴァンはフリートからの伝言を伝えた。セイは少し面食らったようだった。それでも向きを変えて給仕部屋の方へ走りだした。
なんでだろう。いきなりお願いされちゃったけど。久しぶりの給仕班かぁ。
1日のほとんどは寮内で働くことになる。
今日はいい天気だから外でみんなと稽古がしたかった……特にフリートさんと。
物思いにふけるセイに1人の女性が声をかけた。
「よっ、セイ。久しぶりじゃあないか。なんだい、花嫁修行でもしに来たのかい?」
「そんなんじゃないです」
「アッハッハ、今日は人手が足りないからね、セイが来てくれて大助かりだよ。頼んだよ」
セイに腕をくっつけ笑う女性。
彼女はミーナ。フリートと同じ時期にこのモリ屋に来た。
面倒みがよく、姉御肌であったかい笑顔を振りまくミーナ。彼女の側には彼女を慕う者たちが集まる。
ミーナさんの近くは居心地がいい。
セイは大きなカゴを持って屋上にたどり着く。モリテ達の稽古着や肌着や公服も混ざっている。日の差すうちに全部を干さなければいけない。
重くなったズボンを力一杯振り捌く。パンパンと叩いてしわを伸ばす。
今日はずっとに寮中にいる予定だし、今のうちに外の空気を吸おう。
少し前屈みだった姿勢を正す。空を見上げて耳を澄ませる。
すると聞き覚えのある、掛け声が聞こえた。
今日行くはずだった場所に向けて羨望の眼差しを送る。屋上から稽古場のモリテ達を見下ろした。顔はわからなくても、人影の動きで誰だかわかった。
あれ、1人だけ知らない人が混じってる、その隣にいるのはフリートさんだ。お客さんかなぁ。モリテを探しているんだろうか。
気になって近くに行こうとした時だった。
「♪〜」
何か聞こえる。歌? 風に乗って聞こえて来る声……入り口の門の方からだ。
セイは屋上を歩いて、門が見えるところまで移動する。
「♪〜」
透き通った綺麗な歌声。心の奥まで突き抜ける。
歌の中に悲しさと懐かしさがあった。
ふわっと幼い頃の記憶が蘇る。
──母さん──?
浮かび上がってきた記憶……笑っている母の姿。セイを褒めてわしゃわしゃと頭を撫でる母。
「こんな記憶が──うっ……熱い……苦しい」
息が、胸が締め上げられるようだ。目頭が熱い。温かい、懐かしい、嬉しい思い出のはずなのに。
胸の苦しさに思わずしゃがみ込んだ。
セイは洗濯の干し竿にぶつかる。倒れて音が鳴った。
歌声が止まり、歌っていた人がこっちを振り向いた。遠く離れているのに目があった……ような気がした。
セイは走って逃げ出した。恥ずかしさか、苦しさか。とにかくこの場を早く離れたかった。
走りながら胸の奥で鈍い痛みを感じる。
頭が痛い。こんな記憶忘れていたんだろうか。
母さん……